小田原仇討ち義兄弟

 文政元年(1818年)7月12日の小田原城下は、夏であるのに、海からの風に軒先の風鈴が揺れて、過ごし易かった。そんな夏の日、非武士身分の中間や小者のちょっと上の位で、苗字帯刀を許されている足軽、浅田只助は一日の仕事を終え、足軽長屋に帰り、のんびり休んでいた。そこへ只助の幼馴染の風呂屋の安兵衛がやって来た。

「只助。約束の物を持って来てやったぜ」

 その声に只助の娘、千佳が土間から玄関口に顔を出した。安兵衛が手に吊るして来た大きな魚を見て千佳は、びっくりした。

「まあっ。安兵衛さん。何と大きな鰹!」

「うん。海から上がったばかりの生きの良い鰹だ。おっ母さんに食べさせてくんな」

 奥の板の間にいた只助は、鰹を持って来てくれた安兵衛を笑顔で迎えた。

「こりゃあ立派な鰹だ。有難うよ。お千佳、早速、料理だ」

「分かっております。それに、お酒もでしょう」

「その通りだ」

 仕度をする為、千佳が勝手に向かった。その紺絣の千佳の後ろ姿を眺めながら、安兵衛が言った。

「お千佳ちゃんは気の利く良い娘さんだ。婿になる奴が羨ましいぜ」

 安兵衛の言葉を耳にして、千佳は赤くなった。

「まあ、安兵衛さんたら・・・」

「こいつは昔から口が達者だ。お千佳、こういった類には気を付けろよ。風呂に入る時も、こいつには見られねえようにするんだぞ」

「分かってます。お風呂屋の安兵衛さんの女たらしは有名ですから・・・」

 千佳の言葉に只助が頷いた。すると安兵衛が照れながら反論した。

「でも女たらしにかけちゃあ、万助にはかなわねえや。あいつは、この間も、お琳とかいう女と、山王の船小屋から、いちゃつきながら出て来やがった」

「何じゃと。万助は、まだ女遊びを繰り返しているのか。一ヶ月前、あやつの保証人になり、『大阪屋』から十両借りて、やっと女との縁を切らせたばかりなのに・・

「あいつは与太者だ。おめえの気持なんか、てんで分かっちゃあいねえ、大馬鹿者だよ」

 安兵衛が万助の悪口を言うと、只助が顔をしかめた。

「万助の悪口を言うな。わしは子供の頃に万助の母親に、大変、お世話になった。その恩返しのつもりで、鳴滝んちの面倒をみている」

 只助が拳を握り締めた。安兵衛は、驚き、ぴくりと首を縮めた。父親の目が吊り上がっているのを見て、千佳は急いで酒の入った徳利と盃を盆に乗せて、二人の前に置いた。それから二人の酒の酌をした。

「安兵衛さん。お酒をどうぞ。お父様も・・・」

「有難うよ。幼馴染と飲む酒は、良いもんだなあ」

「全くだ」

 二人は立て続けに二杯、口に運び、目を合わせて笑った。只助が良い気分になって、豆腐の次に茄子の糟漬に箸をつけようとした時のことだった。突然、噂の万助が、浅田只助の家にやって来た。亀次と琳が一緒だった。

「ごめんよ。只助兄貴はいるかい?」

「これはこれは鳴滝様」

 千佳が、そう言って鳴滝万助を玄関に招き入れると、只助が万助を睨んだ。

「噂をすれば影とやらか。仲間など連れて我が家に来るとは何事だ?」

「約束の二十両を戴きに伺いました。用立て出来ましたでしょうか?」

 万助の言葉を聞いて、只助は真っ赤になった。

「何だと。それについては先日、待ってもらうよう依頼せよと申したではないか。納得してもらえなかったのか」

 万助は黙ったまま返事をしなかった。万助に代わり、『大阪屋』の使用人、亀次が答えた。

「確かに鳴滝様はあっしの主人に、返済日を延ばしていただくよう御依頼されました。しかし、あっしの主人が、それを了解する筈などありません。あっしの主人、大阪屋甚兵衛は金の猛者です。損の出るような、御貸出しは致しません」

「そこを何とかならないかと、借主の万助に頼んだ筈だが」

「そうは申されましても、鳴滝様にお貸しした二十両は、あっしの主人、大阪屋甚兵衛が、浅田様が保証人ということで、御貸出ししたものです。ですから、鳴滝様がご返済出来ない場合は、浅田様から私どもに、お返ししていただきませんと・・・」

 それを聞いて、只助は万助を睨みつけた。万助は顔を伏せていたが、突然、土間に両手をついて、只助に、お願いした。

「わしも借りた金を返済しようと、あっちこっち駆け回った。しかし、わしに金を貸してくれる者はいねえ。その上、おいぼれババアをかかえ、わしは、もう、どうにもならねえ。返済の期日を延ばし延ばしにして来たが、もう限界じゃ。只助兄貴、二十両、用立ててくんな」

 只助は万助の目を覗き込み、万助を怒鳴りつけた。

「万助。おぬしは女遊びを止め、真面目に働いて、借りた金は必ず返済する。だから保証人になってくれと申したではないか。あの言葉は嘘だったのか」

「あの時は、そう思ってました。しかし、どうしてわしに二十両もの大金が、用立て出来るというのです。世間は、そんなに甘いもんじゃあありませんぜ」

 万助の言葉は、自分の不始末を詫びる言葉では無かった。只助は激怒した。

「おぬしは、初めっから返すつもりは無かったのか。工面して借りてやった金の恩を、おぬしはわしに利子をつけて返せというのか」

「わしだって、銭がたまったら、返そうと思っていたさ。しかし、仕方ねえじゃあねえか」

 二人の怒鳴り合う声を聞いて、奥の畳の間に臥していた只助の妻、菊が起き上がった。衰弱した手を震わせて夫に言った。

「あなた。借りたお金は返しましょう。私の持っているお金で清算して下さい」

「何を言うか。その金は、お前が病気の身で針仕事をして稼いだ、大事な大事な金ではないか。お千佳の嫁入りの為に貯めて来た金ではないか。それに手をつける訳にはいかねえ」

 只助夫婦の話を聞いて、万助がニンマリした。

「そりゃあ、お菊さんの言う通りだ。有り金を、さっさと出してくんな」

 借金の保証人になってやった万助に金を督促され、只助は激昂し、盃を土間に放り投げた。それを見ていた千佳が只助にしがみついた。

「お父様。お母様の申され通りに致しましょう。私は、お嫁になど行かなくて良いのです。お金を、お返し致しましょう」

「お千佳。お前は鉄蔵の嫁になるのではないのか」

「鉄蔵さんのお嫁さんになりたいわ。でも、借金は、お返ししないと・・」

「馬鹿言え。金は、この万助が借りた金であり、わしが借りた金ではないわ」

「でも・・」

 千佳は半泣き顔であった。亀次は、そんな親子の様子に同情するような男では無かった。千佳ににじり寄り、只助に向かって言った。

「お嬢さんは賢いや。しかし、どうしても返していただけないというのなら、失礼ながら、お嬢さんをお預かりして行きましょう。このお嬢さんなら、あっしの主人も許してくれましょう。なあ、お琳」

「そうね。男衆の喜びそうな器量良しのお嬢さんだわ。連れて行きましょうか」

 琳が千佳の手を引っ張った。

「キヤッ!何をなさります」

「やめろ!お千佳に手を出すな」

 只助の目が怒りに燃え上がった。琳は千佳の手を離そうとしない。塾から帰って来た千佳の弟、門次郎は何が何だか分からない。万助は立ち去ろうとしながら念を押した。

「只助兄貴。娘は貰って行く。娘を返して欲しくば、三十両持って来い」

 板の間にいた只助が目を吊り上げ、立ち上がった。姉の危険を察し、門次郎が腰の小刀を抜いて叫んだ。

「おのれ悪党。姉上を返せ!」

「門次郎。そんな屁っぴり腰で、わしを斬れると思うか。こうしてくれるわ!」

 万助は小刀を構えて震える門次郎を蹴飛ばした。

「痛てえっ」

 門次郎が転がるのを見て、只助が路地に躍り出た。

「万助、もう我慢ならぬ。尋常に勝負致せ」

「望むところだ」

 その刀を振り上げた只助に、菊が病床から這い出して来て縋り付いた。

「止めて下さい。二人とも親友ではありませんか」

「お千佳を金貸しに引き渡そうなんて考える奴が、何で親友であるものか。万助は門次郎が言う通りの悪党だ。金貸しに操られた狂人だ」

「あはははは。何を言われようが、わしは平気だ。行くぞ只助。キエーッ!」

 只助、目掛けて、万助が刀を振り下ろした。只助は左に身を躱そうとしたが、菊に足を掴まれていて、跳ぶことが出来なかった。

「あっ、危ない、お父様!」

 千佳が叫んだ時には、只助はもう、右肩を斬られていた。只助は傷口を抑えながら逆襲した。万助は菊が転がっていたので、足場が悪く、只助の刀を避けきれなかった。

「ああっ」

「鳴滝様。大丈夫ですか」

 亀次が心配した。

「何のこれしき。只助、死ねっ!」

「うわっ」

 万助の刀を受け、只助が倒れた。

「誰か、誰か、誰か来てぇ!」

 千佳が絶叫した。その時、亀次が琳に合図した。

「お琳。金を盗んで逃げろ」

 琳は亀次に命じられると、菊が先程まで寝ていた布団の枕元より、金を奪い、亀次と逃走した。誰も勝負の結果に慌てふためくばかりで、どうすることも出来なかった。

「お父様、お父様」

「あなた、あなた」

 もがき苦しむ只助を見て、妻と娘が泣き叫んだ。只助は最期の力をふりしぼり、息子、門次郎の腕を掴んで言った。

「門次郎。残念じゃ。わしの仇を討ってくれ」

「父上。父上!」

 只助は門次郎に抱かれ今にも死にそうであった。そんな只助を見て、震えている万助に、風呂屋の安兵衛が食ってかかった。

「万助。おめえ、只助を斬るとは、気が狂ったか」

「わしは正気じゃ。わしは口には出さなかったが、長年、只助を憎んで来た。わしにとって、只助は不倶戴天の敵じゃ。只助は、わしの妻となるべきお櫂を、江戸の道具屋に嫁がせた憎き男じゃ」

「万助。それは只助が仕組んだことでは無い。お櫂の親が決めたことだ。それは、とうに過ぎたことではないか。夢から覚めろ。刀を捨てろ」

「過ぎた事でも、わしにとっては、今でも忘れられない事だ。何時の日にか、只助を殺さなければと思っていた。それにお前もだ」

 万助は血に染まった刀を振り上げ、安兵衛に斬りかかった。安兵衛は跳びすさった。その安兵衛を万助が追った。

「待てっ!安兵衛」

「馬鹿者。親友を殺そうとは、おめえは、それでも武士か」

 安兵衛は転げそうになりながら、友を罵り、逃げ回った。

「わしの気持ちなど、誰も分かりゃしねえ。近寄るな。近寄ると斬るぞ!」

 騒ぎを聞きつけて町役人、松下良左衛門と平田権八とが現れた。

「鳴滝万助。大人しくするんだ。刀を捨てて、自首をするのだ」

「わしを捕まえられるものなら、捕まえてみよ」

 大勢の見物人に囲まれ、万助は苛立ち粋がった。良左衛門も威信を失う訳には行かず、大声で叫んだ。

「我等、捕方に刃向かうというのか。刃向かうというなら仕方がない。一同、万助を捕らえよ」

「がってんでえ。万助、これでも喰らぇ!」

 豆腐屋の鶴吉が、天秤棒で万助の右手を力いっぱい叩いた。

「うわあっ!」

 万助は刀を落とし、右手を押さえて跳ね回った。良左衛門が権八に向かって叫んだ。

「今だ!万助に縄をかけよ」

 武器を失った万助は暴れた。

「寄ってたかって、何をするんでえ」

 喚く万助に安兵衛が言った。

「万助。悪あがきはやめろ。もう逃げられはしないのだ」

「万助。これ以上、抵抗しても無駄じゃ。観念せよ」

 捕方が万助を捕まえ縛り上げると、万助は歯軋りした。

「畜生」

 松下良左衛門が集まった民衆と部下に向かって、誇らしげに告げた。

「浅田只助刃傷の件で、鳴滝万助を逮捕した。これから万助を番所に引き立て、何故、浅田只助を殺害しようとしたのか取り調べる。一同、万助を引立てい」

「おおう」

 立去りながら良左衛門は、浅田家の者や安兵衛に申し付けた。

「尚、浅田家のことについては、鳴滝万助の取り調べが終了した後、追って沙汰する。それまで、お菊にお千佳、門次郎は主、只助の手当てをせよ。安兵衛は介護の医者を探せ」

「分かりました」

 菊が地べたに手をつき良左衛門と権八にお願いした。

「松下様、平田様。このことは仲間うちの口論から始まったこと。どうか穏便にお取り計らい下さいますよう、よろしくお願い申し上げます」

「分かっている」

 権八がしゃがんで菊にささやいた。安兵衛は門次郎と一緒に、負傷した只助を家の中に運び入れた。捕らえられた鳴滝万助は、番所に連れて行かれて取り調べられるや、即刻、浜町の牢屋に入れられた。そして翌朝、只助が死亡したと知らされるや、万助は乱心し、取調べも出来ぬ状態になってしまった。只助を失った千佳や門次郎は、万助の厳罰を訴えようとしたが、只助の妻、菊は、それを抑えた。結果、万助は狂人扱いとされ、禁固三年の刑を受けることとなった。殺人を犯したのに三年経れば放免という刑の軽さは、菊の申し出を受けた松下良左衛門らの配慮であった。

 

         〇

 ところが、それから一年七ヶ月後、文政三年(1820年)2月の夜、浜町の牢屋敷でボヤ騒ぎが起こり、とんでもないことに万助が脱牢してしまった。牢奉行、大橋利十郎は、部下から、その事件を聞いた。

「御奉行様。鳴滝万助が脱牢しました。何者かが牢内に火を点け、その騒ぎの中で、万助が逃亡しました」

 報告を受けた牢奉行、大橋利十郎は目を丸くした。

「何じゃと。あの頑丈な牢から、どのようにして抜け出したのじゃ?」

「万助が煙の中で助けてくれと泣き喚くので、囚人とはいえ、火事で焼き殺す訳にも行かず、不憫と思い、牢部屋の鍵を外し、外に助け出しました」

「万助は煙の中から、よろめきながら出て来ると、火消しの手伝いをしてくれました。そして火消しが終わった時には、もう何処かへ消えていました」

 二人の牢番組の役人が恐る恐る、その時の様子を語った。それを聞いて大橋利十郎は、顔を真っ赤にして身体を揺すった。その姿を見て牢番組の役人はうろたえた。利十郎は報告の場に一緒にいた見回組の連中を睨みつけながら怒鳴った。

「大馬鹿者。万助に騙されおって。見回組は何をしていたのじゃ。火事に気付かなかったのか?」

 見回組の役人が答えた。

「昨夜は風雨が激しく、牢内の騒ぎは聞こえず、全く火事に気付きませんでした」

「何者かが、万助を連れ出したに違いありません。吊り梯子を使い、屋根伝いに逃げたようです」

 見回役の弁明を聞き、利十郎は激怒した。

「如何に風雨が激しくとも、屋根伝いに数人が逃亡したなら、いくら何でも物音がした筈。それに気づかぬ、おぬしらではなかろう。酒でもくらって眠っていたのか」

「滅相もありません。見回組は交替で警備に当たっておりました」

「ならば何故?」

 利十郎の問いに牢番役人が答えた。

「万助は剣の達人。それに忍びの術も心得ております。こんな牢屋など、いとも簡単に抜け出せると、日頃、うそぶいておりました」

「何と。万助は、そのように、おぬしらを愚弄していたのか」

「はい。狂人の戯言と相手にしておりませんでしたが、いざ脱牢されてみると、万助は何時か脱牢してやろうと考えていたに違いありません」

「あいつの仲間が手引きしたに違いありません」

 大橋利十郎は悩んだ。万助の逃亡を黙っておく訳にいかない。どんな御咎めがあるか分からない。利十郎は渋い顔になり、奉行所から牢番役人や見回組の者を、それぞれの持ち場に帰らせた。それから考えた。三年間、我慢すれば大事にならなかったものを、万助は脱牢などという、とんでもない事をしてくれたものだ。

 

         〇

 浜町牢屋敷の牢奉行、大橋利十郎は、ことの次第を、先ず小田原城にいる家老、吉野図書に報告し、その後、鳴滝万助の処罰をどのようにすべきか、藩主の御指示をいただく為、江戸屋敷に出向いた。お召しの間で待つこと半時、小田原藩主、大久保忠真が、磯田平馬に案内されて現れた。大橋利十郎が、藩主に挨拶をしようとする前に、大久保忠真が口を開いた。

「鳴滝万助が脱牢したと聞いたが、真実か?」

「と、殿。申訳御座いません。万助の奴、牢内に火をつけて逃亡しました。直ちに追手を差し向けましたが、未だ見つかっておりません」

禁錮謹慎の身でありながら、牢に火を点け脱牢するとは、けしからん」

「到底、一人で脱牢を企てたとは思われません。万助は勿論の事、その仲間を探し出し、必ず処罰致します」

「当たり前だ。万助を何としても探し出せ。小田原藩士にあるまじき行為。余が手打ちにしてくれよう」

 忠真は利十郎に激しく命じ、怒りを露わにした。利十郎は忠真の怒りに身体が震えた。

「ははっ。必ず、万助を探し出しましょう」

「して、万助に殺害された只助の家族は如何しておるのじゃ。平馬、知っておるか」

「はい。浅田只助の未亡人、菊殿は閉門の後、病身ながら、子供らの成長を楽しみに、自分の実家に戻り、針仕事をしながら生活しておられます」

 付き人、磯田平馬の説明に忠真は頷いた。

「子供らは幾つじゃ」

「姉の千佳は十七歳。井細田村の高田栄蔵の三男、鉄蔵と許嫁になっておりますが、婚礼は何時のことやら。弟の門次郎は十二歳。吉岡信基先生や二宮金次郎先生について、学問を身に着けている最中です」

「姉と弟の二人姉弟か」

「はい。二人はとても仲の良い姉弟です。父親を失った苦難にもめげず、病身の母親を助け、懸命に頑張っておられます」

「左様か。そんな姉弟が、親の仇が逃げたと知ったら、どうなるのだ?」

 忠真は牢奉行、大橋利十郎の顔を覗き込むようにして訊いた。利十郎は浅田家の姉弟のことを思い、率直に答えた。

「多分、父親が殺された時のことを思い出すでありましょう。憎しみと悲しみが、恨みとなって蘇って参りましょう。また万助に逃げられた我々のことも非力と笑うでしょう」

「我々のことを非力だと笑うというのか?そして親の仇討ちをしたいと言い出すとでもいうのか」

 忠真の質問に利十郎は首を横に振って返事した。

「一旦、閉門した者が、わずかな家督を継ぐ為に、命を懸けて再興を願うかどうか、疑問です。この太平の世に、そのような考えを持つ者がいるとは思えませんが」

 利十郎の見解に、忠真は死んだ只助の残念至極の思いに心をはせ、平馬に尋ねた。

「平馬はどう思う?」

「人の心は分かりません。もしかして、もしかということもありましょう。たとえ、それが空しい事であっても、人はそれに命を賭けたりするものです」

 忠真は平馬の言葉を聞いて、ほっとした。仇討ちなどいうものは、いかにも時代遅れの感を否めないものであるが、小田原藩士には、そういった気概を失ってほしくなかった。牢奉行、大橋利十郎は、鳴滝万助逃亡の報告を終え、万助を捕らえることを約束すると、江戸屋敷から小田原へと急いで戻って行った。忠真は利十郎の報告を受け、しばらくぶりに小田原に行って見ようかと思った。

 

         〇

 小田原藩主、大久保忠真は、紅梅白梅が咲き匂う小田原に帰城した。家老ら重臣を集め、諸々の打合せを終え、忠真が城下を眺めていると、家老、吉野図書が落着きの無い足取りで戻って来た。

「殿。高田栄蔵の三男、鉄蔵が、鳴滝万助に殺害された浅田只助の長子、門次郎の仇討ちの手助けをしたいと、嘆願書を届けにやって参りました。如何、致しましょう?」

 図書の言葉に、忠真の目が輝いた。

「何じゃと。あの高田鉄蔵が、仇討ちの助太刀をしたいと申し出たというのか」

「はい。浅田家の一家、そろって、その嘆願に参っております」

「よろしい。ここに通せ」

 忠真は鉄蔵らを二の丸書院の前庭に通すよう命じた。それを受けて、吉野図書が磯田平馬に声をかけた。

「殿のお許しが出た。高田鉄蔵らを、ここに呼べ」

 平馬が走って行き、大橋利十郎に伝えると、利十郎に連れられ、浅田家の者と高田鉄蔵が、書院の庭に現れた。平馬が、恐る恐る入って来た一同に向かって言った。

「殿からのお許しが出た。一同、こちらに坐れ」

「有難う御座います」

 浅田家の代表、浅田五兵衛が深く頭を下げて礼を言い、一同を庭に坐らせた。そこへ忠真がゆっくりと姿を見せた。忠真は一同を見回し、高田鉄蔵を見つけた。

「高田鉄蔵、久しぶりじゃのう」

「お懐かしゅう御座います。このような形で御目にかかることになろうとは、予想だにしておりませんでした。誠に恐れ入ります」

「そちとは、よう稽古をしたものじゃのう」

 忠真は少年の鉄蔵が手加減もせず、打ち込んで来るのに悩まされた日のことを思い出した。鉄蔵は忠真と剣術の稽古をする機会がなくなってからも、剣術に励んで来た。

「はい。若さいっぱい、夢中で稽古をして参りました。これからの世の中では剣術など、どうでも良い。学問に励み、役人としての才能を身に付けよという周囲の言葉に耳を傾けず、ただひたすら、剣に打ち込んで参りました」

 二十一歳の鉄蔵は長身であるが、剣術で鍛えた引き締まった身体をしており、眉が濃く、鋭い目の精悍な顔をしていた。

「そして、その時が来たというのか」

「はい。ここに居並ぶのは鳴滝万助に殺害された浅田只助の妻、菊。その男子、門次郎。女子、千佳。それに浅田五兵衛を頭とする縁者一同です。主人、只助を殺害した鳴滝万助が、罪を償わぬまま脱牢したことを聞きつけ、こうなっては、万助が処罰を終えぬまま何処かに雲隠れしてしまうのではないかと思い、一家そろって仇討ちの御許可をいただきに参りました」

「今時、仇討ちなどということは耳にしないが、本気でそれを考えておるのか?」

 忠真が確認すると、鉄蔵が真剣な眼差しをして答えた。

「仇討ちは武家の習い。ましてや、その仇討ちが故人の遺言であれば尚のこと、果たさねばなりません」

 それに浅田家の代表、五兵衛が言い添えた。

「只助は残念だ。仇を討ってくれと、何度も言いながら死んで行きました。お殿様。お願いです。仇討ちの御許可をお聞き届け下さい」

 忠真は一瞬、顔を曇らせた。それから改めて鉄蔵に尋ねた。

「そちたちの願いは分かったが、何故、浅田家の仇討ちに、鉄蔵が手助けをするのか」

 鉄蔵は答えた。

「御覧の通り、故人、浅田只助の妻、菊は病身であり、敵を追って旅することは難しく、倅の門次郎はまだ少年。娘の千佳はか弱く、姉弟二人で、あの鳴滝万助を討つのは無謀です。そこで、それがしが浅田家の婿養子となり、母上と千佳を小田原に置き、門次郎と仇討ちの旅に出ることに決めました」

「左様であるか。すると鉄蔵は浅田只助の遺児、門次郎と共に義父の仇討ちを行い、見事、仇討ちを果たした時、千佳と一緒になり、浅田家を再興するというのじゃな」

「はい」

 忠真は浅田家一門の心意気に感激し、右手で袴をポンと叩いた。

「気に入った。そちたち二人には仇討ちの手当金と太刀を授けることにしよう。それと留守宅の母親と娘には、扶持と妙薬を与えよう。不届き者、鳴滝万助の仇討ちについては、江戸の三奉行と相談の上、許可することにしよう」

「有難う御座います」

 鉄蔵は庭土に額をつけて感謝した。鉄蔵や五兵衛の背後にいた一同も、それに合わせ、身を縮めて頭を下げた。家老、吉野図書が一同に告げた。

「以上、殿、直々の御許可である。一同、深謝されよ。また二人は早々に本懐を果たし、この小田原に戻って来い。もし仇敵が死んでしまった時は、その証拠を持って帰るのじゃぞ」

「ははーっ。有難き仕合せ。深く深く感謝申し上げます」

 鉄蔵は、藩主、忠真と家老の図書を見詰め、涙顔になった。その鉄蔵の顔を見て、忠真は笑った。

「免許状は数日後に渡せよう。では鉄蔵、また会おう」

 忠真は鉄蔵の意気込みに触れ、上機嫌だった。

「はい。見事、仇討ちを果たして御覧に入れまする。お殿様も御達者で」

 忠真は平伏する浅田家一門を見やり、その場から立ち去った。

 

         〇

 小田原藩主、大久保忠真は江戸に戻ると、同僚の老中たちに仇討ち届書を回し、仇討ち許可の了解を求めた。老中たちは届書に目を通し、直ちにそれを許可してくれた。かくして二十一歳の青年、高田鉄蔵と十二歳の少年、浅田門次郎は浅田只助を殺害して、浜町牢屋から脱獄した鳴滝万助が逃亡したと思われる上方に向かうことになった。何故なら、万助の逃亡先が、『大阪屋』の使用人、亀次の出身地、堺あたりではないかとの想定からであった。鉄蔵と門次郎は松原神社に祈願し、一族に見送られて小田原を出立した。東海道を西へ西へと急いだ。何としても、鳴滝万助を討たねばならぬ。一ヶ月前、万助が浜町の牢屋から逃亡したことを知ると、只助の妻、菊と娘の千佳は、只助が斬殺された時の惨い情景が蘇り、嗚咽を洩らしていた。その様を思い出す度に、鉄蔵の心に、敵に対する強い怒りが沸き上がって来た。また父が目の前で討たれるのを防ぐことが出来なかった門次郎の無念と屈辱は、後悔と怒りの混交した複雑な感情となって、門次郎の心の内に激しく渦巻いていた。しかしながら、行けども行けども、万助らしい男の足取りは掴めなかった。それでも諦める訳にはいかない。この無念を晴らさねば、武士として生きては行けぬ。二人は必死になって万助を探索した。殺人を犯し、その上、脱獄した大悪人だ。関東取締出役の見回りは厳しい。関八州には留まっていない筈だ。名古屋を過ぎ、京都に到着しても、万助の消息は掴めなかった。藩公、忠真が京都所司代の頃に仕えていた人たちを頼りに、万助のことを訊ねると、大阪にいる可能性が高いと言われ、大阪、堺に出向いたが、万助の足取りは全く分からなかった。二人は四国、九州へも足を伸ばした。薩摩まで行ってみたが、何の手がかりも無く、二人は仕方なく、関東へ引き返すことにした。九州から周防に渡り、山陽道を京都に向かい、そこから北陸に入り、続いて中仙道にて信濃から関東に戻り、江戸に着いたのは、文政四年(1821年)の秋であった。二人は路銀に事欠き、もう移動もままならぬ状況になっていた。

「兄上。もうこれ以上、動き回っても無駄ではないでしょうか。万助は名前を変えたりしていて、見つからないのではないでしょうか」

「門次郎。仇討ちは、そう簡単なものではない。諦めるのはまだ早い。一生かかっても万助を探し出すのじゃ」

「でも、このままでは食うにも困り、野垂れ死にしてしまいます」

 鉄蔵は門次郎を睨み、叱咤するかのように言った。

「そう弱気を吐くな。万助の首を討てば、それがしたちは、晴れて小田原への帰参が叶い、城下へ戻り、家督を継ぐことが出来るのだ」

「分かっております。それにしても、随分と方々を探し回りました。それ故にか、何時、会えるかも知れない仇敵を求めて、当てどなく歩き続けるのが、門次郎には馬鹿らしくなって来ました」

 門次郎は泣き顔であった。鉄蔵は苦渋に顔をしかめ、門次郎を諭した。

「今しばらくの辛抱じゃ。それがしたちの苦労は、神様や仏様が、ちゃんと見ていてくれる」

「そうでしょうか。浅間神社熱田神宮伊勢神宮延暦寺西大寺、琴平宮、善通寺厳島神社、常栄寺、宇佐神宮金剛峯寺永平寺善光寺など、私たちは、どれだけ沢山の神社仏閣にお参りしたことでしょう。本当に神や仏は、私たちのことを見ていてくれるのでしょうか」

「見ていてくれるとも。それに御母堂や千佳殿が、それがしたちの成功を祈願しておられる。我慢するのじゃ」

 そうは言ったものの、鉄蔵も月日が風のように過ぎ去っていくのが恐ろしかった。鉄蔵は亡き只助の従姉の夫、馬場儀右衛門が、江戸の一ッ橋家に仕えているのを思い出した。一ッ橋家の下屋敷は深川扇橋の近くにあった。鉄蔵は、そこを訪ね、儀右衛門夫婦にお願いした。

「門次郎はまだ十三歳になったばかしです。私とこのまま諸国を歩き回っていたのでは、本来の武士としての文と武の教育を、身に付けさせることが出来ません。どうか門次郎を側に置いて、教育して下さい。仇敵、万助の居所は私が突き止めます」

 鉄蔵たちの苦境を知った儀右衛門夫婦は二人に同情し、鉄蔵の願いを聞き入れた。

「承知しました。この屋敷に住まわすのは難しいと思いますが、旗本、大前孫兵衛様が、若党を求めておられますので、そちらに紹介致しましょう。まずは私どもで、門次郎をお預かり致します」

「有難う御座います」

「今日は積もる話もありましょう。泊っていって下さい」

 儀右衛門が宿泊を勧めると、鉄蔵は辞退した。

「門次郎を預かっていただくだけで充分です。私は木挽町の姉の所に泊ります。私の姉は『駕籠勝』という宿駕籠担ぎの渡世をする勝右衛門の女房です。そこで一泊し、明日から甲州街道方面を歩いてみます」

「そうですか」

「万助を見つけ出しましたら、必ず門次郎を迎えに参ります。そして二人で、討ち取ります。たとえ五年、十年かかりましょうとも、必ず万助を探し出し、門次郎を迎えに参ります。それまでは、門次郎をよろしくお願い致します」

 鉄蔵は、そう挨拶して一ッ橋家の下屋敷から立ち去った。馬場夫婦と一緒に鉄蔵を見送る門次郎が、溢れ出ようとする涙を耐えているのが分かった。鉄蔵は木挽町に向かった。こうして鉄蔵と門次郎は離れ離れに生活することになった。鉄蔵は木挽町の『駕籠勝』の姉、喜代の家を基点として、万助探しを開始した。虚無僧姿に変じたりして、江戸の周辺を歩き回った。だが万助の行方は杳として分からなかった。月日はどんどん過ぎていった。

 

         〇

 文政七年(1824年)三月、鉄蔵が小田原を出てから四年目になろうとしていた時、鉄蔵は『駕籠勝』の勝右衛門の紹介で、深川の医者、印牧元順の若党となった。若党部屋で診断記録をまとめていると、看護婦の松宮綾がやって来た。

「鉄蔵さん。先生がお呼びです」

「先生が、それがしを。何であろう」

「お知合いの人が、お見えになっているとか」

 鉄蔵は首を傾げた。門次郎ではあるまい。

「誰であろう」

 鉄蔵は廊下を進み、元順先生のいる診察部屋の障子を開けた。

「失礼致します」

 障子を開けるや、鉄蔵はびっくりした。眼前にいる女を見て、声が出なかった。女が妖しく微笑した。

「矢張、鉄蔵さんね」

「何と、お櫂さんでは御座らぬか。お櫂さんが何でここに?」

 鉄蔵の質問に元順先生が答えた。

「お櫂さんは、この近くの深川舟町に住んでいる。女の子が熱を出して、診察に来られたのじゃ。世間話をしているうちの、お前の話になってな・・・」

 櫂は女の子を抱きながら、鉄蔵を見て、にっこり笑った。鉄蔵は櫂が小田原にいた頃の少年から立派な逞しい青年に変貌していた。

「小田原の人が先生の所にいるというものですから、誰かと伺えば、鉄蔵さんらしいので」

「お櫂さんと会えるとは、思いもよらなかった。実に久しぶりです」

「はい。お懐かしゅう御座います」

「積もる話もあろう。わしはひとまず席を外そう。お櫂さん。薬を用意しておくから、帰る時に声をかけておくれ」

「お気使いいただき有難う御座います」

 元順は医療道具を持って、部屋から出て行った。鉄蔵が櫂の抱いている子供を覗き込んで、子供の様子を伺った。

「子供の具合はどうですかい?」

「先生に熱さましの御薬をいただき、このようにぐっすり眠っております。安心しました」

「そりゃあ、良かった。印牧先生は腕の良い医者だ。姉のつてで、それがしも厄介になっております」

「そうでしたか」

 二人が正面きって話すのは数年ぶりの事であった。鉄蔵は小粋な櫂の夫、道具屋松五郎のことを思い出した。

「松五郎さんは達者ですかい」

「相変わらずの堅物で、困っております」

「男は真面目な方が良いです。ちゃらんぽらんな奴と付き合っていたなら、身の破滅だ」

 櫂は思わず鉄蔵を睨みつけた。

「万助のことを言っているのかい」

「そうです。それがしは貴奴のことを、四年も探し回っている。何処へ行ったのか、皆目、行方知れずじゃ。もしかして、お櫂さんの所へ、尋ねて来たりしなかったかい」

「あの人とは小田原で別れたっきり、何の音沙汰もありゃあしないよ。きっとお琳と一緒だよ。あの人は、私からお琳に乗り換えたのさ。探すなら、お琳の故郷の水戸へ行ってみるんだね」

 櫂が自分を捨てた万助を憎んでいるのが分かった。女の勘は鋭い。もしかすると、万助は水戸あたりにいるのかも知れない。

「有難うよ。お琳が水戸の生まれとは知らなかった」

「お琳は小田原に売られて来たのさ。それを、ちょっとばかし可愛いからと言って、『大阪屋』の旦那が身請けしたのさ。そして色仕掛けで万助をたぶらかしたってわけ」

「そういう裏があったのか」

 鉄蔵が頷いていると、櫂が豊かな腰のあたりを捻るようにして、女の子を抱いて立ち上がった。何とも色っぽい。

「鉄蔵さん。もっと話していたいけど、うちの松五郎が焼餅を焼くといけないから、帰りますね。それに、ここじゃあ・・・」

「今日は、お櫂さんに会えて良かった。嬉しかったよ。子供は宝だ。大事にして下さい」

「有難う御座います。私は舟町の『黒江屋』という道具屋にいますから、暇があったら来ておくれ」

「分かりました。薬を貰って帰って下さい」

「あいよ」

 櫂が子供を抱いて立ち去ると、綾が部屋に入って来た。

「随分と馴れ馴れしいお人ですね」

「小田原にいた時の知り合いです。昔から、あんな女でした」

「騙されてはいけませんよ」

 綾は諭すように言った。分かっている。今日の櫂の顔が、余所ゆきの顔であることを・・・。それにしても、櫂から聞いた琳の情報は有難かった。鉄蔵は水戸に行ってみようという好奇心にかき立てられた。

 

         〇

 それから数日が過ぎて、また来客があった。綾が鉄蔵のいる部屋に、それを伝えに来た。

「鉄蔵さん。お客がお見えになりましたよ」

「誰かな?」

「お侍さまです。ここへお通ししますよ」

「通してくれ」

 綾は一旦、立去り、再び客人を連れて、やって来た。

「こちらで御座います」

 綾に案内され、現れたのは、母方の親戚、富士大宮の御師、中村伊織であった。

「おおっ。伊織殿では御座らんか」

「お久しぶりです。緊急にお知らせしたい話があり、お伺いしました。お人払いを」

 鉄蔵は伊織に、そう言われて綾に目を向けた。

「綾さん。申し訳ないが、席を外してくれ」

「まあっ、気が利かず、申し訳ありません。話が終えましたら、声をかけて下さい」

 綾は丁寧に挨拶して立去った。綾が遠ざかったのを確認して、鉄蔵が声をひそめて訊いた。

「人払いした。それがしに知らせたい話とは、どんな話です?」

「門次郎の母、お菊さんからの伝言だが、お主らの探している鳴滝万助は、水戸の外れにいるらしいぞ」

「それは真実か?」

 鉄蔵の目が輝いた。

「亡くなられた只助伯父の昔の同僚、宮川太吉さんが、水戸あたりで、幾度か万助を見かけたと、お菊さんに知らせて来たというのだ」

「矢張り、水戸か」

 鉄蔵は部屋の天井を睨んだ。伊織は話を続けた。

「それに豆腐屋の鶴吉が、鹿島神宮のお祭りで、鳴滝万助の子分、亀次に出会ったそうだ」

豆腐屋の鶴吉が、何で鹿島などに?」

「あいつは、お琳という女が忘れられぬらしい。小田原から姿を消した、お琳を探しているうちに、そのお琳が、磯浜という所で、煙草屋をしているのを突き止めたという」

 鉄蔵は鶴吉が琳に惚れていることを、この時、初めて知った。そして察知した。

「ならば、そこへ行けば、万助に会えるというのだな」

「その通りじゃ。門次郎の母は、お主にそう伝えてくれと、拙者に依頼して来た。お主と門次郎が磯浜に行く日が決まれば、それに合わせて、鶴吉を磯浜に行かせるぜ」

「鶴吉には関わりの無いことだと思うのだが・・・」

「鶴吉は万助にお琳を取られた男。万助を恨んでいるのだ。万助を討つ時に、立会いたいと言っている。何かと役に立つと思う。仇討ちに立会わせてやってくれ」

 伊織は鶴吉に頼まれたらしい。仇討ちは失敗出来ない。何としても成就せねばならぬ。鉄蔵は腹を決めた。

「鶴吉の気持ちは分からぬでもない。敵の子分も多いかも知れぬ。四月二十五日、磯浜の旅籠に来るよう、鶴吉に伝えてくれ」

「了解した。拙者はこれから小田原を回り、富士へ帰る。門次郎にも、よろしく伝えてくれ。見事、本懐を果たし、浅田家を再興し、お千佳さんと目出度く夫婦になってくれ。これは中村家からの援助の気持ちじゃ。路銀の足しにしてくれ」

 伊織は懐中から巾着袋を取り出し、鉄蔵に渡した。鉄蔵は伊織の手を握り締めて言った。

「伊織殿。ご支援、心より感謝申し上げる。母上やお千佳にも、あとわずかの辛抱であると伝えてくれ。伊織殿の御家族にも、本懐を必ず果たすと、お伝え下されい」

 鉄蔵の感謝の言葉を受けると、伊織は鉄蔵の手を振り解き、深く頭を下げた。

「では拙者は、これにて失礼致す」

「お役目、御苦労で御座った」

 二人は立上がった。鉄蔵の部屋の襖が開き、廊下を歩く足音を聞き、近くの部屋にいた綾が、慌てて顔を出した。

「あらっ、もうお帰りですか?」

「突然、邪魔を致した。印牧先生はどちらですか。一言、帰りの挨拶をしたいのですが」

「近くの患者の所へ出かけております。ゆっくりして行かれるように申しておられましたのに・・・」

「急いで帰らねばならないので、先生が帰られましたら、失礼した事を、お詫びしておいて下さい」

「承知しました。お気をつけてお帰り下さい」

 綾と鉄蔵は『印牧診療所』の屋敷門から通りまで出て、伊織を見送った。

「行ってしまった」

 鉄蔵が部屋に戻ると、綾が部屋にお茶を淹れて運んで来て言った。

「鉄蔵さん。あなたには、お千佳さんという人がいらっしゃったのね」

 綾が恨みがましい声で言った。綾は部屋の襖の外側に身を寄せ、伊織との話を聞いていたに違いなかった。

「盗み聞きしていたのか」

 綾は答えなかった。鉄蔵は言った。

「いかにも、お千佳はそれがしの許嫁じゃ。されど、それがしが仇敵を探し出し、仇討ちせぬ限りは、お千佳と会うことは出来ぬ」

「何処へ逃げたか分からぬ仇に巡り合うまで、何年かかるか分かりませんのに。それまではと、何もかも、我慢なされて来られたのですね」

 綾の目がうるんでいるのが分かった。鉄蔵は一瞬、息を呑んで、綾を見詰めた。綾の目には切羽詰まった何かを決意したような光があった。

「な、何のことです」

「鉄蔵さん」

「綾さんは、それがしの苦しみが分かるというのですか」

「私は女。あなたの気持ちが分からぬ筈がありません。充分、分かっております。男なんですから、私を抱いて下さっても良いのですよ」

 綾が崩れるように鉄蔵の胸の中に身体を預けて来た。鉄蔵は綾を抱いてはならぬと思った。女との情愛に溺れることは許されぬ。どんな快楽の機会を犠牲にしようが、仇を討つまでは禁欲を守らねばならぬ。

「綾さん。それはならぬ。仇を討つまでは、それはならぬ事なのじゃ」

「何故です。そんな痩せ我慢は愚かしいことです。鉄蔵さん。私を抱いて下さい」

 綾はうわずった声で懇願すると、鉄蔵の胸に顔を強く押し付けるように埋めた。この人は仇討ちに行って殺されてしまうかも知れない。それは主人、印牧元順が回診に出かけている間の綾の誘惑であった。

