波濤を越えて『仲哀の巻』③

■ 熊襲討伐とその結末

 

 仲哀七年(388年)、筑紫の香椎宮を王都とした仲哀天皇は、岡県主、伊都県主ら筑紫の豪族らとの地盤固め行い、大和王朝と強調し、軍事力強化を図り、二年経過した仲哀九年(390年)九月五日、朝堂に重臣たちを集め、熊襲討伐を話し合った。

「朕は皆の協力を得て、香椎の宮に落ち着くこと二年、この地にも慣れたので、いよいよ邪馬台国を滅ぼした熊襲との戦いを始める。知っての通り、熊襲の首領、羽白熊鷲は伽耶、夏羽、土蜘蛛らを従え、その兵力は強大だと聞く。そこで朕は、羽白熊鷲攻略方法について、皆の意見を訊きたい。蘇我石川が、意見の司会を務めよ」

 仲哀天皇の御指示に従い、蘇我石川が司会役を務めた。

「大三輪鴨積殿は熊襲攻略方法について、如何、考えられますか?」

 指名された大三輪鴨積は、その問いに答えた。

「私は先ずは羽白熊鷲に使者を送り、大和王朝に従うよう説得してみては如何かと考えます。これだけの大和王朝軍団の兵力を知れば、流石の羽白熊鷲も降参して参りましょう」

「果たして、そう簡単に行くだろうか。それなら、陛下が筑紫に入られた時、直ぐに、和睦の使者を送って寄越しても良かろうに・・・」

 蘇我石川はそう言ってから、物部胆昨に訊いた。

「物部胆昨殿はどう考えられますか?」

「私は船を使い日向に兵を上陸させる一方、筑紫から繰部へ兵を送り、南北から熊襲を挟み撃ちするのが、早期、決着かと考えます」

「それは中々、良い考えだ」

 仲哀天皇は物部胆昨の意見に感心した。負けじと中臣烏賊津が具申した。

「私は邪馬台国を滅ぼした熊襲伽耶人を使い、新羅と密接に繋がっているので、新羅からの武器の流入を押さえるべきだと思います。新羅からの応援が無ければ、熊襲など、何ら恐れるに足りません」

 中臣烏賊津の意見は新羅の脅威を気にしての発言だった。蘇我石川は大伴武持に訊いた。

「大伴武持殿は如何、考えられますか?」

「私は物部胆昨殿と同じく南北からの包囲戦で行くのが、有利だと思います」

 すると司会をしている蘇我石川に仲哀天皇が意見を求めた。

「石川。お前は、どう考える?」

 すると石川は自分の意見を出さず、その答えを、黙ってじっと聞いている神功皇后に振った。

「私は神功皇后様を通じ、邪馬台国天照大神様のお告げを聞き、その御指示に従い進行するべきだと思っています」

 それは巫女、神功皇后の面目を考えての発言であった。皇室には邪馬台国の邪馬幸王の娘、卑弥呼、台与呼、多磨呼、穂乃子と続いて来た神託を伝える巫女の系譜が今も存在していた。神功皇后は、その役目を継承していたのである。仲哀天皇は、蘇我石川の意見も一理あるなと思い、神功皇后に目をやった。

「帯姫。石川の言うように朕も、大神様の声を聞きたい。聞いてくれるか」

「では聞いてみましょう」

 そう答えて神功皇后は窓辺に行き、両手を空に挙げ、眼を異様な程、大きく見開き、首飾りを擦りながら、願い事を唱え、全身を震わせ祈祷した。自由意志を捨て、自らを神への犠牲者に仕立て上げ、神への祈りに没頭し、神が乗り移ると神功皇后は金切り声を上げ、忘我状態になった。その神が乗り移った神功皇后仲哀天皇は訊ねた。

「帯姫、大神様のお告げは、何と?」

 神功皇后は、神に憑かれた目をして、朝堂にいる仲哀天皇をはじめとする重臣たちに向かって神託を告げた。

「皆が攻めようとしている熊襲は、荒れに荒れた山岳を含む痩せ衰えた不毛の地である。戦いに勝っても、得になるものは何も無い。それよりも海の向こうに宝の国がある。その国は遥か海の彼方にうっすらと処女の眉のように見える国で、金、銀、錦など、あらゆる財宝に溢れ、輝くばかりである。その国の名は新羅国という。今、この向津媛を祭り、新羅国へ侵攻すれば、刃に血を塗ることも無く、新羅王は降伏するし、その手先である熊襲もまた、それに倣い服従する。祭のお供えは仲哀天皇の御船数隻と穴門直践立に譲ってもらった太田の水田を献上すれば良い」

 仲哀天皇は、その神託を聞き、驚愕した。

「帯姫。それは本当に大神様の御言葉か?信じられない」

「この向津媛を信じられぬなら、裏山に登り、自分の目で海を眺めよ」

「分かった。一同の者、しばし待たれよ。朕は海を眺めて来る」

 仲哀天皇は、護衛数人を引連れて裏山に向かった。津守住吉は神功皇后の何時もの幻覚症状であると思った。会議の席は静まり返った。蘇我石川が虚ろ目の神功皇后に質問した。

「あの裏山から本当に新羅国が見えるのですか?」

天照大神様に仕える女神の言葉を信じよ。この向津媛には、総てが見えるのじゃ」

 窓辺にいた大三輪鴨積が言った。

「陛下が裏山の丘上に立たれました。遥か大海を眺めておられます」

 一同が窓辺に移動し、裏山の丘の上を眺めた。その間、神功皇后は、中央の席に戻り、静座し、無言のままだった。

「陛下がお戻りになります。新羅の国が見えたのでしょうか?」

 仲哀天皇が裏山を駈け下りて来るのが、窓辺から見えた。随分と急いでいるように見受けられた。やがて仲哀天皇が護衛と共に会議の部屋に戻って来た。

「一同、御静粛に!」

 蘇我石川の言葉に一同は静まった。中央の席に戻った仲哀天皇は隣に座る神功皇后を憤慨した顔で睨みつけた。

「裏山の高い丘に登って見渡したが、海ばかりで、何処にも国は見えなかった。何処に新羅国があると言うのか?どうして神様は朕を欺くのか?皇祖の諸天皇は勿論のこと、朕もまた、ことごとく皇祖の神祇をお祀りして来た。女神よ。貴女は何処に残っておられる神様であられるのか?」

「先に申した通り、私は天照大神様に仕える向津媛である。水に映る影の如く、天上から自分が見降ろしている鮮明な国を、汝はどうして国が無いと言って、神の言葉を謗るのか?汝は神の言葉を信じない為、国を保つことは出来ない。但し、今、妃の胎中にある汝の御子は汝が亡くなった後、国を得ることが出来よう」

