幻の花 ~ 第十一章  草紙洗い小町

 貞観九年(八六七年)になると小野小町清和天皇などに目をかけられ、その歌才を在原業平らと並んで、平安貴族社会にもてはやされるようになった。そこで清和天皇は二月十二日、宮中、清涼殿に於いて、『御歌合せ』を催すよう命じた。『御歌合せ』というのは、歌人を左右二組に分け、互いに用意しておいた歌を天皇の御前で披露し、審査人たちが、その優劣を定めるといった競技で、審査人には中納言源融僧都遍昭、右馬頭、在原業平らが任命された。そして、その『御歌合せ』の歌人として、文屋康秀大伴黒主、壬生忠峯、凡河内躬恒藤原敏行、安倍清行、藤原言直、小野小町らが選出された。小野小町選出の理由は、雨乞い小町として名声を馳せた女流歌人を、是非、出場させてみたいという、清和天皇、直々の要望があってのことだった。その日の小野小町の相手は、山城介、大友黒主と決められていた。大伴黒主は、昨年、神泉苑に於いて歌道の力により雨を降らせた小野小町に、勝てる自信が全く無かった。黒主は考えた。

「明日の内裏の歌合せに、この黒主、小野小町の相手として選び出されたが、かの小町という女は、歌の名人にて、全く私の適う相手では無い。とはいえ、あんな女に負けるのは口惜しい。何か良い方法はないだろうか。そうだ。小町の奴、きっと明日の御歌合せの歌を今夜、考えるに違いない。今夜、小町の家に忍んで行って、その歌を盗み聞こう。ならば、その対策も浮かぶ」

 かくして大伴黒主は、明日の『御歌合せ』の為、一時、后町より小野の里に退出していた小町の家に忍んで行った。黒主が小町の家に忍び寄り、戸障子に耳をつけると、思った通り、小野小町は明日の『御歌合せ』の為の歌を詠んでいた。その小町の美しい声と艶美さに黒主はうっとりした。

  まかなくに 何を種とて 浮草の

  波のうねうね 生ひ茂るらむ

 黒主は、その小町の歌を慌てて暗記した。そして今の歌を『万葉集』の草紙に写し、明日の『御歌合せ』には是非、小町に勝とうと企んだ。黒主は喜んで家に帰ると、自宅にあった『万葉集』の草紙に、暗記した小町の歌を書き込んだ。

  まかなくに 何を種とて 瓜蔓の

  畠のうねを まろびころび歩むらむ

 何と卑怯な愚かしいことを考える男であることか。黒主は、それから季節に相応しい自分の歌を考えた。

 

         〇

 目出度き『御歌合せ』の日がやって来た。清和天皇の御前に太政大臣藤原良房を始め、公卿百官が伺候した。清涼殿での『御歌合せ』とあって、それはそれは華やかなものであった。審査委員長、中納言源融は王侯諸臣がきら星のように居並ぶ中に立って、歌合せ二十組の対抗歌人の名を呼び上げた。その中で、注目すべき組合せは、次の四組だった。

   文屋康秀  対  藤原言道

   壬生忠峯  対  凡河内躬恒

   藤原敏行  対  安倍清行

   大伴黒主  対  小野小町

 かくて歌人たちはその名を呼び上げられると、柿本人麻呂山辺赤人の御影の前に設けられた短冊に、各々、自分自身の詠んだ歌を奉り、左右に別れて席に着いた。中納言源融が再び立ち上がって開会の辞を長々と弁じた。