 

         〇

 中村伊織から知らせを受けた鉄蔵は、その日のうちに印牧元順の屋敷から抜け出し、木挽町の『駕籠勝』へ行った。そこには中村伊織の伯父、三間市兵衛から『暇つかわし候』の証文をいただいた、義弟、門次郎が待っていた。勝右衛門と喜代も胸をざわつかせ、鉄蔵が来るのを待っていた。鉄蔵は喜代に言った。

「姉上。鉄蔵は印牧先生に一両二分の前借があります。ここにある衣類や、その他の物を売って、一両二分を作り、我等兄弟が仇討ちしたとの飛脚が来ましたら、この詫状に添えて、印牧先生に、お届け願います」

「承知しました。二人とも死んではなりませんよ。何としても、浅田家を再興させるのです」

 その喜代に続いて勝右衛門が言った。

「見事、本懐をお遂げになられるのを、あっしら夫婦、お待ちしておりやす」

「長い間、有難う御座いました。この御恩、一生、忘れません」

 鉄蔵と門次郎に平伏され、『駕籠勝』の夫婦はまごついた。

「何、言ってるんでい。おめえさんは女房の弟じゃあねえか。他人行儀を言いなさんな」

 勝右衛門の言葉に、畳に手をついた兄弟は、感謝の気持ちを表す術を失った。それから勝右衛門は喜代に酒の準備をさせた。

「さあ、飲んだ、飲んだ」

「では、遠慮なくいただきます」

「それにしても、仇討ちとひと口で言うがよ、誰でも出来るもんじゃあねえぜ。相手が強かったり、手下の数が多かったりする事もあるから、気を付けなよ」

「はい。気を付けます」

「返り討ちにあって、お先真っ暗になったお武家さんも結構いるからな」

 それを聞いて、喜代が目を丸くした。

「あんた、何、言ってるのよ。鉄蔵は小田原一の腕前なんだよ。見て御覧なさい。この刀。大久保のお殿様より頂戴したんだから、負ける筈などないわよ」

「万助は狡い男だからな」

 鉄蔵は姉夫婦の言い合う顔を、面白そうに見比べた。夫婦の会話を黙って聞いていた門次郎が、真顔になって言った。

「鉄蔵兄さんとなら、相手がどんなに悪党でも、討ち取ることが出来ます。見ていて下さい。でっかいことをやって見せますから」

 門次郎の言葉に、他の三人は顔を見合わせ、真顔になった。こうして『駕籠勝』の家の夜はふけて行った。

 

         〇

 翌四月十八日、鉄蔵と門次郎は、深川の馬場儀右衛門に挨拶し、常陸に向かった。三日後に那珂湊に到着。旅籠『小磯屋』を宿に選び、そこで助っ人、鶴吉が来るのを待った。

「兄上。鶴吉さんは、やって来るのでしょうか」

「来るとも。伊織殿の知らせによれば、あの豆腐屋の鶴吉が、鹿島で盗人野郎、亀次に出会ったらしい。調べによれば、亀次は、ここらあたりで暮らしているという。ひょっとして、万助も同じ所にいるのかも知れねえというのだ。それで母上が、鶴吉に金を渡して、この旅籠に来てもらう段取りにしてあるんだ」

「万助は本当に、ここらあたりにいるのでしょうか。私たちは東海道をはじめ、山陽道、さらに四国、九州と、旅の苦労を重ねて参りましたが、憎き万助を見つけられませんでした。本当に万助を見つけられるのでしょうか」

「心配するな。必ず見つかる。その日が来ることを信じて頑張って来たではないか」

「しかし諸国を旅して早くも四年の歳月が過ぎました。本当に見つけられるのでしょうか」

「男であろう。希望を持て!」

 その時、階段を昇って来る足音がした。女中が襖を開け、部屋に顔を出した。

「お客さま。失礼します。風呂が沸きましたので、お入りになられますか」

「そりゃあ、有難い。門次郎、先に入れ」

「兄上が先に入って下さい。兄上の方が、お疲れでしょう」

「そうか、それでは先にいただく」

 女中に案内され、鉄蔵は手ぬぐいを持って階段を降りて行った。門次郎が天井を見詰めていると、女中が戻って来た。

「春と申します。お連れさんは本当に、お客さんのお兄さんなのですか」

「そうです。それが何か」

「二人とも男前なのに、全く似ていないものですから・・・」

 確かに鉄蔵は眉が濃く、精悍な顔をして長身である。それに較べ、門次郎は小柄で色白の甘い顔をした優男である。

「ハハハ。そりゃあ、当たり前だ。義理の兄じゃ。私たちは義兄弟さ」

「左様でしたか。潮来から参られたと伺いましたが、潮来は如何でんした?」

「見渡す限りに水郷で、実に長閑な所であった。桃の花があたり一面に咲いていて、楽しい旅を味わった」

 春は真剣に話す門次郎の顔を見て、ニッと笑い、門次郎に身体を傾けた。

「ここに泊ってから、どちらに行かれるだね?」

「数日してから、日光へ行くつもりじゃ」

「日光に良い人でも?」

「そうじゃ。会いたい人がいるのじゃ」

 門次郎は用心して行く先を偽った。春は身体を摺り寄せ、門次郎の膝をつねった。

「まあ、憎らしい」

「焼餅を焼いているのか」

「決まっているじゃありませんか。だから、ねえ、お客さん。お兄さんが湯につかっている間、ちょっとばかり、私を可愛がっておくれよ」

 門次郎は慌てて、春を突き放した。

「からかわないでくれ。私は女は嫌いじゃ」

「女嫌いな男なぞ、この世にはいませんよ。私は優しくて、情が深いのよ」

 春な門次郎の手を握り、唇を門次郎の顔に押付けようとした。

「止めてくれ。兄上に見つかったら大変だ」

「恥ずかしがらなくったって良いのさ。私を抱いておくれよ」

「それは出来ない。勘弁してくれ」

「いいじゃあないか。ちょっの間で良いからさ。ここに手を入れておくれよ」

 春は執拗だった。緋色の長襦袢の胸を開き、乳房に触れさせようとした。門次郎はどうしてよいのか分からず、逃げ回った。

「私には大事な仕事がある。その仕事が終えてからでないと、そんな事、出来ぬ」

「その仕事って何だい?日光東照宮にお仕えでもするのかい}

「いや。人探しじゃ」

「なら、問題無いじゃあないか。ちょっと遊ぶだけなんだから」

「勘弁してくれ。私は頬に傷のある男を探し出さねばならんのだ。その男を見つけてくれたら、お前の相手をしてやっても良い」

 門次郎は部屋の片隅に追い詰められ、畳に手をついて詫びた。門次郎の言葉に、春が声を上げた。

「頬に傷のある男。まさか鶴吉さんのことではあるまいね」

「鶴吉。いや違う。万助って言うんだ」

 春が顔を赤らめた。

「からかわないでおくれ。万助だなんて。お客さん、その気になっておくれかい」

「勘違いだ。おお、そうだ。その鶴吉さんにも、会う約束をしている」

 春は門次郎の意志の固いことを知ると、抱かれるのを諦めた。

「その鶴吉さんなら、小田原生まれで、二日前から、ここに泊っているよ。ちょっと部屋に呼んでみなさるか」

「おお、そうしてくれ」

「その代り、後でお願いだよ」

 春は色目を使って立ち去った。入れ替わりに足音がして、鉄蔵が部屋に戻って来た。

「門次郎。良い湯だったぞ。入ったらどうだ」

「私は後にさせていただきます」

「どうかしたのか」

「兄上。これからここに頬に傷のある鶴吉という男がやって参ります。もしかすると、万助かも知れません」

「何じゃと。あの鶴吉ではないのか」

 言われてみれば確かに豆腐屋の鶴吉には頬に傷など無かった。万助が鶴吉の名を騙っているというのか。門次郎の目は真剣だった。

「小田原生まれで、頬に傷のある男だというので、女中に、ここへ呼んでもらうことにしました」

「もし万助であったなら、それがしたちと気づき、逃亡するであろうに」

 と鉄蔵が言った時、部屋に向かって人の来る足音がした。

「しいーっ。やって来たようです」

 襖の外から春の声がした。

「お客さん。鶴吉さんを案内しました」

「どうぞ」

 春が襖を開けた。

「失礼します。鶴吉さん、中へどうぞ」

 すると襖を開けた春の後ろから鶴吉が顔を覗かせた。

「お待ちしておりやんしたよ。御両人さま」

 満面に笑みを浮かべ、鶴吉が小躍りして部屋に入って来た。鉄蔵が、のけ反って言った。

「おう。本当に豆腐屋の鶴吉じゃ。このような所まで足を運んでもらい、御苦労じゃった」

「全くその通りで。そちらが門次郎さんで?」

「そうだ」

「随分と御立派になられまして」

 鶴吉は門次郎の変わり様にびっくりした。

「門次郎です。お久しぶりです」

 門次郎が鶴吉に丁寧な挨拶をした。その様子を見ていた春が、鉄蔵に訊いた。

「皆様、お知り合いで?」

「そうじゃ。何をしている。三人の膳と酒を、ここに運んでくれ。三人で今宵は飲み明かすのじゃ」

「それはそれは嬉しいお話。急いで用意致します」

 女中の春が喜びいさんで退出して行くのを見計らってから、鉄蔵が鶴吉に質問した。

「ところで鶴吉。その顔の傷はどうしたのじゃ」

「聞いておくんなせえ。実は二ヶ月前の鹿島神宮さまのお祭りで、知り合いの男を見かけたもんで、後をつけたら、突然、侍に背後から斬りつけられまして・・・」

 鶴吉は顔をしかめた。

「背後からとは卑怯千万な侍」

「へ。無我夢中で走り回り、何とか逃げ切ることが出来ましたが、こんなふうに頬に傷を受けてしまい、恥ずかしい話で・・・」

「危ないところであったな。して、その侍は何者じゃ?」

「多分、亀次たちの用心棒でしょう」

「亀次ですと。母上から金を奪って逃げた、あの『大阪屋』の」

 門次郎が興奮した。門次郎の目に強い怒りの色が現れた。目の前で父、只助が斬られた日のことが蘇った。

「左様で御座います。後をつけた、あっしの知り合いとは、亀次のことです」

「鶴吉さん。その卑怯な侍の頬に、深い傷跡は無かったですか?」

「はあ、一瞬のことで覚えておりません。しかし、そいつは鳴滝じゃあありませんよ」

「おぬしは鳴滝万助を知っておるのか」

 鉄蔵は鶴吉に確認した。鶴吉が鳴滝万助を恋敵にしていたことは、中村伊織から聞いて知っていたが、どの程度まで亀次が万助の現状を把握しているか知りたかった。

「知るも知らぬもありませんよ。荒れ狂っている鳴滝の右手を天秤棒で叩いて、刀を放り投げさせたのは、このあっしですからね。それに・・・」

「それに何が?」

「あっしは鉄蔵さんと門次郎さんが、仇討ちの旅をなされてることを知っていました。ですから、鳴滝と関係ある亀次の後をつけてみたんです。何とかして鳴滝を探し出すことが出来ないものかと」

 鶴吉は万助と一緒の琳について語りたかったが、言い出せなかった。

「有難うよ。仇討ちの旅に出て、早や四年。全くの手掛かり無しで困り果てていたところじゃ。して亀次の居所は突き止められたのか」

「へい。磯浜の『万屋』という大店の番頭をしているとの噂です。それも、あっしと同じ、鶴吉を名乗っていやがるんでえ」

 話を聞いて、門次郎は居ても立ってもいられなくなった。

「兄上。亀次のいる磯浜へ行ってみましょう。そこに憎き万助がいるに違いありません」

「鶴吉。おぬしは、そこへ行ったことがあるのか?」

 鉄蔵が訊ねると、鶴吉は怖気づいた。

「この頬に傷をつけた、あの侍がいるのじゃあないかと思うと、恐ろしくて、そんな所へ一人で行けませんや」

「そりやあ、そうだな」

「だが、近くの村の百姓家の者が、『万屋』に借金の形に、娘を連れて行かれたままだと、あっしに『万屋』の悪事を嘆き、何とかならないかというもんで、細かく聞きやんした。すると『万屋』の主人は九兵衛という男で、左頬に大きな古傷があるとのことで、お内儀はお琳という名だと教えてくれやんした」

「成程。常陸に来て、『大阪屋』と同じ稼業を始めてていたということか。それで、鶴吉は、それがしたちが、仇討ちを果たしたら、お琳を小田原に連れて帰るのか?」

「と、とんでもねえ。万助を操るお琳は、てえした悪女ですぜ。一時、お琳の器量に惚れて夢中になりやんしたが、今じゃあ、やなこった」

 それを聞いて鉄蔵が豪快に笑った。丁度、その時、女中が三人、酒肴の膳を持ってやって来た。

「お待たせしました。お酒をお持ちしました」

「おおっ。待っていたぞ。鶴吉についでやってくれ」

 鉄蔵の指示に従い、春が鶴吉に酌をした。

「鶴吉さん。どうぞ」

「かたじけねえ」

 続いて鉄蔵に酌をしながら、春が喋った。

「旅先で、お知り合いと酒を飲むなんて、嬉しい事ですねえ」

「全くだ」

「良かったわね」

 春が門次郎に流し目を送りながら、門次郎の盃に酒を注ぐと、門次郎は答えた。

「うん、良かった。お前のお陰じゃ」

 それから他の女中、夏と篠も男たちの酌の相手をした。鉄蔵が春を酒に誘った。

「お前も一杯、どうじゃ?」

「よろしいのですか」

「良いとも」

 春が女たちに声をかけ、盃を取り寄せたところで、鉄蔵が宴会の口火を切った。

「じゃあ、皆で乾杯と行くか」

「乾杯!」

 一同、賑やかに乾杯した。食膳の準備も整い、次第に酔いが回り始めた。鉄蔵の脇に体格の良い女中、夏が付いた。酌をしながら訊く。

「お客さま、どうぞ。私、お夏と言います。お客様の名は?」

「鉄蔵じゃ」

「まあっ、お強そうな、お名前」

「この旦那は剣術の先生じゃ。強いに決まっている。あっちの方は分からんが」

 鶴吉が冗談を言うと、春が鶴吉に付いている女中、篠に向かって言った。

「そお言う、鶴吉さんは、あっちの方が強いらしいわね。ねえ、お篠」

「お春さんたら、からかわないで下さいよ」

 そう言いながら、篠が鶴吉に擦り寄るのを見て、鉄蔵が豪快に笑った。

「はっはっはは」

「鶴吉さん。こちらさんは、どうなんです?」

 春が門次郎のことを尋ねた。

「門次郎さんか。門次郎さんは女嫌いじゃ。お前の色仕掛けにかかるかどうか」

「門次郎さんて言うんだ。私、名前言ったっけ。お春よ。男ってものは、何でも強くないといけないからね。それと女は、何ていったって愛嬌さ。さあ、飲んでおくれよ」

 春に絡まれ、緊張している門次郎を見て、鉄蔵は今までの自分たちの禁断を解禁することにした。

「門次郎。今宵は無礼講と行こう。鶴吉のお陰で希望が湧いて来た。飲んで飲んで飲み明かそうではないか」

「はい、兄上。鶴吉さん、歌でも唄って下さい」

「よしきた。小田原音頭を唄おう。手拍子を頼むぜ」

「あいよ」

 篠の手拍子で、鶴吉が唄った。

〽小田原良いとこ  後ろは箱根

 前はこゆるぎ   松並木

 相州小田原    別嬪ぞろい

 行くか泊るか   思案橋

 

 来なよ小田原   内緒で一人

 通うお方にゃ   福が来る

 どうせ寝るなら  小田原娘

 右も左も     つぶぞろい

 

 咲いて見事な   小田原つつじ

 もとは箱根の   山育ち

 小田原よいとこ  楽しいところ

 わたしゃあなたを 待ってるよ

 鉄蔵たち三人は何本も銚子のお代わりをして酔いつぶれた。大丈夫だろうか。

 

         〇

 二日後の四月二十七日、三人は磯前神社に祈願した。大鳥居をくぐり、石段を登り、玉砂利の境内を本殿の前に進み、賽銭箱に、小銭を投げ入れ、柏手を打ち、それぞれに願い事を唱えた。

「無事、仇討ちの大願を成就出来ますよう、御助け下さい」

「父の恨みを晴らし、真の侍になれますよう御支援下さい」

「なにとぞ、お琳が改心しますように・・・」

 磯前神社への参拝を終えてから、三人は磯浜の繁華街へと向かった。鶴吉が先頭になって、大店『万屋』を突き止めた。

「鉄蔵さん。こちらのようです」

「中々の店構え。繁盛してそうじゃあないか」

「へえ。煙草の他、紙、味噌、油、穀物を扱うなどして、手広く商売をしているようで」

「亀次は何時も、この店の中にいるのか?」

「あっしも初めてなんで、分かりませんが、多分、店の中に」

 門次郎が店の看板を見て言った。

「兄上。見て下さい。あの店の商標。丸の中に万助の万の字が彫ってあります。まぎれもなく、万助がいるという印です。兄上、踏み込みましょう」

「門次郎。早まるな。『万屋』だ。万の字が彫ってあっても何の不思議はない。急いては事を仕損じる。もっと様子を調べよう。もしかして、向こうから歩いて来るのは、万助ではないのか」

 鉄蔵の質問に門次郎が答えた。

「兄上。違います。万助には左頬に大きな刀傷があります。父上に斬りつけられた時の傷です。あの男は万助ではありません」

「あれは鹿島の大黒屋喜兵衛親分です。小田原の大阪屋甚兵衛親分と繋がっている大親分です。あっしが亀次と出会ったのは、あの親分の所です」

「一緒にいる連中は誰か?」

「大黒屋の用心棒たちです。何しに来たのでしょう」

 鉄蔵たち三人は、物陰に隠れて店先の様子を窺がった。まず子分の伝吉が暖簾をくぐって小僧に挨拶した。

「ごめんよ。鹿島の『大黒屋』だが」

「いらっしゃいませ」

「九兵衛さんに会いに来たのだが、いらっしゃいますかな」

 白髪頭の喜兵衛が訊ねると、店の奥から亀次が跳び出して来た。

「これはこれは『大黒屋』の旦那様。お待ちしておりました。どうぞ奥に入って、おくんなせえ」

 店から出て来た亀次を見て、鶴吉が興奮して言った。

「あれが亀次です」

「間違いない。父上が殺された時、金を盗んで逃げた万助の仲間だ」

 万次郎が興奮した。そこで鉄蔵が鶴吉に顔を向け訊いた。

「あの『大黒屋』の者が、九兵衛さんと言っていたが、万助は九兵衛とやらの用心棒にでもなっているのか?」

「いいえ。九兵衛というのが、お二人の探しておられる鳴滝万助本人です」

「亀次同様、名を変えているというのか」

「そうです。渡世人の世界では、良くある話でして」

 鉄蔵と鶴吉が話している間、『万屋』を見張っていた門次郎が、声を殺して言った。

「兄上。女が泣きながら出て来ました。どうしたのでしょう。仔細を訊いてみましょうか」

「うん。そうしてみよう。鶴吉。声をかけてみてくれ」

 鉄蔵の指示に従い、鶴吉は中年の女に近づいて話しかけた。

「おかみさん。泣いたりして、一体、どうなさったんです。何か辛い訳がありそうだが、差し支え無かったら、あっしらに、その理由を訊かせておくんなせえ」

「他所の人に心配していただく訳には参りません」

「しかし、泣いてるおかみさんを見たら、放っとく訳にはいかねんでさあ。訳を訊かせておくんなせえ」

 鶴吉の優しい言葉に中年女は喋る気になった。鶴吉は彼女を鉄蔵と門次郎のいる物陰に引き入れて、泣いている事情を聞いた。

「私は常澄村のお千と申します。実は今日、『万屋』さんに、娘のお園を返してもらおうと伺ったのですが、借りた金を返さないと、お園を江戸の吉原とかへ売りとばす言って、突き帰されました。まさか、こんなことになろうとは。お父っあんに何と言ったらよいのか・・・」

 話ながら千は夫にどのように話すべきか悩んで、再び泣いた。鉄蔵が労わる様に、千の肩に手をやった。

「泣くでない。『万屋』は金貸しもしているのか。煙草屋と雑貨屋が商売では無いのか」

「はい。『万屋』さんは煙草の他、紙、油、酒、味噌、醤油、米など、何でも扱っております。それに裏で金貸しもしています。お父っあんの病気を治そうと、薬代を借りてしまったのが、いけなかったのです。五両、十両、二十両、三十両、四十両・・・」

 そこまで言って、千は言葉に詰まった。

「そして、娘さんを奉公に出せと言われたんだな」

「はい、そうです」

 鶴吉は頷いた。

「よくある話だ」

「して『万屋』の主人とは、どんな男だ?」

 鉄蔵が続けて質問すると、千は細かく説明した。

「九兵衛さんという、左頬に刀傷のある恰幅の良い旦那さんです。あの旦那さんに睨まれると、怖くなって、身がちじみ上がり、思っていることも言えなくなってしまいます」

「そうか。そいつは、万助に違いねえ」

 鶴吉が相槌を打つように言った。鉄蔵は万助の配下の数を知りたかった。

「使用人は何人ほどいる?」

「鶴吉という番頭を筆頭に、五人程います。その他、荒木玄四郎という、お侍さんが、おられます」

「荒木玄四郎」

「そいつに違いない。あっしを背後から斬りつけた侍は・・・」

 鶴吉が舌打ちをした。千は鉄蔵に尚も泣きながら喋った。

「娘を救うには五十両のお金が要るのです。そんな大金、私には都合出来ません」

「お千さん。心配するな。それがしたちが娘さんを取り戻してやるから」

「本当ですか。本当に救ってくれるのですか」

 千は鉄蔵の袖を揺すって確認した。鉄蔵は千を凝視して言った。

「安心せい。お千さんの説明で、万屋九兵衛の正体が分かった。それがしたちが九兵衛を懲らしめてやる」

 その言葉が終わると同時に、『万屋』の様子を窺っていた門次郎が、小さな声で言った。

「兄上。誰か出て来ました」

「気づかれてはならぬ。隠れろ」

 一同は物陰より更に後退して、塀の陰に隠れて様子を見た。鶴吉が出て来た男を指差した。

「鉄蔵さん。あの男です。あっしを斬ろうとしたのは」

「あやつが荒木玄四郎か」

「はい、そうです。あっ、お園」

 玄四郎と一緒に園と琳が出て来たのを見て、千が園を呼ぼうとするのを、鉄蔵が抑えた。

「声を出してはならぬ。赤ん坊を負ぶっているのが、お千さんの娘だな」

「はい。お園です。その後ろにいるのが『万屋』さんの御内儀のお琳さんです」

「畜生。お琳の奴。やっぱり鳴滝万助の女になって、こんな所にいたのか」

 鶴吉が不貞腐れた。鶴吉が悔しがったが、琳にとっては、万助の方に魅力があったのであろう。琳は店先に出ると、両手を広げ、気持ち良さそうに、外の空気を吸った。園が赤ん坊を背で揺すりながら歌を唄った。

〽磯で名所は   大洗さまよ

 松が見えます  ほのぼのと

 

 水戸を離れて  東へ三里

 浪の花散る   大洗

 

 船は千来る   万来る中で

 私の待つ船   まだ来ない

 園の歌声を耳にして、誰もが聞き惚れた。琳が嬉し気に言った。

「お園の歌は何時、聞いてもいいわねえ。お前の唄声を聞いていると、心が晴れ晴れして来るよ」

「あたいは歌が好きなんだ。野良仕事をしながら、おっ母さんに教えてもらったんだ」

 物陰で千が泣き声を漏らした。

「お園っ」

 母親が物陰から覗いていることも知らず、園はいろんな歌を唄った。

〽私に会いたきゃ 湊においで

 海辺の旅籠の  窓の中

 

 小石を拾って  小窓に向かい

 恋し恋しと   投げしゃんせ

 

 私は驚き    小窓を開けて

 なんだ猫かと  あんたを入れる

 用心棒、荒木玄四郎を連れて、赤ん坊を背負った園の歌を聞きながら、琳が散歩に出かけるのを、見送り、鉄蔵が言った。

「門次郎、鶴吉。万屋九兵衛が万助であるか、顔を確かめ、今夜、仇討ちを決行するぞ」

「はい」

 二人は鉄蔵に向かって頷いた。

 

        〇

 夕方、琳たちが散歩から戻ると、『万屋』の店先に万屋九兵衛が顔を出した。

「お帰り、お琳。野良の景色はどうだった?」

「素晴らしい夕陽だったわ。それに菜の花がいっぱい咲いてて、月が昇って来て・・」」

「それは良かったな。中に入んな」

 琳たちは身体を丸めるようにして店に入った。その万屋九兵衛の左頬に大きな刀傷のあるのを確認し、門次郎が言った。

「兄上。奴は、間違いなく鳴滝万助です」

「鉄蔵さん。あいつが、間違い無く、あっしの目の敵、万助でやんす」

「そうか。では頃合いを見計らって、討ち入ろう」

 鉄蔵が、そう答えて、三人は顔を見合わせた。そんなこととは知らず、琳は店に戻ると、店の次の座敷の脇で、主人の九兵衛の晩酌の相手を始めた。九兵衛は額が広く、頭髪が薄くなりはじめ、左頬にある大きな古傷が、今も凄みを見せていた。その九兵衛が琳に酌をしてもらいながら、気になることを琳に喋った。

「今日、昼前に来た『大黒屋』の親分が、浪人風の若い男が二人、頬に傷のある男を探し回っていると言っていた。もしかして、門次郎たちが、わしがここにいるのを嗅ぎつけ、調べ回っているのかも知れぬ」

「そんなこと考えられましょうか。あんたは万屋九兵衛。名のある大店、『万屋』の主人。何故、鳴滝万助と分かりましょう」

「油断は禁物じゃ。何処で誰が見ているか分からない。それに門次郎の助っ人の高田鉄蔵という男、相当の剣の使い手らしい」

 歳を重ねるごとに、九兵衛は自分の身の動きが緩慢になっているのを感じ、時折、不安になることがあった。

「あんたらしくもない弱気なことを。あんたは剣術では稀代の腕前。高田鉄蔵など恐れることはありません。大吉の為にも頑張っていただきませんと」

「そうだな。大吉の為にも、わしは死ぬ訳にはいかぬ。大吉はどうした?」

「お園が子守りをしています」

「大吉の顔が見たい。お園をここに呼べ」

 琳が立ち上がり、裏の勝手にいる園に声をかけた。

「お園。お園。こちらへおいで」

「おかみさん。何か御用で御座いますか」

「旦那様が大吉を見たいと申しています。大吉を私によこしなさい」

「はい。只今、眠っているところです。そっと、お渡し致します」

 園がしゃがんで、大吉を背中から降ろすと、琳が大吉を抱き上げ、頬ずりをした。

「おお、何と可愛い寝顔。無邪気なこと」

 琳が大吉を連れて行くと、九兵衛の顔がほころんだ。

「全くだ。子供の寝顔は、この世の穢れを知らぬ。何時、見ても良いもんだ」

 その時、鶴吉が大店『万屋』の前に現れた。

「煙草を下さい」

「何になさいますか」

 対応に出た亀次が鶴吉に気づいた。

「誰かと思ったら、鶴吉じゃあねえか。こんな所へ何しに来たんだ?」

「お前も鶴吉って名だってなあ。今日はお前の知り合いを連れて来た」

 鶴吉の後ろに鉢巻き姿に襷掛けをした門次郎が現れた。

「げっ。て、てめえは門次郎!」

 凛々しい身支度の門次郎を見て、亀次は慌てた。

「いかにも浅田門次郎だ。父、只助の仇討ちに参った。鳴滝万助はいずれか」

「鳴滝様は、ここにはいねえ」

「嘘をついても無駄じゃ。手始めに亀次、お前から斬る」

「ひえーっ!」

 騒ぎを聞きつけ、『万屋』の用心棒、荒木玄四郎が駆けつけて来て、門次郎の前に立ちはだかった。

「そうはさせぬ。お前こそ死ね!」

 玄四郎は目を吊り上げ、抜刀した。門次郎は素早く横へ跳んだ。そこへ鉄蔵が登場した。

「荒木玄四郎。お主の相手は、この浅田鉄蔵が致す。お主が卑怯者であることは、鶴吉から聞いた。お主のような奴は、この世から消えてもらわねばならぬ」

「何じゃと、拙者を斬るというのか。面白い。遠慮容赦はしないぞ。タアッ!」

 玄四郎が甲高い声を上げた。鉄蔵の腹を狙って突いて出た。鉄蔵は左側に身体を躱して、微笑した。

「そうはいかぬ。お主の腕では、それがしを斬ることは出来ぬ」

「ほざくな下郎!」

 玄四郎が叫んだ。それに合わせるように、鉄蔵が跳び上がった。

「死ねい!」

 鉄蔵は身体ごと突っ込んで来る玄四郎の刀剣を撥ね上げ、その返しで玄四郎の顔面から胴腹めがけて、斬り下ろした。

「うわあっ!」

 玄四郎の顔をから血が吹き飛び、着物が裂け、前が開いた。玄四郎が両手で腹を押さえてしゃがみ込み、顔面と腹の痛みに耐えているのを見て、鉄蔵が言った。

「鶴吉。やれっ」

「くたばれ、玄四郎!」

 鶴吉が背後から屁っぴり腰で、玄四郎の尻を刀で突いた。

「痛てて、畜生。覚えてやがれ」

 玄四郎は恐怖に顔をゆがめ、腹と尻を押さえて逃走した。

「やった。やった。やったあ!」

 鶴吉が歓喜して跳ね回った。玄四郎が逃走したのを見て、亀次は慌てて店の中に駆け込んだ。亀次の慌てた様子を見て、店の次の間で酒を飲んでいた主人、九兵衛が亀次に訊いた。

「何、騒いでいるんだ。亀次、どうしたんだ?」

 すると亀次は泣きそうな声で九兵衛に伝えた。

「親分。先生が、先生が、玄四郎先生がやられた!」

「何んだと、玄四郎先生が誰に?」

「お、おっ、親分。も、も、門次郎がやって来ました」

 門次郎と聞いて、九兵衛が顔色を変えた。

「門次郎だと!」

「あんた。どうしましょう」

 琳が子供を抱き寄せ、九兵衛にしがみつくと、九兵衛が琳を押し退けた。そこへ門次郎が踏み込んだ。

「見つけたぞ、鳴滝万助。浅田門次郎だ。父、只助の恨みを晴らしに参った」

 九兵衛は呆気にとられた。目の前にいるのは、間違いなく雄々しく成長した只助の倅、門次郎だった。狡賢い九兵衛は空っとぼけた。

「お人違いでは御座いませんか。わしは貴男さまを知らぬ。わしは長年、この地で商いをしている万屋九兵衛という者。鳴滝万助などという男は知らぬ」

「しらばっくれるな。名は隠せても、その顔の刀傷は隠せぬぞ」

 鶴吉が跳び出して言った。

「そうだとも。それに、お琳と一緒では隠しようもあるめえ」

「お前は鶴吉」

「そうだ。てめえに、お琳を取られた鶴吉よ」

「ばれたら、仕方ねえ」

「あんた、刀を」

 琳が座敷の床の間に置いてあった刀を九兵衛に投げた。九兵衛は刀を受け取るや、鞘を放り、身構えた。

「来るなら来い!返り討ちは天下御免だ。返り討ちにしてくれる」

 九兵衛に身構えられ、門次郎は低い青眼のまま身動きをしなかった。それを見て、鉄蔵が怒鳴った。

「どうした、門次郎。万助の子分は、それがしがやる。万助をやれっ!」

「しかし、兄上」

「何を戸惑っているのだ。突っ込め!」

「でも」

 怖気づき狼狽する門次郎を見て、九兵衛が薄笑いを浮かべた。

「門次郎。お前は、わしを討つことは出来ぬ」

「何を言う。門次郎。お前は、この千載一遇の為に腕を磨いて来たんだ。万助をやれっ!」

「兄上。でも万助は赤ん坊を抱いています。私には赤ん坊を斬ることは出来ません」

「門次郎。お前は、父上を殺された悲しみを、もう忘れたのか。浅田家を滅ぼされた恨みを、もう忘れ果てたというのか」

「いいえ。父上を殺された憎しみを、浅田家を滅ぼされた恨みを、何で忘れることがありましょう」

「ならば門次郎。親子もろとも斬り殺すのだ。されば、その赤ん坊が、お前を仇敵と狙うこともあるまい。やれっ!」

 鉄蔵の言葉を受けて、門次郎が白刃を閃かせて九兵衛に突進した。

「うおーっ!」

 九兵衛は咄嗟に身を翻し、琳に向かって言った。

「お琳。大吉を頼んだぞ」

 九兵衛が抱かえていた大吉を琳に向かって放り投げた。大吉を上手に受け取った琳が、震えを帯びた声で叫んだ。

「あんた。そんな若造に負けちゃあ駄目だよ」

「当たり前だ。早く大吉を連れて逃げろ」

「そんなこと分かっているよ。お園、来るんだ!」

 琳が、赤子守りの園の手を引っ張った。亀吉がそれを制した。

「おっと、それはならねえ。お園ちゃんは、てめえには渡さねえよ。お千さんから、お園ちゃんを取り戻してくれと頼まれているんだ」

「畜生。亀次、ついておいで」

 琳は、亀吉に園を奪われ、顔を怒らせ、側にいた亀次に言った。琳が亀次と逃げるのを見て、鉄蔵が鶴吉に命じた。

「鶴吉。お琳をやれっ」

「合点でえ」

 逃げる琳を鶴吉が追いかけ捕まえた。そして赤ん坊を抱かえる琳の右腕を刀で斬った。

「お琳、覚悟してくれ」

 琳が顔を歪めた。鶴吉はためらわず、更に、琳の腰を刺した。

「あああ、鶴吉・・・」

 琳が赤ん坊を抱いたまま倒れた。亀次が身震いして刀を構えた。

「や、やりやがったな」

 鶴吉と亀次が睨み合った。琳は身体に傷を負いながらも、泣く大吉を抱え、這いずり回った。その琳に駆け寄ろうとする九兵衛に、門次郎が言った。

「万助。邪魔者は消えたぞ。積年の恨みを晴らしてくれよう。覚悟っ!」

「覚悟するのは、てめえの方だ。キエーッ!」

「うわあっ!」

 門次郎が万助の刀を受けて、後ろによろけた。九兵衛が、今ぞとばから振りかぶった。

「返り討ちだ!」

 門次郎は斬られると思った。瞬間、鉄蔵の長刀の切っ先が九兵衛の正面に伸びた。

「おっと。ここで門次郎を死なす訳にはいかぬ。それがしが、相手となろう」

 九兵衛の顔色が蒼白に変わった。血の気が失せ、恐怖と憤怒で、目元を引き攣らせ、激しい口調で言った。

「おぬしが高田鉄蔵か。助太刀とは卑怯だぞ」

「それがしは小田原藩主、大久保忠真様から、ちゃんと仇討ち免許状を頂戴している浅田只助の養子、浅田鉄蔵である。正々堂々の仇討ちである。何で卑怯なものか。行くぞ」

「ち、畜生。やれるものなら、やってみろ」

「良い覚悟だ。それっ!」

「くそっ」

 九兵衛が鋭い叫び声を発し、身体ごと突っ込んで来た。鉄蔵が跳んだ。

「万助、死ねい!」

「ぎゃあっ!」

 九兵衛の右肩から鮮血がほとばしり出た。鉄蔵が門次郎に命じた。

「門次郎。今だ。突っ込め」

「ええい!」

 門次郎が突っ込み、九兵衛のあばらへ刀を突き刺した。

「あああ・・・」

「門次郎。とどめを刺せ!」

 門次郎がよろける九兵衛の左肩から左腕に一刀を下した。すると九兵衛はダラダラと血を流しながら、呻り声を上げて倒れた。

「ううう・・・お琳。大吉」

 九兵衛は地面につっ伏したまま動かなくなった。門次郎が天を仰ぎ、引き攣ったような声を上げた。

「母上。姉上。父上の仇を討ち取りましたぞ」

「よくやった。門次郎」

 鉄蔵はそう言うと、懐紙で自分の刀身の血をぬぐって、納刀した。鶴吉が九兵衛の死体の周囲を駆け回った。

「やった。やった。やった」

 鉄蔵と門次郎は九兵衛の死体の脇に正座して、村役人が来るのを待った。その惨劇の後を見物人たちが取り囲んで、ざわめき立った。事件を聞きつけ、村役人が五人程、やって来た。

「お役人が来たぞ」

「静まれ、静まれ」

 『万屋』の周囲に恐る恐る集まった大勢の見物人たちは、役人がどう処理するかを興味深く注目した。役人の代表、渡辺四郎兵衛が、地面に正座している鉄蔵と門次郎に向かって、問い質した。

水戸藩より、御用をあずかる渡辺四郎兵衛である。仇討ち事件と聞き、駈けつけて参った。如何、相成ったか?」

 路上に門次郎と一緒に平伏した鉄蔵が答えた。

「御役目、御苦労様に御座います。それがしたちは小田原藩足軽、浅田鉄蔵と門次郎と申す者。兄弟、小田原藩主、大久保忠真様から、御覧の仇討ち免許状をいただきし者。只今、その仇、鳴滝万助なる者を討ち取りましたところで御座います。この地を穢し、誠に申し訳御座いません」

「見事、本懐を果たされたと言うのか。御苦労であった。その仔細について、口上書をもって、藩公、徳川斉脩様に、お届け申す。明日、死体検分が終わるまで、この地にて、お控え下されよ。今夜は、そこに居る『成田屋』に泊めさせてもらえ。明日、また会おう」

「ははーっ」

 鉄蔵と門次郎は立ち去る渡辺四郎兵衛とその従者に頭を下げた。園の母、千が事件を聞きつけ、やって来たのを見て、鶴吉が園に声をかけた。

「お園ちゃん。お千さんが、迎えに来ているよ」

 今まで、腰を抜かしていた園が我に返り、母親を見つけた。

「おっ母さん!」

「お園!」

 千と園の親子は涙をぼろぼろ流し、薄暗くなった路上で、しっかと抱き合った。それから母親、千が鶴吉に礼を言った。

「この御恩、一生、忘れません」

 鶴吉は照れた。

「礼なら、あの二人に言ってくんな」

 鶴吉は嬉しそうに、そう言って笑った。

 

         〇

 翌朝、『成田屋』に使いが来て、鉄蔵と門次郎は、鶴吉を小田原に帰し、昨夕の事件現場に出向いた。そこで渡辺四郎兵衛ら役人たちが万屋九兵衛の死体検分を行った。役人たちは最初に万屋九兵衛の検死状況を書きとめた。

一、左の耳より頬まで切り下げ。長さ五寸、横四寸三分。

二、首左右より矢筈に切り下げ、前の方、皮にて続く。但し、長さ一寸程の古疵、これあり候所、太刀傷とも見分け難く候。長さ九寸三分。、深さ三寸程。

三、右の肩先より、背に掛け、長さ一尺六分、深さ二寸。

四、右の襟元より二の腕まで切り下げ。長さ一尺二分、深さ三寸。

五、右の二の腕、長さ三寸、深さ一寸。

六、左の手、大指切落し。

七、背より左の腕に掛け、長さ九寸七分、深さ二寸。

八、左のあばら、長さ八寸四分、深さ八分程。

九、左の足ひざ下、長さ四寸一分、深さ一寸。

*都合疵九箇所。

 役人たちは九兵衛の死体の検死状況の記録が済むと、次に九兵衛の妻、琳の検死状況を書きとめた。

一、右腕、長さ一寸、深さ二分。

二、右の細腰、長さ六寸、深さ一寸。

*都合疵二箇所。

 それから鉄蔵と門次郎は庄屋太兵衛の屋敷に連れて行かれ、水戸の役人が来るのを待った。正午前に寺門市兵衛ら水戸の役人が来て、関係者に聞き取りを行った。そして水戸藩の『検死吟味口上書』が出来上がった。それから鉄蔵と門次郎の二人は白門屋喜右衛門の屋敷に身柄を預けることとなった。

 

         〇

 五月初め、水戸藩から鉄蔵と門次郎の身柄送り届けの通知を受け、小田原藩主、大久保忠真は江戸の藩邸から、出迎えを出した。その出迎えを受け、鉄蔵と門次郎は5月15日の夕刻、江戸の上屋敷に到着。そこで、鉄蔵と門次郎は何年も歳月を費やし、計画を実行した経緯の聴取を受けた。そして五月十八日、浅田兄弟は、小田原に帰った。小田原では浅田一門の者をはじめ、報に接した藩士たちが、二人を待っていた。二人は城門前で、母、菊らに仇討ち報告を行い、伊谷治部右衛門に案内され、城内に入った。大橋利十郎を先頭に、藩の重臣たちが二人を出迎えた。浅田家一門の者たちも、特別に城内に迎えられ、二の丸書院前の庭に正座した。三幣又左衛門が集まった浅田家一門の者たちに言った。

「浅田鉄蔵、門次郎兄弟。その方たちの仇討ちの始末、水戸藩より、詳しく報告があった。只今より、両人は勿論のこと、浅田家の縁者一同に対し、殿より直々のお話が御座る」

「ははあーっ」

 一門の代表、浅田五兵衛に従い、一同、平伏した。三幣又左衛門が更に続けて言った。

「その前に、ここにおられる御重臣の皆様方から、一同に対し、質問があるので、質問を受けた者は、分かりやすく、包み隠し無く、正直に喋れ。良いな」

「ははあっ」

 その質問は大年寄、杉浦平太夫から始まった。

「杉浦平太夫であ。浅田鉄蔵、門次郎兄弟。四年に及ぶ長きに亘り、仇討ちの旅、御苦労で御座った。その執念たるや立派なものじゃ。その執念を、どのようにして保ち得たか知りたい」

