幻の花 ~ 第二十七章 出家小町

 元慶七年(八八三年)正月二十三日、下出雲寺に於いて、紀有常の七回忌の追善供養が行われた。小町はその式に出席し、沢山の人たちと一緒に、貴い真静法師の法話を聴いた。真静法師は、まだうら若い二十一歳の導師であったが、その説法は立派なものであった。彼は妙法蓮華経の五百弟子授記品にある〈無価の宝珠を以って、其の衣裏に繋げて、これを与ふ。其の人、酔ひて臥し、すべて覚り知らず・・・云々〉という語を問い、悉有仏性の大事を説教した。この説教を聴いた者の中に、かって陸奥国に同行しないかと小町を誘った安倍貞行の弟、清行がいた。清行は小町の斜め後ろに座り、美人の小町を時々、見ながら、真静法師の話を聴いていた。そして紀有常の追善供養が終わると、小町に声をかけて来た。

「今日は御苦労様です。立派な七回忌でしたね」

「そうでしたね。若い真静法師様の法話に感心致しました」

「そうですね」

 清行は小町のことばかり気になって、真静法師の説教を真剣に聴いていなかったので、『無価宝珠』の話を小町にされるのではないかと、ハラハラだった。その為、小町に軽く返しただけで話を終えた。二人はそのまま笑顔で別れた。

 

          〇

 家に帰ってからも安倍清行は、久しぶりに出会った小町のことが忘れられなかった。四十歳近くなるというのに、相変わらず美しい。別れの時の微笑には、脈があるような気がした。清行は『無価宝珠』の話を反芻してみた。

〈ある所に大親友の男、二人がいた。金持ちの男は、しばらく旅に出るので、親友と酒を飲み、街に残る貧乏な男の上着の裏に、こっそり貴重な宝珠を縫い込んでやった。貧乏な男は友人との別れが辛く、一晩中、飲み明かしたので、それに気づかず、友人が街からいなくなると、自分も彼のように金持ちになろうと、商売を始めた。しかし、如何に努力してもうまく行かず、金の遣り繰りに窮した男は、結局、貧乏のまま、日銭を稼いで、酒に溺れるようになってしまった。数年が経過して、金持ちの男が、街に帰って来た。貧乏な男は相変わらず、貧乏のままであった。金持ちの男は、キョトンとした。そして親友に質問した。-俺がやった宝珠は使わなかったのか?-そんな物、貰った覚えは無いよ。ーお前の上着の裏を見ろ。-こ、これは。-そうか使わなかったんだな。俺が帰って来るまでの数年間、その宝珠を使わず生活出来たんだから、お前は大したもんだ。ーこの会話から再会した二人の絆は一層、深まったという〉

 それは人に仏性が備わっているにも関わらず、信仰が希薄な為に、それを自覚出来なかったが、真実を悟れば、宝珠も無価値であるという法話であった。清行は罰当たりにも、この貴い話を歌に転用し、小町の所に送った。

  包めども 袖にたまらぬ 白玉は

  人を見ぬ目の 涙なりけり

 歌は〈今日の導師の法話の中に、衣の裏の宝珠の話がありましたが、経文の中に出て来た宝珠は、袖の中に包まれていて、相手に気づかれなかったのに、私の宝珠は、私の袖に包み隠そうとしても、包み切れずに、白玉となってこぼれ出ています。これは恋する貴女様に会えないでいる私の悲しみの涙なのです〉という意味の歌であった。小町は兄の安倍貞行と同じく、ちょっと軽率な戯れの歌を送って来る助平老人、清行に冷たい返歌をした。

  おろかなる 涙ぞ袖に 玉はなす

  我はせきあへず 滝つ瀬なれば

それは〈貴男の涙は、心のこもっていない好い加減なものだから、袖の上に溜まる白玉などになるのです。それに反し、私の涙は、安直な涙ではありません。尊い法話を聴いて、亡くなった人を思う情に耐えられず、まるで滝つ瀬のように激しく流れ落ちるのです〉という内容であった。清行は、この思いやりの無い小町の冷たい歌を読んで、高慢な女だと思った。

 

          〇

 小町のことを忘れられなかったのは、清行だけでは無かった。当日、導師を務めた真静法師も、紀有常の七回忌に自分の法話を真剣に聴いていた小町の艶麗さに魅了されていた。幼少時に出家し、仏法を学び、荒業に耐える修練を重ねて来たつもりであったが、小町の美貌に出会い、真静法師の童貞の肉体は、法力を失う程、乱されてしまった。真静法師は自分の思いを歌に詠んで、小町に送った。

