幻の花 ~ 第九章   忍び泣き小町

 ところが世の中は、ままならぬものである。翌八月初め、思わぬ事件が起きた。事件は左京七条に住む備中権史生、大宅鷹取の息子が、ちょっとしたことから激しい喧嘩をしたことから始まった。喧嘩のあいては伴大納言の従僕、生江恒山の息子であった。大宅鷹取は息子が喧嘩していると聞いて、慌てて現場に駆け付けた。大宅鷹取がそこで目にしたのは、息子同士の喧嘩では無く、相手の子供の父親、生江恒山が、鷹取の息子の髪を引掴んで引き倒し、足で踏みつけている姿であった。鷹取は激昂して叫んだ。

「止めろ。子供を相手に!」

「下っぱ役人のくせに何を言うか。わしの主人は大納言だ。お前のような下っぱ役人とは、訳が違うぞ。つべこべぬかすと、こいつもまた殺してしまうぞ」

 大宅鷹取は、かって可愛い娘、狭霧を恒山に殺されたことがあった。それを自分は下役人ということで忍耐して来たが、流石の鷹取も、これまた息子を殺されるような暴力を奮われては、もう我慢できなかった。鷹取は言うまい、言うまいと思っていたことをとうとう見物人の前で口走ってしまった。

「大納言が何だ。わしが一旦、口を開けば、お前の主人、伴善男の首がすっ跳ぶのがわからないのか。わしが黙っているからこそ、お前たちも何とか暮らしていられるというものだ。わしが、あの夜のことを喋ってしまえば、大納言は勿論のこと、それに従ったお前の一族も皆殺しになるに決まっている。お前はそれでも良いんだな」

 この激しい喧嘩を見ようと、沢山の人たちが黒山になって集まっていたものであるから、喧嘩の噂は忽ち京中に広まった。そしてついには、朝廷にまで、その噂は達してしまった。八月三日、備中権史生、大宅鷹取は朝廷に呼び出され、生江恒山との争いについて、種々、尋問された。初め鷹取は伴大納言に関することは何も言わず、ただ娘、狭霧が生江恒山らに殺されたことを喋った。

「私はかって可愛い娘、狭霧を生江恒山と卜部田主に殺されました。このことは事実です。あの時の御裁断は男女の痴情のもつれということで、簡単に片づけられてしまいましたが、狭霧は自ら死んだのではありません。生江恒山と卜部田主が、娘を強姦しようと追いかけられたのです。狭霧は二人の乱暴者に衣服を剥ぎ取られ、一糸まとわぬ素っ裸で逃げました。ですが、途中、竹藪の中を逃げながら、根元から切り取られていた数本の竹に躓き、不運にもそこに倒れ、その身体を、斜めに鋭く尖った竹で、深く刺し通されてしまったのです。確かに手を下したのは、生江恒山と卜部田主ではありませんが、狭霧をそんな残酷な目に追いやったのは彼ら二人です。目撃者がいないと言うかも知れませんが、その時、狭霧と一緒にいた弟が、その時の様子をちゃんと見ていたのです。生江恒山と卜部田主の奴は、死んでしまった狭霧を交替交代に犯したそうです。あの時、息子が勇気を出して、ありのままを喋っていたら、狭霧も成仏出来たでしょうに。今度の喧嘩のことも、きっと狭霧のことで、子供同士が喧嘩を始めたのだと思います。そして私の息子が事件の真相を知っているのを知り、生江恒山は私の息子を殺そうとしたに違いありません・・・・」

 それは確かに生江恒山と大宅鷹取の喧嘩の原因でありはしたが、朝廷が期待していたものでは無かった。朝廷が鷹取から訊き出したかったのは、鷹取が喧嘩の最中に口走った、大納言、伴善男の首が跳ぶような事柄であった。当時、検非違使庁別当であった源信の弟、右兵衛督、源勤は備中權守でもあったので、自分の部下の取り調べに対し、取調官に、こう命じていた。

