幻の花 ~ 第二十四章 熱情小町

 元慶元年(八七七年)正月、陽成天皇の母、高子は皇太夫人となり、中宮職となった。流石の小町も、在原業平と堂々と恋をし、清和天皇の女御になった高子に呆れ返っていたが、いざ新天皇の母になり、中宮になったと知ると、そのしたたかさに感心した。自分も親族の失敗や藤原氏の邪魔が無ければ、中宮になれたかも知れないと思った。そして今や、お払い箱になったような清和上皇と交際を始めている自分が哀れでならなかった。とはいえ、清和上皇は先帝であり、また復帰する可能性が無いとは言えなかった。そんな事を考えている正月の二十三日、従四位下、周防權守、紀有常が他界した。名門、紀名虎の子として生まれ、少年時代から仁明天皇に仕え、以来、文徳、清和の両天皇と三代に渡って諸官を歴任して来たところの紀有常の死は哀れだった。かって、その妹、静子が、文徳天皇の第一皇子、惟喬親王を産んだ時分は、飛ぶ鳥を落とす栄耀ぶりであった。ところが嘉祥二年(八四九年)終わり、若年の文徳天皇が、外舅、藤原良房に遠慮して、寵愛の第一皇子、惟喬親王を皇太子に立てず、良房の娘、明子の産んだ生後八ヶ月の惟仁親王を皇太子に立ててからというもの、紀家は凋落の一路を辿らねばならなかった。その紀有常の死を誰もが悼んだ。その葬儀の日、昔、栄華を極めた時代に、紀有常に関係のあった人々を始め、紀有常の人柄に心を寄せていた多くの人々が紀家に参集した。左大臣源融、惟喬親王、紀有明、高階茂範、紀望行、大江音人在原行平在原業平藤原敏行僧都遍昭紀友則紀長谷雄、都良香、菅原道真橘広相、島田忠臣、在原棟梁、藤原高松等々。その名を上げれば限りが無かった。小野小町も、その葬儀に列席した。小町は、この席で、業平のかっての妻、紀有常の娘、則子が欠席しているのに気付いた。彼女は秦文勝の妻になって豊前国に赴いたまま、都に戻っていないということであった。また、かって業平と伊勢神宮に赴いた時、出会った斎宮、恬子内親王の姿もあった。小町は在原業平と彼女が仲睦まじく話しているのを見て、何故か嫉妬を覚えた。

 

          〇

 小町は年老いても男女等しく付き合える業平を羨ましく思った。一方で、退位した清和帝を相手に、自分はうまくやって行けるだろうかと、不安で暗い気持ちになった。ところが退位した清和帝は、ルンルン気分だった。正月が過ぎると、兄、惟喬親王の所に訪問すると嘘をついて、小野の里にやって来た。小町は母から相続した家屋敷に清和帝をお迎えし、食事は勿論のこと、着る物の仕度から寝床の準備など、細々としたことの用意をした。とはいえ、小町は家の主人であるから、そういったことは指示確認だけで、実際は家来の雉丸や、その女房、召使たちが行った。小町は清和帝に甘言を送り、琴を演奏したり、和歌でも詠んでいれば良かった。清和帝は、そんな小町と一日中、過ごすのが楽しくて仕方なかった。こうして身近に会うことが叶うと、初めて見た時のあの妖精のような近寄りがたい小町の眩い輝きは何処かに消えてしまったが、あの時に見られなかった艶めかしさ、妖しさ、危なっかしさなどが、成熟した小町の肉体から熱っぽく溢れ出し、その官能の色香が清和帝にはたまらなく魅惑的だった。

「内裏の外の生活が、かくも気侭で爽快なものとは知らなかった。内裏での生活は朝から夜中まで、予定が小刻みに決っていて、息苦しかったが、ここは自由だ。好きな時に好きな事が出来る。実に愉快で楽しい」

「そんなに、お気にめされたなら、ここでお暮しになられては如何ですか」

「そうだな。新しい別荘が出来上がるまで、ここを静養所として利用させてもらおうか」

「まあ、嬉しい。小町は仕合せです」

 何ということか。喉元過ぎれば熱さを忘れる。小町はまたもや高貴な人を咥えこんでしまった。二人の恋の応酬と愛欲は炎のように燃え合った。小町は今まで、身分を隠して、読み人知らずの歌を送って来ていた清和帝をからかった。お亡くなりになった人康親王も、下男、蝉丸の名を使って歌を詠んで寄越していたのを思い出したが、そのことは秘密にしておた。二人は沢山の恋歌のやりとりを楽しんだ。辺りの景色を眺めながら春の歌を詠んだ。