「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をし思ふという柿本朝臣の詠歌があるが、この歌のようにまた、島影に隠れ入る月というものも風流なものである。私は、この御目出度い『御歌合せ』の日に、この歌を思い出すことによって、淡路島をお造りななった伊耶那岐命、伊耶那美命の二神が、オノコロ島の柱の周りを巡って、歌を交わし合ったという歌の始まりを想像します。歌は偉大なものである。特に大和歌は偉大である。大和歌には心がある。感動がある。ここに席を共にする右馬頭、在原業平殿は、今日、人々の多くは、唐風模倣、漢詩文万能の風潮を経て、いたずらに修辞、病弊の形式にのみとらわれて、詩文の学などに執着しているが、本当に心から自己を告白し、その人間感情を吐露したいのであるなら、日々、我々が現実に使い、語り、話しているところの大和言葉を用いよと教えてくれています。このことは真実でありましょう。私も彼同様、大和歌に深く魅了されている者の一人です。大和歌によって、感激する生命の実感に陶酔してしまっている者です。そんな私は漢詩の如き、移し植えられた言葉に時を費やす者と異なり、私たち大和国民の心に沁み渡る大和歌の推奨者たることを誇りと思っております。であるからして、今日の、この御目出度い『御歌合せ』の審査人として、先輩、遍昭殿や右馬頭、業平殿と一緒に選ばれたことは、全くの光栄であります。一同を代表して歌人らと共に深く帝に感謝申し上げます。宮廷に於ける大和歌の隆盛は、国風復興の先駆者たちの努力にもよりますが、このような帝の御厚意により、一層の栄養を見ることでありましょう。では早速、『御歌合せ』の対抗戦を行います」

 こうして『御歌合せ』の宴が始まった。二十組の歌人たちは短冊にある自分の作品を読み上げ、判定をいただき、悲喜こもごもの心境を見せ、会場を楽しませた。そして、いよいよ後ろの四組となり、文屋康秀と藤原言直が作品を披露した。

  現身の 世にも似たるか 花桜

  咲くと見しまに かつ散りにけり

                    文屋康秀

  春やとき 花やおそきと ききわかむ

  鶯だにも 鳴かずもあるかな

                藤原言直 

 この審査は微妙であったが、文屋康秀に軍配が上がった。続いて壬生忠峯と凡河内躬恒が作品を読み上げた。

  春来ぬと 人はいへども 鶯の

  鳴かぬ限りは あらじとぞ思ふ

                壬生忠峯

  春の夜の 闇はあやなし 梅の花

  いろこそ見えね 香やは かくるる

                凡河内躬恒

 この審査は凡河内躬恒が勝利した。壬生忠峯が残念そうな顔をしたので、人々は気の毒がった。次に藤原敏行と安倍清行の試合が行われた。

  住の江の 岸による波 よるさへや

  夢の通ひ路 人めよくらむ

                藤原敏行

  浪の音の けさからことに 聞こゆるは

  春のしらべや あらたまるらむ

                安倍清行

 この結果は藤原敏行に軍配が上がった。この二人の試合が終わると、いよいよ大伴黒主と今、人気の小野小町の試合となった。まず大伴黒主の名が呼び上げられた。続いて小野小町の名が呼び上げられた。小町は黒主に続いて清和天皇の御前に進み出た。すると、その小町に四方八方から、宮中の男たちや女たちの視線が集まった。美しい小町を見ると、公卿百官は囁き合った。

「あれが評判の雨乞い小町か」

「成程、古の衣通姫と言われるだけのことはある」

「まさに美人じゃ」

「あんな女を一度で良いから、抱いてみたいものじゃ」

 そのざわめきに清和天皇も興奮した。この満堂の熱気に、小町は、いささか火照りを感じた。黒主は緊張した。源融の指示に従い自分の歌を読んだ。

   春雨の     ふるは涙か さくら花

   散るをおしまぬ 人しなければ

                大伴黒主

 黒主の次に小町が歌を披露した。小町は故意に長く美しい髪を波のように揺らせ、澄み切った声で『水辺の草』と題する歌を読み上げた。

  まかなくに 何を種とて 浮草の

  浪のうねうね 生ひ茂るらむ

                小野小町

 その歌は美しい小町の髪の輝きと妖艶さと混交し、そこにいた者の心を打った。清和天皇は、この歌に勝る歌無しと、小町の歌を称賛した。すると黒主が判定を前に、源融に訴えた。

