幻の花 ~ 第二十三章 夢追い小町

 小野の里で、侘しく暮らす小町は、現在の自分の身の上を、浮草のようだと思いはしていても、自分の女としての魅力を信じて疑わなかった。そんな小町の所へ、かって小町がお仕えした在原文子が、清和天皇の皇子を産んだという知らせが入って来た。その話を聞いて小町は喜んだが、少し時間が経過すると、本来、喜ぶべき事であるが、心から喜ぶ気にはなれなかった。何故か嫉妬心にかられた。才色兼備をうたわれ、清和天皇に遠くから優しくしていただいていた自分は何故、宮中を退去してしまったのか。巫女として、天皇にお近づきになる方法もあったのではないか。その夢は、あの藤原良房と当麻鴨継によって、滅茶苦茶にされてしまったが、彼らがいなくなった今、その夢は、再び叶えようと思えば叶えられるのではなかろうか。突然、小町の中に、今度こそ、清和天皇の御寵愛を受けることが出来るのではないかという、高慢な感情が湧き上がって来た。今の小町には、自分の肉体と引き換えに、立身出世を望む親も兄弟もいなかったが、かって清和天皇に見染められ、優遇され、沢山の褒美を賜った、あの栄光は忘れられなかった。栄光よ、もう一度。小町は何とかして、再び清和天皇に近づき、自分の体内に清和天皇の玉精を頂戴し、文子同様、輝いてみたいという欲望に夢を膨らませた。

 

          〇

 貞観十八年(八七六年)四月十日、朱雀門の奥、応天門のその奥、朝堂院の奥隣りにある朱塗り鮮やかに建てられていた大極殿が焼け落ちた。その猛火は小安殿、蒼龍白虎両楼、延休堂にも広がり、数日、その火勢は衰えなかった。朝廷は非常の変に備え、左右兵衛、左右近衛などから、勇敢強豪の者を選出し、官馬を提供し、毎夜、京中を巡回警備させた。何故なら、かの応天門を口火に、貞観十一年、待賢門扉、貞観十五年、春宮庁院、貞観十六年、淳和院、貞観十七年、冷然院と、相次ぐ火災が起こっていたからであった。そして、それら総てが、放火の疑いのある火災であった。気の弱かった清和天皇は、その内裏に集中して来た火難が、大極殿炎上にまで及ぶと、流石に強い衝撃を受け、顔色を変えた。陸奥地震などの転変地異、肉親の相剋、周囲の権力抗争、陰謀呪詛、度重なる火災、俘囚の反乱等、余りにも災難が多すぎる。清和天皇は悩み、怯え続けた。また女御や更衣の密告にも疑心暗鬼に陥ることが多かった。それに気づいた皇后、高子は清和天皇を慰めたりした。

「内裏の女たちの言葉など、信用してはなりません。嘘の塊です」

「だが、文子が産んだ貞数親王は業平の子だとの噂もあると聞くが」

「何を仰せられます。業平はもう五十歳を超えています。そんな事は不可能です」

 高子は業平のことを庇った。昨年三月、兄、藤原基経の四十を祝う酒宴に九条邸に招かれて来ていた業平と高子は、高子の部屋で交接したというのに、業平にはその能力が無いと高子は嘘をついた。高子は男が五十歳を過ぎても、精力を充分、保有していることを知っていた。従って、在原文子の産んだ子は噂通りかも知れないと思ったりもした。でも業平が姪とそんな関係になる筈は無いという考えの方が強かった。しかし清和天皇は、そんな高子の言葉も信じなかった。宮中にいる者たちも信用出来ないと疑っていた。そして、かって宮中から突然、消えたあの美麗双絶な小野小町なら、この悩みを解消してくれるだろうかなどと考えたりした。清和天皇は、小野小町に会いたいと、民部少輔、菅原道真に相談し、その思いを歌にして布切れに書いた。

  わが胸の燃ゆる思ひを 人知れず

  花には告げよ 庭の鶯

道真がそれに返歌した。

  わが君の 望みは 小野にあるものを

  いかにか告げなむ 谷の鶯

 道真は清和天皇の読み人知らずの歌と一緒に、自分の歌も添えて小町に渡した。道真の歌の内容から、読み人知らずの歌の作者が清和天皇であると、小町は心が浮き立ち、喜びにときめいた。早速、道真に返歌を渡した。