 平太夫の質問に鉄蔵が目を輝かせて答えた。

「それがしは生前、一方ならぬ御世話になった義父、浅田只助の無念を、我が身に置き換え、ひたすら艱難に耐えました。また仇討ちの御免許を下されました、お殿様との御約束を果たさねばと、昼夜、神仏に祈って参りました」

 兄、鉄蔵に続いて、弟、門次郎が答えた。

「私は十歳の時、父、只助が目の前で惨殺された衝撃を絶えず思い浮かべ、兄上に励まされながら、執念を忘れずに、日々、仇討ちを考え続けて参りました。また小田原で私たちの帰りを待っている母上や姉上のことを思い、頑張ることが出来ました」

 そう答える門次郎の目も輝いていた。平太夫は優しく笑った。

「左様か。両名とも親兄弟を思い、良くぞ頑張った。近頃に無い武士道の鑑である」

「お褒めにあずかり光栄に存じます」

 杉浦平太夫の質問が終わると、三幣又左衛門が次の重臣に声をかけた。

「吉野様、どうぞ」

 すると声をかけられた恰幅の良い吉野図書が質問した。

「家老の吉野図書である。四年に及ぶ長旅をしたと聞いたが、どこら辺りまで旅をしたのじゃ」

 それに鉄蔵が答えた。

「脱牢した鳴滝万助が箱根を越えたと聞き、まず駿河に走り、三河を経て、それから東海道を京に向かい、更に山陽道を進み、備前玉野から讃岐に渡り、四国巡りをして後、長州に参りました。長州で、それらしき人物に出会いましたが、人違いでした。更に旅を続け、筑紫、薩摩まで足を運びましたが、仇敵は見つからず、再び、もと来た道を引き返し、途中、伊勢、四日市に立ち寄り、それから中仙道経由で江戸に入りました。そして江戸で探索中、知人の知らせにより、仇敵が水戸のはずれにいるのを突き止めました」

「南国薩摩まで行ったとは、厳しく辛い旅であったのう」

「はい。鳴滝万助が、箱根を越え、東海道を京に向かったとの噂を信じた為の、辛酸の旅でした」

 鉄蔵の答えに図書が頷いたのを見て、又左衛門が服部十郎兵衛に声をかけた。

「服部様、どうぞ」

「家老の服部十郎兵衛である。鳴滝万助と再会した時、直ぐに万助と分かったか?」

 その質問に鉄蔵が口ごもるのを見て、門次郎が答えた。

「はい。直ぐに分かりました。はじめ鳴滝万助は人違いだ、わしは万屋九兵衛だと、しらをきりましたが、父と争った時の傷は隠せやしません。私の脳裏に、はっきりと仇敵の面相が刻み込まれておりましたから・・・」

 鳴滝万助が小田原にいた時の行状を知っている十郎兵衛は更にに質問した。

「仇敵の万助は手強かったであろう」

「はい。荒木玄四郎なる用心棒たちがいましたが、その者は兄上が討ち、鳴滝万助は私が討ちました。私にとって恐ろしく手強い相手でしたが、逞しい兄上に助けてもらい、仇討ちが出来ました」

「あの乱暴者の鳴滝万助を、よくぞ成敗出来たものじゃ。感心するばかりじゃ。良かったのう、大橋利十郎」

「は、はい」

 牢奉行、大橋利十郎は上司、服部十郎兵衛に深く頭を下げた。その時、大勢の者が廊下を歩いて来る足音がした。

「殿がお見えになられましたぞ。一同、平伏して迎えよ」

「ははーっ」

 又左衛門の言葉に、一同、緊張して平伏した。

「こちらで御座います」

 磯田平馬に案内され、藩主、大久保忠真が一同の前に現れた。忠真は声をはずませて言った。

「高田鉄蔵。いや浅田鉄蔵。それに門次郎。見事、本懐を果たしての帰参、誠に天晴である。忠真、心より、褒めてつかわす」

「有難き仕合せ」

「仇討ち決闘の凄絶さは水戸藩の検死吟味口上書から、どんな有様であったか、こと細かに知った。ここにあらためて質問するつもりは無いが、水戸藩士、徳川斉脩公も、今時にまれなる武人の行為であると褒められておられた。そのようなそちたち正義を貫く家臣を持って、忠真も鼻が高いぞ」

「勿体無き御言葉」

 藩主、忠真の言葉をいただき、鉄蔵と門次郎は深く低頭した。忠真は続けた。

徳川斉脩公のその後の調べによれば、万助は金貸しの他、許可無く異国船と交流していたとの疑いもあり、この度のそちたちの仇討ちにより、今まで隠蔽されていた万助の悪事が、より明白になったとのことである」

「異国船と・・・」

「これは斉脩公からの褒美じゃ。受け取るが良い」

「ははーっ」

「有難き仕合せ」

 忠真は磯田平馬より、水戸の斉脩公が贈与してくれた反物を受け取り、二人に一式ずつ手渡した。それから二人の後方に控えている母と娘に目をやった。

「して、留守宅を守っていた母親と娘よ。そちたちの労苦は、この平馬から、よく聞かされておった。実に長きに渡り、我慢辛抱してくれた。そちたちの辛抱と男たちへの思いがあったればこそ、鉄蔵と門次郎は信念を燃やし続け、仇討ちに成功することが出来たのである。そちたちの功績もまた、男たち同様、大なるものであった」

 藩主の言葉に感激し、菊が涙をいっぱいためて答えた。

「畏れ多い事に御座います。お殿様から三人扶持をいただいた上に、私には特別な妙薬を賜り、私の病気もすっかり治り、このように健康な身体に回復致しました。その上、お褒めの言葉を頂戴致すとは、恥ずかしい限りで御座います」

「何も恥ずかしがることは無い。健康な身体に回復したのを見て、余も嬉しいぞ。只助の分、長生きしてくれ」

「はい」

 母と一緒に涙ぐむ娘を見て、忠真が訊ねた。

「娘よ。名は何と言ったかの}

「はい。千佳と申します」

「母親の看病をしながら、朝早くから夜遅くまで働き続け、よく頑張った。その親孝行には涙ぐましいものがある。よって、そちたち親子には、この反物を贈呈する。受け取ってくれ」

 忠真が平馬から反物を受け取り、菊と千佳に与えた。戸惑う母娘に平馬が脇で言った。

「有難く頂戴致せ」

「は、はい」

「有難う御座います」

 女たちに反物を手渡してから、忠真が再び、浅田兄弟に向かって喋った。

「さてさて浅田鉄蔵、門次郎の兄弟。そちたちのこの度の働き、水戸の斉脩公と共に、余も非常に感激致した。まさに武門の名誉である。戦国の世が夢物語となった今、侍たちは武芸を練ることを忘れ、遊惰淫蕩に浸り、全く腐りきっている。そんな中でのそちたちの忠義と悪への復讐は、実に尊いものである。よって、そちたち兄弟を武士の鑑として、士分に取り立て、五十石を与えることに致す」

 その言葉を頂戴して、浅田兄弟は勿論のこと、浅田家一門の者たちは、びっくりした。鉄蔵も門次郎も言葉が出ない。家老の吉野図書が、微笑んで唖然とする鉄蔵と門次郎に声をかけた。

「良かったな。鉄蔵、門次郎」

「はい。沢山の御褒美を頂戴した上に、かくも過分のお取り計らいを賜り、鉄蔵、まるで夢のようで御座います。この御恩に報いるよう、尚一層、励みます」

 鉄蔵が喜びを語ると、門次郎も、それに続けた。

「父、只助が殺められ、亡くなられてから五年。頑張った甲斐がありました。門次郎もまた、今日の日を忘れず、お殿様の御心を大事にし、家督を立派に継いで参ります」

 二人の言葉を聞いて忠真は満足した。

「まさに曽我兄弟の仇討ちに比肩する程の見事な仇討ちであった。鉄蔵、門次郎。落ち着いたなら、今度は江戸で会おうぞ」

「ははーっ」

「千佳とやら、鉄蔵の良き妻となるのじゃぞ」

「は、はい」

 赤面する千佳を横目に、忠真はニヤニヤしながら、家臣と共に一同の前から立ち去った。門次郎が堪えきれず、母にしがみつき、泣き叫んだ。

「母上っ!」

「門次郎!」

 と同時に鉄蔵と千佳も立ち上がり、互いの名を呼んだ。

「鉄蔵様・・・」

「お千佳!」

 二人は、人目をはばからず抱き合った。三幣又左衛門と大橋利十郎は呆れ返った。二人を囃すように一門の者が喝采を送った。そこへ突然、鶴吉が躍り出て来て駆け回った。

「やった、やった、やった」

 そんな鶴吉を見て、一同が、どっと笑った。

 

         〇

 その後の鉄蔵と門次郎は藩公、大久保忠真への忠節に励むと共に、自分たちの親孝行は勿論のこと、討ち取った鳴滝万助の母親が亡くなるまで、その面倒を見てやったという程、誠実実直な生き方をした。ある時、高長寺の僧に万助の母が言ったという。

「万助の昔からの馴染みの友達が、世間をはばかり、名を隠し、私の所へやって来て、とても親切に世話をしてくれるので、誠に有難いことです」

 目の見えない万助の母は、その幼馴染みの友達のことを、死ぬまで信頼し続け、この世を去ったという。一方、万助の子、大吉は、常澄村の園の弟として育てられ、無事、大人になったという。

 

        《 完 》

 

 

 

 

 

 

満州国よ、永遠なれ(後編)

 昭和8年(1933年)6月、俺、吉田一夫満州国の東部、琿春の駐屯地勤務となった。この頃の満州国は建国して一年を経過し、新国家発展の為に、あらゆる施策を打ち出していた。首都、新京の大都市化、奉天の重工業化、大連、営口の港湾整備、新規鉄道の敷設、飛行場の建設、鉱山開発、農地拡大など、やることが山積していた。そんな中で、俺たちは第2次鉄道建設計画の一つ、図佳線の敷設工事の治安確保とソ連国境の守備を任された。この吉林省東部の図們から黒竜江省東北部の佳木斯を結ぶ図佳線の着工は6月初めから始まった。まずは図們から春陽までの工事を進めるということで、新京のパーティに出席していた『鹿島組』や『大林組』や『飛島組』が工事を分担した。俺たちは琿春の駐屯地の兵舎で起居し、ソ連軍の動きの監視と、赤色革命軍の活動家の捕縛に専念した。琿春はソ連北朝鮮満州とが接する三角地点の防川に近く、そこを流れる豆満江をちょっと下れば、あのイリーナ・シェルバコワのいる波謝に辿り着く場所であった。イリーナに会いたい。彼女はどうしているのだろうか。相変わらず軍服姿で、監視しているのであろうか。あのあたりでは今頃、小さな自生の水連が咲いているに違いない。『長春ヤマトホテル』で会った独立守備隊の連中は、どうしているのだろうか。かっての図們駐屯所と新設した汪清の駐屯所に分かれて監視しているというが、上手く鉄道守備を行えているだろうか。今まで鉄道守備を手伝って来ただけに、他の部隊のことが気になった。四月中旬の赤色革命軍との戦闘で、共産党活動家を随分、汪清あたりから追い出したが、また逃亡した活動家が戻って来たりしていないだろうか。延吉の飛行場の工事は、順調に進んでいるだろうか。そんな局子街あたりのことなどを考えたりしていると、青木勝利中尉から厳しい訓戒の言葉があった。

「貴様らは何故、琿春駐屯所に移動になったのか分かっているのか。今までの鉄道守備では無く、本来の75連隊の守備に戻って来たのであることを、肝に命じて行動せよ。そこのお前、分かっているのか。75連隊の任務が何であるかを」

 青木中尉は突然、大声を出して、目の前にいる兵卒を指差し、厳しい顔をした。指を差された者は直ぐに直立不動の姿勢で答えた。

北満州の不逞の輩を打ち払う為であります」

 すると青木中尉は一同をぐるりと見渡してから言った。

「その通りだ。だが、もう一つ、重要なことを忘れている。何だか分かるか?」

「護境の任であります」

 佐藤大助が、大声で答えたので、俺と白鳥はびっくりした。青木中尉は満足そうに頷いた。

「そうだ。護境の任だ。ソ満国境警備の任だ。満州と朝鮮の国境警備は両国の憲兵隊によって、正しく守られている。しかしながら、ソ連との国境は知っての通り、共産党活動家が跳梁跋扈し、ロシア共産党による独裁国家連邦の領土拡大が、レーニンの後を引継いだヨシフ・スターリンによって実行されようとしている。スターリンが発した第1次5ヶ年計画は成功しつつあり、次に満州及び外蒙古への圧力を強めようとしている。このことはソ連が、この陸続きの東アジアをソ連の連邦に包含しようとしていることに他ならない。よって、このソ連の野望を我が大日本帝国としては見逃すことは出来ない。彼らのわずかな動きでも許してはならない。彼らは朝鮮からの愚かなる逃亡者や支那人の不平分子を丸め込み、自分たちの思うままに大陸を治めようとしている。折角、出来上がった満州の楽土を、彼らのものにしてはならない。その為に我々が実行しなければならないのは、厳重な国境警備と共産党活動家の逮捕である。今までの鉄道守備の事は二の次にして、本分を全うせよ」

 青木中尉からの目で見ると、俺たちのやっていることが、鉄道工事監視のような、生温い動きに見えたらしい。このことを受けて、永井岩吉少尉や野田金太郎准尉は、今まで以上に気を引き締め、俺たちを叱咤激励し、北方特務機関との連携活動に傾注するよう指示した。青木中尉にしてみれば、任務に対し、命懸けで立ち向かう特務機関の顔色一つ変えない姿こそ、本当の軍人の姿であると思えていたに違いない。それからすると、お恥ずかしい話ではあるが、俺は敵の襲来に何時も怯えていた。兎に角、生き延びることを第一に考えていた。任務の為に身を挺して戦闘で命を捨てることなど、あってはならないことだと思っていた。どんなことがっても生きるのよと、母が死に際に俺に言った言葉が、頭に刻み込まれていて、生き残ることが、自分がこの世で与えられている使命であると信じて疑わなかった。

 

         〇

 俺たちが駐屯を始めた琿春は、日本海から豆満江を遡り、百キロ程の場所にある街で、東はソ連、南は朝鮮と接していた。西は今まで駐屯していた延吉方面で、北には老爺嶺が続き、黒竜江省の牡丹江方面に伸びていた。ややこしいのは俺たちの守備範囲が琿春の街から日本海方面に伸びている盲腸のような土地で、その先端にある防川までになっていることだった。豆満江の東岸であることから、ソ連領と平地で繋がっており、そこの丘陵地帯の何処から何処までが、満州国なのか明確で無かった。兎に角、軍服を着た歩哨が武器を持って立っていれば、そこが領土だといえた。また琿春では会寧の時と同じように、朝鮮人兵三人が通訳がてら配属されており、何かと便利だった。高充慶、韓武珍、方大成の三人で、俺たちは偵察に出かける時、必ず三人のうちの誰か一人を連れて出発した。天気の良い日のことだった。俺たちは高充慶の案内で特務機関の連中と琿春河沿いを下り、豆満江下流、圏河島まで行って見ることにした。圏河島の監視所には小高文武軍曹が監視所長となり、角田武士や磯村喜八たちが周辺の監視をしていた。ドロンコ道をトラックに乗って訪ねた俺たちを発見し、角田武士が一番先に声をかけて来た。

「よう。久しぶりだな。良く来てくれたな」

「うん。元気そうだな」

「まあな。ここは俺の田舎に似ていて、田んぼと河と山ばかりで、朝暘川の時より、のんびりした毎日だよ」

「それは良かったじゃないか。本当にのどかな景色だな」

「まあ、中に入って小高所長から、いろいろと聞いてくれ」

 角田は俺たちが特務機関の横井武彦、有馬利郎と一緒であることから、俺たちが訪問した目的を理解し、監視所の中へ俺たちを案内してくれた。圏河島監視所の小高所長は、暗い監視所の奥の部屋の机に向かって書き物をしていた。俺たちが部屋に入って行くと、笑顔を見せた。俺は朝暘川監視所で御世話になった小高所長に挨拶した。

「小高所長。琿春の吉田組です。本日、御機嫌、伺いに参りました」

 俺は部下を従え、小高所長に向かって敬礼をした。

「やあ、巡察、御苦労さん」

「皆様、お元気の様子で何よりです」

「うん。ここは上官がいないので、気楽だ。まあ座って、お茶でも飲んでくれ」

 小高所長が、そう言っている間に、長テーブルの上に、角田の部下が、お茶を淹れてくれていた。俺たちはお茶を飲みながら、圏河島あたりの状況を質問した。すると小高所長は、角田や磯村に説明を任せ、煙草を吸いながら、その説明を共に聞いた。圏河島監視所でやっていることは、朝鮮人満州人たちの満州国への出入国検査がほとんどで、共産党活動家の動きは見られないという説明だった。

ソ連兵の動きは?」

 特務機関の横井武彦が質問すると、そのドスの利いた質問に、角田や磯村は緊張し、小高所長の顔を見た。小高所長は灰皿に煙草を置いて、ゆっくりと答えた。

「御覧の通り、こことソ連の国境は森林で仕切られている。この国境の山中にはアムール虎やヒョウ、熊、マムシなどがいて、危険な所だ。従って地元の百姓たちが、自警団を組織し、絶えず見張っている。ソ連兵は、それを分かっているから、ここへは来ない。用心せねばならぬのは、将軍峰から向こうの防川の監視所だ。迫田照男が困ってはいないだろうかと、時々、部下を派遣している。本部に防川の増員が必要だと伝えてくれ」

 俺たちは、以上のようなことを一時間程、話して、防川へ行ってみようとしたが、特務機関の横井と有馬が香南洞と博石洞を回りたいと言ったので、防川の監視所に行くのは止めた。俺たちは圏河島監視所を出てからソ連国境の村々を回り、夕方、琿春の駐屯所に戻った。互いが持ち帰った情報をもとに、永井岩吉少尉たちと、琿春一帯の治安状況を確認し合った。俺は小高所長から、防川監視所の増員が必要だと言われたことを、強調した。

 

         〇

 数日後、青木勝利中尉から俺たちに直々の命令が下った。北の春化へ行って、東寧の状況を探って来いとの命令だった。青木中尉は、スターリンによる第1次5ヶ年計画を経て、ソ連がかっての帝政ロシアと比較にならない程、工業化が進み、恐るべき軍事力を保有し、満州に侵攻して来るのではないかという危惧を、誰よりも抱いていた。従って、俺たち諜報部隊の報告を受け、防川の増員も即日、実行に移し、北の警戒も強化する必要があると考え、俺たちを北に向かわせることにしたのだ。俺たちは特務機関の横井武彦と有馬利郎らと一緒に、3台の小型トラックに乗って、琿春河に沿った道を北上した。田園地帯から麦や高粱、大豆などを栽培する焼き畑地帯へ移動して行くと、周辺の景色は、まるで関東平野から自分の故里の山岳地帯へと向かって行くかのようであった。山の樹々の緑は、目にまばゆく、川の流れは、進むごとに清く澄んで行くのが分かった。俺たちは初日、桃源洞まで行って宿泊した。宿泊したのは村の名主、呉寿林、呉福林兄弟の屋敷だった。兄の寿林は汪清村にいた赤色革命軍の無法者が、一時、流れ込んで来たが、村の自衛団の防戦と独立守備隊の来援追跡によって、この春からソ連かぶれの無法者は、この辺にいなくなったと語り、イノシシ鍋を御馳走してくれた。翌朝、俺たちは工藤組の仲間6人と小型トラックを桃源洞に待機させて、吉田組、白鳥組の12人で、春化へ向かった。歩兵であるので俺たちは、それ程、辛いとは思わなかったが、特務機関の横井、有馬、韓武珍の3人は辛そうだった。だが獣道のような森の中の道を進み、目の前に一面のケシの花がピンクのジュータンを敷いたように現れると、全員が皆、興奮した。

「何という美しさか」

 そのケシの花畑の中を若い女たちが徘徊しているのを見て、俺たちは思わず立ち止まった。女たちは俺たちに気づくと、ケシの花畑を離れて、その先にある大きな民家に入って行った。入れ替わりに年配の和服を着た女性が現れ、俺たちはびっくりした。彼女が俺たちに質問した。

「琿春オソスムニカ?」

「イエ、イルボングンイムニダ」

 韓武珍が年配の女に、日本軍の者だと答えた。すると彼女は笑って俺たちに言った。

「ようこそいらっしゃって下さいました。どうぞ、どうぞ。屋敷の方へ」

 俺たちは目を丸くした。紺色の地に、裾に白い花模様のある和服を着こみ、下駄を履いている年配の女は、どう見ても日本人だった。案内された屋敷は校舎のように長い平屋の民家で、石垣の上に堂々と建っていた。正面玄関の中は、広い三和土になっていて、上がり框の奥の部屋に、大きな姿見鏡が光っていた。まさに日本家屋、そのものだった。年配の女は、俺たちに部屋に上がるようよう勧めた。俺たちは、お言葉に甘え、上がり框で軍靴を脱ぎ、部屋に上がらせてもらった。どの部屋も板の間だったが、奥の方にある四つの部屋は畳部屋で、床の間付であった。こんな場所に何故、日本家屋があるのか、不思議でならなかった。若い女たちが和室にお茶を運んで来て立ち去ると、女主人が先に口火を切った。

「初めての方がいるようですので、先ず私の方から、先に自己紹介させていただきます。私は馬場珠代。日本人です。本名は山本珠代。夫は馬場占吉。主人は今、外国に出かけていて、ここにはいません。私は主人の留守中、ケシの栽培を任され、朝鮮人の娘たちを雇って働いています。それで貴方たちは、日本軍のどんな方々ですか?」

 そう問われると、特務機関の横井武彦が正直に各人の所属と氏名を、馬場珠代に伝えた。そして上司の命令で彼女の夫、馬場占吉に会いに来たと、目的を話した。

「それは残念ね。夫は外国へ行っているわ」

「そうですか。何処の国へ行っているのですか?」

「それは言えないわ。でも安心しなさい。満州国の為に行動している人ですから・・・」

「そうでしょうか?」

 横井武彦が疑問を抱いているような言葉を投げかけると、珠代の顔色が変わり、横井を睨みつけた。彼女は怒った美しいその顔を、勢いよく、横井の直ぐ鼻先まで近づけて言った。

「あんたは夫のことを誤解しています。満州国の成立を、一番、待ち望んでいたのは、私の夫です。その夫が何故、満州国建国に協力してくれた貴方たちに疑われなければならないのですか。夫は満州国建国を知り、跳び上がって喜んだ人です。その夫に疑問を持つような人がいるなんて、私は不愉快です」

 その珠代の怒った言葉は、追い詰められた者の悲鳴のように聞こえた。横井をはじめ俺たちは慌てた。数分、次の言葉が出なかった。数分間、互いに睨み合った。珠代の目に、涙が光っているのが見えた。俺は珠代夫人が言っている事の半分も理解出来なかったが、何か得体の知れない彼女の夫の大望のようなものが、彼女を突き動かしているように思われた。俺は話を和らげる為、話題を変え、この屋敷から退散することを考えた。

「失礼な言い方をして済みませんでした。御主人さまが、御不在でしたら仕方ありません。訪問の目的が無くなりました。綺麗なケシの花と奥様にお会い出来たことが、今回の収穫です。春化に来て良かったです。次の場所に行きますので、これにて失礼致します」

 俺の言葉に今度は珠代の方が、ちょっと慌てて肩をすくめた。

「何を言っているの。春化の本当の良さは、ケシの花だけで無く、もっとあるのよ。今夜は阿片と酒と女を楽しみ、明日、次の所へ行くと良いわ」

「えーっ。良いのですか?」

「征四郎さんの手下だから仕方ないでしょう」

「征四郎さん?」

「特務の人よ」

 珠代は、そう言って妖しく笑った。特務機関の横井と有馬は頷いた。気づいて見れば、屋敷の周囲は黒衣の武装兵によって囲まれていた。珠代は、その武装兵たちを、手で追い払うと、俺たちに言った。

「では宿の方へ行きましょう」

 俺たちは屋敷から外に出て、珠代に従い、森の中を5分程、歩いた。歩きながら俺は有馬から、征四郎さんとは、満州国執政顧問の板垣征四郎少将のことだと教えてもらい、仰天した。珠代に案内されたのは珠代が女将を務める料亭『芙蓉楼』であった。その夜、俺たちはその『芙蓉楼』での一夜を楽しんだ。珠代が集めた娘たちを交えての酒盛りが、夕方から始まった。朝鮮人の男が牛肉を持って来て食べさせてくれた。どうなっているのか、『芙蓉楼』とは。特務機関の二人は、以前にも上司と訪問したことがあり、『芙蓉楼』の正体を分かっているようであるが、俺たちにはさっぱり分からなかった。俺は大酒を飲まされ、熟睡したところで殺されたりしないだろうかという不安に襲われた。俺たちが満腹になったところを見計らって、女将の珠代が言った。

「済みません。私は少し酔いましたので、別の屋敷で休ませていただきますので、この辺で失礼致します。皆さんには、まだお酒と時間があります。この娘たちとゆっくり、御自由に、お過ごし下さい」

 すると有馬が待ってましたとばかり、珠代に礼を言った。

「有難う御座います」

 そして女将の珠代が消え去ると、大広間は若い男女を煽り立てるように盛り上がり、酒が浸透し、卑猥なやりとりが繰り返され、一組一組と広間から消えた。女たちは自分の性的魅力をちらつかせ、男たちを誘った。俺は特務機関情報部の横井武彦に確認した。

「こんな事で、良いのでしょうか?」

「良いんだ。俺たちはいろんなことを知らなきゃあいけないんだ。俺たちは、その為に、ここに来たんだから・・・」

 その為とは?俺には良く分からなかった。俺が当惑していると横井が俺の尻を叩いた。

「行けっ!」

 すると俺の隣りにいた娘が俺の脇腹をつついた。

「邪魔だから、出て行けって言ってるわよ。他に行きましょう」

 俺は誘われるままに立ち上がった。彼女に手を引かれ、六畳ほどの彼女の部屋に引きずり込まれた。俺が、小さな窓から月が覗いているのを見上げると、彼女は小窓の戸締めをして、俺と向き合った。二つのうるんだ瞳が、真直ぐに俺を見詰めた。俺には確かめておきたいことが幾つかあった。

「俺の苗字は吉田だ。お前は何という名前だ?」

「リュー・ヘギョンと申します」

「リュー・ヘギョンか。どんな字を書く?」

「柳に恵に京よ」

 彼女は俺の手のひらに漢字を書いた。俺は、そのなめらかな感触に彼女が抱いている企みを感じた。俺は、それを気づかぬ振りをして、更に訊いた。

「昼間、お前たちがいた屋敷は阿片を製造している工場か?」

「何、言っているの。あそこは御主人様の別荘よ。ここは妓楼よ」

 俺は追求した。

「だって、あんなに広い庭先の畑で、ケシの花を栽培していたじゃあないか」

「それはオモニがケシの花が好きだからよ。もっとも種を私たちに集めさせて、副業にしているけどね。貴方、阿片が欲しいの?」

「いや。要らない」

「じゃあ、ベットで休みましょうよ」

 俺は促されるままに柔らかなベットに横になった。柳恵京は俺の横になると、耳元で囁いた。

「もう良いのよ。私たちは外の総てから遮断されているのだから」

 彼女の先程の手のひらが、柔らかく俺の胸に触れ、ゆっくりと下半身に伝わって行くのが分かった。経験を積んだ彼女は、俺の固くなった肉棒を弄び、俺を誘導した。せっぱつまった俺は今まで心に抱いていた恐怖という疑念を忘れて、反撃に出た。俺は恵京を攻めて攻めて攻めまくり、彼女を狂い泣きさせ、そして勝利した。俺はうっとりしている恵京に、再び質問した。

「ここに共産党活動家が遊びに来たりすることはあるのか?」

 すると恵京は、こう答えた。

「彼らは、ここが誰の縄張りか知っていて、恐ろしくて近寄って来ないわ。ナポレオンがいるって」

「ナポレオン?」

「貴方、知らないの。東洋のナポレオン。馬場占吉。オモニの旦那さんよ」

 俺には直ぐに理解出来なかった。俺に反応が無かったので、恵京が俺に説明した。

「フランスの将軍で無くて、満州の将軍、馬占山殿下のことよ」

「ええっ!」

関東軍の板垣少将とは同じ年生まれで、親友よ。今頃、外国で三者会談しているわ」

 俺は身震いした。まさか、ここが馬占山の隠れ家とは。

「じゃあ、共産党活動家は、ここには来ないのだな」

「東寧に行けば、いっぱいいるわ。でも私は共産党は嫌い」

「嫌いな理由は何だ?」

「男も女も一緒だから。あの人たちには男女の差別が無いの。同じ制服を着て、男と同じ重労働をさせられたり、戦闘に参加するのよ。男と女が集団で同じ部屋に寝るのよ。一晩に何人ともやるのよ。私には我慢出来ないわ」

「そうなのか」

「そうよ。だから共産党の連中には、妓楼など要らないの」

 柳恵京の話を聞いて、人間の考えは様々だなと思った。男女平等を希望し、武装する女もいれば、明るく咲いた花の中に女としての喜びを感じる女もいるのだ。綾乃はどうしているだろうか。俺は信じ難い情報を耳にし、恵京と眠りに就いた。『芙蓉楼』で知った秘密は、自分からは喋ってはならない恐ろしいことのように思われた。黙っていれば済む事であった。翌日、俺たちは、馬場珠代にお礼を言ってから、老黒山近くまで偵察に行き、もと来た道を引き返し、琿春の分隊に帰った。

 

         〇

 第75連隊の青木中尉と琿春特務機関出張所の富沢吾一分隊長の指示による春化への視察は俺にとって、有益だった。春化の『芙蓉楼』での情報から、満州の変化を考えると、春化の北の東寧が、スパイ天国になっていることが理解出来た。東寧から東の山を越えれば、そこはソ連のウスリースクであり、そこからシベリア鉄道の汽車に乗って、バイカル湖方面に向かい、ウラル山脈を通過し、モスクワを経て、ベルリンに入れば、そこはもうヨーロッパだ。あの日、会った『芙蓉楼』の女将、馬場珠代は、あの馬占山将軍の日本人妻であり、妓生、柳恵京の話によれば、馬占山将軍は今、ヨーロッパに行っているという。軍資金稼ぎの為、アヘンを持って、フランスにでも行っているのであろうか。板垣征四郎少将と三者会談するらしいと言っていたが、三者のうちのもう一人は誰か。俺の知識では分析出来なかった。俺は巡視報告会議で、何故、馬占山がヨーロッパに出かけたのか、その疑問を投げかけようかと考えたりしたが、何故か自分の身に危険が及ぶような気がして、口に出さなかった。報告会議では、ソ連軍は朝鮮の瓶山洞との国境のハサン、黒竜江の黒河との国境、ブラゴ、蒙古の海拉爾との国境、チョイハルサンの三方に軍隊を駐屯させ、対満対日戦に備えているという見方が強かった。いずれにせよ、満州国は塘沽停戦協定により、領土域が明確になり、後はソ連からの侵攻の手助けをしようとしている満州国内に潜む共産党ゲリラ退治に専念し、満州国民の不安を除去してやることに全力を注ぐことが、自分たちの使命であると確認し合った。俺たちは特に防川の監視所の迫田、木下班の所への表敬訪問とその近辺の巡視を頻繁に行った。桃源洞の『呉林屋敷』や春化の『芙蓉楼』にも、時々、訪問した。また呉寿林大人の紹介で、金倉村の全占平の所まで足を伸ばし、共産党活動家の動きが無いか確認した。馬占山の部下である金占平は、自分たちと敵対する共匪は近寄らないが、共匪はまた汪清村の方に集まりつつあるようだと情報をくれた。俺たちは図佳線の鉄道工事の守備についている独立守備隊のことが気になった。そんな心配をしている矢先、十里坪の自警団の子供が、俺たち琿春の駐屯地に駆け込んで来た。赤い戦闘帽を被った荒くれ者たちが食糧を奪いにやって来て、村が大騒ぎになっているので、助けに来て欲しいという訴えであった。それを聞いた永井岩吉中隊長は、野田金太郎准尉に命じ、俺たち100名を十里坪に出動させた。三八銃と機関銃や発煙弾を持って、俺たちがトラックで現地に駈けつけると、赤い戦闘帽を被った愚連隊は、反抗する村の男たちを殺し、婦女子から金品と食糧を集めていた。そこへ俺たち第五中隊が東西から攻め入った。賊兵は50人程度で、俺たちに不意を突かれ、慌てふためき、攻撃して来た。野田金太郎准尉が叫んだ。

「撃てっ!」

 その号令で銃の撃ち合いになった。村を占領しようとしていた赤帽軍は赤色革命軍の一味に違いなかった。戦闘の結果は言うまでもない。俺たち琿春部隊の勝利で終了した。この戦闘で敵の10人程が死亡し、30人程が逃亡した。そして10人程を捕縛した。捕縛した者に、何故、十里坪を襲撃したのかと問い詰めると、彼らは汪清を襲撃し、鉄道守備隊と戦い、十里坪に逃げて来たと白状した。300人の同志と、汪清の独立守備隊を攻撃したという。独立守備隊から何の音沙汰も来ていないが、大丈夫だろうか。野田金太郎准尉は、多分、汪清からの逃亡者だろうと予測していたらしく、偵察隊を汪清に送っていて、しばらくすると、その偵察隊が戻って来た。偵察隊によれば、独立守備隊の一方的勝利で、総て終わっていたとの報告であった。7月5日、24人の朝鮮人共匪が、汪清の『鹿島組』の現場を攻撃したことから、闘争が拡大したという。その報告を聞いてから、俺たちは栗原勇吉軍曹と一緒に、捕らえた10人程をトラックに乗せて間島特設収容所へ連行した。満州国憲兵隊の吉興司令官は、またかと呆れた顔をした。俺も呆れた。何故、彼ら赤軍兵士は革命と言って熱心に働いている者たちから、金品や食糧を奪い、破壊を繰り返すのだろう。彼らは革命を間違って解釈をしているのだ。どうすれば良いのだろう。俺たちは捕虜を間島特設収容所の吉興司令官に届け、琿春の兵舎に戻った。それから十里坪の戦いの報告会に出席した。その報告会の席で白鳥健吾が嘆いた。

「何故、赤色革命軍の連中は、強奪破壊を繰り返し、治安を攪乱するのでしょうか。農産物の豊作を願ってひたすら頑張っている人たちを殺害し、物を奪い、それを正義だと連呼して回るのでしょうか。彼らを改心させる方法は無いのでしょうか」

 俺も白鳥と同感だった。何故、血を流して命を捨てるまでして、先人たちが汗水流して育て上げて来たものを強奪破壊する思想が分からなかった。それがロシア王朝を崩壊させた者たちの正義だというのか。白鳥の言葉を聞いた鈴木五郎軍曹が溜息をついて白鳥に言った。

「彼らは、今あるものの総てを破壊すれば、総てが無になり、皆、平等になれると信じているんだ。その盲信はしぶとく、決して屈しないよう、彼らの頭脳に植え込まれている。福沢諭吉先生ではないが、彼らの民意を高めないことには、彼らは悪の妄執から解脱することは出来ない」

 鈴木軍曹の、その言い方は何処か学者的なところがあり、気取っている風に感じられた。それを受けて部下が硬い難解な顔をしたのを見て、石川繁松曹長が、まるで清水次郎長みたいな言い方をした。

「つまり、馬鹿につける薬は無いっていうことだ。馬鹿は死ななければ治らないのさ。だから害虫として駆除しなければならないのだ」

 石川曹長の言葉に、皆がドッと笑った。俺たちの報告会議は、何時も、こんな風だった。しかし、大隊長や中隊長が出席する会議になると、皆、緊張した。

 

         〇

 7月末、その日がやって来た。突如、朝鮮第75連隊の連隊長、斎藤春三大佐が青木勝利中尉と、琿春の分隊にやって来た。俺たちは緊張し、誰もが真剣な表情になった。異様な空気に俺たちは身震いし、直立不動になり、背筋を伸ばした。斎藤春三大佐は、兵舎前の壇上から、ちょっと怖い顔をして俺たちに言った。

「諸君、お役目、御苦労。本日、自分は病気入院中であった武藤信義大将の訃報を知らせにやって来た。満州国がいよいよ独り立ちするという直前に、これから世界に雄飛する満州国の為に、日々、研鑽尽力を重ね貢献して来られた武藤大将が亡くなり、誠に残念でならない。まさに痛恨の極みである。もと佐賀藩士の次男として生まれ、陸軍士官学校を卒業し、日清、日露の戦争を体験し、参謀本部の仕事を歴任し、関東軍司令官に就任し、本年5月には軍功により、元帥号を賜る程の立派な人であった。我々は、この武藤大将が満州国発展の為に尽くされた功績を忘れてはならない。また、その貫かれた精神を引き継いで行かねばならぬ。その故人のやり残した夢を、確固たるものとして継承することを諸君と共に約束する為に、自分はここにやって来た。では、ここで武藤大将の眠る新京に向かい、満州国の発展の為に皆で尽力することを、お約束申し上げ、皆で武藤大将の御冥福を、お祈り致そう。一分間の黙祷を行う。黙祷!」

 俺たちには信じられ無いことだった。関東軍司令官の武藤元帥が亡くなられたということであるが、余りにも突然すぎた。俺たちは斎藤春三隊長が朝鮮の連隊の戻って行くのを見送ってから、武藤元帥の死について、何となくモヤモヤした気分になった。夕食後、工藤武夫が白鳥健吾に、小さな声で言った。

「武藤将軍は癌で亡くなったというが、本当だろうか。あんなに行動的だった武藤将軍が、癌だとは信じがたい。癌だったら、あんなに動き回ることは出来ない筈だ」

「だったら、何だというのだ?」

「内地にいる軍官僚による陰謀があったんじゃあないだろうか。あるいは板垣執政顧問らによる画策によるものかも?」

「確かに連中は謀り事に長けているからな」

 俺は仲間の昂りをまずいと思った。司令本部の状況を全く分からない俺たちが、口出しすることでは無いと思った。

「止めとけ。つまらんことを考えるな。余分なことを言うと処罰されるぞ。止めとけ。いいな」

 俺は仲間に釘を刺した。その後、武藤元帥の後任の関東軍司令官は、本庄中将の前の司令官、菱刈隆大将が、満州国大使を兼務する形で引継ぐことになった。司令官の再任という事もあって、関東軍は何となく落ち着いた。司令官交替によるソ連や中国の反撃も無く、関東軍満州国軍と共に満州国内の共産ゲリラ対策と治安維持に務めた。塘沽停戦協定以来、満州国の国内情勢は安定した。8月31日には満州電信電話会社が新京に設立された。その満州の発展の情報を耳にすると、目ざとい日本人、台湾人、朝鮮人などが、満州に積極的に移住し、満州は活況を呈した。満州の都市計画、鉄道計画、工場誘致は景気回復を始めた日本と競うかの如く未来に向かって邁進した。

 

         〇

 だが相変わらず、共匪は満鉄の鉄道工事の邪魔をした。10月12日、図佳線の鉄道工事の最大の難所、老松嶺隧道工事をしていた『鹿島組』の従業員とトラックを運転していた朝鮮人が、100人程の匪賊に襲われた。この匪賊の襲撃を受け、隧道工事担当者の大隈六三郎が敵に射殺され、作業員、数名が拉致された。事件を知って、独立守備隊が出動したが、賊を捕らえることが出来ず、俺たち琿春駐屯地にも、近く出動依頼が来るかと思われた。だが、その依頼は無かった。多分、独立守備隊の誇りと威信の為に痩せ我慢しているのだろうと、鈴木五郎軍曹が、俺たちに言った。一方、日本をめぐる東アジア情勢は落ち着きを取戻しつつあったが、イギリス、フランス、アメリカなどの列強国は国際連盟を脱退して孤立した筈の日本が、満州国を中国に承認させ、国力を蓄え、軍事力を高めているいることに対し、不満を抱いていた。その為、軍縮会議を行い、日本やドイツに軍縮を迫った。この時のドイツはヒンデンブルク大統領内閣のもと、ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)が躍進し、アドルフ・ヒトラー首相が政権を獲得し、一党独裁体制になっていた。10月14日、ヒトラージュネーブ軍縮会議軍縮政策を拒否し、日本に真似て国際連盟から脱退した。そのニュースを知って、俺たちは、理不尽な国際連盟を脱退したドイツに喝采を送った。その10月末、俺たちの中隊は北朝鮮の会寧駐屯部隊に帰還することになった。満州国内の関東軍の増員と満州国軍の増強により、朝鮮派遣軍の支援が少なくて済むようになったからであった。琿春には、後任の中隊が入って来て、大きな編成替えとなった。後任の部隊の中には、内地から初めてやって来た連中もいた。彼らとの引継ぎを、月末までに完結させ、10月30日、俺たちは琿春を出発。汽車に乗り、延吉経由で、北朝鮮の会寧に戻った。会寧の街には、驚く程、日本人が増えていた。清津港と満州の間島地区との国境の街として、急成長を遂げていた。だが朝鮮第75連隊の兵舎は余り変わっていなかった。それだけに懐かしい感じがして、胸がいっぱいになった。俺たちが帰ると、斎藤春三大佐や青木勝利中尉たちが、連隊の庭に並んで待っていた。俺たちは駐屯地の衛門から庭に入り、永井中隊長の後に従い、庭の中央に進んで、全体止まれの号令で直立不動の姿で並んだ。永井中隊長が、庭中央にいる斎藤春三連隊長に向かって挨拶した。