「大宅鷹取は備中権史生であるが、喧嘩の相手が大納言、伴善男の従僕、生江恒山なので、大納言の力を恐れ、喧嘩の真相を隠してしまうかも知れない。噂になる程の喧嘩の内容が虚偽の申し立てで終わらぬよう、厳しく注意して調査せよ」

 取調官は右兵衛督、源勤の指示に対して、手落ちがあってはならないと思い、鷹取を徹底的に調べ、かつ嚇した。

「人を陥れようとしての虚偽の申し立てをしたなら、死罪に処しても構わないとの命が下っている。もし生江恒山が汝の娘、狭霧を殺害したという証拠が無かったならば、汝は速やかに死刑に処せられるであろう。生江恒山が言うように、汝が悪人なのか、それとも生江恒山が悪人なのか、即刻、明確にせねばならない。汝の娘を襲った以外に、恒山の悪事は無いのか。大納言の力を恐れ、隠していることは無いのか。このままだと、汝は死罪になってしまうかも知れないぞ」

 鷹取は事件の取調官に嚇されると、とうとう言ってはならぬことを暴露してしまった。もうこうなっては恐れるものは何も無かった。

「なら何もかも喋ります。生江恒山は悪人です。狭霧を殺したことは、はっきりしています。しかし私がこのように真実を語っても、生江恒山は助かるでしょう。何故なら生江恒山ら悪人を使って悪事を働く、あの極悪人、伴大納言が恒山の主人であり、権力者だからです」

「汝は喧嘩の折にも、その伴大納言の首が跳ぶかも知れないなどという暴言を吐いたそうだな。その理由は何じゃ」

「私がことの真実を語ったところで、大納言の裏工作で、結局、捜査はうやむやにされてしまいます。そして何時も私のような力の弱い者が泣き寝入りせねばならないのです。全く生きているのが嫌になる辛い世の中です。しかし、私は死罪に処せられる前に、一つだけ喋っておきたいことがあります。どうか右兵衛督、源勤様に私を会わせて下さい」

 すると取調官は、直ちに鷹取の申し出を上司に報告した。それを聞いた上司は鷹取の願い出を右衛門督、源勤に伝えた。

 

           〇

 同日、午後、右衛門督、源勤と右衛門佐、源至が取調室に現れた。二人は源氏一族と密接な関係にある備中権史生、大宅鷹取と面会した。鷹取は二人に会うと、欣喜して二人に訴えた。

「至様、勤様。鷹取は死を覚悟しました。その前に、お世話になったお二人に、是非とも、お話しておきたいことがあります」

「鷹取。まだ取調べは終わっていない。娘を殺されたお前が、何故、罪人になるというのか」

「生江恒山の主人が伴大納言だからです」

「して話しておきたい事とは?」

 源勤が鷹取に訊いた。鷹取は一瞬、沈黙したが、二人の顔を見つめて、毅然と答えた。

「それは応天門を焼いたのが、生江恒山の主人、伴大納言だからです」

「な、何じゃと!」

 源至は絶句した。応天門の放火は、源氏の企てだと藤原良相に訴えたのは伴善男ではないか。その伴善男が、応天門放火の張本人であるとは、信じ難いことであった。それを聞いた二人は、その恐ろしさに胸が張り裂けそうになった。鷹取は落ち着いて喋った。

「あれは三月十日の夜のことでした。夜更けて役所から家に帰る途中、私は応天門の前を通り、階上に人の気配があるのを感じました。人の囁く声が耳に入って来たのです。私は何事かと、慌てて回廊の脇に隠れました。それからしばらくして、彼らは静かに階段を降りて来ました。変だと思い、降りて来る者の顔を、そっと窺いますと、それが何と伴大納言だったのです。それに続いて降りて来たのが、その息子の伴中庸と伴清縄でした。三人が何をしていたのか分かりませんが、階上から降りきるや否や、三人は後も見ずに、その場を立ち去り、その後、生江恒山や卜部田主ら数人が降りて来て、一斉に駆け出し、南方の朱雀門の方へ走り去って行きました。彼らは一体、何をしていたのだろうと不審に思いながら私は家路につきました」