 神功皇后の女神に憑依した霊言を耳にして仲哀天皇は苛立ち、こめかみに青筋を立てた。

「帯姫。それは真実、天照大神に仕える神様の御神託か?」

「信じるも信じないも、汝の勝手。信じられぬなら、自分の好きなように成すが良い。汝の身体は汝のもの。自分の運命をどうしようと、それは汝の勝手です」

 神憑りした神功皇后の言葉は冷厳非情であった。仲哀天皇は愕然とした。神功皇后の言葉とは思えなかった。蘇我石川が、傍から仲哀天皇に助言した。

「陛下。天照大神様に仕える向津媛様に神憑りしての神功皇后様のお告げです。守らねばなりません」

 仲哀天皇は皇室女神の神託を崇拝する蘇我石川の助言に耳を貸さなかった。

「朕は朕の目を信じる。海の向こうに国は見えなかった。朕は物部胆昨や大伴武持の意見を採用し、熊襲を攻撃する」

「汝は天照大神様のお告げに逆らうというのですね」

「朕は朕を信じる。新羅などの異国を気にしていては、熊襲討伐は出来ぬ。物部と大伴は直ちに準備を始め、日向へ回れ!」

 指名された二人の重臣仲哀天皇の前に進み出た。武人として戦場へ向かう緊張が、二人の顔に現れていた。

「物部胆昨、御下命により、早速、日向に参る仕度を始めます」

「大伴武持も日向へ同行する準備を致します」

 会議の部屋は熊襲討伐に盛り上がった。その盛り上がりの声に、神功皇后は覚醒した。仲哀天皇は、神功皇后の神託をせせら笑うかのように、一同に下知した。

蘇我、大三輪、それに吉備は、朕に従う準備を始めよ。息長、葛城、中臣、津守は、ここにいて大和との連絡を密にし、皇后を守るべく、守備を固めよ。朕は新年早々、伊都県主らに案内してもらい、筑紫から繰部へ向かい、日向へ進軍した物部、大伴軍と南北から熊襲を挟み撃ちにする。これで熊襲攻撃方針は決定した。よって、これにて本日の軍議を終了する。各々、持ち場に戻り、部下に詳細を支持し、行動を開始せよ」

「ははーっ!」

 神功皇后は、そう言って得意満面の下知をした仲哀天皇を冷たく見やった。夫は何故、天神を冒涜するような行動を採られるのか。この日を境に仲哀天皇の周囲はしきりに事を急いだ。それは、年末、安曇磯良と武宗方の船団が、物部、大伴の兵を乗せ日向に向かい、いよいよ戦闘開始体制に入ることが確実になったからであった。

 

 

          〇

 仲哀十年(391年)正月、仲哀天皇軍は熊襲を征伐する為、先ずは熊襲新羅の援軍を迎え入れているという肥乃国に攻め入った。仲哀天皇軍には、蘇我石川、大三輪鴨積、吉備鴨別をはじめ、地元の豪族、岡県主熊鰐や伊都県主五十迹手が従った。いよいよ決戦の火ぶたがきられると、松浦県主鷹鹿文の軍勢が馬にまたがり、攻め寄せて来た。しかし、少勢であった為、仲哀天皇軍の大軍に押され、熊襲軍が加勢に来ても、徐々に後退せざるを得なかった。そうして数日後、慌てて駈けつけた熊襲の羽白熊鷲を、吉備と大三輪の軍隊が、背振山まで追い詰めた。仲哀天皇は後方にあって、その様子を窺っていた。菊の御紋章旗を掲げた仲哀天皇蘇我石川に尋ねた。

「石川。敵と戦っているというが、騎馬兵が逃げ去り、今、敵はいずくにいるのじゃ」

 すると蘇我石川が直ぐに答えた。

「あの山の頂の幟が見えませんか。あれが羽白熊鷲が率いる熊襲の軍隊です。彼らは遠くから私たちの動静を窺がっているだけで、攻め込んで来ようとはしません」

「何故じゃ?」

「彼らは私たちの隙を高い所から窺っているのです。また新羅の援軍に分かるように山頂で旗を立てているのです。あそこで攻撃の機会を狙って静かに待っているのです」

 蘇我石川の説明を聞いて、仲哀天皇は焦った。新羅の援軍が本当にやって来るのか。何とかならないものかと、仲哀天皇は狼狽えた。

「大三輪軍はどうしているのじゃ。直ちに山に駈け上り、何故、羽白熊鷲を捕えないのか?」

「彼らは以前から松浦県主鷹鹿文と共謀し、山の上に沢山の武器を準備していたようです。今は、私たちが攻め上がって来るのを上で待っているのです」

「そんなことで怖気づいているようでは戦さにはならぬ」

「大三輪軍は馬から降りて、枯れ葉色の軍服に着替え、徒歩にて山頂にいる敵陣に向かっているとのことです。間もなく山頂で戦さが始まる筈です」

 蘇我石川は伝令が伝えて来る事の成り行きを、事細かに仲哀天皇に報告した。それを聞いて、仲哀天皇は安心した。

「朕は、この麓の谷間から山頂を眺めていれば良いのじゃな」

「はい。総ては、この石川と鴨積、鴨別殿に、お任せ下さい。私たちは可能な限り、敵に接近し、山頂に行く途中にある敵の砦、数か所に一斉に火を放つ計略です。我が兵により放火された数か所の砦から燃え上がる炎は山頂に向かい、上へ上へと燃えて行く筈。山頂に布陣する羽白熊鷲や鷹鹿文らは、その時になり、焼き殺されることに気づき、命からがら、必ずや下山して来ることでしょう。それを我らが軍勢で一網打尽にするのです」

「それは恐ろしく見応えのある作戦じゃ」

 更に蘇我石川は語った。

「陛下。御覧下さい。左の中腹、正面の中腹、右の中腹からの合図。こちらからの合図。お見えになりますか?」

 仲哀天皇蘇我石川が指を向けて示す山の中腹、数か所に目をやった。何と眩しい光が背振山の中腹からこちらに向かって合図しているではないか。

「あのキラキラ光っているのが合図か?」

「左様に御座います。白銅鏡に太陽の光を当て、反射させているのです。この合図を受けて大三輪と吉備と蘇我の兵が山の中腹の砦に向かって、一斉に矢を放ち、砦を奪い取り、砦に火を放ちます」

「本当だ。山の中腹に喊声が上がり、弓矢が空中に舞い上がったぞ」

 仲哀天皇は眼前の戦況を目にして興奮した。石川は得意になって説明した。

「御覧下さい。中腹の砦に火の手が上がりました。冬枯れの野火の広がりは早いです。風に煽られ、山の上へ上へと野火は燃え広がります。間もなく寄せ集まった野火は猛火となり、山頂の熊襲を火あぶりに致します」

「凄い火の勢いじゃ。煙と炎があちこちから立ち昇り、空を埋め尽くしそうじゃ」

 感動している仲哀天皇の前に伊都県主五十迹手が進み出て言った。

仲哀天皇様。伊都県主、只今より、仲哀天皇様と蘇我石川様を背振山の戦場に御案内致したいと思っております。私は、このあたりの地理に詳しく、煙の中でも迷うことなく、お二人を羽白熊鷲の所へ御案内することが出来ます。如何、なされますか?」