「第五中隊、永井岩吉以下、250名、間島地区の任務を終え、只今、帰営致しました」

 俺たちは永井中隊長に合わせ、斎藤春三連隊長たちに向かって敬礼した。すると斎藤連隊長は敬礼を受けてから顔をほころばせ、永井中隊長に歩み寄り、中隊長の肩をポンと叩いた。

「長きにわたり御苦労さん」

 その一言を聞いて、俺たちは満足した。それから内務班の指示に従い、それぞれの宿舎に入った。俺や同期の連中は大部屋に隣接する下士官室で起居することになった。満州吉林省に一年半派遣された俺たちは、予想もつかぬ格上げに大喜びした。敵の銃弾の下をかいくぐり、死ぬかと思う程の恐怖を体験させられた代償かもしれないが、個室を与えられたことは嬉しかった。日本の家族にも、ゆっくり手紙を書くことが出来た。また満州に派遣されなかった連中には羨ましがられる『関東軍記念写真帖』昭和六、七年度版を褒賞金と共にいただいた。俺たちは、その写真帖の白紙のページに自分や仲間たちとの満州での写真を貼り付けて、記念とした。満州から帰った俺たちは、それから、それぞれの任務についた。俺は凱旋した勇士気分で、会寧の周辺の監視所を部下と一緒になって見て回った。慶源や阿吾地や雄基の監視所は俺たちが歩哨や巡回をしていた時より、増改築され、立派になっていた。豆満江の河岸に立ち、この間まで駐屯していた対岸の琿春方面の風景を眺めると、不思議な気分になった。俺たちが駐屯し、共匪馬賊を追放した間島一帯は、今や戦地とは感じられない風景だった。満州国が確立したことにより、ソ連軍の動きも鎮静化しているようであった。ソ連の監視部隊の女性兵士、イリーナ・シェルバコワは、まだ対岸の監視所にいるのだろうか。会寧に戻って少し落ち着くと、白鳥健吾が遊郭『更科』に行ってみないかと声をかけて来た。俺は待ってましたとばかり、白鳥に賛同し、三階建ての遊郭『更科』に行った。楼主は俺たちのことを覚えていた。俺たちが玉枝と桃代を指名すると、楼主は困った顔をして、手もみしながら答えた。

「いや、それはその、叶わぬことでして・・・」

「先客が来ているのか?」

「いいえ、二人は満州奉天から来た男に面倒を見てやるからと誘われ、借金を返済して、ここから出て行きました。従って、ここにはおりません」

「そうか」

 俺たちは愕然とした。楼主は深く頭を下げ、女将に俺たちの相手を選ばせた。俺たちは楼主の言葉をにわかに信じられ無かったが、女将について行って、控室にいた女を選んだ。俺の相手は糸子、白鳥の相手は雪絵だった。二人とも岩手の出身で、3月の三陸地震の被害で、生活に困り、海を渡って会寧に働きに来たのだという話だった。菅原糸子は自分の人生を悲観していなかった。もともと口減らしの為、地震災害が無くとも、小学校を終えて、数年経ったら、雪が解ける頃、人買いがやって来て、自分は村から出る運命だったと話した。内地では東京や大阪などの大都市と地方との経済的格差が、一層、広がっているとの話だった。

 

         〇

 会寧に戻り、浮かれ気分でいると、11月9日、突然、永井岩吉中隊長がやって来て、俺と佐藤大助に飛行部隊の米倉整一少尉の所に行けと命令された。俺と佐藤は言われるままに、部隊の西にある碧城の飛行場に行き、米倉整一少尉に会った。米倉少尉は、まってましたとばかり、俺たちを迎えた。

「御苦労。また吉林で戦闘が始まった。愛国機で待っている西山伍長と野村伍長の飛行機に乗って、戦闘の様子を見て来てくれ」

「えっ、俺たちがですか?」

「そうだ。お前たちは名古屋で飛行機に乗ったことがあろう」

「はい。しかし、ちょっと乗せてもらい、操縦の説明を受けただけで、飛行機の操縦など出来ません」

「それは分かっている。それで良い。飛行機の上から敵が何処にいて、どちら方面に移動しているか偵察してくれれば、良いのだ。そして西山伍長と野村伍長の指示に従い、破裂弾を落下させてくれれば、それで良い。西山伍長や野村伍長も、吉林の地理に詳しいお前たちに同乗して貰えれば喜ぶ。我が航空部隊としても、心強い。さあ、行ってくれ」

「分かりました。では行って参ります」

 俺と佐藤は米倉少尉らに敬礼し、エンジンを動かし、待っている西山岩夫飛行兵と野村光平飛行兵の乗った92式戦闘機に乗り込んだ。俺は乗り込むなり、挨拶した。

「歩兵部隊の吉田です。よろしく」

「西山岩夫です。今から牡丹江方面の春陽へ向かいます。間島方面一帯の警備をなされていた吉田軍曹に、敵の動きを監視していただくことになり、自分は仕合せです」

「おだてるな。三菱の92式戦闘機とは懐かしい」

 そう言っている間に、三菱92式戦闘機は川べりの滑走路を猛スピードで滑走し、あっという間に、空中に浮き上がった。俺は座席にしがみつき、しばらくの間、目をつぶっていた。すると西山伍長が声をかけて来た。

「もう大丈夫ですよ」

 目を開けると、西山伍長が空から地上の景色を見ながら笑っていた。右翼方面に目をやると、野村伍長の操縦する愛国朝鮮号に乗った佐藤大助が嬉しそうに手を振っている。左翼方面を見ると、白頭山が偉そうに後方に聳えていた。向かうは老爺嶺の上空。眼下に豆満江が悠々と流れ、これから向かう嗄牙河の上流から、その流れが続いていた。その嗄牙河は図們から汪清村を経て、はるか䋝芬河の方へ伸びているかのように思われた。その山や谷の起伏のある薄茶色の大地の中を蛇のように曲がりくねった川を見下ろす景色は実に美しかった。駱駝山上空にさしかかると、西山伍長が言った。

「ここら辺が、先月、老松嶺の隧道工事をしていた作業員、数人が匪賊に拉致された場所です」

「敵がいそうな所だな。老松嶺と駱駝山が春陽の村を挟んでいる」

「何処かに匪賊の姿が見えませんか?」

「春陽の村で戦闘でもしているのであれば分かるが、地上にいる独立守備隊の方が、森の中を動き回っているで見付けられるのではないだろうか」

「そうですよね。町や村に食糧を落としたり、敵陣に爆弾を投下するのは、自分たち飛行機乗りには出来ますが、隠れている人探しまでは・・・」

 晩秋の風の中の飛行は身体にきつかった。俺は老爺嶺を越えてみてくれないかと、西山伍長に提言した。すると彼は大声で答えた。

「ちょっとだけですよ。吉林地区圏外の飛行になりますから・・・」

 俺たちの乗った愛国朝鮮号は、越えてはならない老爺嶺を越えて吉林省から黒竜江省の牡丹江の上流の鹿道周辺を上空を飛行し、辺りを偵察した。双眼鏡で、あちこち、キョロキョロ見ながら旋回すると、薄い雪の隙間から湖のようなものが見え、その湖畔に奇妙な赤い旗を立てた5つ程の円形のテントが並んでいるのを発見した。

「あれは何だ!」

 俺が叫ぶと、西山伍長が、俺の指さす場所を見下ろし、歓喜の声を上げた。

「パオです。敵のパオです。やりましたね」

「爆弾を落とすのか」

「いや。このまま引き返し、関東軍に連絡し、出動してもらいます」

 西山伍長は、俺にそう答えてから、俺たちの後に続いて旋回して来た野村伍長に、下を見ろと合図した。それから愛機を左に旋回し、俺に言った。

「では引き返します」

「もう、引き返すんですか」

「はい。吉田軍曹のお陰で、目的を果たすことが出来ましたから。有難う御座います」

 俺は獲物を狙う鷹のように空を飛行する偵察機の良さが、抜群であることを実感した。逸早く敵を発見することが如何に有利であるかは言うまでもない。引き返すのは会寧飛行場。前方遥かに見えるのは日本海だろうか。右手前方には、白頭山が、俺たちの成果を称えるが如く待っていた。西山伍長は愛国朝鮮号の高度を下げた。延吉の飛行場現場が良く見えた。やがて俺たちの乗った飛行機は、ガタンと大きな音を立て、無事、会寧の飛行場に着陸した。俺は西山伍長の操縦に感心した。

「操縦、すごく上手だね」

「なあに総ては、慣れだよ」

 そんな話をしながら降機する俺たちに続き、野村伍長たちも着陸した。俺たちは待っていた米倉少尉に会うと、第75連隊の会議室に連れて行かれ、飛行偵察結果を報告させられた。俺たちは共匪のパオが鏡泊湖の畔にあると報告した。その情報を得て、斎藤春三連隊長は、延吉にいる分隊と独立守備隊に連絡を入れ、鹿道方面から鏡泊湖の畔に攻撃をしかけ、『鹿島組』の拉致された人達の救出に見事、成功した。

 

         〇

 会寧では敵と銃撃戦をするようなことが無かった。11月中旬になると、あっという間に冬らしくなり、兵舎の部屋に閉じこもることが増えた。監視所の巡察や部下との訓練以外の時は酒保で食べ物を買って来て、同期の連中と雑談した。そんな雑談の中で、磯村喜八がもらした言葉が、いやに気になった。

「俺たちがもらった『関東軍記念写真帖』に石原莞爾参謀長の写真が無いが、どういうことだ?」

 その疑問に角田武士がさらりと答えた。

「去年の8月に石原参謀長は内地の陸軍兵器本廠に移ったからだろう。昭和7年の任務を務めあげていない」

「なら本庄繁司令官だって、同じではないか」

「そういえば板垣征四郎少将の写真も無いぞ。これは陸軍恤兵部に、石原、板垣両参謀の満州での功績を、自分たちの功績にしようとする連中が、二人の写真を載せるなと指示したに違いない」

「それは誰か」

 俺がわざと質問すると、白鳥健吾が答えた。

「決まっているだろう。政党政治を否定する官僚グループの連中だ。奴らは現地の実態を分かっていないで、ものごとの差配をしている。嘘を伝える新聞記者のような連中さ」

 俺は白鳥が、俺と同じような見方をしていることが分かった。その白鳥の考えに、何人かが頷くと、白鳥は興奮し、何時もに無く多弁になった。

「新聞記者たちは、満州国の建国者の思いと満州国の現実を伝えず、新聞記事を通じ、日露戦争で勝利したような中国領土の獲得であると日本国民を煽り立てている。日本軍が、もっと武力行使をすれば、支那大陸を日本の支配下に治められると、不可能なことを考えている。奴らの指示は、内地の机上で将棋をしているようなものだ。多くの戦死者が出ている現実を見ておらず、幻想を追っている。俺たちは奴らの遊びの駒のようなものだ。駒が敵に取られても一向に構わない。敵の駒を奪えば良いのだ。政治家や官僚のやっていることは、満州国を暴力で無く友好をもって独立させ、共和国として発展させようと考えた本庄司令官や石原参謀長の考えとは全く違う。日本人第一主義だ。今まで日本人に改名するのを嫌っていた朝鮮人が、最近では満州で、日本人だと言って、日本名を使い威張っている。俺は戦地に来て、鉄砲の被弾を受けた事の無い、政治家や官僚や天皇側近たちの暴走を恐れている」

 磯村喜八がもらした『関東軍記念写真帖』の言葉から発展した政治批判は、閑院宮載仁親王殿下参謀長にまで及びそうになったので、俺は俺たちに分からぬ政治の話は止めにしようと言った。だが仲間は、俺にそう言われても、大東亜共栄圏思想の拡大と定着に希望を抱いて、尚も喋り続けた。何処から耳にしたのか知らないが、工藤武夫がインドなどの話をした。

「聞いたところによると、英領インド帝国で、アフリカから帰国したガンジーという男が、満州国を見習って、自分たちも独立すべきだと訴え、7月に投獄されたという。また内蒙古でも満州国にあやかり、自治政府を発足させ、独立を模索しているという。今や俺たちが足固めした満州国が、世界の人たちに希望を与え、憧憬される国になっているらしい」

 満州派遣を終えた俺たちは、会寧に戻り、満州での与えられた目的を、ほぼ達成出来たという満足感に心酔していた。いずれにせよ、満州国内に鉄道を蜘蛛の巣状に張り巡らせている日本国の投資力の勢いは偉大であった。またそれに伴い、耳に入って来る日本経済の好転の兆しはどんなものか、詳しく知りたいと思った。帝都、東京には百貨店が増え、繁盛しているというではないか。この大日本帝国の繁栄ぶりは、12月23日の継宮明仁皇子の御誕生で一段と盛り上がった。奉祝歌まで作られ、内地では勿論のこと、俺たちのいる朝鮮でも、御誕生を祝い、その沸き上がり方は桁外れだった。会寧の街では、マイナス20度の極寒の中、日の丸の旗を持って歩く人たちの姿があった。そんな中、奉祝の肉マンを売る商店主もいて、朝鮮人の子供たちまでが、明仁皇子の御誕生を喜んだ。俺は日本人と共に生きる朝鮮人が増えたことに喜びを感じた。民族や民衆や個人の情熱的行為が、歴史を動かすのだと実感した。俺たちの仲間も徐々にではあるが、朝鮮人との一体感を抱き始めていた。

 

         〇

 昭和9年(1934年)は昨年末の明仁皇子の御誕生で、目出度い雰囲気で始まった。会寧の朝鮮第75連隊の営庭では日本国旗を掲揚し、国家と連隊歌を唄い、斎藤春三連隊長の訓辞を受け、東京に向かって、新年の遥拝をした。快晴の下ではあるが、頬を打つマイナス数十度の風は厳しかった。その式典が済むや、それぞれ宿舎に戻り、正月のお屠蘇と御節料理をいただいた。その後は上官の所へ挨拶に行ったり、部下の挨拶を受けたりして、夜には仲間と談笑して過ごした。二日目は訓練も無く、俺は書初めを楽しんだ。子供の時に教えて貰った永字八法から入り、自分の好きな『五族協和』や『安民楽土』や『以和為貴』や『敬天愛人』などの文字を書き連ねた。ちよっと気に入ったものが書けたところで、書道を止め、白鳥健吾の部屋に行った。白鳥の部屋には角田武士が来ていて、将棋を楽しんでいた。勝負は白鳥が打った角による王手飛車取りで、見る見るうちに決着した。角田は連続負けしていたらしく、俺を見るなり言った。

「良い所に来たな。外に遊びに行こうや」

 そこで俺たちは会寧の街に繰り出した。会寧の街には以前に増して、和服姿の人たちが多く行き交い、活気に満ち溢れていた。住宅は勿論のこと、商店、食堂、事務所、銀行、図書館などの建物が増え、まるで東京の何処かの街にいるようだった。『博文館書店』の前では獅子舞が踊っていて、小池奥吉先生が喜んでいた。俺たちは商店街で買う物が無かったので、『高嶺亭』に行き、焼き肉を食べながら、食事の後、何処に行こうか相談した。寄席に行って見ようかという意見もあったが、結局は遊郭『更科』に行こうということになった。そこで俺は少年時代のことを思い出し、仲間に言った。

「その前に『会寧神社』に行って、武運長久を祈願しておこうや」

「うん、そうだな」

 俺たちは町の小高い丘の上にある『会寧神社』へ行った。鳥居の前の参道には朝鮮人の屋台が出ていて、予想以上に人の往来があった。俺たちは参拝を済ませて、丘の上から会寧の街を見渡した。冬枯れの原野に会寧の住宅街が、以前より大きく広がっていた。家族の健康と来福を願い、自分たちの武運長久を祈り終え、ほっとしたところで、俺たちは『更科』に行った。正月ということで、『更科』は混んでいた。俺たちは待つのがいやなので、『花月』に移動し、相手を選んだ。白鳥は多美、角田は千佳、俺は里子を指名した。俺が選んだ三浦里子は秋田出身で、雪のように白く、『更科』の玉枝に似たところがあった。里子が小学校を卒業した時、母親が病気になって、野良仕事が出来なくなり、養蚕も思うように行かず、父親は農業を止め、湯沢の酒蔵工場で働くことになったという。里子には妹や弟が四人もいて、諏訪の製糸工場に務めたのだが、朝5時から夜の7時までの長時間の過激労働に耐えられず、病気になり、村に戻る途中、新潟の旅館の亭主に、朝鮮に行けば楽な仕事がいっぱいあると言われたという。そこで新潟に留まり、旅館の仕事を手伝いながら病気を治し、朝鮮から田舎に仕送りも出来るということで、旅館の主人の紹介で会寧の『花月』へ来たという。

「そりゃあ、大変だったな。内地から離れて、寂しくないか?」

「寂しくなんかないわ。大人になったら家を出ることは当然だと思っていたから。それに軍人さんのお相手が出来るのだから仕合せよ。綺麗な着物を着て、美味しい物を食べて、寝転んでいれば良いのだから・・・」

 俺は里子の言葉に苦笑した。ものは考えようだ。里子は自分の事を不幸だとは思っていない。

「だが、ある程度、金を稼いだら、適当なところで、内地に帰った方が良いよ。もっと稼いだら、もっと仕合せになれるなんて、考えたら間違いだぞ」

「何よ、それって。私には分からないわ」

「それは自分たちの先祖が暮らして来た土地と違う所で生きるという事は、良い事ばかりとは言えないからさ。日本人は大陸では、どうあがいても異邦人なんだ」

「何よ。難しい学者さんみたいな話して。それより早くしましょうよ」

 里子は、そう言うと布団の上に移動し、妖艶な眼差しで俺を誘った。俺は、里子に従った。里子を抱きながら、中島綾乃のことを思った。里子は俺に抱かれながら、俺が内地の女に思いを馳せていることに気づいている風だった。激しい馬乗りを終えると、里子が羨むような顔をして言った。

「あんた。内地にいる女のことを考えてたんでしょう」

「どうして、そんなことを・・・」

「私も秋田の男の事を考えていたから。だけど内地に残っている女が、何時までも、あんたのことを待っていると思ったら、それは一人よがりよ。その女は、あんたを待ちきれず、他の男とくっいているか、誰かの嫁ごになっているわ」

「そうかなあ」

「そうに決まっているわ。女とはそういうものよ」

 里子は俺をからかった。男は勝手な幻想を抱くが、女は現実的だと言って、俺を寂しい気持ちにさせた。そして寂しくなったら、、また『花月』に来て、自分を指名してくれれば、寄り添ってあげるからと優しく笑った。まんざら悪い気はしなかった。その時、部屋の外から、女将の声がした。

「兵隊さん。時間ですよ」

 俺は慌てて起き上がった。モタモタしている俺を、白鳥と角田が一階で待っていた。

 

         〇

 俺のいる会寧の連隊の兵舎の部屋は、暖房が行き渡っているが、廊下や玄関は氷点下の寒さだった。俺は凍結した豆満江を渡った2年前のことを思い出し、あの豆満江の川岸に行ってみたいと思った。そこで俺は鈴木五郎曹長に許可を得て、清水卓司と山内邦男たちを連れて、雄基の監視所などを、2,3日、巡回することにした。鈴木曹長は、首を傾げて言った。

「何故、こんな寒い時期に、好き好んで、国境の監視所なんかへ行くのか?」

「守備範囲に縛られず、国境の直前を移動して、この目で、敵情を偵察したいからです。それに同期の片桐や原田が、監視所に常駐しているということなので、会いたいのです」

「そうか、分かった。許可するが、国境での発砲は断じて行ってはならぬぞ。静謐確保の大方針は、守らなければならないからな」

「はい。国境守備隊の制令を遵守致します」

 俺は鈴木五郎曹長を納得させ、懐かしい雄基の監視所へ、トラックに乗って出かけた。勿論、連れて行く、清水卓司と山内邦男には、西水羅港から瓶山、咸林山、長堪山と連なる線より以東の場所での発砲を禁ずると厳しく伝えた。雪の点在するデコボコ道をトラックに揺られ、雄基の監視所に行くと、片桐重吉が、俺たちを出迎えた。監視所は俺たちがいた時より、立派になっていて、周辺に商店街が出来、すっかり様変わりしていた。朝鮮人兵も申益宣、張富夫、崔茂林の他に、数名が採用されていて、活気があった。

「皆、元気そうだな」

「この寒さだ。元気そうに笑っていなければ、身体が凍っちゃうよ」

「ところで、ソ連軍の動きはどうだ」

「何にも無いよ。間島の方は大変だったらしいな」

「うん。知ってる者が、何人も戦闘で命を奪われて、辛かったよ。殺されまいと、必死で戦ったよ。何とか殺されずに戻って来れたよ」

「運が良いな」

「そうだな。運が良かったよ。匪賊を何人殺したか分からないでいる」

「まあ、それは言うな。話さない方が良い」

 片桐の言う通りであった。壮絶な銃撃戦は、相手を殺さなければ、自分が殺される為、相手を殺すことに何ら抵抗の無い、残虐なものであった。俺は一時間程、片桐たちと雑談してから、四会の監視所に行く計画でいると話した。すると片桐が、こう提案した。

「じゃあ、四会へ行って、原田を呼んで来い。今夜、雄基の街で宴会をやろう」

「それは良いな」

 俺は片桐の提案に賛同し、昼食後、その足で、原田弥太郎が守備する四会の監視所に行った。そこから眺める豆満江の対岸の冬景色は、背後に張鼓峰から馬鞍山へと続く山塊によって、ソ連領と仕切られていて、所々が雪で白く覆われ、美しかった。

「やあ、御苦労さん。久しぶり」

 俺たちが監視所に入り敬礼すると、原田弥太郎は直ぐ、俺だと分かった。突然の訪問であるが、彼は驚かなかった。片桐が連絡していたに違いなかった。

「本当に久しぶりだな。どうだ。四会で変わった事はないか?」

「うん。軍隊としての仕事というより、憲兵隊のような仕事をしている。向こう岸と違って、こちらは安全だ」

「今夜、雄基で一杯やろうと片桐が言っていた。都合はどうだ」

「迎えに来られたんじゃあ断る訳にはいくめえ」

 俺たちは温かいワカメスープをいただいてから、原田弥太郎と原田の部下、石井善一をトラックに乗せ、雄基に戻り、駅近くの『大和旅館』に行った。原田は片桐と時々、この旅館で情報交換しているということで、旅館の馴染み客になっていた。

「片桐さんが、お待ちかねです」

 旅館の女将が原田に声をかけ、俺たちを二階の広い和室に案内してくれた。八人程での小宴会となった。酒と料理が仲居によって運ばれて来ると、俺と片桐と原田は三人で杯を交わした。部下たちは部下たちで杯を交わした。普段、緊張しているせいか酒が入ると、皆、言いたいことを言った。

満州の新京に行きたいが、何か良い方法はないだろうか。この目で夢の都を見てみたい」

「俺はハルピンへ行ってみたい。吉田は行ったことあるか?」

「いや、無い」

「ハルピンは満州国成立により、ロシアの亡命者たちが増え、新京をしのぐ賑やかさだというではないか。俺はロシアの建物やロシア女を見てみたい」

 原田は政治的なことを深く考えていなかった。ソ連軍の侵攻を防衛する為の守備をしているのに、その意識が全く希薄だった。

「ところで、朝鮮人兵は良く働いてくれているか?」

「俺たちに従っていてくれる連中は、目標も無ければ、愛国心も無い。高い給料を貰って喜んでいる」

「中には、連隊の中で偉くなろうと一生懸命に活躍している者もいる」

「大方は、金で動く連中だ」

 皆、勝手に喋った。そして酔いつぶれ、後は旅館の女将の思う壺だった。それぞれ『大和旅館』の女をあてがわれ、一夜を過ごした。俺は国境の町が賑やかになって行くのが、不思議でならなかった。川と川の合流点には、いろんな魚が寄って来るというが、人間社会でも、同じ事のようだ。女は俺の手をギュッと握って、俺を布団の中に引きずり込んだ。酔っぱらっている俺は、白い波に包み込まれ、深い海で溺れて、何が何だか分からぬ気分で深い眠りに落ちた。

 

         〇

 翌朝、片桐に叩き起こされた。

「もう原田は四会へ帰ったぞ。俺は監視所に行くが、お前はどうする?」

「そうだな。ここにもう一泊し、西水羅方面へ行ってみる。申し訳ないが、申益宣を今日と明日、貸してくれ。ロシア人と会った時、便利だからな」

「分かった。じゃあ、ここへ申を寄越そう」

「有難う。また会おう。会寧で待っている」

「うん。白鳥たちに、よろしくな」

 片桐は俺が雄基の監視所にいた時、俺の監視偵察の相棒であった申益宣を差し向けてくれると約束して、『大和旅館』から出て行った。俺は片桐と別れ、一階の食堂に行った。清水卓司と山内邦男が食事をせずに俺を待っていた。

「お早う御座います」

「おう、済まぬ。いただこうか」

 俺が加わり三人そろったところで、仲良く朝食を口にした。焼き魚、生卵、海藻、納豆といったオカズに御飯と味噌汁。ここは日本ではないかと疑う程の朝食であった。朝食を終え、満足したところで、俺たちは、もう一晩、泊めてもらうと言って、外に出た。朝方の陽光が、白い雪に反射して眩しかった。街の家々の屋根も、電信柱も白っぽく、凍りついているようだった。駐車場では、トラックの傍で申益宣と閔忠成が防寒帽を被って待っていた。

「お早う御座います」

「おう、御苦労さん。お早う」

「今日、明日、付き合わさせていただきます」

「ありがとう。日本語、上手になったな」

「お陰様で。こいつは閔忠成です。車の運転をさせていただきます」

「ワタシ、ミン・チョンソンテス。ヨロシク、オネカイシマス」

「こちらこそ、よろしく頼む。この二人は清水と山内だ。まだ酔っぱらっているかもしれんから、ゆっくり運転してくれ」

「ワカッタテス」

 俺は申と一緒に運転席の隣りに座って海岸線を西水羅方面へ走るよう命じた。海岸べりに吹き寄せる湖の香りのする海風が顔に厳しく当たり、二日酔いの俺たちを奮い立たせた。海岸の道路には雪が無かったが、凍つているので、スピードを出すなと申益宣が閔に言った。堀浦を越え西水羅に行って、車を停め、周囲の様子を監視した。底曳船に乗った漁師が、タラ漁を終え、帰港するのを、女たちが笑顔で迎えている光景が、何ともほほえましく見えた。望海岩に登って、日本海を眺めたが、藍色の海は遠く、空の果てまで続き、波静かだった。ソ連との国境間近だというのに、西水羅の港は、危機感など全く無く、悠長そのもので、平和といえた。俺たちは漁師の女たちから、ホタルイカの素干しとこんぶ茶をいただき、船から上がって来た男衆に、ソ連の状況を訊いた。海の男たちは、互いに平穏だと答えた。漁が楽しくて仕方ないみたいだった。俺には不思議でならなかった。このように寒い海に出て熱心に働いている朝鮮人もいれば、朝鮮から満州に逃亡し、日本人や満州人の人たちに夜襲を仕掛けて来る彼らの同胞もいるのだ。俺たちは漁師たちに近況を教えて貰ってから、敬礼し、感謝の意を表し、トラックに乗って、西水羅港から北に向かった。芦丘山と西藩浦のほとりを走り、雪道を難儀しながら、鮒浦里に辿り着いた。ここは海から20キロ程しか離れていないのに、まるで銀世界に近かった。俺たちは昼時になっていたので、湖の近くにある食堂に行った。店に入って行くと、申益宣たちと顔見知りの店主が笑顔で迎えた。

「オソオセヨ。サア、コチラネ」

 食堂内に居合わせた朝鮮人たちが、軍服姿の俺たちを、一瞬、驚いた顔で見たが、直ぐに憲兵で無いと気付き、再びもとの雑談を始めた。料理は申に任せた。鮒の煮付け、ナマズの天麩羅、イカ焼き、ウニ、キムチ、それに御飯と蟹の味噌汁。キムチを除けば日本的だった。俺たちは、そこでゆっくり休み、ソ連軍の動きを訊いたが、ソ連兵は下流地域でたまに見る程度で、何の問題も無いということだった。それより、満州から逃げて来る無法者が強盗や暴行を繰り返すので、何とかして欲しいと嘆願された。俺たちは、それを聞いてから豆満江分哨所に行った。分哨所には会寧の連隊に入隊した時、一緒だった川端与八郎が所長になって、ソ連との国境警備に当たっていた。そこで俺たちは豆満江の連中と情報交換し、俺と申は豆満江分哨所に残ることにした。そして閔忠成にトラックを運転させ、部下の清水と山内を『大和旅館』に帰した。清水と山内には、明日、昼頃、『大和旅館』に戻るので、旅館で待っていろと命じた。

 

         〇

 豆満江分哨所に残った俺と申益宣は、川端所長にスキーを貸してもらい、見回りして、明日、分哨所に戻ると約束した。川端所長は、俺に忠告した。

「敵の偵察に熱心なのは分かるが、無理するなよ」

「分かっている。朝飯を用意しておいてくれ。じゃあ行って来る」

 俺と申はスキーに乗って分哨所を跳び出した。俺たちはかって、お世話になった造山里の朝鮮人の家に向かった。朴立柱の家のある屈浦里とは反対方向だった。仲間から解放された俺たちは、意気盛んな野兎のように、白銀の雪上をスキーで目的地に向かった。申益宣の知り合いの造山里の柳在俊は、俺たちが行くと、竹細工作業を止めて、近況を話してくれた。今の時期、時々、凍結した豆満江を渡り、国外脱出する者がいるという。ほとんどが若者で、ソ連領に入る為、東藩浦の方から豆満江伝いに上がって来て、凍結がしっかりしている豆満江洞手前で、渡河して帰らないらしい。俺たちは柳の女房の作ってくれた夕飯をいただいてから、柳の家の川岸の芦小屋にスキーを置いて、凍結している豆満江を渡った。地吹雪のような風の中を、申についてソ連領に進み、申が口笛を吹いた。すると川向うからランプが揺れて、来て良いよという合図があった。薄暗い中、河を渡り切ると、女性兵士、ユリア・セメノビッチが、メタセコイヤの大樹の下で、待っていた。

「申氏。ドーブルイ、ヴィエーチル」

「ドーブライ、ヴィエーチェル、ユリア」

「こちら、前に会った事のあるヤポンスキーよね」

 ユリアはカンテラで俺の顔を確認して言った。

「はい。吉田です」

「イリーナと仲良かった人ね。残念だけど、イリーナは、もうここにはいないわ」

「イリーナは何処に」

「お話し出来ません。別の友だちを紹介するから、ついて来て」

 ユリアは、そう言って、クルッと背を向け、申と歩き出した。二人の後をついて行くと、大きな鬼胡桃の木の下に竪穴小屋があった。ユリアは小屋の中にいる女性兵士に、小さな声で囁くと、ニヤッと笑った。

「こちらナターシャ。私たち別の小屋に行って打合せしますので、ここでゆっくり、お休み下さい」

「分かった。申は何時ごろ、迎えに来るつもりだ?」

「夜明け前に参ります。それまで、どうぞ、ごゆっくり。では・・・」

 申は俺に向かって敬礼した。それからユリアと闇の中に消えた。俺は寒いから早く小屋に入るようナターシャに言われ、小屋に転がり込んだ。小屋の中はかってイリーナがいた小屋とほとんど同様だった。ナターシャは俺を部屋に招き入れると温かいスビテンを俺に差し出しながら、自己紹介した。

「私、ナターシャ・クルコヴァです。吉田さんですよね」

「うん。そうだよ」

「イリーナから沢山、のろけ話をしてもらったわ。『さくら、さくら』や『カチューシャの唄』も教えてもらったわ」

「イリーナは今、何処に?」

「ハンカ湖近くのホロリにいるわ。秘密よ」

「分かった」

 俺が頷くと、ナターシャは『カチューシャの唄』を日本語で唄い出した。

♪ カチューシャ可愛いや 別れの辛さ

 せめて淡雪 解けぬ間に

 神に願いをかけましょか

 俺は二番を替え歌にして唄った。

♪ ナターシャ可愛いや別れの辛さ

 今宵一夜に振る雪の

 明日は野山の道かくせ

 するとナターシャが俺の手を握って来た。そして彼女は俺の目を見詰めて言った。

「日本の歌を真似て、ロシアのカチューシャの唄も出来たのよ。素晴らしい歌よ」

「そうか。唄って聞かせてくれ」

 俺が依頼すると、ナターシアは立ち上がって唄った。

♪ ラースリィダーリィ、

 ヤバリーニグルーシィ

 パプルリート、マニナグリユーィ

 ピハジーラナレベカ、カチューシャ

 ナービソーキベレーグナックルトィ

 それは元気な歌だったが、何処か哀愁があり、俺の胸を打った。

「おおハラショー。良い歌だ」

「ウオコイエ。吉田さん、ロシア語が分かるの?」

「いや、分からない。どんな、歌の内容か分かると良いのだが・・・」

「内容はカチューシャが川岸に立って、いなくなった男を思う、恋の歌よ」

「そうなんだ。ロシア語が話せるようになれば良いのだが・・・」

「話せなくても、愛は伝わるものよ。こうすればね」

 ナターシャはベットに腰掛け歌を聞いていた俺に、突然、覆いかぶさって来た。金髪、青い瞳、白い歯の間から覗いた可愛い舌。俺は冷静さを失った。ロシア女性は貪欲だった。日本人女性のような恥じらいが無かった。喜悦が昂ると、辺りを気にせず、獣のような叫び声を上げ、求めまくった。俺はナターシャに出会えて、満足だった。

 

         〇

 翌朝、まだ薄暗いうちに申益宣が迎えに来た。俺はナターシャとの別れを惜しみ、申と薄靄がかかり凍結した豆満江を渡り、対岸の芦小屋に辿り着き、ほっとした。そこから造山里の柳在俊の家に行き、温かな朝飯をいただいた。食事をしながら、申が柳夫婦にソ連の話をした。

ソ連豆満江を渡り朝鮮や満州から脱出して来る者を捕縛し、ハバロフスクより北のアムール河以北に強制的に連行し、移住させて、帰化させているという。国力を高める為、森林伐採等の重労働者として、こき使っているという。逃げれば銃殺されるらしい。ソ連にとって豆満江を渡って来る者は、おいでおいでだという」

「チャンホクダ」

 柳在俊が言う通り、残酷な話だ。申がユリアから仕入れて来る情報は有益であった。勿論、申も、朝鮮側の情報を漏洩していると思うが、その交流が、国境を平穏にしているように思われた。柳家で温かな朝飯をいただいてから、俺たちはスキーに乗って、豆満江の分哨所に行った。川端所長が、朝飯を用意して待っていた。俺と申は、朝飯を済ませて来たとは言えず、無理して分哨所の朝飯を食べた。それから、時々、朝鮮人の国外脱出者がいるようだと川端所長に伝えた。すると川端所長は俺に言った。

「分かっている。奴らを追いかけて行って乱闘になり、発砲でもしたら、静謐確保令に違反して、罰せられるのは、こちらの方だ。だから見て見ないふりをしている」

「触らぬ神に祟り無しか。賢明な考えだ。じゃあ、これで帰るが、雄基の監視所まで、車を出してくれないか」

「うん、分かった。連隊に戻ったら、国境警備に問題無しと伝えてくれ」

「ああ、酷寒の中、頑張っていると伝えるよ」

 川端所長は、それを聞くと、山田剣士郎と徐光来に俺たち二人を車で雄基まで送るよう命じた。俺たちは、その車に乗って、赤池方面に出て、咸北線沿いの道を雄基に向かった。俺が山田に何処出身かと訊くと、彼は千葉出身だと答えた。山田次郎吉の曾で、剣士郎と名付けられたという。徐光来に出身地を訊くと、元山の生まれで、日本名を元山光来にしているという。

「自分ハ、大日本帝国ノ軍人テアリマス。天皇陛下ニ忠義ヲ尽クシマス」

 徐は、まるで内地兵気分で、張り切っていた。その徐の運転は危なっかしかったが、九龍坪から晩浦の畔りを通り、雄尚を経て、無事、俺と申益宣は雄基に戻った。予定通り、昼に『大和旅館』に戻ると、豆満江分哨所から、俺と申を送って来た山田と徐と『大和旅館』で昼食を一緒に食べて、別れた。俺は、その後、待っていた清水、山内と閔とトラックに乗って、申と一緒に、雄基監視所の片桐重吉に巡回報告をしに行った。俺は、申と一緒に豆満江の畔りや豆満江分哨所を巡察した内容の報告をして、別れを言った。

「じゃあ、またな」

 俺たちは片桐と笑顔で別れ、雄基監視所から会寧駐屯部隊に戻った。巡察に出かけて戻った俺たちに正門兵たちが敬礼した。俺は偉そうに胸を張って正門兵たちに、車の窓から敬礼した。部隊の庭に入り、兵舎の玄関で車から降りると、俺たちは直ぐに、鈴木五郎曹長の部屋に行き、帰着報告をした。すると石川繁松准尉が、報告を待っているというので、鈴木曹長と一緒に、石川准尉のおられる事務室へ行った。石川准尉は温厚だった。

「おう、寒い中、御苦労さん。雄基や豆満江方面の状況がどうだったか、聞かせてくれ。まあ、座ってお茶でも飲んでからで良い」

「では座らせていただきます」

 部屋にいた事務兵に、お茶を出して貰うと、俺はゆっくり、お茶を味わってから、巡察結果を報告した。

「雄基、四会、豆満江を巡回して参りましたが、どの監視所も、雪の多い中、活発に監視を行っておりました。雄基は国境から少し離れておりますので、四会や豆満江への物資供給と西水羅港の密輸に気を配っているようでした」

「そうか。片桐は元気だったか」

「はい、元気でした。分哨所などとの連絡も密に行っていました」

「そうか。四会はどうだった」

「四会の原田所長は間島側のような匪賊の襲撃は無いが、暴力や窃盗を行う無法者が、満州方面から流れ込んで来ていて、その対応の為、憲兵のような仕事をしていると言ってました」

「成程。相変わらずだな」

豆満江の川端の所は大丈夫か」

「はい。豆満江の分哨所では、川端所長が緊張して、ソ連との国境の守備をしておりました。自分たちも彼らと一緒に、辺りを巡察して回りましたが、今のところ、ソ連軍が攻撃して来るような様子は見受けられません。至って静かです。ソ連軍の国境を守備しているのは、ほとんどが女性兵士で、我々に対する監視強化がされています。女性兵士部隊が朝鮮や満州の国境警備の任務にあたり、男性兵士の部隊は、様々な国家建設事業や反蒋抗日を掲げる中国紅軍を支援する為、西方に動員されているとのことです。従って、現状、満州国が落着けば、ソ連軍の朝鮮への侵攻は無いでしょう」

「そうか。敵は西方に向かっているか」

 石川准尉は頷いた。俺の説明を聞いて、ソ連軍の目が満州国を越えて、その西側の中国にあることを理解したようだった。俺の説明に、部下の清水と山内は目を白黒させた。部下の二人は俺の報告を、出鱈目発言と思っているに違いなかった。彼らは、俺が、ソ連兵士、ナターシャに会って仕入れた情報だとは知らないので、そう思われても仕方無かった。

 

         〇

 俺の上官への報告は部下からすれば、嘘八百、出鱈目発言かもしれないが、俺が春化の『芙蓉楼』の女たちや満州で捕らえた共匪の兵士や、ロシアの女性兵士から直接、入手した情報の断片を組み合わせて推測する時、俺には大陸での各国の動きが明確に浮かんで来ていた。ソ連スターリンは、一国主義のもと、反帝国主義、打倒南京政府、紅軍援後の為、中国の瑞金を拠点に活動する中国革命軍にドイツの共産党革命家、リトロフ(中国名、李徳)を送り込み、周恩来と共に国民党軍攻撃の指揮を執るよう指示していた。つまりソ連は中国を手中にしようという魂胆でいると、俺は睨んだ。しかし、関東軍満州軍や朝鮮軍には、まだ完全に、その陰謀が読めていなかった。目の前の敵との争いの方が重要だった。関東軍は2月16日の夜、黒竜江省の佳木斯に近い第一次満州開拓団の入植地、弥栄村が、匪賊『紅槍会』に襲撃された知らせに、慌てふためいていた。北満州に入植理想郷を建設する為に、日本政府が送り込んだ武装開拓団が、ようやく集落の基礎を築き上げ、その成果を上げつつある中、匪賊の襲撃に遭ったのだ。関東軍だけではない。俺たちの駐屯している朝鮮第75連隊も、その知らせに慌てた。何故なら、その2日後の2月18日、その弥栄村へ行く日本人花嫁たちが、新潟から清津港に到着したのだ。その一行を、会寧の俺たちの部隊が、牡丹江まで、護衛することになってしまったのだ。その為、その日本人花嫁たちと付添人たちを会寧からハルピン経由で、佳木斯まで安全に送り届けなければならず、白鳥健吾、佐藤大助、工藤武夫と俺の四人が、護衛随行することになった。2月20日、俺たちは会寧を出発し、図們から新京経由で、まずハルピンへ向かった。大きな行李やリュックを汽車の棚に上げ、花嫁や付添人、合計30名程度で、ワイワイ、ガヤガヤ、広大な白い雪景色の中を、汽車は新京へと、一目散に走った。俺が見る車窓の景色は、かって新京に行き来した時、何度か見た景色だった。辺り一面、雪に覆われているが、農村育ちの花嫁たちは、その下に立派な耕作地が広がっていることが分かっていた。吉林駅に近づいたところで、会寧の旅館で準備してもらった弁当を食べた。まるで旅行気分だった。吉林を過ぎてから憲兵が二人、客車に入って来た。憲兵は俺たちに敬礼し、質問した。

