幻の花 ~ 第三十二章 鸚鵡小町 

 寛平四年(八九一年)小町は、かって四の宮、人康親王に仕えていた盲目の蝉丸が、曽祖父、小野岑守が創建した関明神にて琵琶の演奏をしているというので、思い出の逢坂の関に出かけた。尋ね尋ねして逢坂山の麓に行くと、人康親王からいただいた琵琶の名器を大切にしている蝉丸に再会することが出来た。二人は懐かしさに涙を流し、喜んだ。蝉丸は盲目の琵琶法師ということで、地元で大事にされていた。蝉丸は小町の為に、琵琶の演奏を聴かせてくれた。その美しい演奏を聴き、小町は山科で過ごした四の宮との日々を懐かしく思い出した。蝉丸の演奏が余りにも素晴らしいのと、あたりの風景に心を癒されたことから、小町は鞍馬山の青蓮寺に戻らず、一時、この地に移り住むことにした。当然ながら、都から遠くなり、訪ねて来る人々も少なくなって快適だった。これが小町の隠遁生活の始まりとなった。

 

          〇

 寛平五年(八九三年)若い宇多天皇は大納言、源能有に自分の趣味の手助けをして欲しいと、次のような内容を依頼した。

「朕は和歌の道に心をかけ、あまねく歌を撰じて来たが、朕の心に叶うような歌が少ない。かの並び無き歌の上手、小野小町が年老いて近江国の関寺あたりにいると噂に聞いている。その小町に朕の歌を送り、その返歌の出来栄えにより、重ねて小町に歌題を与え、都で歌を詠ませようと思うが、どうであろうか。申し訳ないが、小町を捜し求め、宣旨を告げてくれぬか」

 真面目な大納言、源能有は、宇多天皇の願いを受けて、関寺にいるという小野小町を自ら捜しに出かけた。逢坂の関あたりから湖畔に至るまで、あちこち尋ね歩いたが、小野小町は見つからなかった。自ら出張って来て、見つからなかったと天皇に奏上する訳にもいかず、能有は困惑した。途方に暮れていると、近くのあばら家から、不思議な歌を唄う老婆が外に出て来た。

  身はひとり 我はたれをか 松坂や

  四の宮河原 四っの辻

  いつまた六つの巷ならん・・・・・。

 能有は、この老婆を怪しく思い、その顔を覗き込んだ。能有は老婆の顔を見て驚いた。その顔に見覚えがあった。目の前の老婆こそ、能有が探し求めている小野小町に相違なかった。かっての昔、歌に優れた絶世の美女と騒がれていた当時、芙蓉の花のようであった小町の姿も、今ではもう泥濘の草のように皺くちゃになって、見るも哀れな面影であった。あの美しかった面輪も今は憔悴して衰え、艶やかだった肌も梨の皮のようであった。腰が曲がり、杖をつく腕にも力が無かった。そんな姿で盲目の琵琶法師を相手に人を嘆き、身を恨み、泣いたり、笑ったりの精神不安定な尼僧のような老婆は、人々の目に、狂人と映ったに違いない。老婆は尚も唄い続けた。