 五十迹手の言葉に仲哀天皇は微笑した。

「羽白熊鷲の奴、今頃、朕に背いたことを後悔しているであろう。炎に包まれ、泣きわめいているであろう。五十迹手、早く朕を現場に案内してくれ。朕は羽白熊鷲の悲鳴を聞きたい。朕に跪く彼の泣き顔をみたい」

「陛下。それはなりません。もうしばらく様子を見てから出向いては如何、でしょうか?」

 先を急く仲哀天皇蘇我石川が諫めた。しかし、早くも勝利したと思い込んだ仲哀天皇は石川の忠告に耳を貸さなかった。

「何を言うか。そんな悠長なことをしていたら、羽白熊鷲は焼け焦げてしまい、その顔を見ることも、その声を聞くことも出来なくなってしまうではないか」

仲哀天皇様の言う通りです。さあ、こちらです。御足元に気をつけて下さい」

 伊都県主五十迹手は、仲哀天皇蘇我石川の部隊を山の中腹へと案内した。

「随分と石の多い道だな」

「途中まで騎馬で行けば足も痛みません。私が案内しますので、、そのまま馬にお乗りになってお進みください」

 仲哀天皇の一行は山の麓から山の中腹目指して進行した。冬枯れの林は遮るものが無く、負傷兵が逃げて来るのが良く見えた。また物凄く暴れ回って来た味方が、突然、近くに来て倒れたりした。驚いて蘇我の兵が駆け寄ると、味方の兵は息も絶え絶えに報告した。

「羽白熊鷲が暴れています」

 彼は、そう伝え終わると気を失った。それを聞いて仲哀天皇は笑った。

「山の中腹が益々、騒がしくなって来ている。羽白熊鷲の奴、逃げ場を失い、暴れまくっているようだな」

 仲哀天皇の言葉に石川が答えた。

「どうなのでしょう。吉備の兵も、大三輪の兵も私の部下も、まだ戻って来ていません。予想外の激戦になっているのかも知れません」

 心配する石川を気にして五十迹手が言った。

「なあに、今頃、熊鷲は吉備鴨別殿に捕らえられているに違いありません」

 五十迹手が笑い、仲哀天皇も笑った。ところが次の瞬間、仲哀天皇が突然、大声を上げた。

「あうっ!朕の顔に矢が」

「あっ、仲哀天皇様!」

「陛下、陛下!」

 蘇我石川は、そう叫んでから、恐怖の顔で周囲を見やった。仲哀天皇が呻いた。

「顔、顔をやられた」

 仲哀天皇は叫びながら、自分の手で突き刺さった矢を引き抜いた。真紅の血が噴き出した。石川は吃驚した。

「五十迹手。陛下の顔を布で隠せ。人に気づかれぬよう、顔に布をグルグル巻いて、直ちに香椎の宮に戻ろう」

 石川は直ちに退却を決めた。その逃げようとする仲哀天皇たちめがけ、敵の弓の名人たちが狙い定めて強弓を射放したからたまらない。その毒矢は仲哀天皇蘇我石川たち護衛兵に当たり、馬からどっと落ちる者もいた。顔の手当てをした仲哀天皇も馬に跨ったものの、今にも転げ落ちそうであった。

「石川、苦しい」

 それを見て、蘇我石川は馬を降り、馬から落ちそうな仲哀天皇を馬上から救い上げ、自分の馬に乗せ換えた。

「陛下。御辛抱下さい。この石川、陛下を私の馬に乗せ、香椎の宮に戻ります。私の馬に括りつけてお運び致しますが、ほんの少しの間、我慢して下さい」

「香椎の宮の方角はこちらです。私に続いて下さい」

 五十迹手が一同を案内した。傷ついた仲哀天皇の一団は、命からがら、香椎の宮に向かって馬を走らせた。途中、蘇我石川は五十迹手に言った。

「五十迹手。陛下が負傷したことは、お前と私と、ここにいる者だけの秘密じゃ。総ては皇后様にお会いしてから相談する。それまで、部下にこのことを他言せぬよう遵守させよ。良いな」

 蘇我石川は五十迹手に秘密の厳守を伝えた。

「分かっております」

 五十迹手は秘密を漏洩しないことを約束し、蘇我石川と共に、その旨を部下に命じた。そして仲哀天皇たちは、やっとのことで、香椎の宮に辿り着くことが出来た。

 

 

          〇

 二月六日、仲哀天皇は、肥乃国の戦場から香椎の宮に戻った。神功皇后は負傷した仲哀天皇を見るや、天皇にすがりついて泣いた。仲哀天皇の手を強く握り涙を流し、激しい顔つきで蘇我石川を叱責した。

「石川。お前が付いていながら、何と配慮の無い戦さをされたのです。何故、敵の矢を防御することが出来なかったのですか?」

「申し訳、御座いません。煙の中から喊声が上がり、我軍、有利と判断したのが誤りでした。陛下が、炎の中で苦しむ羽白熊鷲の困窮した顔を見たいと仰有られたものですから、敵に接近したのがいけなかったのです」

「言い訳は無用です。大君様を射た矢は、この鷲の羽根の付いた矢。熊襲の羽白一族の物に相違ありません。こうなったからには許す訳には参りません。和解など、考えません。熊襲を徹底的に攻撃し、全滅させてみせます」

 神功皇后の怒りは激しかった。激怒する皇后に、負傷した仲哀天皇が苦しみながら声をかけた。

「帯姫。お前が神憑りしてお告げした言葉に逆らったのがいけなかった。罰が当たったのじゃ。残念だが、朕の命はこれまでじゃ。頼みは、お前と、その胎中にいる朕の子じゃ。もし、その子が男子であったならば、朕の後継者として育てよ」

 神功皇后は、涙をとどめ、仲哀天皇の手を握り直して言った。

「こんな大事な時に何を申されます。あなたは一時も早く、傷を癒し、熊襲討伐は勿論のこと、新羅を倒し、辰国を復活させ、倭国に凱旋せねばなりません。そして筑紫から大和に戻り、倭国王として大八島に平安をもたらし、聖王となるのです」

 しかし、あんなに雄々しかった仲哀天皇であるのに、今や心弱さを隠すような元気さは失われ、息も絶え絶えだった。

「朕の身体のことは、朕が一番良く分かっている。朕の命は毒矢に当たり、最早、幾許も無い。もし男子が生まれて来たなら、朕と異なり、神様を崇め、神様の命に応じる素直な皇子に育てよ。そして名を応神と呼べ」