「どちらまで?」

「開拓団の人たちを佳木斯まで送って行くところです」

「それは御苦労様です。ハルピンから向こうは寒さが厳しいですから、気を付けて下さい」

「お気使い有難う御座います」

 俺たちが、そろって敬礼すると、憲兵二人は、そそくさと別の客車に立ち去った。汽車は尚も走り続け、薄暗くなり始めて行く景色の中をひた走り、やがて次第に町の灯りが点灯し始めて、終点の新京駅に到着した。俺たちは汽車を降り、一旦、出口専用の待合室にて、時間調整した。筒井付添人たち、男衆が、肉まんと焼き芋とリンゴを入手して来て、皆に配り、待合室で夕食を済ませた。腹ごしらえしたところで、何人かが、外は寒いのに駅前の巨大な建物と眩い程の照明を眺めて来て、興奮していた。一時間程して、俺たちは待合室から一行を引き連れ、新京駅の改札口から、再入場し、駅のプラットホームに行き、ハルピン行きの汽車に乗り、車中泊して、翌朝、ハルピンに到着した。俺は、あの四会監視所の原田弥次郎の憧れの街、ハルピンの朝の光を浴びた風景を見て、びっくりした。まさに異国だ。金髪のロシア女性が闊歩していた。ロシア風建物を見て、花嫁たちは、おとぎの国に来たようだと言った。俺たちは、そこで筒井付添人の案内に従い、ハルピン駅近くで、朝食を済ませた。その後、浜綏線の綏芬河行きの汽車に乗った。汽車はハルピンを出発し、尚志、横道河子、梅林を経て、21日の午後、無事、一行の目的地、牡丹江駅に到着した。駅では弥栄村開拓団の人たちが花嫁たちが到着するのを、まだかまだかと待っていた。その人たちの中に局子街の料亭『銀閣』で会った山崎芳雄先生が、団長としておられたので、お互いびっくりした。俺たちは、そこで花嫁たちや付添人たちと別れ、山崎団長や吉川団員に招かれ、『弥栄村開拓団牡丹江事務所』に休息がてら夕食をご馳走になり、2月16日の匪賊との抗戦の有様などを聞いた。そして黒竜江省にはまだ馬賊の残党がはびこっていて油断出来ないと知った。その後、弥栄村に同行しないかと誘われたが、連隊の任務があるので、ここまでと断り、連隊に帰ることにした。俺たちはそれから山崎団長らと別れ、山崎団長が手配してくれた牡丹江の旅館『烏拉旅館』に一泊した。図佳線が開通していれば、一泊せずに帰れるのだが、老松嶺のトンエル工事や多くの鉄橋工事がある上に、匪賊の妨害があり、工事が難渋しており、鉄道の完成にはまだ数年かかりそうであった。また松花江が凍結していなければ、ハルピンと佳木斯間を船で往復することが出来たのに、船旅が出来ず残念でならなかった。宿泊した『烏拉旅館』の主人の話によれば、ここは昔の渤海国の首都で、寧古塔守備隊の本拠地でもあったという。最近、朝鮮人や日本人、ロシア人が入って来て、町の人口が増え、満州国により都市計画が進められているので、旅館業も繁盛しているという話だった。俺たち四人は日本からの花嫁たちを山崎団長らに送り届け、解放されて、長旅の疲れが、ドッと出たが、同期の仲間で、夜の食事は、酒も入り、盛り上がった。工藤武夫が酔いが回ってから、花嫁たちのことを口にした。

「それにしても、あの花嫁さんたちは、相手に会ったことも無く、写真結婚をして、満州に来るなんて、度胸あるよな」

「開拓者は何処でも英雄なのさ」

「そうさ。俺たち兵隊さんも英雄なのさ」

「そうだ、そうだ」

 佐藤大助や白鳥健吾は、俺の返答に同調した。俺たちは酔いに酔って、同部屋で何時の間にか、熟睡していた。

 

         〇

 牡丹江の『烏拉旅館』に一泊した俺は 明け方、嫌な夢を見た。牡丹江の駅からリンリンと鈴を鳴らし馬橇に乗って開拓村に向かって行った花嫁たちのうちの二人の結婚相手が、数日前の戦闘で、亡くなっていたという夢だった。俺は、極寒の隙間風に目を覚まし、仲間を起こし、身震いして食堂へ行った。『大林組』の鉄道技術者が、朝食を済ませて出て行くところだった。俺たちは急いで朝食を済ませ、牡丹江駅からハルピン行の浜綏線の列車に跳び乗り、西へ向かった。寒冷地を走る東清鉄道の汽車は、雪の山林の中を走ったり、一面坡の平地を走ったりして、ハルピンに昼過ぎに到着した。工藤や佐藤がハルピンに一泊しようと言ったが、俺と白鳥は早く連隊に戻らないと、大目玉を喰らうぞと言って、新京まで行って泊ることにした。ハルピンから別の汽車に乗り換え、新京駅には暗くなってから下車した。改札口を出ると、幸いな事に旅館の客引きが大勢いて、日本の軍人だと分かると、日本語で話しかけて来た。

「お宿はお決まりですか?」

「何処か良い日本人宿があるか?」

 そう訊くと、客引きは、良い所があると言って、俺たちを新京駅の東側の伊通河に近い『富士屋旅館』に案内してくれた。中々、落ち着いた日本旅館だった。部屋に床の間もついていて、畳部屋だった。俺たちは四人で、その部屋に泊った。夕食後、遊び好きの工藤や佐藤が、外に行こうと言ったが、俺は反対した。

関東軍司令部があるから、夜遊びは止めておけ」

「吉田は真面目過ぎるよ。ハルピンでの一泊に反対し、今夜は外出禁止か」

「そういうなら寒い中、外出するが良い。但し、危険が及ぶ心配もあるということを忘れるな。武器は置いて行け」

「武器を置いて行けとは何故だ?」

「武器を盗まれたら、部隊に戻れぬぞ」

「分かった。じゃあ、行って来る。白鳥はどうする?」

「俺は吉田と部屋にいるよ。外は寒いからな」

 白鳥は俺の事を気遣って居残ると答えた。工藤と佐藤が外出していなくなってから、俺は白鳥と火鉢を近くに置いて、将棋を指した。そこへ仲居がやって来て、誘いを受けたが、断った。深夜近くなって、工藤と佐藤が、ガタガタ震えて、泣きそうな顔をして帰って来た。

「どうした?」

「川べりで、二人の女に安宿に誘われ、俺たちは、そこにしけ込んだのは良かったが、ことが終わって宿から出て来たら、財布の中の金が消えていた。宿に戻って、二人の女を探したが、二人とも、もう遠くへ消えて居なかった。宿屋の主人に交渉したが、言葉が上手く通じない。警察を呼ぶわけにも行かず、川べりをほっつき回り、女たちが現れるのを待ったが、寄って来る女は、総て別の女だった」

 工藤が情けない顔で、外出してからの経緯を話した。佐藤も同様だった。

「吉田の言うように外出しなければ良かったよ。せめての救いは拳銃を持参しなかったことだ。拳銃を盗られていたら、隊に戻れないからな」

「それは災難だったな。金は俺が貸してやるから何とかなるが、殺されなくて良かったよ。軍服を盗まれ、河に流されたら、一巻の終わりだ」

「生き馬の目を抜く都会とは恐ろしい所だと分かったら、早く寝て、急いで会寧に帰ろう」

 工藤と佐藤は俺と白鳥に失敗を告白し、酒を飲んで慰められると、ほっとしたのか、苦笑いして布団に入った。そして俺たちは熟睡し、翌朝、7時の新京発、図們行き、京図線の汽車に乗り、雪景色の中、東へ向かった。老爺嶺にさしかかったところで、『富士屋旅館』で作って貰った、おにぎり2個を食べ、懐かしい銅仏寺、朝暘川、延吉などを車窓で眺めて、夕方、図們に着いた。そこから咸北線に乗り換え、夜8時過ぎ、会寧駅で下車し、朝鮮第75連隊の正門にようやく辿り着いた。宿舎に入り、先ずは石川准尉の所へ帰隊報告に行った。

「石川准尉殿。白鳥他四名、牡丹江への開拓団護衛随伴の役目を終え、つい今しがた帰隊致しました」

「おおっ、帰ったか。心配していたぞ。ご苦労さん。今日は遅い。明日、中隊長殿と報告を聞くので、部屋に帰って寝ろ」

 石川准尉は帰隊した俺たちの顔を見て、笑顔で言った。俺たちは帰りが遅いと叱られるのではないかと覚悟していたが、叱られずに済んだ。

「分かりました。では失礼致します」

 俺たちは石川准尉に挙手敬礼し、自分たちの宿舎へ戻った。宿舎に戻りながら白鳥が俺たちに言った。

「承知していると思うが、明日、めったなことを言うなよ」

 その言葉に、俺たちは頷いた。

 

         〇

 3月になった。何となく春の気配を感じる3月の朝礼で、4月に、また内地から新人兵が部隊に派遣されて来るので、先輩として恥ずかしくない見本を示し、未経験者を歓迎し、懇切丁寧に指導せよと、斎藤春三連隊長からの訓辞があった。それに続いて、俺たち2年服務兵が内地に帰還することになると話された。この交代帰還については、あらかた分かっていることであったが、それが発表されると、いよいよ大陸での任務が終了するのかという気分になった。ところが翌日、満州国の執政であった清朝の元皇帝、溥儀が3月1日、皇帝に即位し、『満州共和国』が『大満州帝国』になったとの知らせが入った。俺たちはびっくりした。満州国は『満州共和国』として出発したのに何故?それは鄭考胥という初代国務総理と張景恵という国務院軍政部総長の画策だというが、俺たちには全く理解し難い、信じられぬことであった。何だったのか、俺たちの努力は?2年前の正月、天皇陛下が、〈氷雪を衝き、勇戦力闘、もって其の禍根を抜きて、皇軍の威武を中外に宣揚せり。朕深く其の忠烈を嘉す。汝将兵、益々堅忍自重をもって東洋平和の基礎を確立し、朕が信倚に対へむことを期せよ〉と仰せられたことは、別の帝国を誕生させる為のものであったのか。あの石原莞爾大佐が語られていた共和制と民主的議会制の夢は、完全に覆されてしまったことになる。満州国建国時の『順天安民』、『五族協和』の政治思想は何処へ行ってしまったのか。俺は愕然とした。そんな俺を見て、仲間は笑った。

「そう、向きになるな。ここは他国だ。満州人の領土だ。満州人の勝手にさせるが良いさ」

「そうだよ。角田の言う通りだよ。明治維新で出来た政府が、徳川政権に戻るようなものさ。徳川幕府が、御三家や旗本から成っていたように、満州にも旗人と呼ばれる特権階級があって、その最高一族『正黄旗』の頭領、愛新覚羅家の溥儀が、満州人によって三度目の皇帝に選ばれただけのことさ」

 白鳥は角田と似たような考えだった。『大満州国帝国』のことなど、工藤にも余所事だった。

「俺たちは月末には内地に戻るんだ。その前に、もっと朝鮮の知らない所を見ておこうぜ」

 仲間の頭の中は、内地に帰れる喜びでいっぱいだった。そんな雰囲気の中で白鳥が提案した。

「帰国する前に白頭山に登って見たいと思わないか」

「おう。それは良いな」

「だが、まだ雪が残っているぞ。雪中行軍の仕度で行かないと遭難するかも知れんぞ」

「もう三月だ。積雪時期も終わる。それに富士山より千メートル低い山だ。雪崩に気をつければ大丈夫だよ」

 満州で緊張した勤務を終えて、朝鮮に戻っての会寧の連隊での日常訓練や巡察だけののんびりした日常を送っていた俺たちにとって、白鳥の提案は魅力的だった。刺激を求めている俺たちは、直ぐに、その提案に賛成した。早速、石川准尉に話すと、石川准尉は、永井中尉に伝え、青木大尉から了解をいただいた。

「卒業旅行のようなものだ。栗原君も行って来い」

 俺たちの提案を許可して貰えないと思っていた栗原曹長は、石川准尉から、そう声をかけられ、俺たちと共に大喜びした。3月7日、栗原曹長以下15名程で、、朝一番の汽車に乗り、俺たちは古茂山経由で茂山まで行き、そこから白樺林の続く、茂山高原を白頭山目指して進んだ。初め雪はまだらであったが、白頭山方面に向かうにつれ、次第に深まった。何故か関ヶ原での雪中行軍の訓練を思い出した。古城里島を越え、豆満江の上流、紅丹水に沿って行くと、北胞胎山の麓に集落があり、『七星温泉』という看板が掛かっていた。俺たちは歩きに歩き、クタクタになっていたので、そこの民家の小屋で宿泊させてもらうことにした。何故、こんな所に集落があるのか、俺たちは疑問を持った。その疑問は、夜中に酒を持って来た老人の話で明白になった。

「我々の親たちは日清戦争の時、朝鮮までもが戦地になるのではないかと、白頭山の麓に逃げ込んだ一族です。我々は朝鮮王朝の功臣、洪一族の者たちで、世の中が平穏になる時代が到来するのを待って、今、ここにおります。清国の冊封搾取から脱する為、我々は大日本帝国の力を借り、日清戦争に勝利し、大韓帝国が、独立国であることを世界に向かって宣布し、大韓帝国が独立国であることが認められました。それまでは良かったのですが、ロシア、フランス、ドイツなどの内政干渉が始り、清国はロシアと手を組み、再び朝鮮を手に入れようとしたのです。その為、日露戦争が始ってしまい、日露戦争が終わったと思ったら、日韓併合になり、満州支那での戦争が始り、戦争が終わる気配がありません。我々の一族は戦争が嫌いです。殺し合いは良くありません。ですから、我々一族は、こうして世界が平和になるまで、森の空気を吸って暮らしているのです」

 老人は俺たちにイノシシ鍋を振舞い、酒を飲ませ、普段、胸に詰まっていた思いを、俺たちに吐露した。俺は洪文徳老人の話を、夢中になって聞いた。栗原曹長は、そんな老人の話に興味が無いらしく、『七星温泉』の温泉風呂に行って戻って来た。身体はポカポカだが、タオルは凍って、俎板のようだった。俺も途中から、白鳥と一緒に酒席から抜け出して、温泉風呂に浸かった。5人程で入るのが丁度の石風呂だった。温泉に浸かりながら夜空を見上げれば、満天に沢山の星が輝いていた。

 

         〇

 翌朝、俺たちは『七星温泉』部落の人たちの作ってくれた朝食の御粥をいただいた。小豆を入れたり、梅干しを入れたり、イカの塩辛を入れたり、玉子やキクラゲを入れたり、各人が、お好みの物を入れる食べ方を勧められた。キムチも食べられない程、出していただき、俺たちは喜んだ。満腹になったところで会計係の島岡誠二が支払いをすると、洪一家は大喜びした。そして、地図を頼りに白頭山に登るという俺たちに、案内人二人を立ててくれた。有難いことだった。俺たちは案内人の洪三昊と洪泰浩を先頭にして、七星部落から出発した。青空に一つの雲も無く、晴れ渡った日だった。向かう雪原の道はキラキラ輝き、空気は冷たく寒いのに、汗をかく程だった。北胞胎山の麓から石乙水の川を越えた天坪という部落に着くと、洪三昊が、休憩を勧めた。俺たちは、そこで革の長靴の上に藁靴を履き、村人からコーン茶を飲ませてもらった。皆、元気になったところで、また防寒帽を被り、重たい外套を着て、背嚢を背にし、銃を抱えて、雪道を白頭山に向かった。紅土水を越え、無頭峰を通過すると、もう目の前に白頭山の頂上があった。手を振る洪案内人たちを追って頂上に辿り着くと、眼下に凍結した天池が見えた。俺は故里に近い、榛名湖の冬景色を思い出した。時刻は正午を過ぎていた。俺たちは、その山頂の岩場で昼食をすることにした。案内人二人は、近くの洞窟で暮らす知人の所へ物を届けると言って姿を消した。連隊から持参した昼食の握り飯を腰弁当から取り出すと、凍っていて食べられなかった。温泉部落からいただいた黒パンと茹で卵を口にすることが出来たので助かった。七星部落に立寄っていなかったら、俺たちは遭難していたかもしれないと、雪山の恐ろしさを知った。20分程して案内人二人が戻って来た。二人の陰に、何故か白いものがうごめいていた。誰かがいる。良く見ると、乞食姿の老婆が、杖をついて、二人の後ろに立っていた。白髪を伸ばしっぱなし、まるで妖怪のようで、髪の長さは尻に届く程だった。洪三昊が、老婆を俺たちに紹介した。

「紹介します。このハルモニは白頭山の巫女、ムータンで俺たち部落の者が世話をしている大切な生き神様です」

 そう聞いて、俺たちは、ゾッとした。そんな俺たちの目を見て、老婆は薄気味悪く笑って言った。

「イルボンサラムよ。よう、ここまで来なさった。儂は七星部落の者に崇められている巫女婆さんじゃ。七十歳の時、この山頂に運ばれてから、この世を眺めている。ここにいると、何でも見えるのじゃ」

 すると栗原曹長が、大袈裟な事をいうと、老婆をからかった。

「婆さん。寝ぼけているのと違うか。こんな所にいて、この世の事が見えるのか?耄碌して、夢の中の戯言を喋りまくっているのだろう。大袈裟な話をして、俺たちを驚かそうたって、無理の話だ」

 すると白髪の老婆は頭に手をやり、髪を風にちょっと泳がせて、栗原曹長を睨んだ後、白頭山の頂上から、遥かに広がる大陸を指差して、ゆっくりと喋った。

「見てみるが良い。この広い大地を。見えぬか。この大地には黒龍と白虎と白熊がふざけ合っている」

 俺たちは老婆に言われるまま、そこから満州支那の大地を見やった。広大な大陸が遠く霞む程、遥か遠くまで続いている。栗原曹長は、この婆さんは何を言っているのだという、呆れ顔をして笑った。老婆は尚も続けた。身体をくるりと反対方向に向き直って言った。

「振り返って、東を見るが良い。藍色の海が広がって見えるであろう。この広い東海には鯨と鮫を従えた青龍が、偉そうに泳いでいるではないか。あそこが、お前たちの本来の居場所じゃ。船に乗って早く帰るがよい。あそこに、お前たちの仕合せがある」

 俺たちはびっくりした。老婆は人の心を読むことが出来るのであろうか。俺たちが大陸に留まるつもりでいないことを察知しているかのような言い方であった。俺たちは老婆の言葉をかみしめ、もう一度、白頭山の山頂から周囲を見渡し、老婆に挨拶した。

「ムーダンの言われる通りかも知れません。わざわざこの世の事を、お教えいただき有難う御座いました」

 俺が、そう言うと、白鳥も老婆に言った。

「素晴らしい景色を通じ、知らなかった世界を見させていただきました。感謝申し上げます」

「これ、お礼です」

 島岡誠二が、謝礼を渡し、栗原曹長が、これで帰りますと老婆に敬礼した。俺たちもそれぞれに老婆に敬礼し、もと来た道を猟銃を肩に掛けた洪案内人たちと下山した。案内人二人は下山途中、雉一羽と兎二羽を捕まえた。彼らの射撃の上手さに、俺たちはびっくりした。俺たちにとっては滑落せぬよう注意せねばならず、狩猟どころでは無かった。懸命に下山し、夕方には全員、無事に七星部落に辿り着いた。そこでまた洪文徳老人たちと、今日、出会った白頭山の巫女の話などをし、酒を飲んだ。温泉にも、ゆっくり浸かった。温泉風呂の湯に浸かりながら、白鳥が俺に言った。

「よく厳寒の白頭山登山が出来たよな。提案者としてハラハラしてたよ」

「うん。内地での関ヶ原伊吹山の寒中訓練のお陰かもな」

 俺たちは、そう言って、温泉風呂の中の5人程で笑い合った。今夜も星が降るような美しさだった。

 

          〇

 白頭山の雪中登山旅行を終えた俺たちの帰隊報告を受けると、青木大尉、永井中尉、野田少尉、石川准尉は、ほっとしたようだった。八甲田遭難事件のようなことになりはしないかと、3日間、心配しっぱなしだったらしい。俺たちは朝鮮での記念旅行を済ませると、内地への帰り仕度を始めた。また今まで、お世話になった部隊の人たちや、会寧の人たちに挨拶回りをした。雄基や四会、豆満江の監視所へ行ったり、飛行部隊の西山伍長の所へ行ったり、朝鮮人の知り合いの所へ行ったり、『博文館書店』へ行ったり、『高嶺亭』に行ったりした。また遊郭に行くことも忘れなかった。『更科』に行くと、菅原糸子が、俺の帰国を残念がったが、あっけらかんとしていた。

「また会寧に来ることがあったら指名してね。私はここで頑張るから」

「分かった。数年したら、また会寧の部隊に派遣されると思うから、元気でいなよ」

「吉田さんこそ元気でね。さよなら」

 糸子との別れは、あっさりしたものだった。しかし『花月』の三浦里子は、そうでは無かった。

「私、ここに来る時、朝鮮は、さぞ寒かろうと、病気の母親に泣かれたけど、四人もいる妹や弟たちの養育費の手助けをして上げなければと、覚悟してやって来たのだから、ちっとも辛いとは思わなかったわ。でもさ、私って馬鹿だよね」

「何んで?」

「秋田に好きな男がいるのにさ、あんたに惚れちゃってさ」

 俺は、キョトンとした。

「私は、あんたのお陰で、ここでの仕事が、ちっとも辛く無くなったんだよ。なのに、あんたが帰ることになっただなんて、辛いわ」

「馬鹿だな。男と女には別れがあると言っていたのは、お前の方じゃあないか」

「分かっているわよ。でも大好きなんだよ。あんたのこと・・・」

 里子は目にいっぱい涙をためて、俺にしがみついて来た。里子は何時もの明るさを、すっかり無くし、白い肌を寄せて来た。そして目を瞑って呟いた。

「この世には神様も仏様も、御不動様も、格好だけでいないのよね」

 俺は、どう答えたら良いのか、何も思いつかなかった。裸のまま里子の白い裸身を抱いて考え、一人の女の話をした。

「不幸なのは、お前だけじゃあないよ。俺は、先月、満州の開拓団に、新潟からの日本人花嫁たちを送って行ったんだ。彼女たちは寒い牡丹江駅に迎えに来た弥栄村の開拓団の馬橇に乗って、雪道をリンリンと鈴音を鳴らし、嬉しそうに手を振って去って行った」

「まあっ、そんな仕合せいっぱいの花嫁さんが何で不幸なの?」

「夫になる本人と会ったことも無く、写真一枚で結婚を決断し、満州にやって来たんだ」

「似たような写真結婚の話、秋田でもあったわよ。美男子と思って嫁さんに行ったら、醜男だったって・・・」

「その程度のことなら、まあ良いのだが・・・」

 俺は次の言葉に窮した。牡丹江の『鳥拉旅館』で見た夢は正夢だったからだ。『花月』の部屋の天井に、馬橇に乗った花嫁たちの笑顔が浮かんだ。あの花嫁たちの中のどの花嫁が不幸になったのか?里子が俺の鼻をつついた。

「じゃあ、何なのよ」

「ある花嫁が開拓団に到着したら、彼女の夫は、5日前の匪賊の夜襲に跳び起き、銃撃戦になり、必死になって戦ったのだが、残念なことに、敵に撃たれ瀕死の重傷を負い、ベットに寝かされていたというんだ。そして数日後に、彼女は喪服の花嫁になっちまったんだ」

「まあっ、可哀想」

 里子は、そう言って小さく震えると、俺にしがみついて来た。俺は里子を抱きしめ、涙顔の彼女の唇に俺の唇を重ねた。俺たちは存分に求め合い、別れを惜しんだ。いろんな人との別れの挨拶が終わると、俺たちは帰り仕度の確認を行った。軍が用意してくれた大きな個人別布袋の中に、内地から持って来た物や大陸で手にした持ち帰って良い物を収納した。スキー、飯盒、双眼鏡、防寒眼鏡、カンテラなど、いっぱい詰め込み、自分の名札を付けた。また街に出て朝鮮の土産物を買った。朝鮮人参、蜂蜜、人形、シルクの小袋、小物箱なども、別袋に詰めた。3月20日、荷物の発送を終え、出発の日を待った。

 

         〇

 3月22日、木曜日の正午、俺たちは朝鮮会寧歩兵第75連隊の庭に並び、斎藤春三連隊長の送別の言葉をいただいてから、レンガ造りの駐屯地正門を出て、三列縦隊となり、会寧駅へ向かった。多くの見送りの人が、日の丸の小旗を振ってくれた。会寧駅から咸北線の汽車に乗り、清津駅で下車すると、そこでも多くの関係者が見送りに来ていた。俺たちは清津港の船乗り場に行き、午後3時半、『満洲丸』に乗り込み、見送る人たちに手を振った。午後4時に、『満州丸』は清津港を離れた。いよいよ大陸ともおさらばか。二年という月日は、長い時間のような気もしたが、今では短く思えた。遠ざかって行く清津港を見やりながら、俺は小さい声で、さよならを言った。船が清津の山脈から遠くなり、大海の出ると、雪を被った白頭山が眺められた。あの白髪の老婆が、山頂で杖を振っているような気がした。『満州丸』は、そんな北朝鮮の風景に見送られて、日本海の白波をけって、日本の福井県南西部の敦賀港へと向かった。満州国の建国と大東亜共栄圏確立の崇高な目的を遂行する為の足掛かりをつけた俺たちは、何故か凱旋気分だった。『満州丸』を追って来るカモメたちまでもが、俺たちを称えているかに見えた。俺たちは甲板に立って、本土への帰還に胸をはずませた。中島綾乃は待っていてくれるだろうか。群青色の海を『満州丸』は、俺たちを一時も早く本土に送り届けようと波をけった。そんな『満州丸』を夕陽が照り付けた。眩しかった。そして、その夕陽が沈むと、あたりは真っ暗になった。何故か気味悪くなり、俺たちは船室に入り、夕食を済ませて、二等室で毛布を被り、ゴロ寝した。船室での寒さは甚だしく、熟睡することが出来なかった。夜が明けても、まだ海の上だった。だが本土に近づいていることは間違い無かった。日本人の乗る漁船が手を振るのに応えた。俺たちも、他の客たちも船室から出たり入ったりして、昼食を済ませると、遥か前方に島影のようなものが見えて来た。そして俺たちは23日午後3時過ぎ、無事、福井の矢良巣岳と法螺ヶ岳を左右に配した敦賀港に到着した。下船して荷物を受け取った後、俺たちは敦賀の歩兵第19連隊の宿舎に入り、一泊した。明日、名古屋本部に帰れるのかと思うと、胸が躍った。24日の朝、俺たちは軍のトラックに荷物を積んで、敦賀の連隊から、長浜、関ヶ原経由で、正午前に、名古屋本部に無事、到着した。金の鯱鉾を乗せた名古屋城にある連隊は懐かしかった。多くの連隊兵が整列し、俺たちに敬礼し出迎えた。俺たちは四列縦隊になり、名古屋城の連隊の庭に並び、2年間の任務を終え、無事、帰隊したことを第3師団長に報告した。第3師団長、若山善太郎中将は、こう話された。

「2年間という長き任務、誠に御苦労であった。心より感謝申し上げる。かの満州、朝鮮、ソ連国境の凌ぎ難き極寒に堪え、各地で蜂起せる匪賊を掃蕩した諸君の勇敢なる働きは軍人の鑑である。朝鮮を守備し、且つ又、満州に出向き、満州国を成立させた諸君の功績は多大なものであり、今後、永久に語り継がれる事蹟となるであろう。ここに師団一同、心から拍手を送る」

 この大陸出兵任務の労をねぎらう御言葉をいただき、朝鮮派遣兵の帰隊式典が終了した。俺たちは事務班の指示に従い、それぞれの宿舎に行き、夕方、簡単な御苦労さん会をしてもらった。そして、その翌日から、除隊の準備に入り、自分の荷物を群馬の実家に送付した。現役満期除隊にあたり、青木勝利大尉から、お前は実力があり、優秀なので、この後、士官学校に入校してはどうかと勧められた。だが俺は長男なので、親に相談してからと返事した。除隊者の送別会は3月30日、名古屋市内の料亭で行われた。俺たちは大役を終え、別れることになり、大いに飲んだ。男同士なのに別れを惜しみ、泣き出す奴もいる送別会だった。

 

         〇

 3月31日、俺たち除隊者は駐屯所の正門に敬礼してから、それぞれの郷里へと向かった。俺は大きなリュックを背負い、金星の輝く軍人帽を被り、軍服を着て、軍刀を吊るした姿で、白鳥たちと一緒に、名古屋駅から東京へ向かった。途中、静岡で原田弥次郎、山本孝一たちが降り、小田原で島岡誠二たちが降り、横浜で磯村喜八、山口勇作たちが降りるなどして、再会を約束して別れて行った。東京駅で阿部四郎、片桐重吉たちと別れた。俺たち上信越組は、東京駅から上野まで行き下車して、上野で一泊することにした。東上野の『福住旅館』を訪ね、白鳥、角田、佐藤、工藤。塚田、小島に俺の7人で泊めてもらうことになった。俺はふと、湯島の東京帝国大学附属病院で亡くなった母、喜久寿のことを思い出した。

「生きるのよ。どんなことがあっても生きるのよ」

 俺はここにいる仲間たちと、銃弾の飛び交う中を掻い潜り、生還し、今、ここにいる現実を、改めて実感した。『福住旅館』の大部屋で俺と一緒に酒盛りを始めた仲間たちも、同じ思いでいるのかもしれなかった。俺たちは大いに飲み唄った。酷寒、酷暑の大陸の荒野で、敵に対峙し、命懸けで奔走した日々は、忘れぬ事の出来ぬ仲間との体験であった。不幸にも命を落とした飯野、久保田、宮内、小柴、谷中、伊藤、宮坂といった連中もいたことは、不運という一言では済まされない深い痛みの残る思い出でもあった。俺たちは酔っ払い、普段、陽気な佐藤も歌を唄っていたのに、気づいて見れば、部屋の外の階段の所で泣いていた。そんな仲間たちも、翌朝にはあっけらかんとして、『福住旅館』の朝食を美味しくいただいた。朝食を終えてから、一同、軍服に着替え、上野駅に行き、8時半発の信越線の汽車に乗り込んだ。俺たちは左右の席に4人と3人とに分かれて座った。塚田忠造が大宮で、小島陽一郎と別れてから、窓の外を見ながら呟くように言った。

「日本の田園風景は矢張り、美しいな」

 皆、同感だった。田畑に歴史があった。俺たちを乗せた列車が高崎に着くと、佐藤と工藤が手を振って降りた。俺たちは、駅のホームの売り子からお茶を買い、『福住旅館』で作って貰ったおにぎりを車内で食べた。そうこうしているうちに前方に妙義山が近づき、いよいよ俺が下車する番になった。俺は松井田のスイッチバック駅のホームに降りると、長野出身の白鳥、新潟出身の角田の乗る列車の窓に行き、二人と別れの握手をした。そして二人を乗せた列車が走り去るまで、ホームに佇み、仲間を見送った。

 

         〇

 故郷の松井田駅の改札口を出ると、駅前の『広栄亭』の女将が、軍服姿の俺を見つけて駆け寄って来た。

「お坊ちゃま。お帰りなさいませ」

 俺は声をかけられ嬉しかった。女将の優しい声に気安く甘えて、お願いした。

ハイヤーを呼んでくれないか」

 すると女将は微笑して返事した。

「その必要はありませんよ。この次の汽車で、吉田校長先生が、お帰りになられますから」

「うん、分かった」

「では中に入って、お休み下さい」

 俺は遠慮なく店の中に入り、部屋に上がらせてもらった。女将は直ぐに、お茶を運んで来た。それから、店の主人と一緒に、渡満していた俺の軍隊生活について、どうだったか、あれやこれやと訊いて来た。俺は戦闘の話は余りせず、満州や朝鮮での体験を、面白おかしく話してやった。やがて、鉄橋でボーッと汽笛を鳴らし汽車がやって来て、本線からスイッチバックして駅のホームに入って来た。

「吉田校長先生のお帰りです。迎えに行って来ます」

 女将が店を出て行った。駅の改札口から、山高帽を被り、三つ揃えの背広を着て、黒いカバンを手にした、背の高い父が出て来るのが見えた。女将は父のカバンを受取り、俺の帰郷を伝えた。父は目の色を変えて、『広栄亭』に入って来た。

「おう、帰ったか」

「はい。先月末、満期除隊となり、帰郷することになりました」

「おう、そうか。異国での討匪の任務、御苦労だった。皆、喜ぶぞ。では帰ろうか」

 『広栄亭』の前には、既にハイヤーが横づけされていた。父は、毎日、ハイヤーで帰宅しているとのことだった。朝は天神峠を徒歩で越え、松井田駅まで来て、上りの汽車に乗り、磯部駅まで行き、磯部小学校での日課を終えての帰りは、磯部駅から下りの汽車に乗り、松井田駅で下車し、『広栄亭』の前から、ハイヤーに乗って自宅に帰るという日常だという。俺が『広栄亭』の夫婦に見送られ、ハイヤーに乗ると、父は言った。

「今日は日曜日だが、明日から新学期になるので、教師たちと打合せをして来た。お前と一緒に帰れるとは、丁度、良かった」

「帰る日を知らせて、大袈裟になると困るので、あえて帰りの日時を知らせず、申し訳なかったです」

「むしろ良かったよ。凱旋帰国と大騒ぎされては困るからな」

「途中、母さんのお墓参りして行こうと思うのですが」

「そうだな。お前が無事、帰り、喜久寿も喜んでくれるよ」

 ハイヤーは天神峠を越え、川端橋を渡り、新井村から土塩村に入った。そこで父は運転手にハイヤーを止めさせ、親子して降りると、ハイヤーを帰らせた。それから、坊地の母の墓へ向かった。母の墓は土饅頭の上に石を乗せた小さな墓であったが、妹たちによって、綺麗にされていた。俺は父が俺の帰国報告をした後、自分が負傷することも無く、生きて帰れたと、手を合わせて報告した。母の墓参りをして、家に帰ると、妹の喜代乃と利子と手伝いの房江さんが、夕食の仕度をしていたが、軍服姿の俺に気づくと、目を丸くして、玄関先に跳び出して来た。

「うわっ。兄ちゃんだ。兄ちゃんだ。お帰りなさい」

「本当に兄ちゃんだ」

「まあ、御立派になられて。お帰りを、お待ちしておりました。大きな荷物が今日、届きましたので、お帰りになられるのではないかと、皆で、夕食の準備をしていたところです」

 房江さんは、そう俺に言ってから、父のカバンと山高帽を受取り、座敷に上がった。入れ替わるように、奥の六畳間で勉強していた弟の通夫が、玄関の上がり框に走って来て、元気な声で、俺を迎えた。

「うわっ、兄ちゃん。兄ちゃん、お帰り」

「只今」

 俺が朝鮮に派遣される時、まだ子供子供していた弟、通夫は、当たり前だが、小学校の上級生になり、賢そうな少年に成長していた。俺は弟に導かれ、奥の六畳間に行き、軍刀を床の間に置き、リュックを縁側に置いた。喜代乃が丹前と帯を出してくれた。それを見て、父が俺に言った。

「お前が先に風呂に入れ」

 俺は何時も、父の後に風呂に入っていたのであるが、お言葉に甘え、父より先に風呂に入らせてもらった。懐かしい檜風呂に入り、温かなお湯と木の香りに包まれ、無事、戻れたのだと、ホッとした。俺の後に父と弟が風呂から上がると、仏壇に食事を備え、線香を上げ、帰国報告をした。その後、皆で夕食をいただきながら、それぞれの近況を話した。父は、まだ磯部小学校の校長のままで、妹の喜代乃は、安中高等女学校を卒業してから、教員免許を取得し、細野小学校の教師になっていた。利子は小学校を卒業して、房江さんに家事を教えてもらっていた。弟の通夫は小学校の勉強のかたわら、関東軍と馬占山の戦いや爆弾三銃士の物語に夢中になっていた。そんな家族に、俺は朝鮮と満州の日々を簡単に話した。内地の新聞やラジオでは、俺たちがソ連から朝鮮を守り、満州国を成立させたと、大々的に報道していたようで、酷暑、酷寒に堪え、匪賊の夜襲に戦々恐々としていた俺たちの体験して来た現実とは、全く違っていたので驚いた。大陸で沢山の死者を出し、多くの犠牲を払っているという現実が報道されていなかったということは、問題であると感じはしたが、また有難いような気もした。父も妹も弟も房江さんも、それぞれに俺の大陸での軍隊生活を勝手に想像していたに違いなかった。従って、俺が朝鮮の連隊から、満州建国の為に満州に移動し、再び朝鮮の連隊に戻って帰国した話は、まるで英雄譚みたいなもので、、いろいろ質問された。その為、久しぶりに実家の布団に入り、ゆっくりさせてもらおうと思っていたのに、寝るのが遅くなり、深夜にまでなってしまった。

 

         〇

 翌日、俺の帰郷を知った近所の人や親戚の人や小学校時代の同級生や、村会議員の人たちが、凱旋帰国の祝いだといって、酒や食物を持って我が家にやって来た。俺は予想もしなかった村人たちの歓迎と興奮に接し、晴れがましい気分になった。だが、村の青年団の集まりで、満州事情の解説を依頼された時には困った。村の経済状態は極度に悪化していて、村民の困窮の程は俺が予想していた以上の苦しい状態だった。細野村の若者たちの中には、俺のように軍隊に入り、給料生活をしたい者と満州や朝鮮に移民しようと考えている者がいた。俺は集まっている若者たちに、こう説明した。

「皆さん、ご存知の通り、俺は朝鮮と満州に行って来た。海を渡り、他国に行き、日本が如何に素晴らしい国であるかを知った。日本人は勤勉で良く働く。大陸の連中は怠け者が多く、勉強嫌いだ。かって福沢諭吉先生が、大陸の連中は無知蒙昧であり、人民の独立の気力を養う為の、学問を奨励しなければならない。日本人が行って、人民の智徳を高め、人民を豊かにさせて上げなければならないと論じられたことがあるが、全く、その通りだ。その為に、今、満州政府では日本人が補佐し、国家発展構想などを練っている。日本国経営による満鉄は満州国全土に、鉄道を敷設している。俺はその手助けをして来た。だが、こうして他国から日本に帰り、日本の大地を見て、日本の大地は大陸の大地より、美しく肥沃であると再認識した。今の日本国内の困窮は、欧米をはじめとする列強各国が、日本が国際連盟から脱退したことによる経済封鎖を実施していることに起因している。その為、養蚕の盛んな我が村も、生糸の輸出が無くなり、苦しくなっている。だからと言って、俺のように軍人になろうと思ったりしてはならない。俺は大陸に行き、何度も死にそうになった。夏は猛暑、冬は酷寒の荒野。そこでの武装匪賊との交戦。生きて帰れたのが、不思議なくらいだ。それに大将になるには、16もの階級を昇らなければならないんだ。その上、俺のような陸軍教導学校卒業では、上級には進めない。士官学校を卒業しなければ駄目だ。更に、その中に、まだ薩長土肥の流れがある。そんな軍隊に入り、無駄死にすることはない。それより、養蚕だけに頼らぬ農業を行い、農産物の生産力向上に傾注すべきであると考える。稲や麦だけで無く、キャベツ、白菜、ネギ、コンニャク、果樹など、各人が個別の物を生産すれば農業は発展し、村は豊かになる」

 この説明が、集まっている軍人志望の若者たちに、理解してもらえているか、どうかは分からなかった。俺の勇ましい話を聞きたかった者が、俺のことを臆病風に吹かれて、帰郷したみたいだと推測されても仕方ないと思った。一人の若者が、立上がり質問した。

「吉田先輩は、折角、軍人になられたのに、何故、軍人にならない方が良いと仰有るのですか?」

 俺は、そう質問されて困った。だが答えない訳にはいかない。俺は戦地に派遣された軍隊の兵卒が如何に危険過酷であるかを教えねばならぬと思った。

「軍人になるには、それなりの覚悟が必要だ。先程も言ったように、軍隊という組織は、そう甘ったるいものでは無い。俺の経験した軍隊生活は、戦国時代の足軽だ。歩兵連隊などと、勇ましい名をつけて従軍させられたが、まさに足軽なのだ。足軽が殺されようが片輪者になろうが、お殿様には関係ない。日本軍の司令部は東京にあって、理想主義者の集まりだ。あの領土が自分たちのものになれば良いなどと、机上の地図を広げて想像を重ね、出来ない事、やってはならない事を、海外派遣軍に指示命令を行う。しかし、海外に派遣された部隊は違う。部隊長以下、一兵卒に至るまで、現実主義者でなければ命を失う。風を読み、敵を掃討しなければ、敵の銃弾が、自分の心臓をぶち抜くのだ。軍人になるには、俺のように生きて帰ることを考えぬ覚悟が必要だ」

