幻の花 ~ 第十七章  帰り旅小町

 貞観十年(八六八年)秋、小町は出羽に来た時と同じメンバーで、帰京の途についた。沢山の親戚縁者に惜しまれ、小町たち一行は雄勝の桐木田館を出発した。業平の帰える時と同様、出羽郡司、小野葛絵らに多賀城まで送ってもらい、それから信夫の里、小野の里などを経て南下した。業平たちに追いつきたいと思ったが、それは不可能なことであった。小町の従者、雉丸は勿論のこと、在原家の家来、石川長綱、平岡馬足も帰京出来るとなって喜び勇んで帰路を急いだ。ほとんど来た時と同じ道を引き返した。小町は都に帰る感慨を歌に詠んだ。

  乱れ咲く 萩の細枝を踏み分けて

  勿来の関を また越へるかな

 そこには再び、煩わしい都の生活に挑戦しようとする小町の意気込みが感じられた。一行は美しい海辺を磯崎に向かって進んだ。阿字ヶ浦では貝拾いなどして楽しんだ。常陸の国に入ると、国府を経て、再び小野源河の所に一泊させてもらった。父、良実の墓参りが出来たことや、伯父、葛絵が任地で張り切っていることを、小野家の者に伝えた。更に一行は、筑波山を後に、岩井から境川を渡り、下総の関宿に出て、武蔵野の国の与野を通過し、業平が滞在しているかもしれない、三芳の里に向かった。三芳の入間家麻呂の所を訪ねると、業平たちは三日前に立ち去ったとのことであった。小町たちは都に到着する前に、業平一行と合流したいと考えた。小町たちは武蔵の国の小野俊生の屋敷に立ち寄ると、そこでもまた出羽の状況を報告した。一族にとって、こういった全国に散らばっている一族の状況を報告し合い、把握しておくことが、重要であった。これが小野一族の絆というものであった。それ故、相模の国の小野郷の司、小野秀忠の所に泊めさせてもらった時も、秀忠に出羽の話や、泊めさせてもらった小野一族の話をした。一行は旅を急いだ。そしてとうとう富士山が近くに見える所まで、やって来た。

  こゆるぎの 磯より見ゆる 富士の嶺は

  松の彼方に けふも燃へける

 季節は秋も深まり、日が暮れるのも早まった。四人は来た時と同じ、関本の宿に泊まった。宿の前に立ちはだかる険しい足柄峠を、明日、越えれば、もう、仮名本にまとめた『竹取物語』の舞台、駿河の国である。小町は複雑な気持ちで歌を詠んだ。

  秋風に 紅葉散り敷き 道も無し

  いと越へ難し 足柄の山

 小町は、この歌を詠んで、更に勇む気持ちになった。

 

          〇

 翌日、駿河の国に入ると、小町一行は黄瀬川を下り、三島に出て、狩野川を上り、伴善男の屋敷を訪ねた。伴中庸が亡くなったことを知らせる為であった。しかし、そこにいたのは。かっての大納言、伴善男で無く、中庸の弟、善魚と善足たちであった。中庸の父、伴善男は、都に戻る夢を果たせないまま、この伊豆で亡くなっていた。小町は伴一族の余りもの不運を胸に、深い弔意を述べてから、中庸の出羽での不幸を恐る恐る伝えた。

「中庸様はこの夏の終わり、出羽の国で落雷に撃たれて身罷られました」

 小町にとって辛い報告であった。その報告を聞いて、中庸の弟たちの顔色が変わった。しばらく沈黙が続いた後、兄、中庸の馬鹿馬鹿しい死にざまへの怒りが頂点に達したのであろうか、善魚が小町を冷たく睨んで言った。

「伊豆に留まっていれば良かったものを。愚かな人だ」

 小町は善魚を始めとする、そこにいる伴一族の視線の中に、自分に向かって集中する呪いの矢を感じた。小町は、実の弟たちによって、愚か者と恨まれる中庸のことを気の毒に思った。自分を恋い慕って出羽の国までやって来た、かっての恋人、伴中庸が実の兄弟に愚か者扱いされ、小町は居た堪れない気持ちになった。可哀想すぎる。折角、訪問したのに、何故か迷惑扱いされたようで、腹が立った。小町は従者たちに直ぐに立ち去ろうと合図した。四人が深く頭を下げ、屋敷の門を出ようとした時であった。下の弟、善足が追いかけて来て、小町に哀願した。