「そんな弱気で、どうするのです。あなたは大和に帰り、倭国の聖王となるのです」

「・・・・・」

 仲哀天皇神功皇后の語りかけに返答をしなかった。

「大君様。如何、なされました?」

「・・・・・」

「陛下、陛下」

 蘇我石川の問いにも仲哀天皇は答えなかった。

「あなた、どうなされたのです?」

 神功皇后の顔色が変わった。神功皇后仲哀天皇の手を揺すり、叫んだ。

「何か仰有ってください」

 叫ぶ神功皇后に中臣烏賊津が近寄り、一礼し、そっと告げた。

「皇后様。陛下は只今、身罷られました。お静かに眠らせてやって下さい」

「そ、そんな。そんな惨い話が・・・」

 神功皇后は気が狂いそうだった。神功皇后にとって仲哀天皇は、世界でただ一人、対等に意見を述べ合える伴侶であった。その愛しい人が、身罷られたとは、何という不幸か。嘆き崩れる皇后を中臣烏賊津に続いて、津守住吉がお慰めした。

「皇后様。烏賊津殿の言う通りです。お静かにしてあげるのが、陛下の為であり、皇后様の為でもあります。お気持ちをお鎮め下さい」

 神功皇后には哀しみの余り、返す言葉も失っていた。蘇我石川が落ち着きを取り戻し、慟哭する皇后に具申した。

「皇后様。お哀しみは分かります。しかし今、皇后様にとって、一等大事な時です。陛下が身罷られたことを、部下に覚られてはなりません。総てを秘密にせねばなりません。ここにいる数名を、陛下の亡骸と共に、穴門の豊浦へ送り、秘かに殯の宮を建て、ことが他に洩れぬよう、陛下の喪を秘さねばなりません」

 中臣烏賊津も同意見だった。

蘇我石川殿の言う通りです。ことが羽白熊鷲に知れれば、彼らは益々、自信を深め、新羅の軍隊を倭国に送り込んで来ます。そればかりではありません。出雲襲櫛とて、彼らと手を組み、倭国奪取に寝返るかも知れません」

 中臣烏賊津も蘇我石川同様、天皇薨去を秘密にするべきであると訴えた。神功皇后は側にいた津守住吉に目を向けた。住吉は何も語らず、頷いた。それを確認して神功皇后蘇我石川の方に目を向け答えを出した。

「両名の意見は最もだと思う。大君様の崩御は内密にしておきましょう。穴門践立に命じ、殯の宮のこと、一切を秘密裏に行うよう指示しましょう」

「それが得策。このことを知る者は、ほんの数名。穴門一族には、このことを口外せぬよう伝えましょう。只今は、熊襲を成敗することが先決です」

 石川の言葉を受けて、美しい神功皇后の顔立ちの中に厳しく張り詰めた気迫が浮かび上がった。神功皇后は頷いた。

「今日からは、この帯姫が総指揮を執ります。大君様は大和にお帰りになられたことにしましょう。いよいよ、控えていた息長一族、葛城一族、中臣一族の出番です。蘇我石川と共に皆さん、頑張って下さい」

「はい、皇后様。我ら一同、頑張ります。我らは最も強力な騎馬の民。数日で熊襲を滅ぼして御覧に入れます」

 中臣烏賊津は蘇我石川らと共に熊襲を討伐することを神功皇后に誓った。

 

 

          〇

 それからというもの、神功皇后軍は大和からの兵を更に動員し、力を整え、先ずは層増岐野で松浦県主鷹鹿文を捕え、彼の家来に手引きをさせ、熊襲へと進軍した。三月二十日、神功皇后の大軍は、層増岐野から繰部に攻め入った。それに対し、羽白熊鷲軍も激しく対抗した。激しい戦いは二十二日の夕方になっても、勝ち負けが決まらなかった。神功皇后は,苛立った。自分が率いる剛健な皇軍熊襲が勝てる筈が無い。そう思っているところへ、中臣烏賊津が戦況報告に現れた。

神功皇后様。中臣烏賊津、戦況報告致します」

「ご苦労様。戦況は如何ですか?」

「喜んで下さい。皇后様に御指名をされた吉備鴨別殿は、熊襲鷹取山に追い込み、山中にて熊襲と対戦しました。熊襲は凶暴で、山の上から岩を落下させたり、樹木の上から襲って来たり、吉備軍を散々、苦しめたとのことです。しかし鴨別殿は粘ばりに粘ばり、応戦し、わざと徐々に兵を後退させたとのことです。熊襲は、その皇軍が後退するのを見て、山の上から一斉に追い打ちをかけ、吉備軍の大将、鴨別殿を捕えようとしたそうです」

 それを聞いて、神功皇后は思わず危惧の言葉を口走った。

「そんな事をして、鴨別は、捕らえられたのか?」

「いいえ。鴨別殿は上手に熊襲をおびき寄せ、山中から平野に出て来た頃合いを見計らって、息長、葛城軍に合図し、隠しておいた騎馬軍団を殺到させ、熊襲の連中を取り囲んだそうです」

「敵を取り囲むことが出来たのじゃな」

 烏賊津の報告に神功皇后の顔に笑みが浮かんだ。しかし、烏賊津の顔は笑いを見せず、厳しい顔だった。

「はい。ところが、敵将、羽白熊鷲が姿を現し、貴奴を捕えようと接近した蘇我石川殿が、逆に羽白熊鷲の鉄剣をあび、死んでしまいました」

 蘇我石川が死んだ。神功皇后の顔色が一瞬にして蒼白に変じた。

「何と。石川が殺されただと!」

「はい。残念なことです。惜しい人を失いました。何しろ相手は凶暴な男ですから・・・」

「して、熊鷲はどうした?」

「吉備鴨別に取り押さえられました。蘇我石川殿の弟君、襲津彦殿は激怒し、鴨別殿が止めるのも聞かず、兄、石川の仇と叫んで、その場で、羽白熊鷲の首を刎ねたとのことです」

「そうか。熊鷲の首を刎ねることが出来たか」

 神功皇后は夫、仲哀天皇を死に追いやった羽白熊鷲を成敗出来た安堵に胸を撫で下ろした。だが蘇我の総大将、石川を失ったことは、代償として余りにも大き過ぎた。烏賊津は尚も報告を続けた。

「将軍、羽白熊鷲の死を知り、熊襲の者は、我らに従う者と、更に反攻を続けようとする者とに分裂しました」

「皆、降参したのでは無いのか?」

「吉備鴨別殿と岡県主熊鰐殿の軍隊が反抗する熊襲を皆殺しにしました。玖珠の河原は、その血で朱に染まったとのことで御座います」

「土蜘蛛夏羽の方は如何した?」

「大伴武持殿と物部胆昨殿の軍兵が南から攻撃にかかっております」

 中臣烏賊津は聞いてもらいたくない事を、皇后から尋ねられ困惑した。流石に皇后は痛いところを突いて来る。皇軍は今まで、熊襲の首領を羽白熊鷲と考えて来たが、それは全くの誤解であり、本当の首領は別人であった。その首領は邪馬台国の古城を砦とする田油津媛という女王であった。