 俺の答えに質問者は、シュンとなった。俺は尚も付け加えてやった。

「東京の司令部にとって重要なのは、戦争の勝敗だけであり、派遣兵士たちが、何人死のうが、何人負傷しよが問題では無い。勝利すれば良いのだ」

「そうですか。知りませんでした。お教え、有難う御座います」

 質問者は俺にそう言って深く頭を下げた。続いて俺より年上の隣村の男に質問された。

「俺は満州の開拓団に応募しようと思っているが、うまく行くだんべえか?」

「貴方の質問には悩むところであるが、俺の本心は、大陸の猛暑酷寒の地へ行くのはまだ待った方が良いと考える。何故なら、俺はこの目で満州の開拓村を見て来た。そこは電気、水道も整っていない荒れ地だ。俺は満州に行って間もなくの時、開拓移民を進める東宮鉄男少佐や加藤莞治先生や山崎芳雄先生にお会いし、開拓団計画なるものを知った。この計画は満州の荒れ地を開墾して自分たちの土地にすることであるが、その裏には満州の農産物をはじめとする膨大な資源確保の地方に不足している、満州国の守備兵増強の目的を包含している。つまり、この計画は開拓移民計画というより、武装移民計画と言った方が正しいであろう。従って開拓団に加わるには、軍隊経験者であり、困窮欠乏、生活困難に忍耐し、匪賊と戦い、満州に骨を埋める確固不動の精神を持つ者で無ければ、勤まらない。故に俺は細野村民には、そんな厳しい環境の所に行かず、地元の開拓を進めて欲しいと思う。我が村には、草戸谷、小鳥谷、木馬瀬、板ケ沢から鼻曲山の麓まで、まだまだ開墾すべき山地丘陵があるではないか。満州に行くのは、満州国内の政情が落着くまで、しばらく待った方が良いと思う」

 村の青年団との懇談会は、俺の弁舌で終わり、その後、集会場での飲み会となった。その席で、俺は製糸工場の帰りに逢引していた中島綾乃が、東京の会社員のところに嫁いで、遠い所に行ってしまったのを知った。その衝撃に、一時、精神的に落ち込んだが、致し方ない事だった。

 

         〇

 俺は失恋の心を紛らわそうと考えた。小諸に帰った白鳥健吾に久しぶりに会って、話をしたいと、前もって手紙のやり取りをして、4月16日、松井田駅から直江津行きの汽車に乗った。松井田駅の隣りの横川駅に着くと、顔見知りの鉄道関係者に声をかけられた。アブト式電気機関車が連結されるまで、おにぎり弁当売りの幼馴染と雑談した。電気機関車が連結されると、汽車は大きく汽笛を鳴らし、碓氷峠に向かった。列車は碓氷峠のトンネルや高架橋を通過し、軽井沢に到着した。ほんのわずか山頂に白雪を残し、煙を吐く浅間山を眺めていると、アブト式電気機関車と汽車が切り離され、再出発した。車窓に移ろい行く外の風景は、信州の高原の爽やかな緑を、所々、桜のピンク色で飾って、変化を見せていた。信濃追分、御代田を過ぎると、もう小諸だった。更に進めば横山大観先生に会いに行った信州中野である。俺はふと師範学校に受験し、不合格になった時分のことを思い出した。小諸駅の改札口を出ると、先月、別れたばかりの白鳥健吾が待っていた。お互い軍服を着ての再会だった。その白鳥の後ろに、花柄のワンピース姿の女性がたっているのが目に入った。直ぐに白鳥の妹だと気付いた。

「おうっ。お前も軍服姿か」

「うん。着る物が、これっしか無いのでな」

「俺も同じだ。こいつは俺の妹だ」

 白鳥に、そう紹介されると、白鳥の妹は両手をワンピースの膝あたりに置いて、丁寧に頭を下げた。

「白鳥美雪です。兄が軍隊で、お世話になりました」

「いや、お世話になったのは俺の方です」

 俺は慌てた。白鳥が、自分が嫁に貰いたいくらいの美人だと言ってた通りの清楚な百合の花のような女だった。正直なところ、俺は一目惚れした。

「いい女だろう」

 白鳥は妹の前で、平気で俺に確認した。俺は赤くなって頷いた。そんな俺を見て、白鳥は笑いながら言った。

「丁度良い季節だ。『懐古園』の桜が満開だ。見に行こう」

 俺は白鳥に同意し、小諸駅から、数分の所にある『懐古園』へ行った。三之們から園内に入ると、桜が満開。その美しい桜の下を一緒に歩く美雪の丸みを帯びた身体つきの色香が、俺を酔わせた。白鳥は得意になって園内の説明をした。黒門橋、天守台、藤村歌碑、本丸跡などを二人で案内してくれた。俺に夢中になって、小諸の歴史を語る兄の喜ぶ満面笑みの姿を見て、美雪は俺を時々、ちらっと見て、口許をほころばせた。その美雪が醸し出す愛らしたと色香に、俺は見詰められる度、ハッとした。展望台の桜の花枝の間から、千曲川を眺めながら、白鳥が言った。

「俺たちは、もしかすると、今、散っている桜の花びらのように、散っていたかも知れないよな。無理していたら、きっと死んでいただろう」

「そうかも知れないな。だが死んじゃったら終わりだ。命は一つしかないんだから。俺たちは生きて帰る為に努力したから、今、ここに、こうしていられるんだ」

 俺たちの会話を耳にして、美雪が目にちょっと涙を浮かべたのが分かった。眼下を流れる千曲川は、何故か、あの満州の朝暘川を思い出させた。白鳥は一通り、『懐古園』を案内したところで、俺に言った。

「俺の家に行こうか」

 俺は躊躇した。軍服姿で、訪問するのは、失礼だと思った。

「いや。帰りが遅くなると困るから、小諸の町で一休みしたら、帰るよ」

「そうか。じゃあ、蕎麦でも食べよう」

 白鳥は俺を駅近くの蕎麦屋『草笛』に連れて行き、御馳走してくれた。胡桃蕎麦と山菜天麩羅と蕎麦搔きをいただき、満腹になった。その後、お茶を飲みながら、近況を報告し合った。途中、美雪が席を外した時、白鳥が言った。

「どうだ。気に入ったか?」

「うん」

 俺は、そう答えて、中島雪乃が東京の会社員の所へ嫁いでしまった話をした。美雪が席に戻って来たと同時に、俺たちは会話を止めた。そして『草笛』から出て、駅に移動し、上りの汽車が、小諸駅に入って来たところで、別れた。

 

         〇

 俺が小諸の揚げ饅頭を土産に持って帰ると、妹や弟たちは喜んだ。だが父は俺が現役から離れ、予備兵として郷里にいなければならないのに、野良仕事を春吉、奈加夫婦に任せっきりで、遠くまで遊びに行っていることが気に喰わぬみたいだった。朝早く天神峠を越える4キロの道のりを松井田駅まで歩き、上りの汽車に乗って磯部小学校へ通い、子供たちに精神訓話歴史教育をして、教頭以下の教職員の官吏をして帰って来る親の苦労も知らず、村の若者や軍隊仲間との交流を楽しんでいる俺の姿が、大陸に行き、休む暇無く、軍隊での厳しい規律を遵守し、日本国家繁栄の為に邁進して来た者の態度とは見えなかったらしい。父は晩酌の酒が入ると、俺を叱責した。

「言っておくが、軍隊経験者が、仕事もせず、フラフラ遊び回っているのは良くないぞ。今現在は、お前が帰って来て、それ程、経っていないから、人々は後ろ指をささないが、そのうち陰口を囁かれるようになるから、気を付けろ」

「はい。留意します」

「ところで、今日は何処へ行って来たのだ?」

 父は『広栄亭』の女将から、俺が午前中に松井田駅から、軽井沢方面行きの汽車に乗ったことを聞いていたに違いなかった。俺には特別に隠す必要も無かったので、正直に答えた。

「軍隊仲間の白鳥に会いに、小諸へ行って来ました。桜が満開でした」

「そうか。桜が咲いていたか。呑気なもんだな。そんな風だと、嫁さんの来手もいないぞ」

 その父の言葉に、自分の結婚相手について、父に打ち明けるのは今だと思った。父の晩酌の酒を一杯いただき、一気に飲み干してから言った。

「ご心配無く。嫁さんは、既に決まっておりますから」

 そう答えた俺のニコニコ顔を見て、父は顔色を変えた。いきなり俺に結婚相手がいると、思いもつかないことを言われ、仰天した。俺が、父の反応を確かめようと、父の目を確認した次の瞬間、父は眉根に皺を寄せ怒鳴った。

「何だと。嫁さんが既に決まっているだと。親や親戚の了解も無しに、嫁さんを決めるとは何事だ。相手は何処の女だ?」

「白鳥の妹です」

 俺は正直に答えた。夕食を始めていた妹や弟や房江さんの食事の箸が、ピタッと止まった。皆が、どうなるのかという顔をしていた。父は首を左右に振って、反対した。

「それは駄目だ。長男の嫁さんは近郷から迎えねばならぬ」

「何故です?」

「いざという時、互いに駈けつけ合える親戚であらねばならぬ」

「そんな馬鹿な。それに小諸は、そんなに遠い所ではありません。白鳥の家は小諸の名家です。白鳥の姉は、松本に嫁ぎ、友達に清朝の王女もおられる程です。白鳥の妹と結婚させて下さい」

 俺は父の顔から目を放さず、畳みかけた。だが父は頑固だった。

「お前の嫁さんは、お前が帰国する前に決まっている。お前が帰って来て、仕事が落ち着いた所で、挙式することになっている。お前が別の女を嫁さんにしたら、俺はお前の嫁さんを紹介してくれた仲人や親戚に顔向け出来なくなる。お前は長男だ。お前の嫁さんになることを決心した相手のことも考えろ」

 俺は、その父の言葉に、妹や弟や房江さんがいるので、反論出来なかった。まだ写真も見た事の無い相手だ。どうやったら、父が俺に無断で決めた婚約者に、婚約破棄を、お願いしたら良いのだろう。婚約相手は、あの満州の弥栄村に案内した花嫁のようなものだ。東京の女学校を卒業し、鬼石小学校の子供たちを教えている女教師だという。どうしたら良いのだろう。俺は白鳥の妹を忘れることが出来なかった。

 

         〇

 現役軍人から満期除隊となり、予備役となった俺は、一応、地元に駐屯する陸軍歩兵15連隊の管轄下に属することになったとの通知を受け取った。これから5年4ヶ月の間、まだ軍人の身分を保証され、実家での農作業に励むことになった。そんな4月29日、天長節の日、俺に歩兵15連隊からの招請があり、俺は高崎の連隊へ軍服姿で出向いた。そこには佐藤大助、工藤武夫、太田久四郎、金沢達雄、矢野大介たちが、先輩軍人に頭を下げながら集まっていた。俺たちはこの日、役山久義連隊長はじめ、地方長官が居並ぶ講堂に案内され、陸軍武官の勲章授与式で、勲章をいただくことになった。俺は上官たちの授与から自分たちの授与の順番が迫って来ると、心臓がドキドキした。司会者から自分の名を呼ばれ、役山少将の前に出て、勲七等、瑞宝章の証書と勲金授与証と勲章を受取った時には、天にも昇る気分になった。俺たちは大感激した。白鳥たちも松本の50連隊で勲章をいただいて、喜んでいるに違いなかった。俺は授与式が終わって、連隊を出てから、佐藤や工藤たちと一緒に柳川町の『宇喜代』に行って、叙勲祝いをした。そこで今後とも長い付き合いをしようと仲間たちと約束し合った。祝いの飲み会は一時間半ほどで終了した。皆、地元に戻って、村人たちから祝ってもらうとのことであった。だが俺の家では、周囲の者に派手に祝ってもらうことをしなかった。何故なら、近郷数ヶ村の小学校の校長を歴任して来た父が、未だ恩賜をいただいておらず、20代の若造の俺が先に恩賞を賜るという不条理が故であった。それでも天長節の日とあって、父は小学校で教育勅語を読み上げ、学童たちに天皇からの恩恵を表す、紅白の菓子を配り、その後、教員たちと一杯やって来たらしく、とてもご機嫌だった。家に帰ると、そんな父と妹や弟たちが、俺が勲章を貰って帰ったことを喜んでくれた。小学校の教員をしている喜代乃が、証書を見たいと言うので、見せてやると、喜代乃は、その文面を読み上げた。

:天祐ヲ保有シ、万世一系ノ帝祚ヲ践タル日本国皇帝ハ、吉田一夫ヲ、明治勲章ノ勲七等に叙し、瑞宝章ヲ授与ス。即チ此ノ位ニ属スル礼遇及ヒ特権ヲ有セシム。

神武天皇即位紀元二千五百九十四年、昭和九年四月二十九日、

東京帝宮ニ於イテ璽ヲ鈐セシム。

 昭和九年四月二十九日

 賞勲局総裁従三位勲一等 下條康麿

 此證ヲ勘査シ、第八十六万三千五百三十二号ヲ以テ勲章簿冊ニ記入ス

 賞勲局書記官正五位勲四等 伊藤 衡:

 それから喜代乃は勲金百円が少なすぎると文句を言った。命懸けで戦ったのに言われてみれば、そうだが、年金がもらえるので、俺には満足な褒賞金だった。父は小さな四角の箱から紅白の綬に吊り下がった銅メタルの勲章を取り出して眺めてから、その勲章を弟、通夫の首に掛けて笑った。通夫は、兄は立派な軍人さんだと、今日、学校で戴いて来た紅白の菓子の一つを俺にくれた。家族5人と房江さんを加えての夕食は賑やかだった。翌日には俺が勲章をもらったことを知って、村の親戚や近所の人が祝いに来てくれた。夕方には村の青年団に祝ってもらった。俺の叙勲にかこつけ、酒を飲みたい連中ばかりが集まった。俺に続いて5月1日、今度は父、今朝次郎が従七位に叙せられ、我が家は、お目出度続きとなった。更に、その1ヶ月後、俺は高崎の連隊からの転役命令により、安中蚕糸学校の教練の教官及び事務員として勤務することになった。そこでの毎日は、陸軍教導学校で学んだことの、おさらいのようなものだった。体力強化の為の体育駆歩、手旗信号、武器説明、精神訓話、地理測図、戦闘体験談、アジアの歴史など、自分が今までやって来たことを教えると、学生たちは夢中になって、俺の指導を受け、軍人になることを志望した。だが俺は一等大事なのは、海外などに行かずに、群馬の農業を発展させることが重要だと力説した。

 

         〇

 俺の文武両道を志望した青春時代の思い出のページは、ここらへんで幕を閉じることにする。それにしても、君らは何故、俺が老いぼれになり、余命幾許も無くなってから、当時のことを語るのか不思議に思うであろう。今まで満州国成立の時代の事を、質問しても、何故、詳しく話してくれなかったのかと疑問を抱くであろう。その理由の一つは何が正義なのか分からず、正義は必ず勝つと信じ、敵に突撃し、多くの人たちを不幸にして来たのではないかという疑念と悔恨の気持ちか俺にあったからである。もう一つは俺たちが血を流し、友を失い、折角、作り上げたところの世界でも類を見ない民族共和国である『満州国共和国』を板垣征四郎甘粕正彦らによって、『大満州帝国』にされてしまったが故の無念さの為である。当時、俺たちは小畑敏四郎の『対ソ戦備論=対支不戦論』を支持し、満州国がスタートしてからの日中間の親善関係は実に良好だったことに喜びを感じていた。日本と蒋介石総統が率いる国民党政府とは相対的安定した友好関係にあった。ところが民族の差別を行わず共に生きるという理想国家、満州国が、別の動きを始めてしまったのだ。満州国が共和国として繁栄することが、日本の為にも中華民国をまとめようとしている蒋介石の為にも、好都合であったのだ。しかしながら世界の動きが読めぬ作戦能力の無い日本の愚かな連中によって、満州国は元清国皇帝、溥儀を皇帝とした傀儡国家に変身させられてしまったのだ。その大馬鹿者の代表は憲兵上がりの東条英機甘粕正彦である。彼らが菱刈隆司令官を持ち上げ、満州国を『大満州帝国』にしてしまったことにより、蒋介石の考えも変わった。蒋介石は溥儀の皇帝就任は清朝の復活、すなわち中華民国の国民党政権打倒を目指すものであると解釈した。また関東軍満州皇帝を操縦し、満州を植民地扱いに変貌させていることにより、米、英、ソは日本攻略の理由を見出し、中華民国内の国共合作に加担したのだ。更に悪いことには、力を持て余していた日本海軍が、陸軍に格好良さを見せつけられてばかりいられないと、上海周辺に軍艦を集中させ、威嚇作戦を展開した為、流石の蒋介石も激怒し、日中戦争を勃発させてしまったのだ。それが更にアメリカをはじめとする連合国軍を相手とする戦争に発展して、アジア全土を巻き込む太平洋戦争となり、日本国を敗戦国とさせてしまったのだ。結果、俺たちが望んでいた日本国を盟主とする東洋平和確立の夢は消えてしまったのだ。満州国の成長により北東アジア圏の自給自足体制が整い、更なる近代化の着想が進められていたというのに、全く情けないことになってしまった。俺たちが北東アジアの平和の為に、大陸に渡り、多くの犠牲者を出し、満州地方で暮らしている人たちと共に創造した美しい満州国は、日本政府や関東軍が、満州国の共和政治に関与せず、指導的立場となって、国連から認められる五族共和制国家にするべきであったのだ。その民族平等の共和国こそが、世界の国々から称賛され、日本をはじめとする周辺諸国国益に寄与する筈であった。なのに、その五族共和制国家は一部の人間によって、絶対君主制国家に塗り替えられ、世界地図から消されてしまった。そして、その愚かな連中もまた東京裁判の判決の結果、死刑となり、この世から消されてしまった。俺の信奉していた石原莞爾中将は、『関東軍記念写真帖』に写真が載ってなかったことと蒋介石総統の申し出により、マッカーサー元帥の戦犯認定から、運良く除外され、消されることは無かった。石原中将は山形に戻り、農場生活を始め、静かな後半生を終えたという。俺もまた、終戦となるや、歩兵15連隊から解放され、生まれ故郷で農業に専念することとなった。美しい上州の自然に抱かれ、村人たちの温かい心に元気づけられ、俺は夢と希望を持って命懸けで生き抜いた青春時代を、消し去ろうと思って来たが、70歳という年齢になって、その体験は、負の体験では無く、言い残しておくべきことだと自分に問いかけてみた。すると過去に蓋をしたままではいけない。あの理想を持って誕生させ、実在した美しい満州国を無かった国にしてはならない。時が如何ほど過ぎようとも俺たちが血を流し、満州国に注いだ情熱とエネルギーを無かったことにしてはならない。そんな時代があったのだ。青春時代、俺たちが大陸に行き、とても輝いていたことは確かだ。そういう答えが湧き上がって来た。その結果、俺は俺の青春の思い出のページを公開することを決断した。たとえ満州国は、消されようとも、その歴史は永遠に生き続けると俺は信じてやまない。ああ、満州国よ、永遠なれ。

       《 完 》

 

         

 

 

 

満州国よ、永遠なれ(前編)

 太平洋戦争で原子爆弾を投下し、22万人もの人命を奪ったアメリカをはじめとする戦勝国の評価は、戦勝国が正義で、敗戦国の日本国が不義非道であったという評価である。つまり世界の歴史から見れば、俺たち日本人がやって来たことは違反行為だというのだ。だがそれに従事した俺たちにとっては、それが正義の道だと思われた。救済を願う隣国の人たちを救済する為に、皇国の興廃を賭して、万里の波濤を越え、俺たちは大陸で、その守備に一身を捧げたのである。しかし、その過去は、日本国が敗戦国になったが為に、語つてはならぬ恥辱を受ける体験となってしまった。しかし俺は、老いぼれて余命幾ばくも無い今、秘密にしておいた自分の青春時代のことを書き残しておかねばならぬと思い立った。それは自分の体験した歴史のひとこまが、本当に悪逆非道のことであったのか、後世の人たちに検証してもらいたいが為である。記録に残しておかなければ、実在した正義が、実在しなかったことにされてしまうからである。それでは俺たちの人生は余りにも寂しく哀れ過ぎるではないか。

 

         〇

 俺が生まれたのは明治42年(1909年)7月13日だ。教師の父、吉田今朝次郎と母、喜久寿の長男ということで、一夫と名付けられた。俺の後に仙次という弟が生まれたが早世し、その後、喜代乃、利子、通夫と妹弟が生まれた。生まれた場所は、群馬県碓氷峠に近い、横川の町から一つ山を越えた貧しい山村、土塩村だった。父の実家は新井村にある江戸時代からの材木商『木屋』で、農業のかたわら、材木の商売をしていた。母の実家は裕福な庄屋であり、祖父が村長をしている家であったので、山村に暮らしながらも、生きて行くのが精一杯の小作農のような苦しい生活では無かった。自慢では無いが俺は尋常小学校の時から、勉強が出来て、ずっと首席だった。尋常小学校卒業後、俺は中学に行きたかったが、中学に行かせて貰えなかった。妹たちがいるので、教員の給料だけでは高等小学校に行かせるだけで精一杯だったのだろうか。地域の名門の流れをくむ家系であるのに、何故、中学へ行かせて貰えないのか。父は安中中学を卒業し、群馬師範学校に入り、その後、早稲田大学で学んだことが有るのに、何故なのか。高等小学校の教員をしているのに何を考えているのか。俺は理由が分からず、口惜しくて口惜しくて何度も泣いた。俺は口惜しがり屋だった。俺は身長が低く、痩身であったが、負けん気の強い性分だった。日露戦争後の日本国民の困窮状態など全く分かっていなかった。日本は明治26年(1893年)、清国との冊封関係から脱却しようとする李氏朝鮮から泣きつかれ、李氏朝鮮を支援した為、清国に宣戦布告され、清国との戦争になり、明治28年(1895年)勝利したのは良かったが、ロシア、フランス、ドイツが、その時の講和条約で日本が清国から取得した遼東半島を清国に返せといちゃもんを付けて来た。日本は仕方なく清国に遼東半島を返した。結果、朝鮮は独立国となることが出来、台湾と澎湖島は日本の領土となった。そこまでは良かった。その後が悪かった。日清戦争で敗れた清国に欧米列強が入り込み、民衆の生活を圧迫した為、清国の民が外国勢力を国外へ追放しようと、『義和団』を結成し、欧米諸国を清国から追い出そうと反乱を起こした。それを日本を含めた八ヶ国連合軍が鎮圧した。かくて『義和団』の鎮圧が治まったのに、ロシア軍が清国に圧力をかけ、清国北方の遼東半島の大連と旅順を租借し、そのまま満州に居座ることになってしまった。前の三国干渉により、日本が手放した遼東半島を、ちゃっかりロシアに占領されてしまったということだ。更にロシア軍は満州と陸続きの北朝鮮にまで侵入を開始した。ロシアの侵攻に悩んだ朝鮮は今度は清国でなくロシアに宗主国になってもらおうと閔妃が活動した。閔妃はロシアの要求に従い朝鮮国内から日本の勢力を追い出す為に日本に加担している朝鮮独立党の粛清にかかった。その為、日本人も何人か殺された。閔妃反日政策が激しかった為、日清戦争に勝利して勢いづいていた日本の大陸浪人が、独立派を支援し、閔妃を殺害した。閔妃の勢力が弱体化した朝鮮は独立派が独立門を建て、国民の独立精神の高揚に努めた。そして明治30年(1897年)大韓帝国と国号を変え、独立国であることを世界に宣布した。なのにロシアは宗主国になることを望み、満州と共に朝鮮半島を手中に収めようと侵略を続けた。そのロシアの南下政策を防ぐ為に、明治35年(1902年)、日本はイギリスと日英同盟を結ぶが、ロシアの大韓帝国への威嚇は治まら無かった。大韓帝国はこのままでは折角、独立したのにロシアの植民地にされかねないと恐れ、日本に宗主国になってもらいたいと泣きついて来た。独立して数年しか経たないのに何故、宗主国を求めるのか。この要請に日本側は戸惑った。日本では幸徳秋水内村鑑三らが、かって福沢諭吉が心変わりする朝鮮には関わるなと忠告していたことを重視し、朝鮮加担の為の戦争をしてはならないと、朝鮮加担の反対をした。そこで伊藤博文はロシアと互いの権益を分け合おうと日露交渉を始めたが、日露交渉は決裂した。明治37年(1904年)、日本はロシアに宣戦布告を行った。日露両軍は激しい戦闘を行い、ロシア軍9万、日本軍7万の死者を出した。日本は東郷平八郎率いる日本連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を一方的に破り、日露戦争に勝利した。ここにおいて日本は、大韓帝国と日韓保護条約を締結し、宗主国的存在となった。日露戦争の結果は多くの死者を出し、莫大な軍事費を放出し、日本国民を困窮状態に陥れた。だが日露戦争後生まれの俺は、太平洋戦争後のお前たちとは違って、貧しくとも、日本国民としての誇りのような自負を教え込まれて育った。日露戦争の結果、日本はロシアが有していた満州内蒙古の権益を獲得した。樺太の南半分も獲得した。大韓帝国の指導権も獲得した。しかし、そんなことで、困窮状態の日本国民の不満を解消出来る筈が無かった。そこで日本政府は明治43年(1910年)に日韓併合を行い、統治権を譲与されると、日本国内の多くの困窮者を朝鮮半島に送り込んだ。更に中国大陸への進出によって、貧しい人たちの生活を豊かにして上げようと画策し、満州鉄道関係者以外にも多くの人たちを満州に送り込んだ。このことにより、日本人の生活は次第に楽になり、日本は近代国家としての歩みを前進させ、大正元年(1912年)を迎えた。大正三年(1914年)になると、日本は英国政府からドイツの東洋艦隊の軍港でのある中国の青島を攻撃するよう要請があり、第一次世界大戦に参戦した。日本連合艦隊はここでも活躍。青島や南洋諸島に海軍を送り、成果を上げた。ヴェルサイユ条約で日本は中国の山東半島を支配することになった。日本は戦費を使いながらも、徐々に発展した。そんな矢先、俺が高等小学校2年、14歳の時の大正12年(1923年)9月1日、土曜日の昼時、関東大震災が起こった。俺たちは教室から校庭に逃げ出した。校舎がグラグラ揺れ、机の下に隠れる者もいたが、俺は黒板が音を立てて落ちたので、真っ先に教室の窓から外に跳び出した。激しい揺れは10分程で終わったが、余震が続くので、俺たちは直ぐに自宅に帰された。自宅に帰ると母は妹たちを抱かえ、ガタガタ震え、家を守っていた。自宅の被害は土蔵の白壁にひびが入ったり、食器が割れたりした程度だった。夕方、父が西横野小学校から帰宅すると、皆、ほっとした。

震源地は相模湾らしい。東京では地震の直後にあちこちで火災が起こり、建物の倒壊の他、大火災になって、沢山の死者が出ているらしい」

「東京の知り合いの人たちは大丈夫でしょうか」

「うん。どうなっているか、心配だな」

 翌々日、9月3日、上毛新聞は《惨たり、帝都焼土と化す》などという見出しの新聞記事を掲載していた。母は、その新聞記事を読んで真っ蒼な顔になった。東京の親戚や知人はどうなっているのだろうか。父は一週間後、多量の米をリュックに入れて東京へ行った。そして戻って来て、焼け野原になった下町や倒壊した親戚の家の話をした。焼けただれた死体も見たという。俺は世の中には信じられぬ恐ろしい事が起こるものだなと思った。この大震災の惨状を知ったロシアのスターリンや中国の徐世昌や朝鮮の李範允ら抗日家たちは、大日本帝国に天罰が下ったと大喜びした。日本政府は山本権兵衛内閣のもと、この緊急事態に対応すべく、東京に戒厳令を敷き、軍隊と警察の協力で、被害者の救済と治安の維持に努めた。この震災によって沢山の人の命が失われた。その混乱が下火になると、日本人は逞しく復興へと立ち向かおうとしたが、全国的に出業者が続出する不況に陥り、日本中が混迷した。日露戦争後の財政難がやっと解消し、日本国民が困窮から抜け出し、欧米列強と肩を並べることが、漸く出来たと思えた矢先の不幸であった。この頃になって俺は日本国民の困窮状態というものが、どんなものであるか理解出来るようになった。

 

         〇

 大正14年(1925年)3月1日、俺は土塩村から新井村を通り、山を越え松井田駅まで歩き、汽車に乗って、高崎経由で前橋まで行き、前橋の知り合いの家に泊めてもらい、師範学校の入学試験に挑戦した。父も母も教師なので、俺も教師の道に進むのが当然の道であると考えていた。試験は2日間にわたって行われた。初日3月2日の月曜日は、算術と国語の試験で、ほぼ満点の自信があった。2日目の火曜日は午前中、口頭質問、午後、身体検査が行われた。俺は実感として、必ず受かると前橋の知り合いにお礼を言って家に帰り、両親にも、その自信の程を語った。ところが2週間後、不合格通知が届いた。原因は身体検査の結果、色盲が判明したとの理由であった。俺は勿論のこと、祖父や両親や妹たちも愕然とした。何故、村で神童と言われていた俺がと思った。俺は自分が色盲であることを知り、強い劣等感を抱いた。俺は両親が近親結婚であるのが原因だと親子喧嘩をして家を跳び出した。色盲の人間は本当に使い者にならないのか。俺の反抗心には困ったものだ。わざと画家の道に進もうと決心した。東京に横山大観という気鋭の画家がいると知って、上野に出かけた。だが、尋ね人は不在で会うことが出来ず、何処へ行ったら会えるかと聞くと、長野の高井村に行けば会えるだろうと言われた。俺は慌てて、故郷に引き返し、自宅には寄らず、母の実家へ行って祖父に会い、借金して、長野へ向かった。そんな俺のことを、村の人たちは、金が無くなって、せびりに来た吉田家の放蕩息子と笑い、噂し合ったらしい。俺は松井田駅から汽車に乗り、碓氷峠を越え、信州中野まで行って下車した。そこから千曲川を渡り、高井村にいた横山大観先生に会った。横山先生は民家に泊り、桜の絵を描いていた。俺は民家の庭に跳び込むと、不躾とは思ったが、横山先生に声をかけた。

「横山先生。横山大観先生ですね」

「何んだ、お前は?」

 横山先生は俺を見て、難しい顔をした。俺はドキッとしたが、勇気を奮って言った。

「先生の弟子にしてもらいたくて、群馬からやって来ました。弟子にして下さい」

「藪から棒に何だよ。俺は弟子はとらん。それより見てみろ。綺麗だろう、高山の桜は・・・」

「は、はい。我が村に咲く庚申桜と違う美しさです」

「ほほう。お前の村にも綺麗な桜の木があるのか」

「はい。四百年以上の桜の巨木です。もう散ってしまったと思いますが」

「じゃあ、頭に入れておこう。庚申桜だな」

 横山先生は、そう言うとにっこり笑い返して、再び絵に向かった。高井村は樹齢百年以上の桜が競うように咲き誇り、実に見事だった。俺が帰らないで横山先生のいる民家の庭先の石に腰掛け座っていると、民家のおばさんが、お茶を淹れてくれた。

「そんなとこに座ってねえで、縁側でお茶のみなさいよ」

「良いんですか?」

「遠慮などしなさんな。遠くから来たお客さんじゃ」

 俺は、その言葉に甘え、縁側に座らせていただきお茶をいただいた。野沢菜の漬物が出されると、横山先生も絵を描くのを中断して、俺のいる縁側に来て一休みした。

「これから群馬に帰るのか」

「いえ。まだ先生の弟子になる夢を諦められないですから、ここにいます」

「駄目だ。俺の弟子などになったら、人生終わりだ。止めとけ。それより、もう直ぐ夕方だ。今夜はここに泊って行け」

 俺はびっくりした。泊って行けなどと言われるとは思っていなかった。俺は跳び上がって喜んだ。弟子にしてもらえるのではないかと思った。ところが、そうでは無かった。民家のおばさんが夕食の準備を終えると、近所の村の名士が二人やって来て、飲み会となった。横山先生は大酒飲みだった。俺は、それに付き合わされた。俺は、その飲み会の席で、村の名士に高山村に来た経緯を話した。自分が色盲の為、師範学校に入れなかったことも告白した。

「この3月、俺は教師になろうと師範学校を受験したんだけど、色盲の為、不合格となっちゃいました。これから何をすれば良いのか、お先が真っ暗になっちゃいました。でもここで人生を終わらせる訳には行かないと、小さい時から絵を描くのが好きだったので、絵描きになろうと決心しました。絵描きになって色盲でも、素晴らしい絵が描けることを証明したいと思いました。それで横山先生の所へ来たんです」

「へえっ。師範学校不合格になったんか。それは残念だったな」

「それにしても、こんな山奥まで先生を追っかけて来るなんて、えれえ勢いだな」

「だがね。先生のようになるには芸術的才能がないといけないんだよ。村に帰って野良仕事に精出し、親孝行するんだな」」

 村の名士、西沢、久保田両氏は師範学校に入れなかった俺を慰めると同時に、才能が無いのだから、諦めて親元に帰れと忠告した。俺はムカッとした。

「言われる通り、才能が無いかも知れません。でも失敗しても良いから挑戦してみたいのです。ようやくここまで辿り着き、引き返すことは出来ません」

「気持は分かるが、冷静になって考えねえと。まあ、飲みねえ」

 話は酒を飲みながら、俺のことで盛り上がった。俺は横山先生と村の名士にさんざん飲まされながらも、弟子入りをお願いした。

「兎に角、先生に一目お会いして、弟子にしてもらうことを、ひたすら神仏に念じて汽車に乗って、ここまで来たのですから、何とかなりませんか?」

 俺が目から涙をこぼし訴えるのを目にして、横山先生は呆れ返って言った。

「分かった。分かった。お前の熱心なのは分かった。だが俺は、お前だけに泣きつかれても、お前を弟子にする訳にはいかぬ。お前は両親のもとに戻り、親の許しの書付をもらってから、俺のところへ来い。親にとって、我が子が自分勝手に人生の道を選ぶのは不幸なことだからな」

「そうだ、そうだ。お前は長男だから、親の許しを貰わずに勝手に進路を決めたら、親不孝者になるぞ」

 俺は横山先生や村の名士に説得され、村に帰り、両親の許しを得ることを考えた。それから横山先生が高山村にいる間、のんびり高山村で過ごした。横山先生が写生をするのに同行し、画材道具を運んだり、横山先生と温泉につかったり、滝を観に行ったり、魚釣りをしたりして楽しんだ。そして5月初め、横山先生が東京に帰るのに合わせて、俺も同じ上野行きの汽車に乗って、途中、松井田駅で下車して、駅のホームで横山先生を見送った。

「先生。いろいろ有難う御座いました。両親を説得し、必ず東京へ行きます。そしたら弟子にして下さい」

「良かろう。ではまた会おう」

 俺は上野行きの汽車が、白い煙を吐いてスイッチバックして行くのを見送った。駅の改札口から出ると『広栄亭』の女将が俺を見つけた駈けて来た。

「お坊ちゃん。何処へ行っていたのです。先生や村長さんが、ずっと探し回っていましたよ。早く家に帰らないと」

「そうですか」

 俺は祖父や父たちが、血眼のなって、自分を探しているのを知って、こっ酷く叱られることを覚悟した。俺が松井田の町から天神峠を越え、家に帰ると、母は奥の間で臥せっていた。隣りの蝶おばさんが、母の看病をしてくれていた。妹たちは母のことを心配しながら台所仕事をしたり、幼い弟の面倒を見ていた。俺は蝶おばさんに訊いた。

「お蝶さん。母さんが病気になったんですか?」

「はい。カズちゃんが村からいなくなってから体調が悪化して、寝たっきりなんです」

 蝶おばさんの言葉に、俺は次の言葉が出なかった。家出したまま家に帰らず、心配をかけた責任を感じ、俺は落胆した。そんな俺に妹の喜代乃が追い討ちをかけた。

「兄ちゃんが家出なんかするもんだから、お母ちゃんが病気になっちゃったんだ。今まで、何処へ行っていたの。小柏の御祖父ちゃんだって、忙しいのに心配して、さっきまで、ここに来ていたのよ」

「そうか。心配させて悪かった」

「兎に角、お父ちゃんが帰って来たら、こっ酷い目に遭うから、覚悟しておいた方が良いわよ」

「承知している」

 俺は妹たちに、そう答えて笑ったが、不安になった。夕方になると父が自宅に帰って来た。流石の俺も緊張した。父は俺を目にするなり、俺が喋ろうとする前に俺の襟首を掴んで往復ビンタをくらわせ、怒鳴り散らした。

「カズ。おめえは一体、何を考えていやがるんだ。今、我が国は日露戦争山東出兵、シベリア出兵による損失と関東大震災の困窮から抜け出そうと、国民が一致団結して、頑張っているんだ。村では皆が関東大震災からの復興に向けて、被災者を迎え入れ、誰もが豊かになるよう、必死になって頑張っているんだ。それを何だ。おめえは師範学校に不合格になったくらいで、やけになってぐれるとは、大馬鹿野郎だ。俺は教師として、おめえのような息子を持ったことが恥ずかしい。情けない。何で戻って来た。この大馬鹿野郎!」

 父は尚も俺を殴った。初めのビンタは我慢出来るが、父の暴力の執拗さに、流石の俺も顔が蒼ざめ、両親たちを心配させた反省の気持ちなど、何処かへ吹き飛んでしまった。俺は父の怒りに対抗し、激昂した。

「ああ、俺は大馬鹿者だよ。親が親だからな。そんな大馬鹿野郎、家にいて欲しくないと思っていたんだろうから、家を出て暮らしていたのさ。また出て行くから安心しな」

 俺の反抗の言葉に、父は顔色を変えた。

「何を言っているんだ。お前は、この家の長男だ。お前には教師以外に、この村でやることがある。お前は村の人たちが、より良い人間らしい生活が出来るように、村の青年たちと手を取り合い、心血を注ぎ、村に尽くすことを、自らの宿命であると心得よ」

 父の言葉は意外だった。出て行けと蹴飛ばされると思っていた。しかし、父は俺を引き留めた。俺は父に丸め込まれてはならないと思った。

「俺は東京の有名画家の弟子にしてもらえることに、なったんだ。それを伝えに俺は戻って来たんだ。俺は東京へ行く」

「戯れ事を言うんじゃあねえ。お前は、この村を豊かにし、大陸に出て行っている日本人たちを支援する為に、頑張らなければならないんだ。今まで国内で貧しい生活を強いられ、大陸に移住せざるを得なかった人たちの為に、国内にいる俺たちが応援してやらなければならないんだ。そんな時に、絵を描いて過ごそうなんて考えは我が家の恥だ」

「俺には関係ねえ。俺は東京へ行く」

 俺がきっぱり東京行きを断言すると父は溜息をついた。その様子を見て、奥の間で寝ていた母が起きて来て、俺に泣きついた。

「一夫。東京へ行くなんて言わないで、私の側にいておくれ。お前がいなくなったら、私は生きていられるかどうか・・・」

 俺は父に殴られ鼻血をぬぐう俺の足にすがって涙を流す母親を見て、大人しく親の言う事を聞くしか仕方ないと思った。俺は父母の庇護のもと成長して来たのに、それを無視して、父の世間的立場も考えず、勝手放題なことをして、母を苦しませてしまった愚かさを、病身の母の泣き顔を見て反省した。かくて俺の画家になる夢は、呆気なく消え去った。

 

         〇

 俺は村に残り家業に専念することにした。まずは農作業に取り組んだ。自分を含めた二男二女を養う為に働く親の苦労を少しでも楽にしてやろうと、頑張った。吉田家は新井村の『木屋』吉田家の分家ではあるが、一応、地域の名門の流れであり、教育者の家柄であった。なのに不思議と山林や田畑があった。父は吉田本家から坊地と養地の田んぼの他、養地と塩沢の山林を分与されており、母は上原本家から、鍛冶屋村の宅地、田畑、寺前の田んぼと信濃道の山林を分与されており、野良仕事や山仕事の手伝いに春吉、奈加夫婦を雇っていた。俺はこの夫婦に野良仕事や山仕事を教えて貰った。自宅二階部屋での養蚕については、母と妹たちに任せた。村には五つの製糸工場があり、自宅近くの『西九十九組』と奥土塩の『共明組』などが原市の『碓氷社』に生糸を納品していた。俺は母方の祖父、上原宇三郎が組合長をしている『共明組』が生糸を出荷する時など、人手に困っている時、奥土塩まで出かけて行って、伝票作りなどの事務仕事を手伝った。そんな俺の姿を見て、両親は一安心したようだった。俺も『共明組』の仕事にも慣れ、その行き帰りに出会う娘と親しくなった。器量の良い中島綾乃という娘だった。俺はいずれ綾乃を嫁にしたいなどと考えたりした。ところが東アジア情勢は日々刻刻と変化していた。日本軍がシベリア出兵から撤退したことにより、ロシア帝国滅亡後に生まれたソビエト共産党政権と大日本国政府の間での国交正常化の為の二国間条約が締結された。それと共に朝鮮では大日本帝国の植民地的支配を止めさせようとする独立運動が頻繁に起こった。かって20年前、李朝に反旗を翻した会員100万人の『一進会』が大韓帝国の高宗皇帝や李完用首相へ、日本と韓国の対等合併を目指す『日韓合邦』の請願書を提出したが、これを承認すれば朝鮮は日本の指導保護から解放され、再び中国やロシアの餌食になるであろうと、大日本国の初代統監、伊藤博文が、大反対した。伊藤博文の考えは大韓国が大日本国の支援を受け、近代化をやり遂げ、やがては大日本国と共に東亜に並び立つ一等国に成長することが願いであった。その為、伊藤博文は明治38年(1905年)、日露戦争後も太平洋進出の野望を捨てていないロシアから朝鮮半島を守る為、高宗皇帝や、李完用首相の承認を得て『日韓併合』に踏み切ったのだ。なのに伊藤博文はハルピン駅にて、朝鮮の若者に暗殺されてしまった。それから時代が過ぎ、大韓国は、またもや他国との服属関係を破棄しようと、大日本国の保護指導から離脱しようと、大正11年(1922年)ロシアからソビエト連邦に名を改めたソ蓮の力を借り、独立運動を開始した。また中国では直隷派と奉天派による指導権争いの内戦が繰り返された。そこに国民党の孫文が北上宣言を行ったものであるから中国大陸は大混乱となった。俺は当時、孫文の『大東亜主義』に感銘を受けていた。