  散りぬとも 香をだに残せ 梅の花

  恋ひしき時の 思ひ出にせむ

 

  君がため 匂ひ起こせし 梅の花

  思ひの色は けふも 変わらじ

 夏になれば夏の歌を詠んだ。

  いかにせむ 心のうちの くるしさを

  鳴け 時鳥 こよひばかりは

 

  恋ひ恋ひて 長くと思ひし 今朝なれど

  明けはなれゆく 君を恨むる

 秋になると秋の歌を詠んだ。

  月なくば たずぬることを諦らむる

  道を迷ひぬ 小野の細道

 

  人に逢わむ 月なき夜は 思ひ起きて

  胸走り火に 心焼きけり

 冬になれば冬の歌を詠んだ。

  くやしくも 小野の山里 降る雪に

  思ひを捨てて 冬ごもりする

 

  降りつもる 小野の白雪 友にして

  訪ひこむ人の 春を待たるる

 互いに、好き勝手放題に歌を詠んで楽しんだ。愛は永遠ではなく短く終わってしまうことを経験している筈の小町であったが、今を限りと情熱的に歌を詠んだ。そして、あっという間に、一年が過ぎ去った。

 

          〇

 元慶二年(八七八年)在原業平は相模權守兼右近衛權中将になった。そんな周囲の目出たさに浮かれている三月、出羽国蝦夷と俘囚が蜂起し、秋田城を急襲した。昨年の旱魃により、飢饉に襲われ、民衆が苦しんでいるというのに、秋田城司の良岑近による状況を無視した過酷な労働が重なって、民衆の怒りが爆発したのであった。蝦夷と俘囚は秋田城周辺に火を放ち、秋田城を襲った。これに対し、出羽守、藤原興世や出羽介、良岑近が防戦したが、反乱勢の人数は増えるばかりで、防戦しきれなかった。結果、出羽守、藤原興世も出羽介、良岑近も逃亡してしまった。四月、出羽守からの急使を受けた朝廷は、下野国上野国に、援軍の為の徴兵を命じた。だが、四月十九日には最上郡司の伴貞道が戦死し、戦闘は予断を許さぬ状況となった。五月、朝廷は藤原梶長を押領使に任じて、陸奥国より、騎兵、歩兵等を派遣し、その鎮圧に向かわせた。勿論、出羽掾、藤原宗行、文屋有房、小野春泉もこれに合流させた。また逃げた藤原興世の代わりとして、左中弁、藤原保則を出羽権守に任命した。業平は、その知らせを聞いて、五月四日、つぶさに藤原保則邸に訪問した。武術に疎い保則が、出羽鎮撫の為に、戦地に向かうなどということは、無謀そのものと思えたからである。訪問した親友、業平に、同年生まれの保則は言った。

「業平殿。保則も男。貴殿の娘、仲子には済まないと思うが、一旦、任命され、心に決めたからには、出羽に出立せねばならない。それに五十四歳というこの老体、最早、惜しいとは思わない。喜んで、この命、陽成天皇様にお捧げ申そう。心残りなのは貴殿の娘であり、それがしの妻である仲子のことだけである」

「どうしても行くというのであれば、仕方無い。業平も止めはしない。私は以前、陸奥に訪問し、蝦夷人と接した事があるが、彼らは、こちらが誠実に対応すれば誠実に応えてくれる人たちだ。かって備中の国守として善政をうたわれた保則殿のことだ、武術に疎くとも、誠意と信頼とをもって事に当たり、必ずや反乱を平定されると信じている」

「有難う。貴殿の言葉に従い、蝦夷人らと接し、必ずや反乱を平定して戻って来る。それまで仲子たちを頼む」

「了解した。留守中の事は私に任せろ。身体に気を付けて行って来い」

 業平は保則の決心の堅固不動であるのを確認すると、保則邸を退いた。春の月が美しい夜だった。

 

          〇

 出羽国での蝦夷と俘囚の反乱は小町にとっても、心配だった。あの桐木田でお世話になった出羽郡司、小野葛絵や衛門の命婦、茂子たちのことが気にかかりになり、思案した挙句、業平の所へ押しかけた。