「小町様。兄、善魚は、重なる訃報に頭が混乱しているのです。兄の無礼をお許し下さい。兄はどうして良いのか迷っているのです」

「主人お二人を失った皆様のお気持ちは痛い程に分かります。私のことなど気になさらないで下さい」

「とは言いましても、このような鄙びた場所に、わざわざ、お越しいただいたのに、このまま帰す訳には参りません。是非、我が家にお泊りになり、私たちの知らない兄、中庸のことを話して下さい。お願いします」

 善足は、そう言って地べたに手をついたまま、顔を上げなかった。小町は善足の対応に、立腹した自分も短慮であったと反省し、善足の屋敷に一泊させてもらうことにした。夕食時には善魚も冷静さを取り戻し、善足の屋敷にやって来た。小町は中庸の二人の弟や家族に、中庸の利発さ、誠実さを語った。それから伴一族の今後について伺った。すると善魚が一家の代表として、小町にお願いした。

「兄、中庸の死は秘密にしておいて下さい。隠岐を離れ、出羽で死んだとなっては、一族の罪は更に重い罪を加えられ、我が一族は滅んでしまいます。朝廷には、私が時を見て奏上致しますから」

「承知しました」

「兄、中庸の身代わりとして、弟、善足を即刻、隠岐に帰還させます」

 小町は一族を思う善魚の考えは最もだと思った。そして従者たちにも、その主旨を伝え、中庸の死を秘密にすることを約束させた。小町は善魚とも打ち解けることが出来、ほっとして、今の心境を歌に詠んだ。

 いかにせん 君が命のはかなさを

 三島のひとに 告げるつらさを

 その小町の歌に返事するように善魚が詠んだ。

 帰りなば よしなに伝へよ 都鳥

 恋しき人は 隠岐で暮らすと

 小町は善魚の返歌に思わず声を呑み、感動した。そして、かかる才能の持ち主を、このような地に配流させておくことは、朝廷の誤りであると思った。善魚はこの歌を通じて、中庸健在を念押ししたのである。

 

          〇

 翌朝、伊豆を出発した小町一行は、その後、富士を眺めながら駿河の国を越え、大井川を渡り、引佐の大夫、小野時重の屋敷に立ち寄った。ここでは、筑波山の麓で会った時重の弟、小野源河に親切にしてもらった話などをした。翌日は宇利峠を経て、三河国府を通り過ぎ、以前に来た道を尾張へと向かった。業平たちに追いつきたかったが、伊豆に寄り道したことが影響し、返って離されてしまった。そんなことから一行は先を急がず、尾張熱田神宮を詣でるなどして、残りの旅を楽しんだ。尾張国府を過ぎ、羽島の渡りを舟で渡ると、あと数日で、京の都に戻れるのだと実感した。美濃の国に着くと、垂井の国府の者から声がかかった。何か悪い事でもしたのかと心配すると、業平の兄、大江音人が出て来て、一行を慰労してくれた。

「長い旅、まことに御苦労様でした。今回の旅は業平はじめ、みな無事だったので、これ以上の喜びはありません」

 国守、大江音人の言葉に、業平が伴中庸のことを口にしなかったことを知った。在原家の家来、石川長綱と平岡馬足は、音人からいろんなことを訊ねられ、口々に気づいたことを喋った。音人は、彼らの話の一つ一つを興味深く聞いて笑った。業平の失敗談でも訊き出したかったのであろう。しかし、彼ら二人は、業平の都合の悪いことは、何一つ喋らなかった。そして翌日、小町たちは大江音人の家来に見守られて不破の関を越え、二日後、無事、京に帰った。半年以上にも及ぶ長い旅路であった。

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こゆるぎの 磯より見ゆる 富士の嶺は 松の彼方に けふも燃へける