〈大アジア主義の中心は東洋文明の仁義道徳を基礎としなければならない。アジア諸国は仁義道徳をもって連合提携して、欧州からの圧迫に抵抗すべきである〉

 俺は、そんな東アジアの情勢を新聞で読み、日清、日露に続く戦争が起こるのではないかと危惧した。小学校教師である父は、俺以上に大戦争が勃発するのではないかと危惧していた。その為、父は小学校児童生徒たちに、国防上から軍備増強の重要性を語った。日清戦争は朝鮮を清国からの独立させる為の戦争であったと説明した。また日露戦争は弱体化した清国の北方、満州をロシアが占領した為、我が国は朝鮮半島をロシアに支配されかねないと危惧し、イギリスと日英同盟を結びロシアに対抗した戦争であったと説明した。また大国ロシアに勝利出来たのは、江戸幕府の英傑、小栗上野介が、日本海軍を強化して於いてくれたお陰だとも話した。父は家に帰って来ても、俺たちに戦争の話をした。乃木大将の話、日本海海戦の話、秋山直之の名言、水師営の会見など、さながらそこに従軍したかのように熱弁を振るった。俺は母や妹たちと、またかと顔を見合わせて笑う、毎日を過ごした。

 

         〇

 大正15年(1926年)の暮れ、12月25日、数年前から健康状態が悪化していた天皇陛下が47歳で、お亡くなりになり摂政をしていた26歳の長男、裕仁親王天皇に即位し、大正が昭和と改元された。そして年が明けると直ぐに、もう昭和2年(1927年)だった。俺より8歳年上で、関東大震災以来、不景気が続く日本国内と大陸の権益と居留民を守らねばならぬ天皇の責務を思うと、今、自分が群馬の山村を豊かにする為に齷齪していることが、ちっぽけな事のように思われた。日本の危機防衛は若くして聖徳太子のように摂政を務めて来た聡明で温厚な天皇の双肩にかかつているのだと思うと、それに協力せねばならぬという気持ちが増幅した。春吉夫婦と農作業をしたり、製糸工場の帳簿づけをしたり、村の青年たちと酒を飲んだりしていることは、この国難の時に生きている俺に相応しくないとことだと思われた。そんな時、俺は豊橋に歩兵科の下士官候補者を養成する陸軍教導学校創設の勅令が下され、入学希望者を募集していることを耳にした。俺は、それを知り、軍人の道に進むことを決断した。俺は両親に自分の決意を伝えた。

「父さん、母さん。今、日本は日清、日露の戦いなどで手にした大陸での権益を共産主義国の煽動や未熟な民族主義者の暴動によって、折角、大陸に根付いた我が国の発展の芽を紡ぎ取られようとしています。多くの日本人居留民が大陸で財産を手にしたのに、引き上げを余儀なくされ、苦しんでいます。そのような時に俺たち若者がのんびりしていることは、頑張っておられる天皇陛下に対して許されぬことです。俺は軍人になることに決めました」

 俺の告白を聞いて両親はびっくりした。この前は画家になると言って家を跳び出し、今度は軍人になるなどと言い出し、どういうことか。父は厳しい顔をして俺を睨みつけた。

「お前は軍人になれるなんてことが出来ると思っているのか?」

「やってみなければ分からぬことです。豊橋に陸軍教導学校が出来ることになったので、俺はそこに入ります」

「俺は反対だな」

 父は反対だったが、俺はここで引き下がる訳にはいかないと思った。恐れずに言った。

「この前、俺が画家の道に進もうとした時、父さんは、下らぬ画家なんかにならず、大陸に出て行っている貧しい日本人たちを支援する為に頑張らなければならないと言ったではありませんか。学童たちにも、そう教えているのでしょう。その訓導の息子が、軍人になるのは誇らしいことです。俺をこの村に埋もれさせるようなことはしないで下さい」

 父は俺の言葉に、何とか止めることが出来ないかと、真正面から俺に向き合い説教した。

「村はこれから養蚕で忙しくなるというのに、お前は本当に軍人になるつもりか。宇三郎祖父さんも、お前が組合の仕事に就いてくれて、ほっとしている。なのに軍人になるというのか」

「申し訳ありません。我が国を取り巻く環境は、欧米の食い物にされ、愚かな中国人や朝鮮人が、反日運動を繰り広げ、欧米列強の思いのままになろうとしています。この国難に対処すべく、我ら若者は力を合わせ、我が国からの援軍によって大陸に慰留している人たちの汗と涙の結晶を守ってやらねばならぬのです」

 俺の言葉に、父は溜息をついた。息子が目指そうとしている道は正しいのであろうか。自分に似て、頑固者の息子は今度は考えを曲げないであろう。父は、これ以上、説得しても無駄と思ったのであろう。俺を説得するのを諦めた。

「困った奴じゃ。これ以上、言っても聞き分けてくれそうも無いので、俺は、もう止めん。お前の人生だ。好き勝手にせい」

 その父の言葉を聞いて、側にいた母が泣きそうな声で俺に訊いた。

「一夫。お前は本当に軍人になろうと志願するのですか?」

「はい。父さんの言う事が正しいかも知れませんが、俺は自ら信じた道を歩きたいのです。許して下さい」

 俺の意志の固さに、母もついには諦めた。

 

         〇

 昭和2年(1927年)7月、俺は豊橋の陸軍第15師団の駐屯地に行き、陸軍教導学校の入学試験を受けた。筆記試験、口頭試問、身体検査も師範学校の試験より簡単で、色盲も問題なく合格となり、8月に入学した。陸軍教導学校の初年度は、校長、武田秀一大佐のもと、まず基本教練から始まった。基本体操などにより、機敏に戦闘体勢に入れるように身体を鍛えた。鉄棒体操以外は、何とかこなすことが出来た。剣道、柔道なども、少年時代、チャンバラごっこをして過ごした俺には楽しかった。しかし、宿舎での生活は自由がきかず大変だった。そんな時、俺に困ったことが起きた。母が癌にかかって、高崎の佐藤病院に入院したが、思うように行かず、板鼻の知り合いの荒木先生にお願いして、東京の本郷にある東京帝国大学附属病院に入院したということであった。俺は9月4日の日曜日、担当教官に外出届を提出し、豊橋駅から汽車に乗り、東京まで行き、本郷の病院に入院している母に会いに行った。病室には母の具合を心配する祖父と父と妹の喜代乃と叔母の文代がいた。母をはじめ祖父たちは、軍帽、軍服、短靴姿の俺を見てびっくりした。俺は敬礼して部屋に入り、母に近づき声をかけた。

「びっくりしました。帝大病院に入院したと聞いて、外出許可をいただき、やって参りました」

「まあっ、一夫。遠い所から来てくれてありがとう。母さんはもう大丈夫よ。心配しないで。立派な軍人さん姿になったわね」

「まだ体力強化を始めたばかりで、ヒヨッコです」

 すると祖父、宇三郎が俺の肩を叩き、嬉しそうに言った。

「いや、見違える程、立派になったぞ。今、外地ではソ蓮の南満州進出や朝鮮人の抵抗集団や支那革命のとばっちりを受けて大変らしい。陸軍学校での訓練に打ち込み、早く大陸の師団に入り、満州や朝鮮にいる親戚や村人たちの為に、貢献するよう頑張ってくれ」

 祖父は母のことで頭の中がいっぱいの俺に、一時も早く優秀な軍人になり、成果を挙げるよう激励した。祖父は心底、師範学校試験に不合格になり、自宅で野良仕事をしたり、村の製糸工場で事務仕事をしたりしていた孫が軍隊に入り、活躍することを願っていた。父は祖父の言葉に頷くだけで何も言わなかった。母は痩せ衰えた手を病床の中から俺に伸ばして、弱々しく俺の手を握ると、俺に言った。

「一夫。私にはひとつだけ気になることがあります」

「何ですか、母さん」

「軍隊に入ったら、どんな危険が待ち構えているか分かりません。お前は一途だから、目的の為には命を投げ捨てようとするでしょう。しかし、そこで死のうなどと思ったりしたら駄目ですよ。貴男の命は、貴男のものででなく、懸命になって貴男を育てて来た、お父さんや御祖父さんや私たちのものなのですから・・・」

 すると父や妹が俺をジロリと睨んだ。俺は冷静に答えた。

「分かっています」

「生きるのよ。どんなことがあっても生きるのよ」

 母の言葉に俺は唇を噛んだ。俺が頷くと母はもう一度、俺の手を弱々しく握り直した。俺は短時間の見舞いを終えると病室から見送りに出た赤羽の叔母に、お願いした。

「母さんをよろしくお願いします」

 すると叔母は明るい声で、俺を励ますように言った。

「心配しないで。私が毎日、付き添っていますから。陸士の勉強、厳しいらしいけど頑張ってね」

「はい。では失礼します」

 俺は野口文代叔母に深く頭を下げ、東京帝国大学附属病院から、湯島の坂を下り、上野に出て、そこから市電に乗り、新橋に行き、新橋駅から汽車に乗り、豊橋の陸軍教導学校に戻った。それから一ヶ月も経たぬ10月1日の土曜日、訓練を終えて仲間と一緒に自分たちの寮に戻った俺のところに電報が届いた。

〈母シス。家ニ直グ帰レ。父〉

 俺は、その電報を手にして手が震えた。

「母さん」

 そう呟いた俺に白鳥健吾が声をかけた。

「どうしたんだ、吉田?」

「母が死んだ」

 母の死を白鳥たち仲間に話した途端、悲しみが一気に涙となって溢れ出し、抑えようとしても抑えきれなかった。そんな俺を見て角田武士が怒鳴った。

「お前、泣いている場合じゃあないぞ。教官の所へ行って電報を見せて、直ぐに家に帰るんだ」

 俺は仲間にうながされ教官から外出許可をいただくと、汽車に乗って豊橋から新橋に行き、そこから上野駅に移動し、駅近くの旅館に一泊した。そして翌朝6時、上野発、直江津行の汽車に乗って、郷里に向かった。松井田駅に10時に到着し、11時前に家に帰った。母の遺体は本郷の『金子商店』の車で東京から土塩村まで運ばれ、俺の家の奥の間の床の間の前の木棺の中で眠っていた。実に穏やかな安堵した寝顔だった。父は愛妻を失い、その奥の間の片隅で呆然として座っていた。俺は父に挨拶して葬儀の手伝いをしようと庭に出た。すると、近所の宮下酉松組長が俺に言った。

「カズちゃん。葬式のことは総て俺たち組内の者がするんで、じっとしていて下さい。親戚の人たちのお相手だけ、お願いします」

「はい。分かりました。よろしくお願いします」

 俺はそれから隣りの蝶おばさんや手伝の房江さんが用意してくれた昼食を妹たちといただいた。午後になると近所の人たちが集まって来て、葬式の準備を始めた。男衆は来場者の待機場所、受付の机やテントの設置、花環並べなどを行い、女衆は料理作りを勝手で始めた。本家側からは父の兄弟たちがやって来て、宇三郎祖父と室内の花飾りや座布団などの準備をした。祭壇は葬儀社の人たちが綺麗に組み上げてくれた。そうこうしているうちに告げの人たちも帰って来た。夕方になると遠くの親戚の人たちや母の知人や、父の学校教育関係の人たちが集まって来て、家の中の部屋の隅から隅まで人がいっぱいになり、廊下にまで人が溢れた。更に屋敷の庭にも人がいっぱい並び、隣りの豆腐屋の庭先まで行列が続いたので、俺はびっくりした。祖父は詰めかけた人たちからのお悔やみの挨拶に対応し、俺は父の隣りに座り、頭を下げながら、時を待った。やがて『乾窓寺』の和尚たちが見え、お通夜が始った。俺たちはお経を聞きながら、焼香し、母の冥福を祈った。焼香と読経が終わり、和尚たちが帰ってから、俺はお通夜に来てくれた親戚や近所の人たちと、料理を口にし、酒を飲んで、悲しみを紛らわせた。10月3日の母の告別式は余りにも大勢の人たちが訪れて、悲しんでいる暇など無かった。ほとんどの人が本家や母の実家の遠縁の人、あるいは父の教員仲間、母の昔の教員仲間、祖父の役場や仕事関係の人たちであった。昨日と同じ、『乾窓寺』の足利方丈をはじめとする和尚たちが座につき、母の木棺に向かって読経した。そして一旦、お経が止むと、村の代表や教育関係者の弔辞が読まれた。その母に送られた美しい弔辞に多くの人たちが涙した。俺も泣きそうになったが、涙を堪えた。弔辞が終わると、また読経が始った。南の縁側に設けられた室外の香炉から立ち昇る焼香の煙が陽の光に紫色に染まり、天空に昇って行くのが、部屋の中から見えた。やがて焼香も終わり、出棺の仕度が始った。母の眠る木棺が庭に運び出され、父が会葬御礼の挨拶をした。その後、父が母の遺影を手にして進む後を、御位牌を持って、墓地に向かって歩いた。木棺を担いだ親族の若者たちや、花篭を振る人たちが、坊地の墓地まで、行列となって歩いた。近所の子供たちは竹篭から紙吹雪と共にこぼれる小銭を拾いながら行列を追った。そして墓地に到着すると、既に村内の人たちによって掘られた墓穴に母の眠る木棺は埋葬された。その墓穴の木棺の上に俺たちは周りの土を投げ入れた。俺は母親が墓地に埋葬されたのを見届けるや、父に断って墓地から、そのまま松井田駅まで歩き、上野行の汽車に乗った。上野に行くまでに俺の涙は枯れ果てた。上野に着いてから新橋に行き、名古屋行きの汽車に乗り換え、夜中に豊橋陸軍教導学校の宿舎に辿り着いた。

 

         〇

 豊橋陸軍教導学校に戻った俺は、母の死の悲しみを紛らす為、下士官養成の為の訓練や軍事知識を身につける為の修練に専念した。また日清、日露などの戦争によって獲得した大日本帝国の権益が、どんな状況になっているのか、関東大震災後の金融恐慌が、農民や低所得者層にどのように波及しているのかなどを、教官に尋ねたりした。すると田島教官が教えてくれた。

「今、我が国は関東大震災後の不況で苦しんでいる。頼りは日清、日露戦争によって獲得した大陸各地の日本人居住者たちからの利益還元である。それ故、我が陸軍は支那山東満州に進出している日本資本の工場や、そこで働く人たちを守る為、5月に山東に出兵した。支那の国民革命軍から、日本人現地居留民を、何としても保護せねばならぬからだ。守るべきは、山東だけではない。満州や朝鮮にいる日本人たちも守ってやらねばならない。外地で働く人たちの大陸での収益が日本本国にもたらされないなら我が国は欧米の餌食になる」

「日本が欧米の餌食になるのですか?」

「そうだ。欧米の国々、イギリスやアメリカは、関東大震災で苦境に陥っている我が国や分裂状態の支那に食い込み、属領を増やそうとしている。ソ蓮も北から入って来ようとしている。これらの動きを放置していたら、我が国も奴らの属領にされてしまうということだ」

 田島教官の話は成程と思えた。それは翌昭和3年(1928年)中国国民党蒋介石ソ連のヴァシーリー・ブリュヘルの下で北伐を開始したことで、良く分かった。蒋介石率いる国民革命軍は済南に迫った。日本政府は山東半島を守る為に、またもや山東出兵を余儀なくされた。それに伴い、内地にいる日本陸軍も傍観している訳にはいかなかった。高度国防国家の建設を目指して、有能な軍人と陸軍の高性能装備の増強を早めようと計画していた。その計画は当然のことながら、豊橋陸軍教導学校にも伝達された。それに加え、元陸軍大将、田中義一が、前年、首相になったことから、国内の混乱に終始した幣原喜重郎らによる協調外交を進めて来た若槻内閣と異なる正反対路線を積極的に推し進めることになった。大日本帝国繁栄の為には山東は勿論のこと、我が国の二倍以上の広さを持ち、石炭、鉱石、羊毛、大豆などの産物を豊富に産出している満州を、何としても守らなければならぬと考えた。この田中義一内閣のもと、日本陸軍は大陸における日本の力を見せつけなければならないと奮起活躍した。ところが今まで親日派であった馬賊出身の張作霖が、秘かに日本離れをしようとする気配を見せた。そこで関東軍吉田茂奉天総領事らは張作霖を支援し、北京に於いて張作霖中華民国の主権者に選び、満州の共産化を断ち切った。なのに張作霖は北伐を進めている蒋介石の〈山海関以東の満州には侵攻しない〉という言葉に騙され、北伐を進める国民革命軍に攻め込まれ、北京から脱出することになってしまった。そして6月4日、張作霖を乗せた特別列車が奉天近郊の京奉線と満鉄線の立体交差地点を通過中、上段を走る満鉄線の橋脚に仕掛けられていた爆薬の爆発によって、脱線大破し、炎上した。列車に乗っていた張作霖は両手両足を吹き飛ばされ、一緒だった警備、側近ら17名も死亡した。この事件発生により、日本は反共の防波堤として考えていた重要人物、張作霖を失い、田中義一首相や白川義則陸軍大臣は愕然とした。結果、国民革命軍の蒋介石は、堂々と北京に入城し、北伐を終了させた。二十代の若き日、大日本帝国陸軍で学んだ蒋介石は、日本軍の駐留する万里の長城以北の満州まで、侵攻しようとはしなかった。田中義一首相は事件の真相を掴もうと、済南にいた陸軍中将、松井石根奉天に送り、事件の実態を調べさせた。最初、ロシア製爆弾が使用されたことから、ソ連の特務機関の犯行と思われたが、何と、その実行者は関東軍の河本大作大佐たちであると判明した。それを聞いて田中義一首相たちは慌てた。何てことをしてくれたのだ。河本大作らは、張作霖蒋介石と密約し、満州から日本軍を追い出す計画を進めていたから張作霖を始末したと答えた。俺たちは、この事件が満州で起こったことを聞いてびっくりした。

 

         〇

 昭和4年(1929年)になると張作霖爆殺事件の影響により、日本と中国との関係悪化の度合いが深まった。張作霖の息子、張学良の怒りは、秘かに日本に向けられた。彼は北京に行き、蒋介石に会い、国民革命軍との関係を深めた。豊橋陸軍教導学校の武田秀一校長は、そういった大陸の状況を俺たち見習兵に弁舌した。

「諸君。我が校が新設されてから、間もなく二年になる。その間、大陸は大変なことになっている。明治維新以来、実力を蓄積して来た我が国は、一貫して実力無き支那や朝鮮を防衛せんと治安維持軍を派遣し、崇高なる聖戦を行って来た。ところが今や支那や朝鮮で今までの我が国の正義の道を理解出来ない者たちが暗躍し始めている。米英が我が大日本帝国の大陸での台頭を好ましく思わず、影で日支の離間策に全力を注いでいる。米英は蒋介石及び張学良を支援し、大陸で活躍する日本人居留民を、父祖の鮮血によって得られた大陸の地から追放しようとしている。このようなことは、許されて良い筈がない。よって諸君には一時も早く、この教導学校歩兵科を卒業し、大陸に行って、現地の治安を安定させて欲しい。それが尊皇愛国の心情を第一とする諸君の使命であることを頭から忘れるな」

 俺たちは武田秀一校長の訓辞に従い、体力強化に努め、武器の分解組立、射撃練習、乗馬練習などに燃えた。また地理や歴史を学び、戦闘作戦などの軍事学も学習した。若さ漲る俺たちは、見習士官になる為、競争に競争を重ねた。厳しい訓練の毎日であったが、懸命に頑張った。師範学校に不合格になり、家の手伝いの春吉夫婦に野良仕事を教えてもらったり、製糸工場で帳簿付けなどの事務仕事をしていたことが、嘘のように思われた。尊皇愛国。それはまさに父が学童たちに教え込もうとしている精神そのものであった。俺たち見習兵は一致団結し、ひたすら訓練を重ね、軍人の道を学んだ。そして7月末、陸軍教導学校を卒業した。それから直ぐに隣接する歩兵18連隊に移り、高師原や天伯原で、蟹江冬蔵連隊長の指揮の下で実戦訓練に入った。この訓練は非常に厳しかった。それだけではない。一同の前で戦術問題などを出され、それに答えなければならず、四苦八苦した。また軍人としての精神論を植え込まれた。忠君愛国。軍紀遵守。捨生求義。大和魂の発揚などの他、新渡戸稲造の『武士道』まで学ぶことになった。そんな訓練に明け暮れしている10月1日、俺たちは7月に首相を辞任した田中義一陸軍大将の死を知った。何でも自決したという話だった。俺たちは教官の中村中尉に、何故、田中義一大将が自決しなければならなかったのか質問した。すると中村教官は、こう説明した。

田中義一大将は、張作霖爆死事件の計画者、河本大作大佐を軍法会議で処罰せずに、左遷し、停職処分にしようとしたことから、天皇陛下の御叱責を受けられた」

天皇陛下からの御叱責を・・・」

「そうだ。天皇陛下は仰せられた。事件の責任を明確に取るにあらざれば許し難し」

 その話を聞いて、俺たちは驚いた。中村教官は更に語った。

「御即位して自信を深めた天皇陛下は御親政を目指しておられる。統帥権を完全に手にして、真の王政を望まれておられる」

 中村教官は首相が総辞職した場合は与党から、後継の首相を出す憲政の常道により、浜口雄幸内閣が発足したのだと、その経緯を語ってくれた。田舎者の俺たちには中央政府のやっていることが、余り良く分からなかった。天皇陛下に叱責を受けたから自決するとは、それが武士道か。良く分からなかったが、俺たちは上官たちについて行くより仕方無かった。そうこうしているうちに年末になった。年末には正月休みということで人事係に届けを出し、実家に帰省することが出来た。実家に戻ると父や妹や弟も喜んだ。父は俺の軍服姿を見て、立派になったと認めてくれた。隣りの豆腐屋の蝶おばさんや手伝いの秋山房江たちも俺の事を煽てた。

「随分、男前になったじゃない」

 俺は何故か軍人の道に進んだことを誇らしく思った。

 

         〇

 昭和5年(1930年)正月のお節料理をいただき親戚回りをしている途中、村の娘たちや子供たちから、兵隊さんだと声をかけられ、良い気分になった。2日の夜には、友だちの家に泊るからと家族の者に嘘を言って、中島綾乃と磯部温泉で一夜を過ごした。俺たちは抱き合い、いずれ結婚し、ずっと仲良く暮らして行きたいと夢を描き合った。綾乃に元気をいただいた俺は、短い正月休みが終わると、再び豊橋の第19師団の歩兵連隊に戻った。軍隊の生活は相変わらず厳しかったが、慣れて来ると何故か同じ繰り返しばかりで惰性的になり、余分な事を考える余裕が出来た。家族の事や綾乃のことを思ったりすることがあった。そんな、余裕の軍隊生活の間にも、世界の情勢は日々刻々、変化を続けていた。欧米は東アジアで軍事力を増す大日本帝国に警戒を始めた。ロンドンで軍縮会議が開催され、日本は4月、海軍軍縮条約に調印した。インドではマハトマ・ガンジーがインドの独立を目指し活動を始めた。大陸では蒋介石派と反蔣介石派の内戦が起こり、朝鮮でも独立運動が強まった。そんなこともあって、7月末、俺たちは朝鮮75連隊に入隊することになった。75連隊は歩兵73連隊から76連隊の4個連隊の中の一つで、朝鮮北部の警備に当たる第19師団の歩兵連隊であった。連隊の上には歩兵第38旅団があり、俺たちは名古屋城内の連隊で、朝鮮に関する歴史、地理などの教科の他、酒匂宗次郎連隊長の指揮のもと恵那山や犬山に登る訓練をした。頭に鉄兜を被り、背嚢を背負い、飯盒、水筒を吊るし、腰に軍刀を下げ、手に銃剣を持ち、足にゲートルを巻いて山を登るのは厳しかったが、子供の頃から山に行って薪運びをしていたので他の者より頑張れた。また木曽川長良川の渡河訓練も大変だった。泳ぐことは出来るのだが、故郷の小川と違うので苦労した。そんな訓練に明け暮れしている11月14日、陸軍の演習視察に出かける途中、浜口首相が、東京駅のプラットホームで23歳の青年にピストルで撃たれた。犯人は取調に対し、こう供述したという。

「浜口は社会を不安におとしめ、陛下の統帥権を犯した。だからやった。何が悪い」

 浜口首相は死には至らなかったものの経過は思わしく無く、不安な状態が続いた。この原因は鳩山一郎の『統帥権干犯論』に触発された青年を煽り立てた野党政友会にあった。このことにより、海外とのバランスを保って来た日本は狂い始めた。だが俺たちには政治の事は分からなかった。ただひたすら、いろんな訓練をした。各務原に行って、野戦砲撃の訓練をしたり、飛行機に乗せて貰ったりした。三菱重工の名古屋工場に行って、戦闘機の説明を受けた時、俺より5歳位上の藤岡出身の堀越二郎というアメリカ帰りの飛行機設計士に会ったのには、びっくりした。飛行機見学の時、俺の質問する言葉が上州弁なので、彼には直ぐ、俺が群馬出身だと分かったという。親しみを感じた俺は質問した。

「先輩は何故、中島飛行機に行かなかったのですか?」

 すると堀越設計士は笑って答えた。

「大学の教授に、ここに行けって言われたからさ。君だって、これから上官に言われて、何処かへ行くことになるんだ。そこが自分の活躍すべき場所と思って頑張るんだな。そしたら生き甲斐が見つかるよ」

「はい、分かりました。頑張ります」

 俺は、そう答えて敬礼した。群馬から名古屋の工場に来て張り切っている郷土の人を見て、俺は感心した。俺たちの毎日はラッパ号音によって行われた。起床、点呼、食事、集合から寝る時の消灯まで。自分勝手は許されず、総てが統制されていた。だが、その圧迫された日常は、上官たちのストレスから暴力に移行することもあった。『シゴキ』と言って、私的制裁が行われ、俺も仲間と一緒に何度もビンタに見舞われた。そんな『シゴキ』は数分間で済む事だった。だが真冬の訓練は、そんな甘いものでは無かった。俺たちは酒匂宗次郎連隊長に連れられ、雪の関ヶ原まで出かけ、雪中訓練をした。吹雪の中をラッパの音を聞きながらの行軍の訓練は夏の恵那山の訓練や木曽川の訓練などと比較にならぬ命懸けの訓練だった。地吹雪で目の前を覆いかぶされ、遠くが見えない状態での雪中行軍は、慣れるのに大変だった。

「何をぐずぐずしているのだ。こんなことぐらいで、モタモタしていたら朝鮮の寒さに、遭遇した時、死んでしまうぞ」

「おい、吉田。しっかりせい。眠ったら死ぬぞ」

 沢田曹長たちが、大声で俺を鼓舞した。そんな風に上官たちに鍛えられながら、年末を迎えた。俺は去年同様、人事係に外出届を提出し、実家に帰省した。家では手伝いの秋山房江さんが、父の女房気取りで、家族をまとめていた。父は酒に酔うと思わぬ事を言った。

「一夫。お前は我が家の跡取りなんだから、戦地に赴くことは可能な限り避けろ」

 その言葉に、俺は憤慨した。

「父さん。何を言うんだ。俺は軍人です。軍人になったからには、御国の為、戦地に赴くのは当然のことです。自分には大日本帝国を拡大繁栄させる使命があります。この使命を忘れて、何処に自分の存在価値がありましょう。俺は軍人です。戦士です。大陸に進出し、いやが上にも神国、大日本帝国の偉大さを、世界に誇示するのです。俺のことは諦めて下さい」

 父は俺の言葉を聞いて仰天した。軍人教育により、自分の息子がかくも変わるものかと、びっくりした目で俺を見た。

「お前の気持ちは分かるが、命あっての物種というではないか。命を軽んじてはならないぞ。どんなことがあっても生きるようにと母親に言われたことを、忘れてはいまいな」

「はい。そのことは良く承知しております。心配なさらないで下さい。さあ、もう一杯、飲みましょう」

 俺は酒好きの父と盃を交わしながら、家族の者たちと再会し、厳寒の中でのぬくもりを感じた。

 

         〇

 昭和6年(1931年)正月元日、俺は実家で新年を迎え、家族の者たちに新年の挨拶をした。

「明けましておめでとうございます。今年もよろしく」

 それから房江さんや妹たちが用意してくれたお節とお屠蘇を戴き、皆でお祝いをした。年末に父がついた餅の雑煮は、餅がほんのわずか焼かれていて、鶏肉と人参、ゴボウ、蒲鉾などの具が加わり綺麗だった。それに芹や柚子の香りが何とも言えず、とても美味しかった。その後、俺は友達と初詣に行くと言って家を出た。中島綾乃の家の脇を通ると、待ってましたとばかり、綾乃が出て来たので、二人で神明神社にお参りに行き、それから松井田駅から汽車に乗り、高崎の柳川町へ行った。高崎城の近くから少し歩くと、通りの両側に二階建ての遊郭や旅館や蕎麦屋などが、軒を並べて建っていた。俺たちは『立花』という蕎麦屋の二階に上がった。それから、老婆が運んで来た温かいキノコ蕎麦を二人で向合い美味しくいただいた。蕎麦を食べ終わると綾乃が、俺の顔を覗き込むように訊いた。

「一夫さん。貴男は何時になったら、製糸工場に戻れるの?」

「綾ちゃんは何も分かっていないんだな。俺は兵隊になったんだ。いいか良く聞け。俺は朝鮮75連隊に配属になり、これから朝鮮へ派遣されるんだ。派遣されたら何年か外地勤務になる。日本には戻れん。だから、良い縁談があったら嫁いで良いよ」

「それじゃあ、去年と約束が違うじゃあない。私はいやよ。貴男のお嫁さんになるんだから」

「俺たち軍人は、御国の為に身を捧げることを優先しなければならないんだ。もし戦死するようなことになったら、綾ちゃんを裏切ることになる。綾ちゃんは俺に縛られず、自由に生きれば良いんだ」

「そんなのいや。私、待ってる」

「勝手な事ばかり言って申し訳ないけど、俺たちは今日でお別れだ」

「いやよ。いやよ」

 綾乃は、目に涙を浮かべて、俺の胸を叩いた。俺はそれを押さえ、綾乃を抱きしめた。俺たちは、まるで喧嘩しているかのようにもつれ合った。時間はあっと言う間に約束時刻になり始めていた。俺たちは身を整えるや『立花』を出た。高崎駅まで会話もせずに急いだ。そして汽車に乗り、松井田駅から薄暗くなり始めた田舎道を俺は綾乃の家近くまで、綾乃を送り届けた。俺がさよならを言うと綾乃は明るく無理に笑った。俺は、それから家に戻り、友達と高崎に行って来たと話し、夕飯を食べ、父と酒を飲んだ。妹たちはみかんを食べながら、カルタ取りを楽しんだ。そんな正月休みを終え、朝鮮75連隊の名古屋兵舎に戻ると、俺は同部屋の白鳥健吾、佐藤大助、角田武士らと故郷の話をした。ところが軍隊では、かような甘ったるい考えは五十嵐准尉や沢田曹長には通用しなかった。五十嵐准尉は怒鳴った。

「貴様ら、何を考えている。我が国は今、米英仏ソから軍縮を迫られ、日清、日露や日英同盟で得た権益を返還せよと要求されている。奴らは世界の主役は白人であり、アジア人の出る幕では無いと主張しているのだ。そんなことを受け入れてなるものか。我々は大陸における多くの日本人たちが必死になって築いて来たものを守ってやらねばならんのだ。その時は迫っている。その為に鍛えて、鍛えて、鍛え抜くのだ」

 それに付け加えるように、沢田曹長が俺たちに言った。

「五十嵐准尉殿の申される通りだ。去年、東京駅でピストルで撃たれた浜口首相は、死に至らなかったものの、経過は思わしく無く、政情が混乱し、不安定な状況になっている。その隙を狙って欧米の支援を受けた蒋介石率いる国民革命軍と長沙ソビエト紅軍とが、勝手に競っている。彼らはフィリピンを植民地にしているアメリカと香港を植民地にしているイギリスが、支那を植民地化しようとしていることに気づいていない。アジア人は団結せねばならない。そうしないと日本は台湾や山東半島や朝鮮、樺太満州をも失うことになる。それを防ぐには、我々、大日本帝国軍の力がより強力であらねばならぬ。よって我々、朝鮮を守備する連隊は一日も早く、現地に行かねばならぬ。よって我々は正月早々であるが、ソビエトと戦争状態に入った時の事を想定し、厳寒積雪の関ヶ原に行って、零下数十度でも戦える為の訓練を行う」

 俺たちは以上の上官の命令に従い、去年の暮れと同様、関ヶ原に出かけて、雪中行軍の訓練を実施した。また雪が少なくなり、春めいて来ると乗馬の他、トラックの運転の練習もした。そうこうしているうちに、俺たちに命令が下った。3月25日、酒匂宗次郎連隊長は、こう話された。

「おめでとう。諸君に軍司令部からの命令が出された。朝鮮駐屯地への出動命令である。よって諸君は四月早々、朝鮮及び満蒙を擁護する為、忠勇なる皇軍として大陸に向かう。この出動は全国民の熱誠なる要望に沿うものであり、諸君は大和民族の正義に立脚し、アジアの安寧平和の為、渡海することになる。よって諸君は明日、26日から、一時帰省し、3月31日、ここに戻って来い。それから朝鮮へ向かう。以上である」

 俺たちは、またもや帰省出来ると喜び合った。俺が実家に帰ると父は顔をしかめた。

「お前も、遂に行くことになったか」

「はい。その報告に参りました。行く先はソ連満州の国境に近い朝鮮の会寧です。朝鮮と満州の治安を守る為の出動です」

「そうか」

「そう心配そうな顔をしないで下さい。俺たちは戦争をしようとして行くのでは無く、ロシア国境の治安維持の為の派遣軍として行くのですから・・・」

「それは分かっている。我が国の民の生活を豊かにしようと政府が考えているのは分かるが、多くの日本人が大陸に進出して、他国の領土を勝手に動き回るのは慎まねばならぬと思うのだが・・・」

 父の言う事は正当だとは思うが、日清、日露の勝利で、台湾、朝鮮、樺太を文明国として成長させようとしている日本人に、父の考えが分かるかどうかは疑問だった。父にとって海洋国家、日本が、台湾や樺太の島国を治めるのは良いとしても、大陸に新天地を求めることは、整合性に欠けるとの判断だった。俺は家族に朝鮮行きを報告した後、中島綾乃に会って別れを言おうと思ったが、正月、彼女に別れを告げているので、会うのを止めた。俺たちの恋は所詮、むくわれぬものであるから、また会ったら未練が募る。会わぬ方が良い。その方が、彼女も安らかに過ごせる。俺はそう思いながら四日程、実家で過ごし、父や妹弟、親戚縁者に見送られ、30日、名古屋の兵営に戻った。それから、白鳥、佐藤、角田ら選ばれた仲間と朝鮮へ行く準備を開始した。

 

         〇

 4月5日、俺たちは名古屋の連隊を離れ、敦賀に移動し、翌6日の午後、敦賀港から北日本汽船の『伏木丸』に乗って北朝鮮清津に向かった。船が敦賀港から離れて、凪いだ海を進む。若狭や福井の山脈や島々が次第に遠ざかって行く。その風景を眺め、俺は日本から海を隔てて離れるのかと、何故か複雑な気持ちになった。光る海は悠々と彼方まで広がっている。潮の匂いが鼻を突いた。佐藤大助が溜息をつくと、角田武士が『我は海の子』の歌を唄った。その最後を俺も白鳥健吾たちと大声で唄った。

「いで軍艦に乗組みて、我は護らん、海の国!」

 俺たちは甲板に立って、本土を振り返りながら、元気だったが、その本土が見えなくなり、船のあたりを飛び交っていた海鳥たちの姿が消えると、ふと寂しさに襲われた。群青色の海に白波を立てて、『伏木丸』は進む。見渡す限りの海原に夕陽が沈み、夕暮れが近づくと尚更、寂しくなった。俺にとって初めての船旅であった為、船酔いするのではないかと心配したが、それ程でも無かった。俺たちは夕食を終えてから、裸電球のぶら下がる三等室に降りて、北朝鮮満州に新天地を求めて行く人たちと一緒に、畳の上でリュックを枕にゴロ寝した。背中が痛くて、良く眠れなかった。船が傾くたびに目が覚めた。そんな半眠半覚状態の中で一夜を過ごし、翌朝5時、俺は白鳥健吾に起こされた。俺たちは直ぐに食堂に行き、朝食を済ませ、海を見た。波また波が続いていた。

「まだかなあ」

「うん、まだのようだ」

「角田は大丈夫か?」

「佐藤がついているから大丈夫だ。昨日、はしゃぎ過ぎ、船酔いしたんだ」

 そんな話をしながら潮風を受け、白鳥と話していると甲板の船首に立って双眼鏡をのぞいていた石川繁松曹長が俺たちに言った。

「おうっ。島が見えて来たぞ。朝鮮だ。朝鮮の島だ!」

「本当ですか?」

「本当だとも。良く見ろ。この先だ」

 石川曹長は大声を上げて指で示した。言われた通り、石川曹長の指先に方向に目をやると、海上はるかに青い帯状の島らしいものが、かすかに見えて来た。やがて小船も見えて来た。『伏木丸』がボ、ボ、ボーと汽笛を鳴らした。すると三等室で寝ていた佐藤たちや移民団の人たちが、汽笛を聞いて、甲板に出て来た。皆が口々に叫んだ。

「ああっ、陸が見える。朝鮮半島だ!」

「あれが高秣山だ」

 俺はついに朝鮮の大地に立つことになるのかと思うと、胸が高鳴った。『伏木丸』は貨物船や軍艦が浮かぶ清津港に堂々と入港し、倉庫が並ぶ桟橋に横づけされた。桟橋では、俺たち陸軍兵を出迎える軍人たちや移民団を迎える工場の人や開拓団の人たちが、いっぱい集まっていた。俺たちは下船すると桟橋を渡りきったところの広場に集められ、全員そろっているかの点呼を行い清津駅から汽車に乗り、古茂山駅を経由して、会寧駅で下車した。俺たちの連隊が所属する第19師団の司令部は反対方向の羅南にあると石川曹長が教えてくれた。俺たちは朝鮮の地を踏んで驚いた。清津や会寧の町に何と日本人が多い事か。まるで内地と変わらないではないか。朝鮮語満州語の他に日本語が飛び交っている。俺たちは沢山の人たちの中を会寧駅から朝鮮75連隊の駐屯地へ三列縦隊となって向かった。歩いて間もなく連隊の兵営の正門に到着した。正門入口左側にロシア風の門衛所があり、正門右側のレンガ部には歩兵第75連隊と彫られた石板が嵌め込まれていた。門衛が俺たちに敬礼した。俺たちが胸を張って門内に入り、兵舎前に進んで行くと、隊列の前方から号令がかかつた。

「全体止まれ!」

 俺たちは一斉に止まった。すると暫くして前方壇上に野口純一連隊長が上がって、俺たちに歓迎の挨拶をした。

「歩兵75連隊の諸君。内地より大海原を渡り、会寧までご苦労様。ここは朝鮮第75連隊の会寧駐屯部隊、諸君の勤務地である。自分はここを統括する野口大佐である。諸君を新しい仲間として迎えることが出来、とても嬉しく思っている。知っての通り、この地は日ソ両国が戦争状態に入った時、最も防衛せねばならぬ所である。また朝鮮武装組織や満州馬賊が、頻繁に襲撃をかけて来ており、何時、開戦が始まるか分からなくなっている状態であると言わざるを得ない。そんな時に諸君が来てくれて、我が連隊として、実に心強い。初めての外地での駐屯に不安があると思うが、自分たち先輩たちの指導、経験を良く聞き、漲る若さを充分に発揮し、活躍して欲しい。大いに期待している。以上」

 その歓迎の言葉をいただいてから、俺たちはそれぞれの兵舎に案内された。各室の左右に二段の寝台が置かれ、先輩二人が、俺たち十二人の指導についた。一人は栗原勇吉伍長、もう一人は鈴木五郎上等兵だった。二人とも厳しい顔つきをしているが、何処か村の仲間の顔に似ているところがあり、馴染めそうだった。俺は白鳥健吾や佐藤大助、角田武士、磯村喜八らと同室なので一安心した。俺たちは荷物を部屋に置いてから、夕食をいただき、その後、別棟にある大きな入浴場に行き、短時間の入浴を済ませ、部屋に戻り、先輩の話を聞き、10時に点呼消灯し、ぐっすり眠った。室内の暖房がオンドルであったので、、そう寒くは無かった。

 

