波濤を越えて

波濤を越えて『応神の巻』⑤

■ 宋及び呉との交流 応神二十五年(420年)三月、百済の直支王が逝去した。直支王は倭国に人質として送られ、その後、倭国の兵に伴われ帰国し、百済王に即位して、東晋から使持節、鎮東将軍、百済王に冊封され、東北に沙口城を築くなどして、頻繁に威嚇を…

波濤を越えて「応神の巻」④

■新羅の内乱 応神二十年(415年)九月、後漢の霊帝の子孫と称する阿知使主が、その子、都加使主、並びに十七県の一族を率いて、燕国から百済を経由して、倭国に亡命して来た。阿知使主と最初に面会した葛城襲津彦は、大陸の変化に驚き、政庁に出勤し、先…

波濤を越えて「応神の巻」③

■高句麗との拮抗 応神十二年(407年)二月、任那の五百城大王が薨御した。応神天皇は、その知らせを、仲津姫から聞いた。応神天皇が武内宿禰らと、最近、異国から様々な技術を身に着けた工匠などが倭国に帰化し、その縁者の渡来が増えた為、王族や倭人や…

波濤を越えて『応神の巻』②

■ 百済救援 応神三年(398年)七月、国民の力を結集して、故神功皇太后の立派な陵墓が狭城の盾列に完成した。また、それに合わせるように大和の軽島豊明の宮が完成した。その落成の式典の為、倭国は任那をはじめ、百済、新羅、高句麗、秦、燕、晋といった…

波濤を越えて『応神の巻』①

■ 応神天皇即位と海外派兵 神功六年(396年)二月十七日、誉田皇子は敦賀にて元服の式を終え大和国の磐余の若桜宮に戻った。母親の神功皇太后はじめ、群臣たちは、その元服祝をしようと、宴の準備をして待っていた。誉田皇子と武内宿禰は、まず神功皇太后…

波濤を越えて『神功の巻』②

■ 王位継承 神功元年(391年)十一月末、神功皇后は新羅遠征を終え、無事、任那から倭国に帰国し、筑紫、香椎の宮に凱旋し、侍女、但馬由良媛を連れ、宇美野での産休に入った。そして十二月十四日、目出たく太子を出産した。それから数日後、津守住吉と物…

波濤を越えて『神功の巻』①

■ 新羅遠征 神功元年(391年)十月二日、即位式を完了させた神功皇后は、倭国軍の動員もすっかり整い、いよいよ願いを決行することに至った。香椎の宮に物部胆昨、大伴武持、紀角らを残し、神功皇后を乗せた新羅遠征軍は筑紫の港から船出して、先ずは松浦…

波濤を越えて『仲哀の巻』③

■ 熊襲討伐とその結末 仲哀七年(388年)、筑紫の香椎宮を王都とした仲哀天皇は、岡県主、伊都県主ら筑紫の豪族らとの地盤固め行い、大和王朝と強調し、軍事力強化を図り、二年経過した仲哀九年(390年)九月五日、朝堂に重臣たちを集め、熊襲討伐を話…

波濤を越えて『仲哀の巻』②

■ 敦賀から筑紫へ 仲哀二年(383年)正月から仲哀天皇は忌まわしいことを忘れる為、一時、帯姫の母方の里、敦賀で休養し、帯姫との蜜月の日々を過ごした。帯姫の母、高額姫の兄、葛城宿禰が二人と付き人の面倒を見た。葛城宿禰は、二人が何時、大和纏向の…

波濤を越えて『仲哀の巻』①

『倭国の正体、愛しき人よ』を書き終え、『幻想邪馬台国』に連なる作品として、仲哀の巻、神功の巻、応神の巻の三部作『波濤を越えて』を執筆することにした。『倭国の正体、愛しき人よ』の読者は、邪馬幸王逝去の後が、どうなったかを知りたいであろう。そ…