貞観八年(八六六年)六月になると、長雨の五月と打って変わって干天が続き、人々は凶作を恐れた。旱魃が続き、稲や樹木が枯れ、酷暑が地を襲った。人々は、去年六月、政府が御霊会の営みを抑制する法令を出したのが、この猛暑の原因であると囁き合った。そ…
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