「業平様。私は出羽のことが、心配で心配でたまりません。藤原保則様が出羽に向かわれたとのことですが、あの御高齢で大丈夫でしょうか」

 すると業平はせせら笑って答えた。女の口出しすることでは無いとでもいうかのように。

「つまらんことを言うな。保則殿は私と同じ年齢じゃ。大丈夫じゃ」

「でも蝦夷人の団結を軽んじてはなりません。ここで、昔、蝦夷と関わりのあった私の一族、小野氏と坂上氏の強者を送り込むべきではないかと考えます。反乱が拡大すれば、陸奥も危なくなり、大混乱となります」

「一体、あんたという人は。分かった。私から右大臣殿に進言してみよう。さすれば保則殿も心強いだろう」

 業平は小町の意外な提案を受け、それから直ぐに、小野氏と坂上氏の強者を出羽に派遣するよう右大臣、藤原基経に進言した。

「右大臣殿。我が娘婿、藤原保則は周知の通り、もともと文吏。彼は桓武朝の右大臣、継縄様の曽孫で、これまでの辺境の吏務に従ったことが無く、兵馬も苦手であり、戦略戦術については全く無知で御座います。しかし彼の誠意と信頼をして、事にあたれば、必ずや大乱を平定出来得ましょう。しかしながら、中には如何に恩と義をもって臨んでも、彼に服さぬ者もおりましょう。そういう蝦夷を制圧するには、武力をもって対処する以外に方法は御座いません。その為には、辺境における戦略戦術に通じた小野氏や坂上氏の武将が必要です。幸い辺境にゆかりの深い武門の人、小野春風が閑地におります。去年、誹謗に遭って左近衛将監を免ぜられ、鬱々としている小野春風こそ、その役に適任かと思われます。小野春風は剛勇である上に、辺境育ちでもあり、夷語に明るく、藤原保則の片腕として、もって来いの男です。小野春風蝦夷鎮定の助けとして派遣されんことを、右大臣殿に、業平、心よりお願い申し上げます」

 この業平の願いを聞くや、摂政、藤原基経は、即刻、小野春風鎮守府将軍に、坂上好蔭を陸奥権介に任命し、出羽に向かわせることにした。業平の提言により、彼らが都を出発し、出羽に向かったのは、藤原保則が出羽に向かった一ヶ月後であった。かくして出羽国で暮らす小野氏や文屋氏の縁者を守ろうとしての小町の心使いは成功した。

 

         〇

 一方、陸奥国から来た鎮圧軍に一時、後退した蝦夷と俘囚の軍勢は、兵力を整え、六月初め、再度、大挙して秋田城を襲った。その反乱軍の多さに、官軍は大敗を喫して、押領使、藤原梶長も家来を連れて、陸奥国に逃げ帰ってしまった。その為、城中の武器、甲冑、兵糧、寝具、馬などといった物が、反乱軍に没収されてしまった。反乱は拡大し、秋田城下の十二村が反乱軍の支配下になってしまい、出羽北部はほとんど彼らに占領されてしまった。そこへ藤原保則が大軍を率いて出羽国に到着した。このことを知り、俘囚三人が、保則の陣営に来て、秋田以北を朝廷の直接支配の及ばない『己地』とすることを要求して来た。保則は出羽掾、文屋有房、上野国押領使、南淵秋郷に命じ、出羽の兵と上野国兵をもって陣営を固め、彼らとの交渉に当たることにした。そこへ小野春風坂上田村麻呂の曽孫、陸奥介、坂上好蔭がやって来た。保則はここに至り、秋田城を取り戻し、軍事的措置を講じた上で、これまでの苛政を改めることを反乱軍に伝えた。また政府の備蓄米を民衆に給付し、蝦夷と俘囚の懐柔に当たった。保則の善政を聞いて、反乱を起こしていた集団が、次々と降参して来た。保則は敵意を失くした蝦夷や俘囚を許した。かくして出羽国の反乱は保則の武力によらぬ寛政によって、その鎮撫に成功した。小町はこの鎮撫に貢献し、小野葛絵の後を引き継いだ小野春風、春泉兄弟や文屋有房の活躍を清和帝に自慢した。だが清和帝には出羽国のことや陸奥国のことなど、もうどうでも良かった。小町と過ごす毎日が楽しくてならなかった。最早、清和帝にとって権力も財力も要らなかった。女の愛だけあれば、それで良かった。小町はそんな清和帝を、別の穴を用いるなどして、自分の欠点を隠し、狂態の愛技を使い満足させた。年上の男たちから学んだ高等技術を駆使して清和帝を娼婦的享楽をもって溺れさせた。

 