  煙たち もゆとも見えぬ 草の葉を

  誰かわらびと 名づけそめけむ

 それは〈煙を立てて燃えているようには見えない若い草の葉を、誰が藁の火などと、名付けたのでしょうか。拙僧の心は燃え揺らいでおります〉という恋歌であった。小町はびっくりした。あの尊い法話をされた真静法師が、四十歳近い自分宛てに恋歌を送って来ようとは、信じられなかった。小町は若くして仏教の知識を深め、幾多の難行苦行を重ね、厳しい精進の結果、鍛え上げた逞しい真静法師の肉体を思い出した。あの俗界から離れた純粋な真静法師の瑞々しさには、心惹かれた。清和帝に去られてより此の方、中断されていた小町の愛欲は、ここに再び燃え上がるかに思えた。しかし小町は自分の年齢を考えた。もう無意味な女同士の序列からも外れ、男との愛増に振り回されたくなかった。人生は不思議だ。自分は年をとって行くのを静かに眺めているのに、次の人がやって来る。昔は年上の人がやって来たのに、今は若い人もやって来る。だが危険だ。また次の若い人に夢中になったなら、相手は、また不幸な姿で去って行くことになる。寂しいけれど、同じ繰り返しをしたくない。自分は罪深い女だ。純粋な真静法師に対しても、、つれない返事を送ることにした。

  藁の火は 水辺の野辺に燃え尽きぬ

  消え失す煙 あはれとぞ見よ

 まさに哀れとしか言いようがなかった。だが小町の愛欲の炎は肉体から消え去ろうしなかった。下男、雉丸らを相手に、のらりくらり続けている毎日が辛かった。出来る事なら、もう恋などから遠く離れて、仏門にでも入り、穏やかな日々を過ごしたかった。小町の考えは次第に仏門に傾き始めた。

 

          〇

 二月九日、上総国国司、藤原正範が四十人程の俘囚が暴動を起こし、食糧や官物を盗み、人を殺害したと朝廷に伝えて来た。正範の朝廷への報告は〈数千の兵を発するにあらずんば、これを平らぐるを能わず〉という内容であった。それは高すぎる税に対する暴動であり、全国各地で発生する可能性があった。物事は学者の考えるように上手い具合には行かなかった。基経は事件を知り、休みがちだった朝議に出席し、陽成天皇に進言した。

律令に従い、これ以上、民に負担をかけるのであれば、民は暴れ出し、地方のみならず、都にも波及し、内裏も血にまみれる事になりかねません」

「分かっておる。だから荘園を大幅に減らし、民一人当たりの税を低くすれば良いのだ。太政大臣やその親戚の荘園から、沢山の税が納められていれば、このような事態は起こらなかった」

 陽成天皇は、進言した基経に、そう返答し、基経を睨め付けた。すると基経が言い訳をした。

「私は庶民のことを考え、藤原の倉庫から沢山の食糧を提供しております。変えるべきは律令の方です」

「前にも言ったが、皆で決めた律令を否定するのは、自らの財を貯め込む為であろう。国家の律令を守れぬ者が、国政を云々するなど、とんでもない話じゃ。ここに列席する資格など無いのでは?」

 陽成天皇律令を否定する基経を一同の前で叱責した。陽成天皇の暴言は、基経の自尊心を傷つけた。生まれてこの方、基経に御世話になりながら、自分をないがしろにする陽成天皇を、基経は許すことが出来なかった。基経は立腹し、朝廷に出勤するのを止め、自宅に引き籠った。これを聞いた国母、高子は狂喜した。これからは自分と息子、陽成天皇とで政治の実権を掌握し、自由に出来ると思った。とはいえ律令上、太政大臣の検印が必要な書類等もあり、朝廷は基経の宮中への出勤を要請した。しかし基経は辞任したいと固辞し、宮中に出勤することをしなかった。二人の関係は平行線のまま、和解の目途が立たなかった。それでも若き陽成天皇はへこたれること無く、真剣に政務に取り組んだ。中納言在原行平源能有、学者の橘広相菅原道真、あるいは護持僧、遍昭らと相談しながら、源益や藤原時平ら若者の意見も採り入れ、自分の考える政治改革を進めることに専念した。

 

          〇

 ところが十一月、陽成天皇が乳母の息子、源益を殴り殺したという事件が起こった。何故、兄弟のように仲良く育って来た源益を、陽成天皇が殺さなければならなかったのか、周囲の者には、信じられないことであった。英明な陽成天皇は、新しい国造りを始めようと、日夜、若者たちと議論を交わし、明るい未来を共に築こうと考えていたのに、何故、その最も大事な友、源益を殺したりしたのであろうか。事件は源益が、皇太夫人、高子のいる飛香舎に訪問した帰りに起こった。高子の部屋から血相を変えて逃げ出して来た源益を、飛香舎の外にいた衛士たちが捕まえ、寄ってたかって殴る蹴るなどした。益は追って来た高子に哀願し、許しを求めた。