「お待ち下さい。小町殿のその歌に異議が御座います。それは古歌に御座います。古歌なのに、何故、お褒めになり、判定なさるのでしょうか」

「何と。古歌と申すか?」

「はい」

 清和天皇は顔色を変えて、それが事実であるかどうか確かめるよう、源融に合図した。源融は小町に質問した。

小野小町大伴黒主の申すことは事実か?」

「恥ずかしき仰せに御座います。神代の昔は存じませんが、允恭天皇様に御寵愛を受けました衣通姫様よりこの方、多くの皆様が歌道をたしなまれて来たと思いますが、この小町、ただ今の如き拙き詠歌『水辺の草』が、かって古歌の中にあったとは全く記憶に御座いません。出来得るならば、今の歌が『勅撰』にあったものか、『万葉』にあったものか、あるいは誰かの家集にあったものか、大伴黒主様に、お尋ねして下さい。また、その作者が誰であるかも委しく知りたいと存じます」

 小町の弁明を聞いて、源融は黒主に訊ねた。

「黒主。その証拠はあるのか?」

 黒主は、その小町の要求に直ぐに答えられるように対策を準備していたので、別に慌てはしなかった。黒主は大勢のいる中で、堂々と発言した。

「仰せの如く証拠はあります。それを証明する古歌が明らかで無くて、何故、古歌であると申せましょう。草紙は『万葉集』で題は夏。読人しらずと書いてありますので、作者が誰であるか不明です」

「何ですって。『万葉集』に『水辺の草』が本当に載っているのですか。『万葉集』は平城天皇様が、時の中納言、紀勝長様、参議、菅野真道様に遍纂させた歌集です。歌の数は四千首に及びますが、この小町、その『万葉集』に関して、知らぬことは一つたりとも御座いません。それとも『万葉集』には、沢山の異本があるのでしょうか。不思議な話です。黒主様、それを証明して下さい」

 すると黒主は『万葉集』の草紙を取り出し、そこに書かれてある和歌を指し示した。

  まかなくに 何を種とて 瓜蔓の

  畠のうねを まろびころび歩むらむ

 それは全くの駄作であった。しかし、先程、小町が披露した歌に良く似ていた。清和天皇はじめ、そこにいた関係ない歌人たちも、小町の歌は盗作なりとの発言が招いた事態を心苦しく思った。小町は自分の歌に似た歌が、黒主の示した『万葉集』の草紙にあるのを確かに見て驚いた。今までに目にしたことのない歌である。かの柿本人麻呂朝臣も、この小町を、お見捨てになったのか。左右の大臣から局の女房に至るまで、全列席者の視線が、それぞれ皆、疑いを含んだ目で、一斉に小町に集中した。小町はその衆目を浴び、まるで夢を見ているように茫然自失した。心臓がドキドキし始め、倒れそうになった。しかし気の強い小町は、これではいけないと気を取り直した。そして、黒主の指し示した『万葉集』の草紙の文字を、孔が開く程に、じっと見詰めた。よくよく見ると、その歌の部分だけが、地が白く、行の様子も乱雑で細く、文字も他と異なり、墨の色も違っているのが分かった。小町は黒主が自ら『万葉集』の草紙に、盗み聞きした小町の歌を後から書き足したことに気づいた。小町は審査員である中納言源融に耳打ちした。

中納言様。小町が歌は盗作では御座いません。これは昨夜、小町が一人で今日の為に歌を読んで練習しているのを、黒主様か、あるいはその仲間が盗み聞きし、この席で、小町の歌を古歌と訴え、自分の名を広めようとした戯れ事に御座います。この『万葉集』の草紙に書かれている行間、墨の色からして、後から加筆されたことが明白です。この小町、今日の余りもの恥辱に、この三川水の清き流れに結び上げ、この草紙を水で洗い、小町の歌にやましさの無いことを証明したいと思います。御許可いただきたいのですが」

「左様に申せ、もしその文字が消えなかったなら、それこそ小町、恥の上塗りになるぞ」

「では、このまま仕方なく、すごすごとと引き下がれと仰やるのですか。それは小町にとって、一生の恥辱であり、一生の悔恨となりましょう。尊い大和歌を愛好したが為に、決まり悪い人生を過ごさねばならぬなどという事は、あってはならない事だと思います」