「土蜘蛛の兵は強いのか?」

「中々の強者ぞろいと聞いております。将軍、夏羽は勿論のこと、その妹、田油津媛は男たちを上手に誘導し、熊襲の女王として、あの手この手の指示をしているとのことです」

「女王、田油津媛じゃと。田油津媛に、夫はいるのか?」

「彼女は独身です。時々、神憑りして熊襲の民たちの指揮を執っているようです。土蜘蛛夏羽も、土蜘蛛族の頭領とはいえ、彼女の命令で動いているということです」

 それを知ると神功皇后は何かを思い浮かべ、意を決して指示した。

「ならば事は簡単。田油津媛を捕えれば良い。彼女が指揮能力を失えば、それに従う熊襲や土蜘蛛族は崩壊する」

 神功皇后は田油津媛を捕えることが、熊襲の残党を破滅させる要点であると、烏賊津に語った。その時、大三輪鴨積が二人の前に駆け込んで来た。

神功皇后様。一大事です」

「大三輪の将軍たるものが、何を慌てておる。どうかしたのか?」

「土蜘蛛軍が、この陣屋めがけて総攻撃して来ました。お隠れになって下さい」

「何故、隠れる必要があろう。私は倭国の女王なるぞ。堂々と敵の大将を招き入れろ!」

「それは危険です」

 大三輪鴨積の顔は恐怖に緊張し、震えていた。神功皇后は、鴨積の只ならぬ様子に、危険が迫っているのを感じ困惑した。どうしたら良いのか。神功皇后は帯剣の柄を握りしめた。すると中臣烏賊津が進言した。

「もし、お許しいただけるなら、この烏賊津が仲哀天皇様に変装して出陣し、敵の大将に会いましょう。彼らが降伏し、私たちに従うなら、皇后様の御前に、お連れ致しましょう。でなければ、戦場にて、その首を討ち取りましょう」

「それは名案。烏賊津に任そう。大君様の菊の御紋章旗を掲げて進軍し、敵の大将に降伏するよう促せ」

「万事、この中臣烏賊津に、お任せ下さい」

 中臣烏賊津は仲哀天皇に変装する事の許可を得て、直ちに仲哀天皇の御姿に変装し、銅饠の音を鳴り響かせ、出陣した。

 

 

          〇

 仲哀天皇の御姿に扮した中臣烏賊津は、八女川を挟んで熊襲の敵と対峙した。仲哀天皇の甲冑に身を固めた烏賊津のその姿は、神さびた気高い騎馬姿であった。誰もが仲哀天皇だと信じて疑わなかった。天皇に化身した烏賊津は川向うに迫って来ている敵に向かって叫んだ。

熊襲並びに土蜘蛛の兵よ、朕の申すことを、良く聞かれよ。朕は倭国統一の為、この地に参った倭武尊の後継、仲哀天皇なるぞ。熊襲征伐の為、朕もまた、この地に参った。朕に背いた羽白熊鷲は、朕の配下の者に成敗された。朕は、そなたら一同が、羽白熊鷲にそそのかされ、熊鷲に加担したものと理解している。それ故、朕は、そなたら残った者を滅亡させるつもりは無い。武器を捨て、大人しく降参せよ」

 天皇熊襲の残党、土蜘蛛一族の降参を望んだ。しかし熊襲側は降参することなど、全く考えていなかった。首領、田油津媛が対岸の岩の上に登り、天皇に答えた。

「私は邪馬台国女王、卑弥呼様の流れをくむ、田油津媛である。倭国女王として、幾久しく海の向こうの諸外国と交流している。そんな時、お前のような男が、倭国王だと言って、穴門から筑紫に侵入して来た。全くもって無礼千万な話である。この無礼を、この女王、黙って許しておく訳にはいかぬ。羽白熊鷲は私の配下として、良く働き、良く戦い、良く仕えてくれた。彼には深く感謝している。私たちは彼の死を無駄にはしない。彼の仇を取る為に私たちはお前らを誅伐する」

 天皇は女王の言い種を聞いて、怒る女王を説得しようと努めた。

「田油津媛よ。そなたらの祖、卑弥呼様は朕が先祖、鵜茅葺不合尊様の異母姉、神武天皇様の伯母君に当たるお方である。私たち子孫が、このように血を流し、相争うのを見て、卑弥呼様も、お嘆きのことと思う。朕は一時も早く、そなたらが天皇家に仕えてくれることを願う。そなたらの考えは如何か?」

「私は、そんな言葉を信じない。倭国の女神、卑弥呼様は、魏王、文皇帝曹丕様がお亡くなりになられた時、母君、麗英公主様と魏国に帰国なされた。その後、台与呼様、多磨呼様、穂乃呼様、世蘇呼様、伊香呼媛様と続き、私は、母、夏磯媛様から、女神役を賜り、倭国を代表する女神として国をお守りしている。そして兄、夏羽は倭国王として、晋国や新羅国と交流を行っている。その我ら倭国王家が、お前たち傀儡王家に従う理由が何処にあるというのか」

「田油津媛よ。よくも、そんな嘘が言えたものだな。朕は神武天皇の流れを、世襲して来た仲哀天皇なるぞ。邪馬台国を滅ぼし、そこに居座り、王家を偽装するそなたらの考えを、朕は断じて容認することが出来ない」

「容認出来ないのは、こちらの方だ。お前らに従ってなるものか」

 土蜘蛛族を率いる熊襲の首領、田油津媛には皇軍に従う様子が全く見受けられ無かった。天皇は川向うに向かって再確認した。

「どうしても戦うというのか」

「戦う。一同、あの者の言う事は総て嘘八百である。あの天皇を語る者を捕えよ。捕らえた者には、褒美を取らす。行けっ!」

 田油津媛は岩上で赤い旗を振った。それを見て、天皇に扮した中臣烏賊津が叫んだ。

「仕方あるまい。合戦じゃ!」

 その掛け声に応じ、大伴武持が一同を激励した。

「敵、熊襲は弱体化している。我ら皇軍の力を見せてやれ!」

 熊襲の将軍、羽白熊鷲を破って勢いづいた皇軍は、怒涛の如く土蜘蛛軍を攻め立てた。蘇我、吉備、大三輪、物部、大伴などの大軍が、熊襲兵に襲い掛かり、田油津媛を殺した。田油津媛の愛する兄、夏羽は勇猛に応戦していたのであるが、妹が殺されたことを知ると慌てて阿蘇方面に逃げ去った。

 

 

          〇

 三月末、熊襲を退治し神功皇后は、凱旋して香椎の宮に戻り、亡き夫を悼んで、小山田邑に斎宮を造り、神に祈った。式典に集まった群臣たちに大三輪鴨積が言った。

「群臣百寮に告ぐ。神功皇后様は今から斎宮にお入りになられる。葛城襲津彦殿に琴をひかせ、中臣烏賊津殿を審神者とする。神功皇后様は自ら神主となられ、大神様のお言葉を御引き出しになられる。一同、平伏して大神様のお言葉を聞け」

