幻の花 ~ 第二十一章 鬼姿小町

 貞観十四年(八七二年)冬、姉、寵子のいなくなった小野の里は寂しかった。小町は憂鬱な気持ちを紛らわせる為、時々、随心院にある母の墓参りに足を運んだ。或る日のこと、僧、蓮恵が小町を見つけ、声をかけた。

「先祖を敬う貴女の功徳は、有難く大切なものです。貴女の熱心な施しに対し、必ずや御利益があると思われます」

「そうでしょうか。それだと良いのですが」

「ところで貴女は、まだ怨恨から解き放たれていないようですが、蛇の準備はされていますか?」

「人の来なくなった我が家には、不思議な程、蛇が増えて、冬眠の準備をしております。従者には蛇を大切にするよう命じております」

「それは有難いことです」

 蓮恵は、そう言い終わると立ち去ろうとした。小町は、この時とばかり、思い切って僧に訊ねた。

「蓮恵様。蓮恵様は何故、当麻鴨継が私に傷を負わせた事を知っているのですか」

「当麻鴨継は藤原良房に次ぐ、大悪人です。私は彼らが行った悪行の総てを観察して来ています。私も悪人ですが、彼らも悪人です。何時か、この世から抹殺されなければなりません。良い機会です。私の正体が何者か、貴女にお教え致しましょう」

 蓮恵は小町と墓地の近くの陽当たりの良い所に腰を下ろすと、自分の正体と、藤原良房や当麻鴨継の悪事を語った。

 

          〇

 天安元年(八五七年)六月のことであった。事件は清和天皇の御母で、太政大臣藤原良房の娘、藤原明子のことから始まる。当時、その容姿、麗しきこと、世に並び無いと誉れ高った染殿の后、藤原明子は、常に物の怪に悩まされていた。明子を非常に可愛がられていた文徳天皇は、この物の怪を追い払おうと、様々な加持祈祷を行わせた。しかしその効果は一向に現れなかった。どうしたものかと悩んでいる時、大和国葛木にある金剛山の頂に、蓮光なる貴い聖人が住んでいるという噂を耳にした。そこで文徳天皇と后の父、藤原良房は、蓮光を召して、明子の物の怪を払う為の加持祈祷を行わせることにした。ところが蓮光、太政大臣からの使いが行くと、それを辞退した。使いの者が勅命であると嚇すと、何度も辞退した蓮光であるが、勅命には背き難いと、ついと参内することを了承した。参内した蓮光に早速、祈祷させてみると、真に霊験あらたかで、后は狂ったように泣き騒いだ。蓮光が尚、一心不乱に力をこめて祈念すると、何と染殿の后、明子の懐中から、一匹の古狐が跳び出して来た。古狐は聖人、蓮光の念力に発狂してしまったのであろう。最早、のたうち回るばかりで、逃走することも出来なかった。その古狐を縛り上げ、太政大臣に見せると、太政大臣は偉大な念力を持つ蓮光に驚いた。そして、明子の病気は一両日の間に、けろりと治ってしまった。良房は大いに喜び、蓮光に暫くの間、宮中に滞在し、明子の看病をしてくれるよう依頼した。蓮光は承知した。やがて夏になった。后は透き通るような単衣ばかりを召すことが多くなった。或る日、蓮光が伺候していると、后のいる部屋の几帳の垂れ布が、風にふんわり吹き上げられた。蓮光はついうっかり、見てはならぬものを見てしまった。それは高貴な后が、得も言えぬ艶美な格好でお休みになっている寝姿であった。流石の聖人、蓮光も、これには忽ち心を迷い乱され、すっかり后に愛欲の念を起こしてしまった。もう、どうすることも出来なかった。悩み苦しんだ挙句、蓮光は人目が無いのを良いことに、御帳台の中に入り、伏し寝している后の腰に抱きついた。突然のことに驚いた后は全身、びっしょりになって恐れ慄いたが、弱い女の力では、拒み切れるものでは無かった。蓮光は力任せに、后を犯し奉ろうと挑みかかった。ところが、それを后に仕える女たちに発見されてしまった。さあ大変。染殿のあたりは大騒ぎとなった。すると宮中に伺候していた后のかかりつけの侍医、当麻鴨継が、騒ぎ声を聞いて駆けつけて来た。鴨継は御帳台から這い出して来た蓮光を捕まえると、文徳天皇に、その旨を奏上した。文徳天皇は大いに怒った。蓮光は牢獄に入れられ、死ぬような折檻をくらった。蓮光は暗い牢獄の中で、天を仰ぎ泣き叫び、誓いを立てた。