「お許し下さい。お許し下さい。二度とあのようなことは申しません」

「汝の申したことは、帝に対する無礼きわまりない暴言である。万死に値する罪であり、許す訳にはいかぬ」

「お許し下さい。お許し下さい」

 余りにも源益が哀願するので、一人の衛士が高子に訊ねた。

「どうしたらよろしいのでしょう?」

 すると高子は冷酷な表情で言った。

「何をしておる。殴り殺せば良いではないか」

 その言葉に誰もが震えた。衛士たちは、再び源益を殴る蹴るして、陰明門近くに放置した。陽成天皇が、竹馬の友、源益の死を知ったのは、母、高子からの報告によってだった。

「源益が死んだ」

「えっ。何で?」

「私の部屋に来て、私を襲おうとして、衛士たちに殴られて死んだ」

「そんな馬鹿な」

 陽成天皇には信じられないことであった。陽成天皇は清涼殿前に運ばれて来た源益の死体と面会し、号泣した。しかし高子は、その死体を見ても、何の感情も示さなかった。この母、高子の態度が、陽成天皇には解せなかった。何故、母は衛士たちから、益を救わなかったのか。何故、衛士たちに殴り殺させたのか。陽成天皇は、そんな母を許せなかった。陽成天皇は半狂乱になって、暴れまくった。周囲にいた衛士たちを、かたっぱしから殴って廻った。あたりにあった物を蹴飛ばし、破壊した。もう誰も止めることは出来なかった。竹馬の友、源益を失ってからの陽成天皇は、全く人が変わってしまった。かって源益が乗っていた愛馬に乗り、野を駈け廻った。時平がその後を追いかけた。陽成天皇は源益を偲び、彼の愛馬を引き取り、宮中に厩を造らせ、その馬の手入れをしていた卑しい馬飼まで宮中に住まわせた。それを母の高子や遍昭らが注意したが、陽成天皇は言う事を聞かなかった。彼が源益の愛馬を可愛がるのは、周囲の者にとって、異常であった。これらのことから、源益の死は、陽成天皇が源益の愛馬を手に入れたいが為に、益を殺したのではないかということになってしまった。

 

          〇

 元慶八年(八八四年)正月、小野小町は、小野家と縁のある坂上家の先祖、征夷大将軍坂上田村麻呂の建立した清水寺に初詣に出かけた。世は摂政である藤原基経と国母、高子との権力争いが激化し、また事件が起こるのではないかという噂が巷に流れる不吉な時代であった。小町は清水寺に御布施を行い、尊い僧侶たちが読経し、陀羅尼を読むのを聴いた。その重なり合った声の中に、小町は何処かで聞いたことのある濁声を聞いたようなような気がした。不思議に思い、それとなく雉丸にその僧侶を調べさせた。それを調べに行った雉丸が、小町に告げた。

「その濁声の御方は、本堂の隅に座っている蓑を着て、腰に火内箱を結わえ付けている体格の良い法師様です」

「そうですか」

 小町は、尚もその尊い読経の声を聴きながら、その僧に会ってみたいと思った。仏門に入るべきか否か、相談してみたかった。読経は夕刻前に終わった。小町は徒歩でやって来たので、大層、疲れていたが、さらさらと文を書いた。

〈本日、尊い御経を聞き、私の心は充分に満足しています。この遠い清水寺まで、お参りに来て、すっかり日も暮れてしまいました。明日になったら帰ろうと思っております。お許し願えるなら、お礼のしるしの私の歌を味わって下さい〉

  岩の上に 旅寝をすれば いと寒し

  苔の衣を われに貸さなむ

 それを本堂の前にいる小坊主に渡し、こう依頼した。

「あの本堂の片隅で蓑を着ている体格の良い御坊様に、お渡し下さい」

 小坊主は、小町からの文を受け取ると、それを立ち去ろうとする老僧に渡した。老僧は、その文を読んで、にんまりと笑った。流石、小町。その歌には悪女に相応しい男の欲情をそそる誘いが秘められていた。老僧は小町の悪戯心を知ると、直ぐに返歌を書き、小坊主に持たせた。