「それは確かに伴大納言の親子たちだったのだな」

「そうです。私が二条堀川のあたりまで帰って来た時、大路に人が出て来て、皇居の方が大火事だと大騒ぎが始まりました。振り返って見ると、皇居の方角に夜空を染めて火の手が上がっているではありませんか。私は驚きました。人混みを掻き分け、もと来た道を引き返しました。私が現場に駈けつけて見ると、応天門はなかば焼け落ち、その炎が左右の楼に類焼しているところでした。私はそこで、さてはさっきの伴大納言たちが、応天門に火を点けたのだと気付きました。しかし、人の運命に関わる大事件なので、口にするのも恐ろしく、ずっと黙って参りました。それから数日して、左大臣源信様が応天門に火を放ったという噂が巷に流れました。そして間もなく、左大臣様は、その首謀者ということで、処刑されるだろうということになり、私は、犯人は他にいるのに、左大臣源信様に、その容疑がかかろうとは、何と恐ろしい世の中なのだろうと思いました。しかし、私は恐ろしくて、口をつぐんで参りました。そして心の内で、左大臣源信様をお気の毒に思っていました。ところが、左大臣様が、許されたと聞き、安堵しました。無実の罪は矢張り晴れるものだと、胸を撫で下ろしました。なのに、そんな伴大納言のような極悪人の従僕が、尚も良い気になって、私の子供を殺そうとしたりすると、口に出すべき事では無いと思っていた事でも、こうして喋らなくてはいられなくなってしまうのです。勤様、至様。鷹取は死を覚悟致しました。ですから、もうこれ以上、伴大納言のような極悪人たちを世にのさばらせておくのを止めさせて下さい」

 怒りに燃える鷹取には、最早、躊躇うことは無かった。知り得る伴大納言一味の悪事の総てを二人に報告した。

 

          〇

 その翌日、大宅鷹取は検非違使庁に拘留され、伴善男らの放火が事実であるかどうかの厳しい取調べを受けた。鷹取は三月十日の夜に目撃したことを、源氏の二人に話したと同様、ありのままを告白した。清和天皇は事件の裏を知って勅を下し、伴大納言への追及を開始させた。八月七日、大納言、伴善男勘解由使の役所に出頭を命ぜられ、二人の参議、左大弁勘解由長官、南淵年名と検非違使別当兼讃岐守、藤原良縄から尋問された。伴善男は顔色一つ変えず、明快な論理で、自分が応天門放火事件に関与する筈が無いと述べ、きっぱりと、その犯行を否認した。しかし、かって兄、左大臣源信を応天門放火の犯人と告発した伴善男への怒りは、ここに於いて右兵衛督、源勤らによって、大爆発した。源勤は太政大臣藤原良房に、伴善男を徹底的に調査すべきであると要請した。良房は思案の末、源勤らの告訴を最もなこととして、まず伴善男の息子、右衛門佐、伴中庸を左衛門府に拘禁し、口述書を取った。またその翌日、三十日、放火の材料を応天門の階上に運び入れた共謀者として、伴清縄と生江恒山を捕え、拷問した。しかし捕えられた大納言の息子、清縄と従僕、生江恒山は、主人、伴善男をはじめとして、自分たちは事件に関係無いと主張し続けた。ここにおいて太政大臣藤原良房の策動の手は、再び怪しく奔走した。良房は善男に証拠があろうが無かろうが、自分が病気がちであった頃から、自分の弟、右大臣、藤原良相と急激に親しくなり、政治的頭角を現し始めた大納言、伴善男を潰すのは、今であると考えた。良房は執念深く善男の周囲を取り調べた。このように応天門の焦点が、伴大納言に絞られて来ると、様々なる流言が宮廷から平安京の巷に広まった。それは藤原一門以外の廷臣たちに衝撃を与える流言であった。年老いた人々は、あの承和の変の暗い印象を忘れかけていた脳中に、再び思い巡らせた。その間も善男に対する取り調べは、執拗に続いた。だが朝廷は依然として決めて手となるべき自供ないし、証拠を掴み得なかった。良房はじれったくなった。良房は生江恒山が「善男は自ら放火はしなかったが、善男の息子の中庸らと一緒に放火した」と白状しさと調書を作らせ、その調査結果を清和天皇に奏上した。そしてとうとう九月二十二日、清和天皇の名をして、大納言、伴善男らに判決が下った。