「おのれ。この蓮光、死んで鬼となり、必ずや本意通り、染殿の后と交接して見せるから、そのつもりでおれよ」

 これを聞いた牢番は恐ろしくなり、太政大臣に注進した。太政大臣は驚き、天皇に奏上した。天皇は恐ろしい念力を持つ蓮光が何をやらかすか分からないので、蓮光を牢から外に出し、宮中から追放するよう命じた。かくして蓮光は許され、金剛山へ追い返された。しかし山へ返されても、ひとたび女の肉体を味わった蓮光、もう愛欲の情をどうすることも出来なかった。何とか后に近づこうと、三宝に祈願したが、現世での実現は不可能であった。そこで本意通り、鬼になろうと思って、何も食わず祈ったところ、十日余りして、餓死してしまった。この蓮光という哀れな男に弟がいた。その弟が自分であると蓮恵は語った。

 

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 蓮恵は兄、蓮光のことを語り終えると、ここで明かしたく無いのであるがと前置きして、自分の正体を語った。蓮恵は、兄、蓮光と同じく葛木山中で真言宗修験道を行っていた。ところが勅命により、参内した兄、蓮光が宮中から傷だらけになって戻り、鬼になって、その復讐をしようと考え、無念のまま死んだことを不運に思い、兄の復讐を誓った。蓮恵は、文徳天皇藤原良房、当麻鴨継の三名を呪い殺すことを計画した。蓮恵は先ず、兄の本意に叶うべく、鬼に変身することを考えた。髪をボサボサにし、膚には墨を塗り、口は口紅で大きく裂けたように描き、その口の中には、恐ろしい牙を上下にはみ出して付けることにした。そして赤い褌を着け、槌を腰に差して、宮中に忍び込んだ。后のいる御帳台の傍らに立った時、蓮光の鬼の姿を目のあたりに見た人々は、皆、肝をつぶし、倒れ惑い、逃げ出した。女房の中には、気絶する者もいれば、着物を被って、その場に倒れ伏す者もいた。普通の人の立ち入ることの出来ない所であるから、実際、それを見た者は少数であった。その間に蓮恵は、染殿の后に神通力をして、催眠術をかけてしまった。すると后は身づくろいを正し、色やかな笑みを浮かべると、扇で顔を隠しながら御帳台の中に、鬼を招き入れ、一緒に横になった。こうなったら、もう総てが蓮恵の思うがままであった。蓮恵は后を優しく抱きしめた。気を取り戻した女房たちが、こっそり御帳台の中の様子を知ろうと、傍耳を立てて聞くと、鬼は日頃、恋しくて苦しかったことなどを口説いていた。后は鬼との愛戯に恍惚状態になっていて、もう見られたものでは無かった。そのうち日暮れ時となった。鬼が御帳台から出て来て、いずこともなく去って行ったので、女房たちは、后が生き血でも吸われたのではないかと思って、急いで御帳台の中を覗いて見た。すると后は、何時もと違った様子も無く、気のせいか、鬼との余韻にでも浸っているのか、満足そうな笑みを浮かべていた。ただ目だけが、宙に浮いて、少し異様な気配だった。この由を文徳天皇に奏上したところ、天皇は恐怖するでも無く、后がこれからどうなるのだろうかと、ただお嘆きになるばかりだった。その後、鬼は毎日のように何処からともなくやって来て、后と交合しては去って行った。后はまるで鬼が恋人でもあるかのように、毎日、喜んで迎え入れた。太政大臣は困ったことになったと、悲嘆に暮れた。そした或る日、鬼は人に乗り移って言った。