  世をそむく 苔の衣は ただ一重

  貸さねばうとし いざ二人寝む

 小町は小坊主から、老僧の返歌を受け取り、びっくりしてしまった。返歌の内容は〈衣を貸してやりたいのはやまやまだが、出家の身ゆえ、生憎、持ち合わせている衣は、この一枚だけ。だからといって貸さないのも素っ気無い。いっそのこと、二人一緒に共寝しようではないか〉というのだ。小町の大胆な誘いの歌に対して、小町以上に大胆な相手の返歌であった。小町は、そこで小坊主に訊ねた。

「あの御坊様の名は?」

雲林院遍昭様に御座います」

「えっ。それは御見逸れしました。遍昭様と気づかずの御無礼、誠に申し訳ありません。後日、改めてこのお詫びに伺いますと、遍昭様にお伝え下さい」

「はい。分かりました。お言葉を伝えておきます」

 小坊主はゆっくりと頭を下げると、引き返して行った。小町は何故、遍昭と気づかなかったのかと、雉丸を叱責した。小町は父、良実の死去の時、遍昭親子に読経してもらったり、入内してからの神泉苑での雨乞い、歌合せ等の折など、種々、御世話になった。小町が宮中から退いてからも、紀有常の葬儀などで御見掛けしていた。その遍昭在原業平の恋人であった国母、高子に接近し、その高子が生んだ陽成天皇の護持僧として、宮廷に招かれ、高子の建立した元慶寺の経営にも当たり、仏教界の統制機関『僧綱』を支配する僧正に任ぜられ、その行政手腕を縦横に振るう程の栄達ぶりであったから、小町より、役者が数段上であった。それにしても蓑など着て、あのように変相して、臨席していたのが、小町には全く理解出来なかった。

 

          〇

 その後、小町は遍昭に会おうと努力したが、中々、会うことが出来なかった。遍昭は忙しかった。それもその筈。遍昭陽成天皇の行動を正そうと躍起になって努力していた。しかし、肝心な陽成天皇は友を失った悲しみから立ち直れず、あんなに熱心だった政務も疎かになってしまっていた。太政大臣藤原基経は、このままではどうにもならないと判断し、陽成天皇に退位するよう迫った。

「私たち朝廷に仕える者は、これ以上、帝にお仕え出来ません。今、必要なのは世間の帝に対する悪評を払拭し、新しい体制を確立することです。直ちに退位すべきです」

 それは陽成天皇に対しての命令であった。陽成天皇にとって受け入れ難いことであったが、今の無様な自分のことを考えれば当然のことであった。陽成天皇は退位を決めた。それを知り、陽成天皇の母、高子は勿論のこと、学者、橘広相菅原道真らは愕然とした。その後の天皇を決める会議は紛糾した。本来なら、陽成天皇の弟、貞保親王が推挙される立場にあったが、この弟も業平の血を引く者かも知れないと疑った基経は、陽成天皇に懲りて、貞保親王を避け、仁明天皇の第三皇子、時康親王、五十五歳を推薦した。それに対し、源融は反論した。

「時康親王嵯峨天皇から見れば孫である。ならば嵯峨天皇の子である自分の方が血筋が濃い。時康親王を候補とするなら、この融の方が天皇になるべきである」

「何を申されるか。姓を賜った者が帝位に就いた例は御座らん」

 基経は源融の意見を厳しく退けた。かくして時康親王が光考天皇として即位した。退位した陽成天皇は、母、高子と共に二条院に移ることになった。それに従い、陽成天皇にお仕えしていた者たちは、別の仕事に移った。遍昭も護持僧で無くなり、気楽な立場に戻った。

 

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 そんなことから小町は、五月になって漸く遍昭に会うことが出来た。小町は遍昭に指定された大和国石山寺に詣で、そこで遍昭と再会した。小町は遍昭に会うと、清水寺での無礼を詫びた。遍昭は変装していた自分が悪いのだと言って笑った。またかって美しい小町を見て、落馬した時の思い出話などもした。遍昭は小町に諸々、話してから、この世の無常を諭した。

  散りぬれば 後は芥になる花を

  思ひしらずも 迷ふ蝶かな

 この遍昭の歌に、小町は心打たれた。遍昭のいう芥になる花とは自分であった。蝶にちやほやされ、舞い狂って落下する花は、小町自身であった。小町は石山寺に咲く桃の花を見て詠った。

  花の色は 移りにけりな いたづらに

  わが身 世にふる ながめせしまに

 そこには徒に花を眺め暮らしているように、あたら青春を過ごしてしまい、自分自身の容色が衰えてしまったと嘆く、小町の無常観があった。遍昭は、その小町の歌をこれまた素晴らしいと思った。それから二日後、小町は遍昭の力を借り、出家した。彼女は有髪のまま行脚姿となって出家した。そして石山寺を後にした。

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花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに