■第2章 遼東との戦い 建安八年(203年)正月、楽浪の将軍、公孫模と副将軍、張敞は三韓の代表、辰王から朝貢が届か無いことと、流民を奪われたことを告げに遼東に向かった。幽州の袁紹の次男、袁煕ら袁氏の残党と対峙している公孫度にとって、その報告は…
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