  去りとては、捨てぬ命の身にそひて

  捨てぬ命の身にそひて 面影につくも髪

  かからざりせば かからじと、 

  昔を恋ふる忍びねの

  夢は寝覚めの長きよを、

  あき果てたりな、わが心

  あき果てたりな わが心

 源能有は、まさにこの老婆こそ、小野小町に相違ないと思った。念の為、老婆に問うてみた。

「汝はもしや小野小町様ではありませんか?」

 その能有の問いに対し、老婆は唄うのを止め、能有を見て、にやりと笑った。

「私は仏門に帰依する尼、月心に御座います。御見かけ致しますところ、宮中の人かと思われますが、何事で御座いましょうか」

「私は大納言、源能有である」

「大納言様?」

 老婆は、良く見えぬ目で能有を見ようとした。あの清和帝の兄の能有が、こんな所まで何故、訪ねて来たのか、老婆には全く理解出来なかった。

「帝の命令で、小町様に会いに来た。ところで月心、汝は何処に住んでいるのか」

「誰、引き止める人もありませんが、この山陰のあばら家で日数を送っております」

「ほほう。ここに住んでいるのか。成程、ここら辺りは都からそう遠くも無く、閑居するには確かに面白い所じゃ」

「左様に御座います。関寺の門前には牛馬の通う広い道があり、貴人も往来しますし、貧しい人も通って行きます。托鉢するにはもってこいの場所です」

「それに後方には霊験の山が高く聳えている」

「しかも道も無く」

「春は」

「春霞」

 ここまで話がはずむと、老婆は再び唄い出した。

 立出でみれば 深山べの

 立出でみれば 深山べの

 梢にかかる 白雲は、花かと見えて面白や。

 松風が匂ひ、花散りて、それとばかりに白雲の

 色香おもしろ、気色かな。

 北に出づれば 湖の 志賀唐崎のひとつ松

 身のたぐひなる物を 

 東に向かへば 石山の観世音。

 瀬田の長橋は狂人の つれなき命の 

 かかるためしなるべし。

 能有は唖然とした。年老いても昔のことを思い出し、唄い狂う老婆の姿は、まだ尼になりきっていないように思われた。まるでこの世の未練の塊だ。気は確かなのだろうか。能有は訊ねた。

「都に行かれることはありますか?」

「はい。ふと都での生活が恋しく思われることがあります。そんな時は柴の庵に留める友もいないので、頼り無い杖にすがって、都大路に出かけて、物乞いをします。乞い得ぬ時は再び関寺のこの涙のあばら家に戻って参ります」

 能有は年老いた老婆の話を憐れんで聞いた。老婆が生活に不自由しているのが分かった。能有は、そんな老婆に、おもむろに問うた。

「さて、月心。汝は今も歌を詠むのか」

 すると老婆は顔を曇らせた。

「いいえ。かっての昔は多くの歌人たちとの交わりもあり、ことによそえて、沢山の歌を詠みもしましたが、今は芒の穂に更に霜がかかったような白髪老衰の有様で、詠歌も忘れ、憂世に生きながらえているばかりです」

「年寄りになれば最もなことであるが、そんな汝のことを思い、帝が御憐れみの御歌を汝に下された。これを御覧下さい」

 能有がそう言うと、老婆は庭の地べたにひれ伏して、涙を流した。

「帝よりの御憐れみの御歌とは有り難いことに御座います。恐れ入りますが盲目同様のl老尼の為に、帝の御歌を御披露願います」

「そうだったな。さらば聴き給え」

 能有は宇多天皇の御製の歌を老婆に読んで聴かせた。

  雲の上は 有りし昔と変わらねど

  みし玉だれの 内やゆかしき

 その宇多天皇の御歌を能有は二度、読んだ。老婆はじっくりと、御歌を聴いた。そして能有に告げた。

「面白い御歌を賜りましたが、古き時代の歌の流風を守って歌を詠むべきでは御座いません。だからといって帝からの御歌に返歌しないということは畏れ多いことと存じます。この歌の返歌は只、一文字のみ変えて、お伝え申し上げます」

「何と不思議なことを。三十一文字をつらねても、心の足らぬ歌があるというのに、一文字で返歌とは如何なることか。頭が変になったのではないか」

「そうかも知れません。まずはお聞き下さい」

 小町は、そう言うと、能有に返歌を詠んで聴かせた。歌を繰り返した。

  雲の上は 有りし昔と 変わらねど

  みし玉だれの 内ぞゆかしき

 まさに、それは『ぞ』という一文字の返歌であった。『ぞ』という一文字の変化で、歌の雰囲気が全く変わっていた。老婆は、びっくりしている大納言、源能有に論じた。

「これが他人からの歌の文字を一つか二つ変えて、我が歌として返す、鸚鵡返しというものです。畏れ多い帝の歌を奪い取るなどということは、天罰を被るように恐ろしいことですが、これも和歌の道のことなれば、神もお許しになられる筈です。このように身分の低い私が、帝のような高貴な方々と交われるということは、和歌道ならではのことです。この鸚鵡返しには由来があります。それは鳥の名から来ています。鸚鵡という唐にいる鳥の名前です。その鳥は人間の言葉を受けて、人間の言葉を自分の囀りにしてしまうのです。花と言えば花と応えます。風と言えば風と応えます。何々と言えば何々と応えます。この鸚鵡のような返歌を鸚鵡返しというのです。今の私には、このような鸚鵡返しは出来ますが、かっての昔のような歌を詠む能力は御座いません」