 大三輪鴨積の言葉に皆、緊張した。神主、神功皇后は、祭壇に幣帛を沢山、積み、仲哀天皇の愛した琴の頭部と尾部に幣を献じて、天照大神に祈り、神託を乞い求めた。

「皇祖、日神、大日霊尊、天照大神様。我が夫、仲哀天皇様は、神様のお告げに従わず、熊襲に敗れ、この地で薨去なされました。私たちは、このことを深く反省し、罪を払い、過ちを改めるべく、先の日に仲哀天皇様にお告げ下されました天照大神様にお仕えする神々の名を知りたいと願っております。先の日に仲哀天皇様に、お教え下されたのは何処の神様でありましょう。どうか、その名を教えていただきたいのでが・・・」

 神功皇后は以前、神憑りした時の自分が何処の神に化身したのか再確認する為に祈った。その皇后の問いに、審神者である中臣烏賊津が答えた。

「それは伊勢国度会の県、五十鈴の宮にいる撞賢木厳之御魂、天疎向津媛命です」

「その神様の他に、まだ神様がおいでになりますか?」

「天事代虚事代、玉櫛入彦、厳之事代神がいる」

 審神者の返答は明確であった。一同はその霊妙な雰囲気に呑み込まれた。

「まだ、他においでになりますか?」

「居るとか居ないか分からぬ」

「今、お答えにならないで、また後で言われることがあるでしょうか?」

「そう言えば、日向国橘の水底に海藻のように若々しい生命に満ちている神々がいる」

「その神様の名は何と?」

「表筒男、中筒男、底筒男の三神である」

 神功皇后審神者の答えに満足だった。

「まだまだ、おいでになりますか?」

「分からぬ。取敢えず、これらの神々の名を記憶せよ」

「有難う御座います。私たちは、只今、お教えいただきました、これらの神々をお祀り致します」

 神功皇后は、お告げの有った神々を祀ることを誓った。それに対し、審神者が答えた。

「それは良いことである。これらの神々に使者を派遣し、鏡、武器、水田などを供え、祭りを行えば、必ず願い事が叶う」

 さしあたっての答えを得られた神功皇后は、更に肝心なことを質問した。

「海の向こうの宝の国に行くことについては如何でしょうか?」

「皇后、自ら武装して任那に渡り、縁者を頼れば、宝の国を得ることが出来る」

「その国を治めることが出来るのは誰でありましょうか?」

「それは仲哀天皇の皇子、応神の尊である」

 一同には聞いたことの無い耳慣れない皇子の名であった。神功皇后が神に問うた。

「私たちの知らない皇子様ですが、何処においでになるのでしょうか?」

 審神者は答えた。

「皇后の胎中にいる。その皇子は、皇后の胎中にあって、新羅国を得ることが出来よう」

 神功皇后は、審神者から自分の胎中にある皇子に関する神託を聞いて驚いた。皇子の名は、夫、仲哀天皇が死の間際、〈もし、男子が生まれて来たなら、神を崇め、神に応じる素直な皇子に育てよ。そして、その名を応神と呼べ〉と遺言なされた皇子の名であった。

「その皇子様は、国民の誰からも愛される聖王になれるでしょうか?」

「勿論、成れます。大和に戻り、仲哀天皇様に続く聖王として、活躍されます」

 審神者の言葉に神功皇后は感激し、御神前に何度も礼を行い、平伏し、最後の祈りを捧げた。

「皇祖、日神、大日霊尊、天照大神様。本日は我ら皇孫を御導きいただきまして、誠に有難う御座いました。我ら一同、これからも祭祀を絶やさず、天皇家繁栄の為、尽力して参ります。我らの未来に平和をお与え下さい。本日は本当に有難う御座いました」

 神功皇后の祈りが終わるや大三輪鴨積が、御神前に礼をするよう一同に命じた。

「群臣百寮、二礼、二拍手、一礼」

 群臣たち一同は、大三輪鴨積の誘導に従い、二礼、二拍手、一礼をした。そして祈祷の儀が終わると、神主、神功皇后は御神前から立ち上がって、一同に伝えた。

「大神様のお告げは、以上、聞いての通りです。私たちは、この大神様の教えを守り、御祭礼を行い、宝の国を得るのです。お教えいただいた神々への使者を、即日、現地に差し向け、大願成就を祈願しましょう」

 審神者の役目を終えた中臣烏賊津が、神功皇后の言葉につけ加えた。

天照大神様のお告げは大事にせねばなりません。私たちの未来は、新羅統治、聖王御誕生と明るい材料でいっぱいです。倭国が世界に雄飛するのはこれからです。群臣百寮、皆、それぞれに頑張りましょう。さすれば倭国は更に富める国になります」

 祭礼の最後を大三輪鴨積が締めくくった。

「では、これにて祭礼を終わります」

 この儀式で神功皇后は大和には帰らず、香椎の宮にとどまり、新羅国に進攻することを決定した。総てが神功皇后の望みのまま進行していると、津守住吉はそう思った。

 

 

          〇

 四月三日、神功皇后の一行は肥乃国、松浦に赴き、今まで、松浦県主鷹鹿文が羽白熊鷲と共謀して新羅と交流していたという伽耶津の港の視察に出かけた。そこには沢山の船が往来していた。昼時になったので、一行は玉島の里の小川のほとりで食事をした。桃の花が美しかった。神功皇后は清々しい野外での食事に満足した。

「安曇磯良よ。美味しい食事でしたよ」

「お喜びいただき有難う御座います」

「私はこれから玉島の小川で釣りを楽しもうと思います。この針を曲げて釣り針にしますが、魚の餌は何が良いでしょう?」

「それなら、只今、食べ終わった食事の竹皮に付いている飯粒で結構です。釣り糸はありますか?」

「私の裳裾の糸を一本抜けば良いこと。さあ釣れるかどうか?」

 少女時代からおてんば娘だった神功皇后は、近くの竹藪の竹を切り取ると、あっと言う間に釣り竿を作り上げ、小川の中の大きな石の上に立って釣り糸を垂れた。安曇磯良も皇后と同じ石の上に立って、皇后の釣りを眺めた。

「果たして釣れるでしょうか?」

「どうでしょうか?ここは海では無いので、どんな魚がいるのか分かりません」

「私は、海を渡った北の宝の国を求めています。もし、この願い事が叶うというなら、川の魚よ、この釣り針にかかれ」

 神功皇后は釣をしながら、神意を伺う占いをした。本当に吉凶占いに関心の強いお方であると、安曇磯良は思った。磯良も、川に向かって囁いてみた。

「魚よ。どうした。寄って来い」

「磯良、磯良。引いています・・・」

 神功皇后は釣り竿を握る手に、魚の引きを感じた。磯良は、その浮笹の沈み具合を見て、皇后に慌てて言った。

「皇后様。釣り竿を早く上げて下さい。掛かっています」

 磯良に言われ神功皇后は急いで釣り竿を引き上げた。

「掛かった。掛かった。鮎が掛かった」

 神功皇后が鮎を釣り上げたのを見て、磯良が大声を上げた。どうせ釣れないだろうと思っていた周りの者は、この思いがけない出来事に驚き、手を叩いて喜んだ。神功皇后は釣り上げた魚を見て言った。