「俺は鬼ななった蓮光である。必ずや俺を傷め付け、死に追いやった連中への恨みを晴らしてみせるからな」

 それを聞いて、文徳天皇太政大臣藤原良房は、恐れ慄いた。数日後、当麻鴨継の男子、四人が皆、発狂して死んだ。鴨継はじめ、天皇太政大臣は、この怪事を畏怖した。天安二年(八五八年)二月十七日、文徳天皇は、諸々の名僧、五十七人を冷然院南殿に集め、鬼の調伏を祈らせた。さまざまな御祈祷を行った効験であろうか、鬼は、それから三ヶ月ばかり、后の御帳台に近づくことが無かった。そんなであるから、后の様子も、すっかり回復した。文徳天皇は、明子が回復したのを知ると、一方ならず喜んで、明子に会いたいと、八月二十三日、しばらくぶりに后の後宮行幸になった。文武百官、泣く泣く、お慶び申し上げると、后も大層、感動して申し上げた。

「あさましい病気になりまして、誠に申し訳ありませんでした」

 と、その時、突然、例の鬼が脇から跳び出した。鬼は素早く御帳台の中に入ると、染殿の后をすくい上げるようにして抱き上げ、再び天皇、大臣、公卿百官のいる目のあたりに跳び出て来た。そして恐れ惑う人々の前で、后を抱きしめ、はばかることも無く、后と淫乱な行為をやってのけた。もうこうなっては、文徳天皇には、手の下しようが無かった。天皇はお嘆きになり、その場から逃げるように退去した。そして、その夜から病床につかれた。衝撃が余りにも大きかったのであろう。発病して幾日も経たぬ八月二十七日、文徳天皇は、年齢わずか三十二歳で、冷然院の新宮殿で御逝去された。蓮恵は、染殿の后を犯し、文徳天皇を逝去させはしたものの、復讐はまだ半分でしかなかった。残るは二人。藤原良房と当麻鴨継。この二人は悪人だけあって用心深く、中々、隙を見せなかった。蓮恵は宮中に忍び込み、二人の動静を窺った。そんな折、蓮恵は藤原良房の命令で、文徳天皇の後を継いだ清和天皇お気に入りの小野小町が当麻鴨継に拉致され、片輪者にされるのを盗み見た。自分の権勢を拡大させる為に、何という卑劣残酷なことをする連中なのか。蓮恵は口惜しがった。しかし苦節十四年、貞観十四年(八七二年)九月二日、太政大臣藤原良房の食事に密かに薬物を盛って、死亡させることに成功した。それから以後、蓮恵は葛木山中から、この小野の里の随心院に移って来て、当麻鴨継を狙うことにした。

 

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 小町は、自分が何故、鴨継に片輪者にされたかを知った。宮仕えし、伊勢神宮に平穏祈願に行き神託を得たり、神泉苑で雨乞いの巫女役を果たしたり、清涼殿で、『御歌合せ』をして、清和天皇から目をかけられたり、多くの男たちにちやほやされ、余りにも目立ち過ぎた。その上、美しいばかりか、男を悩ませる健康的な肉体の持ち主であり、清和天皇が夢中になりそうだったから、尚更、いけなかった。そのような女は、天皇家藤原氏の世継ぎを望む太政大臣藤原良房にとって、最も邪魔者であった。また宮廷内の女たちにとっても、教養を備えた美貌の小町は、魅力的であるが故に、嫉妬の対象であり、憎悪すべき女であった。小町は本人が気付かぬうちに、皆の嫌われ者になっていたのだ。そして、あの業平が仏門に入るよう勧めた意味を理解した。業平は小町の中に潜む魔性を早くから見抜いていたのだ。小野貞樹の発狂死、伴中庸の落雷死、人康親王の過労死など、小町に深く関わった者は皆、不幸な最期を遂げた。小町は自分を呪われた女だと思った。小町は問うた。

「蓮恵様。私が片輪者にされたのは、何の報いでしょうか?」

「分かっておろう。それは貴女が妖艶だからじゃ」

 蓮恵は、そう言うと、法衣の中に小町をくるんだ。小町は混乱した。不思議な女の生理が身体の奥で働きかけた。小町が蓮恵に寄り添うと、蓮恵が低い声で言った。

「貴女は鬼女になれば良い」

 小町は幻覚に酔ったかのように頷き、蓮恵に抱かれた。

 