          〇

 清和帝の後の幼帝、陽成天皇も、蝦夷と俘囚の反乱など、無関心だった。何故、その反乱が起きたのか、分からなかった。幼い十歳の彼は、乳母、紀全子の子供、源益と三つ年下の藤原時平と三人で、何時も悪戯ばかしして遊んでいた。三人とも、とても仲が良かった。半年ばかり年長の源益は源蔭の息子で、同じ乳を飲んで育った関係であり、時平は母、高子の兄、右大臣藤原基経の長男であり、大人たちばかりの環境にある陽成天皇にとって、良き遊び仲間であった。そんな三人の悪戯は、成長するにつれ、手に負えぬ程になった。陽成天皇闘犬や闘鶏を好み、時には小動物を殺したりすることもあった。三種の神器の宝剣を抜いてみたのには、流石の高子も困り果て、護持僧の遍昭に注意させた。また兵を引き連れ、蝦夷退治に行くなどと言い出した。その訓練だという理由で、宮中に馬三十頭を準備して、それに乗り回した。また、時平を利用し、時々、宮中から抜け出し、庶民の生活などを、覗き見した。その性格は、父、清和帝と違って全く乱暴であった。高子は業平に似ている陽成天皇の将来について、危惧してやまなかった。

 

          〇

 秋の彼岸がとうに過ぎ、霜月に近い季節のことであった。随心院の僧、蓮恵は、近頃、墓参りに来なくなった小町がどうしているのか知りたいと思った。そこで稲の刈り入れが終わった山科の小野の里に出向いた。久しぶりに小町の屋敷に近づいてみると、一時、荒れ果てていた屋敷が、何時の間にか、見違える程、こざっぱりと綺麗に変貌していた。良く見ると、新しい召使の数も増えて、どうも新しい夫を迎えた様子であった。蓮恵は門前を掃除している下男に訊ねた。

「えらく綺麗に掃き清めているが、今日はどなたか参られるのか?」

「へえ」

「どんな客かな?」

「それは申し上げられません」

 下男は僧衣の蓮恵に質問され、どうして良いのやら、困惑顔をした。蓮恵はその理由を知りたかった。

「何故じゃ」

「きつく口止めさせられております」

「随分じゃあないか。ちょっとで良いから教えてくれ」

 蓮恵は小町に上げようと用意して来た御菓子を取り出し、下男に与え、無理矢理、客人の名を聞き出そうとした。下男は恐る恐る答えた。

「やんごとなき、お人に御座います。これ以上、申せません。これ以上、申し上げましたなら、家から追い出されてしまいます」

「そうか」

 蓮恵は、その下男の話を聞いて、小町に面会するのを止めた。非常に高貴な人とは、一体、誰のことであろうか。蓮恵は、随心院に戻る道すがら、あれやこれや考えてみた。

 

          〇

 その高貴な人、清和帝は秋の紅葉を楽しみに稲葉山を訪れた。樹々の紅葉は太陽の光が良く当たる枝から紅く染まって、まさに全山、燃えるような錦繍の眺めであった。勿論、小町も一緒だった。清和帝は万葉集にある大伴家持の歌を口にした。

  もみじばの 過ぎまく惜しみ 思ふどち

  遊ぶ今宵は 開けずもあらぬか

 それは時の過ぎ行くのを愛惜しつつも、恋する二人が激しく燃え上がる至上の時を求める歌のように感じられた。小町は、それに返した。

  紅葉散る この侘しさは 何ならむ

  たずぬる人の 色を宿さむ

 清和帝は、その歌の中に、生命の限りを予感しながら、生殖という行為によって、自分と繋がった転生を望む小町の狂おしい程の愛欲を感じ取った。清和帝は、愛され、惜しまれることの喜びを知った。紅葉は散るからこそ美しい。一夜にして、死の世界へ還って行く、その舞い散る姿は、人間の生と死の宿命を現実的なものとして、清和帝に暗示するものであった。清和帝は紅葉狩りを終えると、小町の屋敷に泊ることにした。素晴らしい紅葉を鑑賞しての楽しい一日であった。煩わしい政治や地方の反乱、権力争いから解放され、毎日がまるで夢のようであった。最近では、寝床に入ると、自分が天皇であったことすら、忘れてしまいそうになった。今まで経験して来たことが、幻か、昨日見た夢のように思われた。また退位して二年になるかならないかというのに、自分が天皇であったという痕跡は、内裏から消え去ってしまった。しかし内裏で夢に見ていた憧れの小町は今、夢でも幻でもなく、確実に自分の胸の中で呼吸していた。清和帝は小町を抱いて眠りながら、自分が天皇であった時代を、おぼろな夢の中で回想した。数多くの天災や火災や殺害があり、毎日が恐ろしかった。自分が何時、殺されるか知れないと思ったこともあった。そんな悪い事ばかり思い出していると、小町が寝返りを打った。それに気づいて、小町の姿勢を元に戻そうとして、起き上がると、部屋の片隅の闇の中に、何者かがいる気配を感じた。そちらに目をやると、闇の中から自分を凄い形相で、睨みつけている眼光があった。目をこらすと、それは、頭に二本の角があり、裂けた口から金の牙を左右にはみ出させた赤鬼であった。清和帝はびっくりして叫んだ。