「私に釣られようとは珍しい魚だ。これはまさに吉兆。私が北海の国、新羅を配下に治めることの正しさを、神様がお示しになられた。私はこの地に神田を設け、神祇を祀ろうと思う」

「それは良いことです。しかし、この地は岩が多くて、神田の為の溝を築くことは至難の業かと・・・」

 安曇磯良は、地形からして、神田を設けることの難しさを語った。神功皇后は磯良の忠告に耳を傾けはしたが、同意することは無かった。思ったことは必ず実行する性格だった。

「やろうという意思があれば、この世に出来ないことはありません。誰か、ここに神田を設ける工事に挑戦する者はいませんか?」

 神功皇后の要請に磯良の疑問の言葉もあったので、皆、躊躇していたが、伊都県主五十迹手が応じた。

「私がやりましょう。この地は私が幼い時、育った地であり、地層等、私なりに理解しているつもりです。私に神田工事をやらせて下さい」

「よろしい。この工事、伊都県主五十迹手に命ず」

「有難う御座います。この栄誉を受け、この五十迹手、我が一族の者は勿論のこと、この度、神功皇后様に服従を誓った松浦一族の者らと一致協力して、この御役目を完遂させて御覧に入れます」

「嬉しいぞ、五十迹手。五十迹手の心意気に、神功皇后、心より感謝する」

 かくして伊都県主五十迹手による玉島神田の造成工事が行われることになった。

 

 

          〇

 香椎の宮に戻った神功皇后は、玉島神田に水が引かれるのを心待ちにしていたが、数ヶ月しても水が引かれないというので、部下を引連れ、工事現場の視察に出かけた。神功皇后は先ず七山の麓にある迹驚の岡に立って、神田の工事を進めている眼下を見やったが、どのように進んでいるのか皇后には良く分からなかった。随行して来た大三輪鴨積が言った。

神功皇后様。伊都県主五十迹手殿が、あの松浦や熊襲らを使い、玉島川の水を引き、神田を造ろうと、溝を掘っていますが、一向にはかどっていません」

「何故じゃ。五十迹手は、松浦や熊襲の者らを上手に使いこなせていないのですか?」

「伊都県主殿は、かって松浦県主とも親密であった男。松浦の民をうまく使いこなせていないとは思われませんが・・・」

 神功皇后は、そう答える大三輪鴨積の言葉を疑った。

「松浦や熊襲にとって、五十迹手は裏切り者。そんな男に地元民が従う筈が無い。指揮者を交替させてみてはどうか?」

 神功皇后の意見に鴨積は何も言えなかった。困惑している鴨積を見かねて、大伴武持が鴨積に代わって返事をした。

神功皇后様。五十迹手殿が指揮を執れていないとは思われません。弱者を守る将軍として、彼は松浦や熊襲の民からも信頼されております」

「では何故、神田を造る為の工事が遅れているのか?」

 そこへ神功皇后が来られたと聞き、伊都県主五十迹手が汗をかきかき、迹驚の岡に登って来た。丁度良い所に現れたと、鴨積が五十迹手に質問した。

「工事が遅れているようだが、何か遅れている原因があるのか?」

 すると五十迹手は顔を曇らせて答えた。

「あの山の谷から迹驚の岡まで溝を掘って来たのですが、この先に見えるあの大岩に突き当たり、難渋しております。今、迂回の水路を掘ろうかと悩んでいるところです」

 五十迹手に言われて見れば、確かに大岩が下って行く溝の中に大きく突き出て、水路の邪魔をしていた。それを見て神功皇后葛城襲津彦を呼んだ。

「襲津彦はいるか」

「はい。葛城襲津彦です。お呼びでしょうか?」

「あそこの大岩の上に剣と鏡を捧げ、神祇を祀れ」

「ははーっ」

 葛城襲津彦は皇后の命令を受け大岩の上に十握の剣と白銅鏡を直ちに飾った。そして皇后に確認した。

「このようにでしょうか?」

「それで宜しい。それに賢木を飾り、烏賊津に祈らせよ」

 襲津彦は直ぐに部下に賢木を集めさせて、それを大岩に飾って、烏賊津に敬礼した。

「中臣烏賊津殿。お祈りをお願いします」

 そう依頼されると中臣烏賊津は襲津彦の飾ったものに若干、手を加え、大岩の中央に飾った大剣から前後に針金を垂らし、一同にお願いした。

「皆さん。私がお祈りする前に、この大岩から遠ざかって下さい」

 一同は烏賊津が何の為に自分たちに今の場所から遠ざかるよう指示するのか理由が分からなかった。

「ここら辺で良いでしょうか?」

 大三輪鴨積が烏賊津に確認した。

「はい。そこら辺で良いです」

 烏賊津が、そう答えると、大岩の場所から遠ざかった神功皇后が烏賊津に命じた。

「では烏賊津臣、天に祈りを奏上せよ」

 神功皇后の命を受け、中臣烏賊津は、大岩の前に立ち、玉串を捧げてから、両手を大きく広げ、天に向かって、鈴を振り、叫んだ。

「掛けまくも畏き天の神様、地の神様よ。我らを聞こし召す神功皇后の願いを、我、かく仕え奉りて申さく。只今、神功皇后が、この地に溝を通すことを願っているのは、天の神様、地の神様の為に神田を造らんが為なり。されど、この大岩がそれを遮り、その願い成就せず。故をもって、天にある雷神様をして、この大岩を裂き砕きて、我らの願い申すことを、聞こせめせと、かしこみかしこみ、お願い申し上げます」

 すると不思議な事に、烏賊津の祈り故にか、しばらくすると、周辺の山々から黒雲が集まって来て、あたりが暗くなった。大三輪鴨積が、驚きの目をして神功皇后に黒雲を指し示した。

「皇后様。空が突然、曇り出し、暗雲でいっぱいになりました。大雨になりそうです。茂みに、御隠れになって下さい」

「烏賊津臣を避難させよ」

 神功皇后が、そう叫んだ次の瞬間、黒雲から土砂降りの大雨が降って来て、先が見え無くなった。雷鳴が激しく鳴り、稲妻が走つた。そして突然、大岩の上に閃光が走り、その上に飾ってあった鉄剣が炎上し、烏賊津が前後に垂らした針金が光を放ち、大爆発が起こり、大岩が大音響と共に炸裂した。

「ああっ、雷が大岩を砕いたぞ!」

 大三輪鴨積や大伴武持たちは、身の毛が逆立ち、卒倒しそうになった。一同は、神功皇后の霊力と中臣烏賊津の念力に驚愕した。伊都県主五十迹手は裂かれ散った岩を見て、涙を流して喜んだ。その頭領の姿を見た五十迹手の作業員たちも流れ去って行く黒雲を見やりながら天に手を合わせて、嬉し哭いた。

 

 