「それだけの覚悟を持って望むというなら、この融、この旨、帝に奏上するぞ」

「お願い申し上げます」

 その審査人、融と小町のやりとりを見て、観衆がざわめき始めた。源融は小町との話が終わると、清和天皇の御前に進み出て、小町の要望を奏上した。

小野小町が申すには、只今の『万葉集』の草紙を良く見ると、行の次第もしどろにて、文字の墨付きも怪しい気配なので、草紙を洗わせて欲しいとのことで御座います」

「ならば、朕が前でその草紙を小町に洗わせてみよ」

 小町はこの清和天皇の御言葉を嬉しく思った。清和天皇の御許可が出ると、御前の女官たちが、早々に水を入れた銀の盥と金の杓子を準備し、小町に草紙を洗うべく差し出した。それを受け取り、小町は涙ぐんだ。紅襷をかけながら小町は清和天皇に感謝した。それから小町は和歌の浦の藻塩草を波が洗うように、『万葉集』の草紙を洗った。すると昔から書き記されてあった数々の歌の文字は勿論のこと、作者の文字も題の文字も、そのまま少しも乱れることなく、綺麗に残った。そして、前夜、黒主が盗み聞きして挿入した文字だけが、跡形もなく消え去ってしまった。それを見て、清和天皇始め、観衆はびっくりした。小町はほっとするや、柿本人麻呂朝臣山辺赤人朝臣の御影を拝んだ。その時、立場を失った大伴黒主が突然、懐中より短刀を取り出し、か程の恥辱あらじと、自害しようとした。それを見て小町は切腹しようとした黒主の手を制した。

「黒主様。何をなされます」

 そして黒主を見詰め、冷静な言葉で説得した。

「黒主様。名誉に溺れては和歌の友として失格です。でも今日の『御歌合せ』は私の負けです。黒主様の勝ちです。なのに何故、その判定が出ぬうちに、あのようなことをなされたのです。未熟者の私に勝ちたかった黒主様の歌道に対する命がけの打ち込みようには、心打たれました。歌道をたしなむ者は皆、こうあるべきと言えましょう。私は今日、また一つ、勉強になりました。小町、今日の事は、あの消された歌と共に水に流します。これからも私の歌の友としてお付き合い下さい」

「小町殿!」

 黒主は小町の前にひれ伏した。小町の咄嗟の言葉には妙な理論があった。不思議にも、その場を丸く治めた。清和天皇源融も、この小町の振舞の巧みさに感激した。清和天皇は小町の優しい気持ちを汲み取り、黒主を赦した。

「黒主。小町の言の葉。身に沁みて分かったか。小町の歌人、黒主に対する尊敬の気持ちを察し、今日の失態を赦す。これから後、二度と同じ過ちをするでないぞ。そして更に歌道に尽力せよ」

「ははーっ」

 大伴黒主清和天皇の命令をかしこまって承った。清涼殿での『御歌合せ』は一応、ここでもって終了する筈であったが、以上のような縺れ事があったことから、審査委員長、源融は気転をきかせ、小町に締めくくりの舞を奏するようにと命じた。『御歌合せ』の終わりを晴れ晴れとする為であった。小町は、この源融の雅の精神を片時も忘れぬ心遣いを在原業平にとても似ていると思った。采女たちは源融の命に従い、小町に花の打ち衣、風折烏帽子を着けさせた。小町は舞姿に衣装を整えると、清涼殿の前の歌舞台で待った。流れる花びらのように、華麗に緩やかに舞った。清和天皇も、大臣たちも官人たちも、女御や更衣たちも、采女たちも、歌人たちも、誰も彼もが皆、その小町の美しさに心奪われた。小町は舞った。

「春来たっては、あまねき是、桃花の水。石にさはりて、遅く来れり。手先ず、さえぎる花の一枝。桃色の衣、かさぬらん。霞み立つ、はの舞い、霞たてば遠山になる朝ぼらけ。日かげに見える松は千代まで。四海の波も四方の国々も、民の戸ざしも、ささぬ御世もこそ、堯舜の佳例なれ。大和歌の起こりは、あらかねの土にして、須佐之男の命の護り給える神国なれば、花の都ものどかに、花の都ものどかに、和歌の道こそ、めでたけれ・・・・。」

 かくして、新年の『御歌合せ』は目出度く終了した。この『御歌合せ』に於いて小町は、またもや大歌人であることを王侯諸臣に認知させ、その噂はあっという間に、都中に知れ渡った。

f:id:showjiyoshida:20200510224712j:plain