 能有は老婆の和歌に対する造詣の深さに感心した。異国の文学に精通しながらも、自国の言葉を使い、自国の調べにより、自分の心を素直に表現する彼女の和歌道への心酔は、男女の差別無く、見習うべきものであった。そんな小町であろう女が、このような山里で、一人ひっそりと、死が来るのを待って、日数を過ごしているのを見て、能有は哀れに思った。かって弟、清和天皇同様、自分も小町に憧れた時代があった。初めて見た時の小町は妖精のように輝いていた。その唇は桃花が雨を帯びたようで、実に魅力的であった。長い黒髪と柳のようにたおやかなる身体をした小町は、自分と同じ年齢であるにもかかわらず、大人の色気を持っていた。その優れた美貌と女らしい歌を詠んで、多くの男心をそそった。月を愛で、花を愛で、美しい舞いを見せた小町。まさに彼女は賞賛すべき余情の花であった。そんな憧れだった小町とうって変わった眼前の色気を失い憔悴した小町を見る時、能有は自分も老いたことを忘れて、たとしえ難い哀れさにつつまれた。そして貞観の時代、草紙洗小町を見た時のことを思い浮かべ、老婆に法楽の舞いを請願してみた。老婆は快く、引き受けて舞った。老婆の舞いが始まるとともに何処からか琵琶の音が舞いに合わせて演奏された。

  都をば まだよをこめて 稲荷山

  くずはの黒も 浦ちかく

  和歌 吹上に さしかかり

  玉津島に参りつつ 玉津島に参りつつ

  業平の舞の袖 思日巡らす 忍ぶ摺

  とくさ色の狩衣に 大もんに

  はかまのとばをとり かざえぼし めされつつ

  和光のひかり 玉津島

  廻らす袖や 浪がへり。

  わかの浦に しおみちくれば かたをなみ

  あしべをさして たず鳴きわたる。

  立つ名もよしや 忍び寝の

  立つ名もよしや 忍び寝の

  月にはめでじ 是ぞこの

  積もれば久の老ひとなるものを

  かほどに早き 光のかげの 時人またぬ

  ならひとは しら浪の あら恋しの昔やな。

 能有と同じ四十九歳の姥桜とはいえ、老婆の舞いは実に華麗だった。能有は舞いを見せてもらい、月心に深く礼を述べた。やがて日も暮れ始めた。大納言、源能有は老婆の返歌を大切にしながら、さらばと言って都へ帰って行った。老婆は宇多天皇の御歌を左手にし、右手に杖をついて、能有と立ち別れしてから、木陰に隠れていた琵琶法師と一緒に、直ぐ近くの柴の庵へ入って行った。

 

          〇

 宇多天皇は大納言、源能有から落ちぶれた小町の話を聞き、鸚鵡返ししか出来ないのかと、都に呼び戻すことを諦めた。小町は大納言、能有が都に招いてくれるのではないかと期待していた。しかし何時まで経っても、お召しの迎えは来なかった。小町は清和天皇をはじめとする多くの男たちにもてはやされた昔を偲び、仏に仕える身であるというのに、現在の哀れな姿が悔しくて、悔しくて仕方なかった。小町は悲しさを紛らせる為、出羽や肥後に赴いた時のことを回想しながら、野山をさまよい歩いた。また心が冷静な時、関寺まで足を向け、人の苦の本質である煩悩の火を焼き尽くし、知恵を完成させ、悟りの境地を得ようとする釈迦の説法を耳にした。そしてまた、自分に気をかけていてくれた道真と疎遠になってしまったことを嘆いた。

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雲の上は 有りし昔と 変わらねど 

みし玉だれの 内ぞゆかしき