  庭に出で 小野の里を 尋ぬれば

  望みし花の 香りや 知るらむ

 清和天皇は、小町からの返歌を受け取り、大喜びした。一時も早く小町に会いたいと思った。心にある鬱憤の総てを、小町にぶつけてみたい思った。しかし、天皇である身で自由に活動することは許されなかった。また道真からは、神霊力を秘める彼女に近寄るべからずと、釘をさされていた。どうしたら良いのか。この鬱陶しい宮廷から脱出して、美しい花の匂いのする山野を、蝶のように風に乗って飛び回ってみたいと思った。清和天皇は小町の歌を何度も読み返した。突然、ぱっとひらめいた。庭に出でとは、宮廷から離れでてみたらどうだということだ。宮廷から解放されたい。自由になりたい。清和天皇の脳中は、そのことでいっぱいになった。

 

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 清和天皇が、まだ自分を忘れないで未練を残しているのを知ると、小町は夢を追い、積極的になった。再び清和天皇に接近出来ると、胸がときめき、夢は広がった。彼女は夢を追って再び動き出し、沢山の歌を詠んだ。

  思ひつつ ぬればや人の 見えつらむ

  夢と知りせば さめざらましを

 

  うたたねに 恋しき人を 見てしより

  夢てふものを 頼みそめてき

 

  いとせめて 恋しき時は うば玉の

  夜の衣を かへしてぞきる

 

  夢路には 足もやすめず かよへども

  うつつにひと目 見しことあらず

 

  うつつには さこそもあらめ 夢にさへ

  人目をもると 見るがわびしき

 

  限りなき 思ひのままに 夜も来む

  夢路をさへに 人はとがめじ

 

  思ひわび 暫しも寝ばや 夢のうちに

  見ゆれば逢ひぬ 見れば忘れめ

 その清和天皇への恋歌は総て恋しい人に逢いたいという夢を伝える誘いの歌であった。そこには王朝の栄華に憧れる小町の執念が秘められていた。その小町の歌を、小町に片思いしながらも、律儀な菅原道真清和天皇に、せっせと届けた。

 

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 清和天皇は悩み続けた。国政を司るよりも、総てを捨てて、自由の世界へ逃げてしまいたかった。悩めば悩む程、一時も早く皇位を他に譲りたいと思った。清和天皇にとって、異母兄、惟喬親王を出家させたり、地震や火災や反乱者に、おどおどしたり、藤原良房に続いて、その後継、藤原基経に操られたり、九歳も年上の高子に馬鹿にされたり、宮廷の女たちに甘く見られたり、小野小町に近寄れなかったり、もう天皇という位はまっぴらであった。そして到頭、秋の初め、清和天皇は、右大臣、藤原基経に退位したい旨を告げた。右大臣、基経は熟慮の結果、清和天皇皇位を捨てることを承認した。清和天皇の詔の退位の理由は、病と災異の頻出であった。二十七歳での突然の譲位であった。清和天皇は十一月二十九日の退位の折、基経に忠仁公(良房)の故事の如く、天子の政を摂行するよう命じた。

「内外の政を取り持ちて、勤仕え奉ること風夜、怠らず、また天皇の舅氏なり。その情操を見るに、幼主を寄託すべし・・・・」

 かくして右大臣、藤原基経は、良房の先例に基づき、早くも摂政の座を得たのであった。同日、清和天皇の皇子、貞明親王が帝位を踏んだ。この九歳の幼帝の御称号を陽成天皇といった。小町は清和天皇の退位を知ると驚き落胆した。藤原氏の家で薫陶を受け、藤原一門のものをあてにし、全く気楽な筈であるのに、何故、清和天皇は退位したのか。災異については分かるが、病とは何か。相変わらず、読み人知らずの歌を送って来ているというのに、本当に病であろうか。小町は宮仕えしていた頃のことを思い出して歌った。

  あはれてふ ことの葉ごとに おく露は

  昔を恋ふる 涙なりけり

 小町の追い続けていた夢は砕け散った。折角、清和天皇と歌の相聞が出来ると思っていたのに、天皇自ら退位してしまうとは、実に不可解で情無く残念なことであった。

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うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものを 頼みそめてき