          〇

 香椎の宮に戻った神功皇后は、八月中旬、群臣百寮を集め、天照大神をはじめとする神々の祀りを終えたことを確認し、倭国女王の座に就いた。そして最後の決断をする為、群臣百寮の前で近島の海に向かい祈った。

「我が尊崇する海の神様。私は神祇の御教えを受け、皇祖の霊を頼って、大海原を渡り、熊襲と共に我が国を乗っ取ろうとした新羅の国を討とうと思っています。私は亡き仲哀天皇に扮して、自ら出征する考えです。そこで私は私の黒髪を解いて、この海水で濯ぎます。もし、霊験があるなら、この私の髪がひとりでに分かれて、二筋になり、男として出征出来ますよう御力をお貸して下さい」

 そう祈り終えると、神功皇后は自らの黒髪を解き、それを海水で濯いだ。中臣烏賊津がその儀式を手伝い、一同に告げた。

「皇后様の黒髪が二筋に分かれました」

 それを聞いて神功皇后は、二筋に分かれた自分の黒髪を、左右の手に一束ずつ握りしめ、渚から振り返って、一同に言った。

「皆の者よ。私の神は祈願した通り、このように二つに分かれました。私はこの髪束を、それぞれに結い上げ、男子の髪型の髻とし、男装をして海を渡ります。仲哀天皇に憑依し、新羅国に乗り込みます」

 津守住吉や葛城襲津彦はびっくりした。

「皇后様。皇后様は、本当に海を渡る御積りなのですか?」

 誰もが唖然とした。皇軍が渡海することは考えていたが、神功皇后、自ら出征するとは、誰もが予想していないことであった。神功皇后の決意は固かった。

「神功、自ら海を渡る」

 そう断言した神功皇后に中臣烏賊津が甲冑を持って来て渡した。それは中臣烏賊津が田油津媛の軍隊を討伐した時、お借りした仲哀天皇の甲冑だった。

「では、仲哀天皇様の甲冑を身に着けて下さい。そして群臣に皇后様の決心をお告げ下さい」

 大三輪鴨積と葛城襲津彦が甲冑を着るのをお手伝いした。神々しい金色の甲冑であった。神功皇后仲哀天皇に扮すると、一同に告げた。

「群臣百寮に告ぐ。私は予定通り、宝の国を求める。海を渡り、新羅国を攻め、我が倭国の統治下に置く。他国に軍を起こし、民を動かすことは国の大事である。安危と勝敗がかかっている。今、北海の新羅国を討つについて、ここにいる群臣たちに、その総てを委ねる。失敗は許されない。もし失敗すれば、その被害は群臣たちは勿論のこと、その一族にも及ぶ。これは、はなはだ辛いことである。それ故、肝に命じて頑張って欲しい。私は女であり、その上、戦さには未熟である。けれども、しばらくの間、男の姿に変装し、あえて雄々しい計画を立てる。上においては神祇の霊を蒙り、下においては群臣たちの助けにより、軍を興し、船団を整え、高波を乗り越えて、宝の国に臨む。もし事が成就すれば、群臣は共に功績が得られる。事が成らなかった場合の総ての責任は、この私であり、私一人の罪である。この覚悟をもって、私は海を渡ることを決めた。群臣百寮、皆、よく相談し、事が成就するよう努められたい・・・」

実に女性とは思えない尊厳に溢れた下知であった。大三輪鴨積が神功皇后の前に進み出て言った。

「御意、承りました。皇后様は天下の民草の為に、国家社稷を安泰にすることを計っておられます。この願いは必ず成就致します。それ故、敵に敗れて罪が臣下に及ぶことなどありません。只今の皇后様の御決意を良く理解し、我ら臣下一同、身命を賭けて奮起することを、御誓い申し上げます」

「有難う」

「我ら臣下一同、謹んで御詔を承ります。奮って御指示下さい」

 大三輪鴨積の積極的申し出に、神功皇后は早速、指示を与えた。

「鴨積よ。海を渡るにあたって、まずは自ら大三輪神社を建て、刀、矛を奉れ。さすれば自ずと軍兵が沢山、集まるであろう。又、船木は穴門より、楠を求めよ」

「ははーっ」

「そして船は豊乃国の宇佐で造れ。そこには頑丈な船を造る技術を持った船大工がいるという」

「はい。して、造る船の数は?」

「四十八隻、新しく造れ」

「四十八隻では少ないのでは?」

 大三輪鴨積の質問に、中臣烏賊津が答えた。

「鴨積殿。船を造るのは宇佐だけではない。渡海する氏族、それぞれが船を造る。そして既に保有する軍船と一緒に玄海に集結させる。想像するに、三千余隻の大船団となろう」

 中臣烏賊津のその言葉に一同は仰天した。三千余隻の大船団で大陸に侵攻するというのは本当なのか。すると仲哀天皇に扮した神功皇后が胸を張って仰有られた。

「そうじゃ。三千余隻の大船団で海を渡る。武器は勿論のこと、兵糧、衣類を積んで、八万の兵で新羅遠征に向かう」

 烏賊津が、また付け加えた。

「海を渡れば、そこには我らが属国、倭人の国、任那がある。五百城大王と御間城の将軍、木羅斤資が我らを迎えてくれる。言葉も通じ、戦闘用騎馬も揃っている。我らに似た優秀な軍隊もいる。彼らは喜んで我らに従い、協力してくれるであろう」

 烏賊津は任那の協力を語り、群臣を勇気づけた。神功皇后は、ここで戦意だけで無く、大陸との歴史についても、臣下に教えておく必要があると思った。

「烏賊津の申す通り、任那はその昔、天皇家の祖、辰国の兄弟が話し合い、倭国が海を隔てて監視するとして辰国から割譲された倭人の国であり、今も任那倭国出先機関として、立派に大陸の見守り役を果たしてくれています。今は信頼出来る景行天皇様の皇子、五百城大王が、武将、木羅斤素資に監督させ統治していますが、木羅斤資も、もとは武内宿禰の四男、蘇我石川の弟。私は会ったことは無いが、ここにいる葛城襲津彦にとっては兄。兄弟、力を合わせ、倭国の為に奮闘してくれるでありましょう。さすれば流石の新羅も、その強大な我が国の力を恐れ、必ずや倭国服従するであろう」

 神功皇后の言葉に葛城襲津彦は赤面して、皆の前に進み出て話した。

神功皇后様の御話の通りです。私の兄、平群木菟は父、武内宿禰の命により、木羅斤資と名乗り、現在、御間城の将軍として、任那国を守っております。しかしながら今、任那国は新羅百済からの亡命者が多く、人口が増え、その処遇に困っていると聞いております。私たちが海を渡って行けば、必ずや、それの人たちは、私たち倭国軍の助っ人として、私たちの援軍となってくれるでありましょう。私たちは大船に乗って行けば良いのです」

 神功皇后に仕える一同にとって、心強い話が続いた。かくして仲哀天皇から引き継がれた神功皇后の率いる皇軍は、大陸の新羅国に遠征することとなった。