          〇

 貞観十五年(八七三年)三月七日、花冷えの夜だった。従四位下、行主殿頭兼伊予權守、当麻鴨継は、その悪行の積み重ねの為か、何時ものように寝床の中で、うなされていた。沢山の人たちの恨みは怨霊の幻影となって現れ、鴨継は何時ものことだと夢の中で思った。そして自分は今、藤原良房の後を継いだ藤原基経に庇護されているので大丈夫だと、怨霊と口論した。とはいえ、文徳天皇が亡くなり、藤原良房が亡くなり、次は自分の番であると、心の内で怯えていた。今宵、現れたのは蓮光の亡霊であった。

「次は、お前の番だ」

 寝所に現れた亡霊は黒い死神の影となって、枕元から一旦、立ち去り、部屋の隅に座り、蛇の頭に似た手で、鴨継に手招きをした。手招きされる度に鴨継はうわ言を繰り返した。

「俺が悪いのでは無い。俺が悪いのでは無い。総て太政大臣の御命令によるものだ」

 鴨継はそこで目が覚め、我にかえると、身体中、びっしょり汗をかいていた。本人、医者であるから、それが病気で無いことは分かっていた。だが良房が亡くなってからは、一日たりとも気が休まることが無かった。そして目覚めては、またかと思い布団を被った。するとまた死神の声が聞こえた。

「鴨継よ、鴨継よ。眠ってはならぬ。眠ってはならぬ。目を覚ませ」

 地獄から聞こえて来るような、その声に鴨継は、慌てて起き上がろうとしたが、身体中、金縛りになって、起き上がることが、出来なかった。暗闇で目を凝らすと、部屋の片隅に赤鬼が座って、鴨継を睨みつけているのが目に入った。鴨継は、ぞっとした。更にその隣に、髪を乱した鬼女が座って、横笛を吹こうとしているのを目にした。と同時に、沢山の蛇が尻尾を引き摺る音を立て、何処からともなく集まって来た。鴨継は恐ろしさに震えた。鬼女が笛を吹くと、その音色に合わせ、何匹もの蛇が、鴨継の布団の周囲から鎌首をもたげた。

「へ、蛇だ!」

 鴨継は蒼白の顔になり、必死に手を振り、蛇を追い払おうとした。しかし蛇は退散するどころか、どんどん近づいて来た。闇の中で、赤い蛇の気味悪い文様が、鮮やかに見えた。毒蛇だ。一匹の蛇が自分の足に絡みついたのが分かった。正面にいる三匹の蛇が、舌なめずりしている。鴨継は恐怖に怯えた。あれよあれよという間に、沢山の蛇が笛の音に導かれ寄って来て、鴨継の身体中のあちこちに絡みつき、鴨継は完全に身動き出来なくなった。鴨継は恐ろしさの余り、口から泡を吐いた。それを見て、蛇が毒牙をもって、一斉に鴨継に噛みついた。鴨継は悲鳴を上げたが、それも蛇に首を絞め付けられ、声にならなかった。鴨継は蛇の毒に苦しみ、のたうち回り、七転八倒して死亡した。それを確かめると、赤鬼と鬼女は毒蛇と一緒に、闇に溶け込むかのように、その場から消えた。鴨継の死体だけが、その部屋に残った。

 

          〇

 鴨継の死体は、翌朝、三月八日に発見された。その死体は、異様なまでの噛まれ傷で、見るも無残であった。鴨継の弟子は毒蛇に噛まれたものと、その死因を報告した。鴨継の悪行を知る人たちは、口々に蓮光の祟りだと、噂し合った。鴨継を殺したのが、蓮光の亡霊であるのか、その弟、蓮恵なのか、鬼女なのか、あるいは全く別の人物なのか、その犯人は杳として分からなかった。当麻鴨継には、多くの悪事を重ねて来た経緯があるので、殺される原因が沢山あり過ぎた。その為、検非違使庁でも、犯人を追跡することが出来なかった。

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本願を 果たさむが為に 鬼女となり 笛吹きぬ