「初め伴宿禰に問うに、事ごとに固く争いて、承伏せず。従者、伴清縄、生江恒山等を拷問するに、伴宿禰、自らは為さずして、息子、左衛門佐、中庸が為すなりけり。然りといえども、清縄、恒山等が申す所の口状を以って、中庸が申す辞とを参験するに、伴宿禰の初め争ひ言える所の人を殺せる事、既に巧詐を知る。即ち中庸は父の教命を受けて為す所と云う事、疑い無し」

 判決の理由は、善男の抗弁にもかかわらず、清縄、恒山の口述書と中庸の答弁を較べた結果、善男が命じ、その息子、中庸が実行の指揮に当たったことに間違い無しと判定する内容であった。ここに不仲であった左大臣源信への人身攻撃を企み、応天門に放火し、その罪を左大臣源信に押し付けることによって、左大臣を陥れ、それに取って代わろうとした伴善男の陰謀は、太政大臣藤原良房やその養子、基経の為に封じられた。そればかりか、善男の失敗は只の失敗だけで無く、むしろ自分で自分の首をくくるはめにまで追いやってしまった。かくして首謀者、伴善男、伴中庸親子は、死刑に処せられるべきところを、罪一等を減じられ、父は伊豆、息子は隠岐へ遠流された。また事件に関連のあった中庸の友人、紀豊城と伴秋実、それに伴清縄は安房壱岐佐渡へ配流された。生江恒山は清縄と同じ佐渡に流された。そればかりか、その累は縁座の法によって、伴、紀の両氏に及び、伴河男、伴夏影、伴冬満、伴高吉、伴春範、紀夏井、紀春道、紀武城ら八人までが、それぞれ、能登、越後、常陸、上総、下総、土佐、日向、薩摩へと配流の憂き目に遭った。この処刑を泣いたのは当人や親類縁者だけでは無かった。多くの人々が涙を流した。それらの人々の中には、護衛兵に囲まれ伊豆へ流されていく父を悲しむ伴善男の娘、常子のような女もあれば、人目を忍び、恋人、伴中庸が出発して行くのを見送る小野小町のような女がいた。小町にとって、この事件は信じられないことであった。あの優しい中庸が、応天門放火の犯人とは、小町にとって、信じ難いことであった。宮中を抜け出し、中庸が地方に引っ張られて行くのを見送りに出た小町は、余りもの悲しみに、どうして良いのか分からず、ふらふらと中庸の行列について行きそうになった。それを姉の寵子が止めた。小町は忍び泣き歌った。

  このたびは つくづく悲し もの言わず

  島がくれゆく 君を思へば

 また天安二年(八五八年)以来、讃岐、肥後の国守を歴任し、非凡な治績をうたわれた希にみる名高き善政良史、紀夏井が、ただ紀豊城の異母兄であるというだけで引かれて行くのを、道の両端で土下座して泣く百姓たちの姿もあった。まさに太政大臣藤原良房は、この応天門焼亡事件によって、承和の変以上に、古来の名門、伴、紀の両氏に追い討ちをかけ、紀夏井の如き優秀な者までも、政界から逐放してしまったのである。だがこのような露骨極まる良房の計略に反発を感じながらも、それに反抗しようとする者は無かった。源信の如きは、さきに一身の危急を救われもしたので、一層のこと、それが言えた。そんな中にあって、小野小町は、伴中庸の悲運を嘆き、夜ごと、忍び泣きし、中庸を恋しがった。

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この旅は つくづく悲し もの言わず 島がくれゆく 君を思へば