「誰だ?」

「俺は大和国金剛山の赤鬼じゃ」

「この夜更けに何用じゃ」

「命を頂戴に参った」

 清和帝は、その言葉にたじろくことは無かった。普通の者なら、肝をつぶしであろうが、清和帝は落ち着いていた。

「出たか、妖怪」

「お前は蓮光を殺した文徳帝の子。その怨恨は末代まで続くものであると覚悟せよ」

 赤鬼の目が殺意に燃えているのが分かった。事態に気づいた小町が、慌てて跳び起きた。

「駄目よ、蓮恵様。この御方は」

「お前が庇おうとするのは分かるが、俺の恨みは死ぬまで続く。死んでもらう」

 赤鬼が小町と話をしている隙に、清和帝は床の間に置いておいた太刀を、素早く引き寄せた。

「汝が噂に聞く金剛山の赤鬼か。朕が成敗してくれよう。小町。朕から離れるな」

 清和帝はそう言って太刀を手に、赤鬼に向かって身構えた。小町が叫んだ。

「二人とも止めて。どうして殺し合いなど」

「こいつは兄、蓮光の仇だ。生かしておく訳にはいかない」

 そう言ったかと思うと、赤鬼は身構える清和帝に襲いかかった。清和帝は思いのほか敏捷だった。足元にあった枕を赤鬼に投げつけるや、長刀を赤鬼の顔面めがけて斬りつけた。赤鬼は顔面を斬られ、血飛沫を上げた。

「ぎゃーっ!」

 赤鬼は噴き出す血で、前が見えなくなった。それでも清和帝に向かおうとしたが、それは虚しかった。怒りに狂った清和帝は、赤鬼をめった斬りしようとした。小町は恐ろしさに腰を抜かしながらも、清和帝を睨みつけ、鬼のような形相で叫んだ。

「何をするのよ」

 赤鬼を庇う小町の顔つきは、今まで清和帝が見たことのない、牙をむいた鬼女の形相だった。赤鬼はかなわないと思ったのであろう。さっと何処かへ消えてしまった。流石の清和帝もびっくりした。道真の言う通り、小町こそ、妖怪かもしれない。この物の化との生死にまたがる幽界での激しい闘いは、もしかして、自分の目の前にいる鬼女の仕業なのだろうか。危険と知りながら、小町に接近した自分は、己の血を吸われて、用済みになれば、ポイと捨てられる運命だったのか。小町が美しければ美しい程、それを信じたくなかったが、たった今、体験した身の危険は、清和帝にとって、直ぐにでも逃避しなければならない幽界での出来事であった。清和帝は、直ちに従者を呼び寄せると、深夜だというのに、彼らを引き連れ、小町の屋敷から即刻、内裏に帰って行った。

 

          〇

 清和帝は、それ以後、小野の里にやって来ることは無かった。小町は、その理由を、命を狙う怨霊がいたことと、厳しい冬が到来したことにあると、自分勝手に想像を巡らせた。それにしても折角、親密になった清和帝が自分の手から離れ、遠のいてしまったことは残念でならなかった。清和帝との一年以上の熱情溢れる蜜月を回想すればする程、胸が熱く燃えた。小町は、その思いを歌にして清和帝に送った。

  冬枯れの さびしさまさる 小野の里

  寝ても覚めても 君を思へり

 

  降り積もる 山路の雪は 深くとも

  今宵来るやと 紐解き 待たなむ

 小町が、そう思っても、清和帝には、あの物の化の棲む里に、二度と訪問するつもりは無かった。日頃、艶美で優しかった小町が、夜更けに赤鬼が現れると、たちまち鬼女に変身し、襲って来た恐怖は、今や拭い去ることは出来なかった。清和帝にとって、そんな小町は、今まで自分を苦しめて来た怨霊の仲間のように思われた。

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ひとに逢わむ 月なき夜は 思ひ起きて 胸走り火に 心焼きけり