         〇

 翌朝からは内地にいた時と同じく、起床の点呼から始まった。まず部屋の掃除を行い、食事を済ませ、兵舎前に整列し、全員で体操をした後、三八式歩兵銃や双眼鏡、鉄兜、弾入れなどを、各自、先輩から渡された。先輩の栗原勇吉伍長が、俺たちに言った。

「これらの支給品は日本国民の血と汗によって、我々に提供された物である。それと同時に貴様等の命を守る物である。家族から渡されたお守り同様、大切にしないと、酷い目に遭うぞ。分かったな」

「はい」

「よおし」

 栗原伍長は部下が出来て張り切っていた。それから栗原伍長の教えに従い、兵器の手入れを行うと、もう正午だった。食事ラッパが鳴ると、俺たち六人が、鈴木上等兵と共に炊事場へ食事を取りに行き、残りの六人が兵器の手入れをしていた机の上を片付け、食卓の準備をした。俺たちは炊事兵から兵食を受け取ると、それを持って部屋に戻り、皆で美味しくいただいた。オムレツとオニオンスープの昼食。朝鮮の連隊では、こんな贅沢をしているのかと、びっくりした。食事の後、炊事場手前の洗い場に行き、食器やスプーンなどを洗い、炊事場に返却した。それから小休止。午後1時半かた永井岩吉少尉からの新人兵の教育が始まった。内容は内地にいた時と、ほとんど似ていたが、駐屯地から自分たちが今、朝鮮の何処にいるのか具体的に教えられると、自分たちが朝鮮人をはじめ、朝鮮に移住している日本人たちを、どう外敵から守らなければならぬかが良く分かった。東は豆満江、西は白頭山、北は図們、南は羅南だと、周囲の景色を見ながら、頭に埋め込んだ。ここが俺たちの第二の故郷になるのか。永井教官の授業は三時過ぎに終了した。その後は部隊の駐屯地から出て、会寧川まで、200人程で走って往復した。ぐったりしたところで、兵舎に戻り、部屋掃除。一段落したところで夕食の準備。片桐重吉たち六人が鈴木上等兵と共に炊事場へ食事を取りに行った。俺たちは机の上を片付け、テーブル掛けを敷き、食事が運ばれて来るのを待った。夕食は御飯と肉野菜イタメと味噌汁で、結構、美味しかった。夕食が終わると、栗原伍長と鈴木上等兵は、友達の所へ行って来るからと、出かけて行った。俺たちはそれから自由時間を過ごした。俺は朝鮮75連隊の写真ハガキに父親宛ての伝文を書いた。

〈ご機嫌いかがですか。小生は無事、会寧の連隊に入り、いろんなことを学んでいます。この前、帰省した時の父上の教えを、しっかりと心にとめ、気を抜くことなく、自分の役目を果たすべく、頑張っています。妹や弟たちにも元気でいると、お伝え下さい〉

 写真ハガキであるので長文を書くことが出来なかった。また外部への手紙は内地の連隊にいた時と同様、軍事郵便として検閲を受けるので、問題になるようなことは書けなかった。ハガキ書きが終わってから、皆で洗濯をした。そこへ栗原伍長と鈴木上等兵が戻って来て、スルメをくれた。そのうち点呼消灯のラッパが鳴り、俺たちは自分の寝台の毛布にくるまり睡眠することになったが、俺は直ぐに眠ることが出来なかった。父の事や亡くなった母のことや、製糸工場の帰り、逢引した中島綾乃のことを思った。村の日常は、どうなっているのだろうか。

 

         〇

 その頃、日本では浜口雄幸首相の病状が悪化し、4月14日、岩槻礼次郎内閣が発足した。だが数年前から始まった世界恐慌の波をかぶった日本経済を立て直すには、満州内蒙古地域を植民地化して国益を獲得するしか方法が無いと考えた。そんな矢先、6月27日、日本陸軍参謀、中村震太郎大尉とその部下3名が、対ソ蓮作戦の軍用地調査の為、満州北部、興安嶺方面で偵察任務中、国民革命軍、張学良配下の関玉衛の指揮する屯墾軍に拘束され、銃殺されるという悲劇が起きた。更に7月2日、長春北西の万宝山に中国から土地を借りて入植しつつあった朝鮮人と排日感情の強い中国人との間で、発砲騒ぎが起こった。これに対し、日本の長春領事館は武装した日本の警察を送り、朝鮮人を保護した。大陸における中国側とのいざこざは各地で多発した。浜口元首相が没した8月末、関東軍参謀、石原莞爾中佐は、満蒙問題の解決は、大日本帝国が同地方を領有することによって、初めて成功すると、『満蒙領有計画』を立案し、満州に赴任し、その計画を実行に移すことにした。そして9月18日の夜、部下数人を奉天の北部8キロの柳条湖付近に行かせ、満鉄線の上下線を爆破させた。その被害は1メートルたらずで、ほとんど無かったが、実行させた石原莞爾関東軍独立守備隊の島本正一中佐に、中国軍の仕業だと発表させ、中国軍を攻撃せよと命じた。19日、島本中佐や川島大尉は、部下に人道に反する中国軍の横暴だと伝え、中国の張学良軍の兵営や奉天城の攻撃を開始させた。翌20日に関東軍奉天長春、営口を占領。21日には吉林まで進出した。このままでは中国軍との戦闘が拡大してしまう。奉天総領事館の森島守人領事は戦闘の拡大を恐れ、関東軍高級参謀、板垣征四郎に、外交交渉で事件を平和的に解決したいと申し入れたが、走り出してしまった関東軍を止めることは出来なかった。森島守人領事は直ぐに日本政府に電報を送った。事件を知った若槻礼次郎首相や外務大臣幣原喜重郎は頭をかかえ、9月24日、事変不拡大方針を伝えた。この9月18日の柳条湖事件は朝鮮北部警備にあたる第19師団にとっても、この事件に乗じて、ソ連軍や中国共産党メンバーによって構成されている抗日パルチザン組織や満州馬賊たちの活動が活発激化するのではないかという不安を抱かせた。その為、俺たちに与えられた国境守備強化はより、厳しいものとなった。俺たちはトラックに乗って、国境線、豆満江沿いの慶源や阿吾地や雄基といったソ連国境の守備についた。短い夏が終わり、銀杏やポプラが美しい。会寧の兵舎から離れての監視所での一週間ごとの交替勤務にも慣れ、俺たち栗原班は雄基の監視所の朝鮮人兵士、三人とも仲良くなった。李志良、金在徳、尹義善は地元出身の傭兵で監視所を自宅の一部のように使っていた。朝、昼、晩の食事も、彼らの女房たちが家から運んでくるので、温かく有難かった。俺は栗原伍長に見回りに行って来いと言われると、三人のうちの一人を連れ、佐藤大助と三人で豆満江方面へ自転車を走らせた。豆満江の川べりに立ち、双眼鏡で対岸や周辺を眺めた。時々、百姓らしき人たちが働いているだけで、異常は無かった。夕方、監視所に引き返し、栗原伍長に報告した。

「吉田組、只今、戻りました。豆満江河口方面異常なしです」

「ご苦労。屈浦里も異常なしじゃ。では夕飯にするか」

 そう栗原伍長に言われ、俺たちは鉄兜を外し、三八銃を降ろし、背嚢を棚に置き、食卓についた。何と今日は朝鮮人のオモニたちが釜で茹でて持って来てくれた毛ガニが食卓を飾っていた。

「いただきます」

 俺たちは夢中になって毛ガニを食べた。今まで食べた事の無い毛ガニだった。それに地酒も朝鮮の人たちが差し入れしてくれた。角田武士が栗原伍長に訊いた。

「こんなに美味しいものを戴いてよろしいのでしょうか?」

「いいのだ。その代わり、俺たちは極東ソ連軍や満州の盗賊団から朝鮮の人たちや日本人居留民を守っているのだ。だから、この地は戦闘が絶えない満州ほど、物騒ではない」

 栗原伍長は満悦だった。連隊にいる時は上官たちに、ペコペコしているのに、ここでは大将気分だった。そんな見張りの一週間が過ぎると、次の班と交替になった。トラックに乗って連隊に戻ると、またラッパの一日が待ち受けていた。その一週間が過ぎた日曜日、栗原伍長が外出許可届を出し、俺たち仲間四人を会寧の町に連れ出してくれた。角田、佐藤、白鳥は、俺同様、ルンルン気分になった。栗原伍長は行きつけの『高嶺亭』に俺たちを連れて行き、焼き肉を食べさせてくれた。牛肉の他、羊や犬の肉もあったので、俺たちは驚いた。皆が精力をつけたのを確認し、店主に支払いを済ませて、店を出ると、栗原伍長は更に張り切って俺たちに言った。

「行くぞ。突撃だ!」

 俺たちは何処に行くのか直ぐに分かった。この前、片桐や阿倍が連れて行って貰ったという遊郭に違いなかった。歓楽街、会寧面に入って行くと、栗原伍長は得意になって説明した。

「ここが会寧の花街だ。あの『徳川』という遊郭は連隊長や参謀長が利用する所で、俺たちには入れない。ずっと向こうに安い朝鮮女のいる朝鮮妓楼があるが、汚くて不潔だから、利用する所ではない。俺は馴染みの『菊水』に行くが、誰か二人、『更科』へ行け」

「何故ですか?」

「一度に5人も行ったら混んで時間がかかる。一時間後、『博文館』の前で落ち合おう」

「分かりました。自分と白鳥の二人で『更科』に参ります」

「よし、了解」

 俺と白鳥は張り切って『菊水』に入って行く栗原伍長ら三人を見送り、白鳥と『更科』に入った。三階建ての遊郭『更科』の楼主は、日本人で、相手をしてくれる女も長野、新潟、秋田などの寒冷地出身の女が多く、白鳥や俺には馴染み易かった。俺の相手は玉枝、白鳥の相手は桃代だった。彼女たちは親が借りた金を返済したら、羅南で飲食店を始めるのだと張り切っていた。稼ぎは俺たちの月給が20円なのに彼女たちは月200円程、稼いでいると自慢した。俺たちはそれでも満足した。俺たちが、そんな呑気な朝鮮北方守備の毎日を過ごしている間も、満州では戦闘が続いていた。南京国民政府の蒋介石は、〈満州での動乱は日本の不法な侵略行為である〉として国際連盟に提訴した。ところが国際連盟は日本が国際連盟常任理事国であるということで、直ぐに動きを見せなかった。当時、北京で病気療養中の張学良は、戦争の拡大を避けるよう不戦を指示した。蒋介石もまた対共産党軍作戦に追われ、軍隊を北上させる余裕が無かった。これらの状況から日本の関東軍は調子に乗り、不拡大の方針をとっていた日本政府の考えに離反し、進軍を続けた。事件の真相を知らぬ日本世論は関東軍を指示した。関東軍の武力侵略が進行すると、国際連盟も、中国の提訴を何時までも無視する訳には行かなくなった。国際連盟もようやく腰を上げ調査団の派遣を決定した。

 

         〇

 あっという間に秋も終わり、厳しい冬がやって来た。まさに酷寒、零下数十度の中での国境の監視はきつかった。外の出ると、余りの寒さに手がかじかんで、良く動かない。射撃練習など、うまく行かなかった。そんな酷寒の中、同じ会寧で暮らす日本人たちも頑張っていた。鉄道建設関係者、炭鉱関係者、病院関係者、学校関係者、銀行関係者、食品工場関係者、白杏仁酒造業者、陶器業者、牛乳加工業者、牧場主、農園経営者、農業指導者、銀座通りの商店主など、沢山の日本人が、信じられ無い程の寒さの中で、生き生きと働いていた。俺たちも駐屯地では、あえて猛吹雪の中での訓練を受けたりした。耳覆いのある軍帽を被り、重い防寒外套を着て、三八銃を手に持って走る行軍練習はきつかった。無駄口をたたく余裕など全く無かった。思うように進めず、ゴム長靴を脱ぎたいくらいだった。だが内地にいた時の関ヶ原での経験があるので、何とか対応することが出来た。このような兵営にいる時の厳しい出動訓練に較べ、雄基の監視所に行って、ストーブをガンガン焚いて喋繰り合っている方が気が楽だった。それでも何度か交代で歩哨としての見回りをしなければならなかった。約4時間、見回りするのであるが、俺たちは李志良、金在徳、尹義善たちと交替でスキーに乗って出かけ、朝鮮人の家で寒気をしのぎ、暇をつぶした。ある時など、金在徳の知り合いの朴立柱がやって来て、彼の妹、英姫と俺を結び付けようとした。松茸を沢山出され、醤油をつけて食べながら迫られた。

「アナタノ松茸、一度、見テミタイヨ」

 俺は酔わされ、英姫の温かな身体を抱かされた。日本人の軍人と親戚になりたいという朴立柱の目論見と英姫の意志が共通であったことから、俺は思わぬ落とし穴にはまってしまった。自分の任務が国境警備であるのも忘れ、何ということを。俺が落ち着きを取り戻した頃を見計らって、金在徳が迎えに来た。

「ワタシノ友達ノアガシ、スキニナッタカ?」

「うん。温かい女だった」

「友達ノアガシヲ、嫁ニモラッテクダサイヨ」

「それは無理だ。俺には内地で待っている女がいる」

「ホントカナ。ホントカナ?」

「本当だ」

 金在徳に、そう答えたが、あの中島綾乃とは、はっきりと結婚を約束していなかったので、俺の返事は嘘ともいえた。俺が朴立柱の妹、英姫を嫁にしたりしたら、父は勿論であるが、親戚中が、蜂の巣をつついたように騒ぎ立てるであろう。俺は朝鮮女には用心しなければいけないと思った。4時間の見回りを終えて、監視所に戻ると、栗原伍長が怒鳴った。

「貴様ら、その臭いは何だ。また酒を飲んで見回りしていたな」

「申し訳ありません」

「悪い癖だぞ。油断していたら、敵に殺されるぞ」

「申し訳ありません。以後、気を付けます」

「何をボーッとしている。こっちに来て、ストーブに当たれ」

 栗原伍長は屋外の歩哨としての見回りが、足指の感覚が無くなるほど厳しい事を知っていた。だから俺たちを叱りはしたが、大切にしてくれた。そして一週間の監視所の仕事が終わると、俺たちと会寧面の花街へ行った。俺と白鳥は何時の間にか『更科』の馴染み客になっていた。白鳥は新潟の塩沢出身の桃代と親しくなり、俺は長野の飯山出身の玉枝と親しくなった。俺は玉枝が出してくれた茶菓子をいただきながら、何故、ここに来たのかと訊いた。すると玉枝はこう話した。

「お父ちゃんが、雪崩で亡くなって、いっちもさっちも行かなくなり、あたいが犠牲になって、家の危急を救うために、ここに来て内地に送金しているの」

「それは大変だな」

「でも、貴男のような人に出会えたから、あたい、仕合せだよ」

 そんな話をしてから、玉枝は浴衣姿になり、俺を布団に誘った。不思議な事に玉枝はこんな世界にいながら、目だけが澄んでいた。俺は褌の脇から自分の物を出して玉枝に握らせた。すると玉枝は滅多に見せぬ情欲の高ぶりを見せ、ああっと擦れた声を上げ、俺の物を彼女の奥へと導いた。俺は夢中になり、玉枝を玩具のように翻弄した。俺が朝鮮で、こんな攻撃をしている間も、満州では関東軍が敵対する中国軍やソ連軍や馬賊を相手に攻撃を続けていた。その為、日本国内の若槻内閣の戦争不拡大方針は国民や軍部を抑えられず、指導力を発揮することが出来なかった。更に内務大臣、安達謙蔵が『挙国一致』を言い出した為、閣内不一致となり、若槻内閣は進退窮まり、12月11日、総辞職するに至った。そして犬養毅内閣が発足し、陸相荒木貞夫が就任した。朝鮮にいる俺たちには予想もつかぬ分からぬ事ばかり、内地や大陸で起こった。

 

         〇

 昭和7年(1932年)1月7日、日中両国の争いを問題視して、アメリカの国務長官、スチムソンが不戦条約に違反する行為を承認しないという戦争不承認の見解を日中両国に通告した。なのに翌日8日、関東軍天皇から次の勅語を賜り狂喜した。

満州事変ニ際シ、関東軍ニ賜ハリタル勅語

 曩ニ満州ニ於イテ事変ノ勃発スルヤ自衛ノ必要上、関東軍将兵ハ果断神速、寡克ク衆ヲ制シ、速ニ之ヲ芟討セリ。爾来、艱苦ヲ凌ギ祁寒に堪ヘ各地ニ蜂起セル匪賊ヲ掃蕩シ、克ク警備ノ任ヲ完ウシ、或ハ嫩江、斉斉哈爾地方ニ或ハ遼西、錦州地方ニ、氷雪ヲ衝キ、勇戦力闘、以テ其ノ禍根ヲ抜キテ、皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚セリ。朕深ク其ノ忠烈ヲ嘉ス。汝将兵、益々堅忍自重以テ、東洋平和ノ基礎ヲ確立シ、朕ガ信倚ニ対ヘムコトヲ期セヨ

 この詔勅によれば、関東軍が『統帥権干犯』という罪を犯しているにもかかわらず、天皇みずから、関東軍の行為を承認し、賞賛する文言であり、関東軍は一層、自信を深めた。正月早々、1月3日に張学良の本拠地、錦州を占領し、また1月18日には上海で日本人僧侶5人が中国人に襲われ、1人が死亡するという事件が起こった。これをきっかけに、上海の日本人居留民が憤慨し、村井倉松上海総領事が、呉鉄城上海市長に謝罪を要求した。上海市長はそれを受諾したが、それに中国広東の19路軍が納得せず、共同租界に攻撃を開始した。これに対し、国際都市である上海の租界を脅かすとは世界の公敵であると、上海の日本陸戦部隊が出動した。この軍事衝突を受けて、日本海軍も上海に出動した。更に犬養首相は、金沢第9師団及び混成24旅団を上海に派遣した。一方、国民党軍は、この戦闘に加わり、抗日を核とした勢力拡大を策謀した。こうして全世界の目が上海に集中した。2月22日、日本軍は廟鎮に築かれた敵陣に突入する為、独立工兵第18大隊の江下武二、北川丞、作江伊之助の3名に爆弾をかかえて突入させた。それにより鉄条網の破壊に成功したが、3名はこの突入で爆死した。俺たちはこの3人の勇士の話を上官から聞いて驚いた。彼らは〈帝国万歳〉と叫んで突入したという。その壮烈無比の勇ましさを我々は見習わなければならぬと、野口純一連隊長に教え込まれた。犬死した3人は『爆弾三勇士』と呼ばれ日本中で知らない者がいない程、有名になった。俺たちはこの時になって、大変な事になって来たと自覚した。日本政府と国民党政府の軍事衝突は、フィリピンにいるアメリカ軍、香港にいるイギリス軍、マカオにいるポルトガル軍、広州にいるフランス軍ソ連軍などの外国軍の支援により、拡大化する恐れがあった。その世界の目が上海に向いている間、関東軍は2月に哈爾濱を占領し、わずか5ヶ月で満州全域を軍事占領下においた。そして3月1日、満州人、張景恵が委員長を務める東北行政委員会が満州国の建国宣言を行った。更に9日、日本特務機関の土肥原賢二の手で、秘かに清朝最後の皇帝、溥儀と鄭考胥を天津から連れ出し、満州国の執政につかせ、満州国が名実ともに樹立した。ここにおいて、陸軍少将、板垣征四郎や陸軍大佐、石原莞爾らが望んだ中華民国と完全に分離独立した民族複合国家が出来上がった。その出来立てホヤホヤの満州国周辺を守備するには、現在の関東軍の兵力では安心で出来ないとし、陸軍の増強が迫られた。その満州国樹立の情報が俺たちにも入って来た。だが俺たちはあくまでも朝鮮北部に移住している日本人と現地朝鮮人ソ連から防衛保護する為に派遣されているのであって、満州の事は余所事であった。それよりも、その満州国中華民国との争いの隙間をぬって、ソ連軍が、朝鮮に攻め込んで来るかも知れないので、厳しい監視強化を命じられた。その為、俺たちは零下30度近い豆満江の警備をより一層、厳重に行うよう行動した。そうしたこともあって、日本人と同様の気魄と忠誠心のある朝鮮人志願兵を沢山、現地採用した。監視所の三人の他に申益宣、張富夫、崔茂林の三人が監視所に加わることになった。巡回監視に日本人兵と朝鮮人兵が二人組になって、より深く豆満江の向こう側まで監視偵察するのが目的であった。俺の相手に申益宣が選ばれた。彼は李志良と同じ部落の出身で、背が高くて、細っこい男だった。何処か冷たいところがあった。申は地元、屈浦里や造山里の朝鮮人と顔馴染みで、彼の知り合いは、何故か彼に良くしてくれた。或る日、彼は俺との歩哨を命じられると、造山里の柳在俊の家に立ち寄った後、豆満江の川岸の藁小屋を越えて、更に向こう岸まで、偵察に行こうと張り切った。俺は申兵士に確認した。

「向こう岸に行って大丈夫なのか?」

「ダイジョウブ。ワタシ、イッタコト、アル」

「だが、危険だ」

「ソリョンニ、イツテミタイト、オモワナイカ?」

 俺に向けられた、その質問に俺の気持ちはドキドキ高鳴った。ソ連とは、どんな所か。行くのが怖いという気持ちと、行ってみたいという気持ちが半々、だった。

「広い豆満江を、どうやって渡るのだ」

「ウン、アルイテイクヨ」

「歩いて?」

「イマハ、トウマンガン、コウリヨ。アルイテイクヨ」

「そうか。じゃあ行ってみよう」

 俺たちはスキーで川岸の藁小屋に行き、豆満江の水辺に降りて、銃床部分で川面が凍結しているかを確認した。すると川面がコツコツと音を立て、完全に凍結していることを俺たちに教えてくれた。

「スグチカクダカラ、ランプイラナイネ。バンノケシキ、クラクナイヨ」

 申益宣の言う通りだった。鼠色に凍った豆満江の表面を時々、地吹雪のような風が吹き荒れるが、白く濁った空の上に月でも出ているのであろうか、辺りをボンヤリであるが、眺めることが出来た。長靴の中に藁と唐辛子を入れ、毛皮の手袋をはめているが。ソ連との国境の寒さは耐え難かった。俺は氷の上を転ばぬように、歩兵銃を杖に、ゆっくりと歩いた。時々、滑って、申益宣に起こしてもらった。足の感覚がしびれて、おかしくなり始めた時、申益宣現地兵が、突然、口笛を吹いた。俺は驚き、故知れぬ恐怖を感じた。すると川向う、百メートル程の所で、ランプの灯りが揺れるのが認められた。俺が思わず声を上げようとすると、申兵士が言った。

「オドロカナイデヨ。ワタシノソリョンノチインタカラ」

ソ連に知人がいるのか?」

「ハイ。アッタラ、ショウカイスルヨ」

 俺は、申兵士にそう言われても警戒した。こんな薄暗い凍結した豆満江の場所で、敵に襲われたらどうするのだ。申兵士を信じて良いのだろうか。やがて俺たちはランプが揺れる近くに到達した。すると前方からやって来る人の気配がした。

「申氏、ドーブライヴェーチエル」

「ドーブライヴェーチェル、ユリア」

ヤポンスキーは、この人か?」

 俺は突然、現れたソ連兵士二人が、女性であり、日本語を口にしたので驚いた。一体、何者なのか。申は女性兵士に答えた。

「ハイ。ヨシダ一等兵テス。ヨロシクオネカイシマス」

 俺は申に紹介されたので、彼女に挨拶した。

「吉田です。よろしくお願いします」

 すると彼女は薄暗いランプの灯りの下で、笑って俺に言った。

「私はユリア、セメノビッチです。私はこれから申氏と打ち合わせがありますので、、ここにいるイリーナと、そこの竪穴小屋で待っていて下さい。打ち合わせが終わりましたら、申氏が迎えに上がります」

「分かりました」

「ではダスヴィダーニア」

 女性兵士、ユリア、セメノビッチは申兵士の先に立って去って行った。俺は去って行く二人を呆然と見送った。

「さあ、入って」

 俺は不安になったが、イリーナという若い女性兵士に従うより方法が無かった。イリーナに案内された竪穴小屋は盛り土で覆われており、その中は狭いが温かかった。ベットと机と椅子と食器棚があるだけの、簡素な部屋だった。俺が用心深く部屋の中を見回しているのを見て、イリーナが言った。

「緊張しないで。私、イリーナ、シェルバコワよ。よろしくね」

「日本語が上手ですね。私は吉田一夫です。日本語、何処で覚えましたか」

「私は浦塩で生まれ、日本人の子供たちと遊びました。だから日本語上手なの。18歳で浦塩の女性ソ連部隊に入り、波謝の監視部隊に配属され、ここで監視の仕事をしているの」

「成程」

「貴男は?」

 俺は、その質問に答えるべきか迷ったが、相手のことを教えてもらいながら、こちらの事を説明しないのも、まずいと思い、会寧の連隊に所属し、河向こうの監視所に一週間交替で来ていると話した。彼女は俺の説明を聞くと、黒パンとブドウ酒を出してくれた。それから日本の歌を唄ってと要望した。俺は『さくら、さくら』を唄った。彼女は反対に『黒い瞳』を唄った。そのうち酔い始めている自分に気づいた。何故か不安になって来た。

「申兵士が迎えに来ないが、どうなっているのかな」

「心配いらないわよ。もう直ぐ戻って来るわ」

 そう言って、イリーナは俺にキッスした。どうしようか。そう俺が悩んでいる時、申益宣が小屋のドアをコンコンと叩いて迎えに来た。俺とイリーナは抱き合いそうになっていたが、慌てて離れ、ドアを開け、それからイリーナにさよならを言った。俺と申益宣は再会すると、凍結した豆満江を渡り、自分たちの監視所に引き返した。

 

         〇

 俺は豆満江の結氷により、ソ連領に足を踏み入れ、ソ連に興味を抱いた。極寒で豆満江の川面が凍結しているとはいえ、所々、氷の薄い所があり、危険であったが、俺は相棒の申益宣のお陰で、ソ連国境警備隊所属の女性兵士と知り合いになることが出来た。俺は会寧の連隊に戻った時、連隊内にある酒保で買い物をして、それを土産に、時々、情報交換に、ソ連領の波謝の河原に行き、ユリアやイリーナと会った。彼女たちからの報告によれば、ソ連はもと朝鮮人パルチザンの朝鮮共産党革命軍に日本陸軍を攻撃させて、その革命の潮流を読んで、有利と思ったら、朝鮮及び満州に大軍を送り、侵攻する計画でいるということであった。その朝鮮人の首領は呉成崙という男で、神出鬼没だという。俺たちは、その反対に日本軍の情報を求められたが、俺はあくまでも日本軍は朝鮮人保護と日本人移民の保護の為の自衛が目的で駐留しているのであって、ソ連領へ侵攻し、ソ連の領土を実効支配しようなどとは考えていないと説明した。そして日ソ間での戦争が起こらずに、互いに友好が続けば、自分たちも良い関係でいられると、自分たちが平和を願っていることを伝えた。イリーナは情報交換を終え、竪穴小屋の部屋で二人っきりになって、ブドウ酒で、ちょっと酔うと、必ず『黒い瞳』を唄った。俺は『カチューシャの唄』や『ゴンドラの唄』などを唄った。イリーナも『ともしび』などを唄い、肩を寄せ合い、身体を左右に揺らした。何時の間にか、俺たちはキッスし合い、遂には互いの身体を好きなだけ貪り合うような間柄になった。何処か憂いを含んだイリーナの瞳。白い肌。金色の髪。細いのに何故かぽっちゃりとして柔らかい身体。小屋の中に、普段、うずくまっている彼女なのに、俺に会うと、信じられ無い程、濡れて光り、燃えた。

「リュビームイ、チェビヤー」

「クラサー、ヴィツッア。イリーナ。君は誰よりも美しい」

 俺は彼女の乳首を吸い、総攻撃をかけた。彼女は固く瞳を閉じ、歓喜の声を上げ、俺の上になって、弓をひきしぼるように激しく反り返った。

「スービエル、スービエル!」

 俺は冷静だった。俺の上から降りて死んだように身体をしびれさせているイリーナを見詰めながら、急いで軍服を身に着け、帰り支度をして考えた。俺たちは何故、敵同士であらねばならぬのか。一時間半ほどすると、申益宣が俺は迎えに来た。その申益宣とイリーナが出してくれた高粱スープを飲んで、身体を温めた。それから凍結した豆満江を渡り、雄基の監視所に戻った。一週間の仕事を終え、会寧の連隊に戻ると、俺たち日本兵は永井岩吉少尉、野田金太郎准尉、石川繁松曹長たちに、栗原伍長らと、全員、会議室に集められた。そこで朝鮮武装組織やソ連軍の動きがどうなっているのか質問された。不思議にもどの小隊の伍長たちは自分から現状報告をしなかった。その為、各曹長たちが答えざるを得なかった。慶源の監視所の報告は、満州にいる抗日武装団の朝鮮人隊員が時々、監視所に攻撃を仕掛けて来て、危険な状態であるとの報告だった。阿吾地の監視所の報告は、炭鉱労働者組織の結束が固く、自主防衛隊もあり、敵が近づかないでいるとの説明だった。俺たち雄基の監視所の報告は阿吾地同様、緊張するようなソ連軍の動きは見られないと、石川曹長が説明した。だが、これらの説明に、永井岩吉少尉は満足しなかった。

「俺たちが知りたいのは、ソ連軍の動きだ。誰か分かる者はいないか」

 俺は思わず立ち上がっていた。石川曹長はびっくりして俺の顔を見た。それから喋って良いと合図した。俺は言った。

「吉田一等兵、答えます。ソ連軍はソ満国境に朝鮮人からなる赤旗団を配置し、支那に義烈団という共産主義者を送り込んでいます。ソ連軍は朝鮮人の抗日闘争が有利になった時を好機とみなし、宣戦布告する計画とのことです。従って我々は、この二つの暴徒集団、赤旗団と抗日武装団を根絶する必要があります」

 永井岩吉少尉は、俺の話を聞くと、頷いた。すると他の伍長や兵士たちも俺も俺もと喋り始めた。永井少尉は、それらの話を聞き終えてから、こう語った。

ソ連軍の状況は分かった。我々の存在によって、朝鮮とソ連の国境は今のところソ連軍の脅威は無さそうである。問題は、3月に樹立した隣国、満州国の防衛力である。俺に言わせれば、満州国は張学良政権から離反した満州人と日本の関東軍によって、偶発的に生まれた国家である。生まれたばかりで、心許ない。何時の日か、我々が応援せねばならぬ時が来るかも知れない。我々は、その日の為に、日々、訓練を怠らず、一丸となって、更に一層、努力せねばならぬと心得よ」

 それは、今の関東軍だけの力では満州国の治安を維持することは難しいという考えに他ならなかった。その永井少尉の心配は3月中旬、現実的なものとなり、俺たちの朝鮮会寧駐屯地での任務が急転回することになった。しばらくすると俺たち朝鮮派遣隊の兵士を満州の守備につかせるという噂が流れた。何故、朝鮮の守備の役目を目的に派遣されている自分たちが、満州に移動せねばならぬのか。疑問を持った栗原伍長が、野田金太郎准尉に、その理由を訊くと野田准尉は俺たちに説明した。

「それは満州人の有力者たちが蒋介石政府からの離脱を要望し、関東軍に支援を頼み込んで、満州国が出来上がったからだ。それに日本内地が不景気な為、朝鮮だけでなく、満州にも日本の商売人や開拓者、失業者たちが、満鉄の人たちを頼りに沢山、入って来ているからだ。これらの人たちを守る為に、朝鮮の人たちを援助教育して来たと同様、我等、経験ある朝鮮の師団兵が、満州に差し向けられるのだ。良いことでは無いか」

 野田金太郎准尉が、俺たちに説明しているのを聞いて、永井岩吉少尉がやって来て付け加えた。

「犬養首相は出来てしまった満州国の治安が更に乱れ、拡大することを恐れている。その為、荒木貞夫陸軍大臣に、朝鮮軍19師団、20師団の優秀な者を、これから内地からやって来る二等兵らと共に送り込むよう指示されたらしい。従って今のうちから、その時のことを考え、覚悟しておけ」

 俺や同期の仲間たちは永井少尉の言葉を聞いて、満州に派遣される日は近いと感じた。この頃の俺の頭の中は、監視所の任務とロシア女、イリーナ、シエルバコアのことでいっぱいだった。だから俺は直ぐに申益宣と凍結した豆満江を渡り、イリーナに会いに行った。

「イリーナ。お前の好きな饅頭を持って来たよ」

「まあ、嬉しい」

 彼女はちょっと恥ずかしいような顔をして笑う。それから、ジャガイモノスープを温めて出してくれた。二人で饅頭とスープを口にしながら話した。イリーナが先に、こう言った。

「もし、私たちの間に赤ちゃんが誕生したら、どんな顔をした赤ちゃんでしょうね」

「うん、そうだな。金髪で色が白く、黒い瞳をした賢そうな子供かも」

「そんな平和な時が来ると良いわね。でも、そろそろ豆満江の氷が解けちゃうから、お別れね」

 俺はイリーナの言葉に救われた。満州に派遣される予定となり、別れをどのように告げようかと悩みもがいていたが、イリーナの方から、別れの季節の話が出て、ほっとした。

「なんだか別れは辛いけど、また会うことが出来ると良いね」

「大丈夫。ちゃんと季節は巡って来るから」

 彼女は楽天的だった。俺はイリーナを愛しく思った。俺たちは全身の血を燃やし、激しい情欲に突き動かされ、獣のように愛し合った。別れは辛かった。これが最後の別れになろうとは、彼女は全く気づいていなかった。

 

         〇

 俺たちの満州移動は現実のものとなった。3月中旬、俺たちの後輩の初年兵が部隊の兵舎に入って来ると、俺たちは初年兵と一緒に訓練に励み、俺はその教育に当たった。室内教室で、軍服を着て教壇に立ち、第19師団司令部のある羅南の町や豆満江に近い会寧の朝鮮75連隊の説明や、ロシアに近い雄基等の地理を教えた。俺は永井岩吉少尉に目を懸けられていたものであるから、監視所の役目を解かれ、北朝鮮ソ連国境のことや、余り詳しくない満州のことまで初年兵に教授した。ふと父、今朝次郎も磯部尋常高等小学校の校長として、詳しく分からない、『爆弾三勇士』や『満州国』の話を学童生徒に誇らしく語っているに違いないと想像した。この間、イリーナのことや『更科』の玉枝のことが気になったが、俺は教官らしく、良からぬ行動を自粛した。初年兵たちに精神訓話もした。それは今まで上官たちから教えられて来た訓話だった。

「我々、アジアの民は江戸時代後期から欧米人たちにより、植民地支配の餌食にされようとして来た。だが我が日本国は徳川幕府の英傑、小栗上野介がその基礎を作った横須賀海軍や習志野陸軍をもとに明治維新により、その軍事力をもって、列強にアジアの地を侵食されぬよう、ふんばって来た。苦悩する朝鮮を保護国にし、支那人にもアジア人が一致団結し、欧米諸国に対抗しようと呼びかけ、辛亥革命を成功させることが出来た。言うまでもないが、その主導者、孫文は日本に亡命し、犬養毅首相の御世話になり、漢民族の独立をさせた人である。そして我々アジアの地は日本人が中心になり、欧米による東アジア植民地政策に待ったをかけ、アジア人の共存共栄の為に、心血を注ぎ今日に至っている。だが欧米諸国はまだアジア諸国を隷属下におこうと、あれやこれや策略をめぐらしている。我が日本国は、それを防衛する為に、日本軍の威力を示すべく、一部の兵を満州に派遣することを決定した。よって選ばれた者は、日本人としての誇りを持ち、正々堂々と我が連隊の威信を示すべく行動せねばならない」

 俺は初年兵の教育を行いながら、国衙小学校の校長を経て磯部小学校の校長をしている父になったが如く、得意になって弁舌した。また緊張している初年兵を目の前にして、彼らの緊張感を解く必要があると思い、皆で『荒城の月』、『水師営の会見』などを歌わせた。すると、その時、立ち会っていた石川曹長に、『75連隊の歌』も歌わせろと命じられ、『75連隊の歌』も皆で大声で歌った。

北満州の連山に吹き荒む風のいと寒く

ここ国境の会寧に豆満の流れ悠々と

 

東将軍後慕ひ九年の十月十五日

光栄ある軍旗拝受して我が連隊は建てるなり

 

時しも起こる間島の不逞の輩打ち払い

君が稜威の旗風に靡くや異国の草もかも

 

かかる誉れの連隊の雪より清き潔白と

竹割る如き率直は是ぞ吾等が主義なりき

 

励むや健児二千人君の御為、国の為

軍旗の下に集ひつつ護境の任を果たすなり

 

かくて閲する日と共に礎固くいやまさり

白頭の雪、消ゆるとも功績は高し千代八千代

 1番から6番まで何とか歌い終えて、胸が高鳴った。特に5番が勇壮なので好きだった。だが4月が近づいて来ると、俺の心は落ち着かなかった。満州へ行く前に、もう一度、遊郭『更科』に行って、丸山玉枝に会っておきたかった。白鳥健吾に声をかけると、奴は俺をからかった。

「珍しいな。お前の方から声をかけるなんて」

「まあ、たまにはな」

「玉、玉ちゃんか」

 俺たちが『更科』に行くと、女将が火鉢の向こうに座って、煙管を叩きながら言った。

「ヨッちゃん、久しぶりだねえ。お待ちしてましたよ」

 女将は直ぐに玉枝を都合してくれた。久しぶりに会う玉枝はいくらか痩せた感じだった。俺が何から切り出そうかと戸惑っていると、玉枝の方が先に、寂しそうな顔をして言った。

「近じか、満州へ出動なさるのですってね」

「うん、そうなんだ。だから別れを言いに来た。今度の任務が終わったら、俺は内地に帰るつもりだ。お前も借金を返済したら、羅南で飲食店など開かず、内地に戻り、長野の善光寺あたりで店をやれ」

「長野に戻ったら、店に来てくれる?」

「ああ、行ってやる」

「死なないでね。私も頑張るから・・」

 玉枝はそう言って、くすんと笑った。それから俺が玉枝を抱きしめると、彼女は嗚咽の声を漏らした。喘ぐような玉枝の息が俺を興奮させた。玉枝の柔軟な身体は、狂おしい程に悶え、トロトロになって、喜悦の声を上げた。これが玉枝との最後の別れになるのかも知れないと思った。

 

         〇

 4月4日、月曜日、俺たち選ばれた第五、第六中隊、250名は会寧からスチームの入った汽車に乗り、翌5日朝、南朝鮮京城師団のある京城駅に到着した。北朝鮮護衛部隊から離れて眺める南朝鮮のハゲ山の景色は何故か殺風景だった。京城駅の駅舎で朝食を済ませ、小休止した後、今度は、そこから満州奉天駅行きの汽車に乗り換えた。俺たちを乗せた汽車が京城から沙里院を経て平壌の緑地帯を走り、清川江を越えて、新義州まで行くと、車窓に鴨緑江が現れた。そこの鉄橋を渡る前に永井岩吉少尉が俺たちに言った。

「ここで朝鮮とは、おさらばだ。これから満州の安東に入るぞ。周りの景色を良く見とけ」

 俺たちは初めて見る満州の景色に目を丸くした。鳳凰城を過ぎると、トンネルが続き、びっくりした。煙くてたまらない。皆でワイワイ騒いでいるとトンネルが終わり、本渓湖に着いた。あたりはもう夜中だった。俺たちは汽車の中で夜食のパンを食べ、それから眠った。汽車にコトコト揺られ、奉天駅に着いた時は翌6日の朝だった。奉天駅には森島守人奉天領事の部下の中村慎治職員たちが出迎えに来ていてくれた。中村職員たちが俺たち一行を奉天の観光案内に連れて行ってくれるというので、びっくりした。奉天駅はドーム型の屋根が中央にあり、東京駅にとても似ていた。俺たちは汽車移動で相当に疲れていたが、折角、案内してくれるというので、中村職員たちの後について行動した。まずは、ちょっと遠い所にある北稜公園へ行った。そこには清朝第2代皇帝、皇后の陵墓があり、公園正門から皇帝の陵前まで、直線の参道があり、参道の両側に石獣が対をなして並んでいるのには感動した。門を潜って行くと立派な楼閣が幾つもあり、その色彩の艶やかさに目を奪われた。広い公園を歩くと、俺たちはクタクタになった。そこで中村職員は、俺たちを広い食堂に案内してくれた。朝鮮と違う中華料理を俺たちは夢中になっていただいた。満腹になった後、中村職員たちに再び案内されて、奉天駅方面へ引き返し、清朝の初代皇帝、ヌルハチと第2代皇帝、ホンタイジが北京に遷都する前におられた王宮、故宮を見学した。中村職員たちは、俺たちに大政殿、大内殿、文遡閣など、こと細かに教えてくれた。だが俺たちは目にした建物などに感動するものの、疲れていて、説明が余り良く頭に入らなかった。故宮を見終えてから、奉天駅近くの『奉天ヤマトホテル』に連れて行かれ、またまた、そのホテルの建物の巨大さと豪華さに驚かされた。満鉄が西洋人客を宿泊させると共に、満鉄の迎賓館として横井謙介と太田宗次郎に設計させ、『清水組』が建築施工をしたとのことであった。兎に角、廊下が広く、天井の高い、その高級ホテルの素晴らしさに、俺たちは圧倒され、満州に於ける日本人の活躍を実感した。俺たちは三人一組で一部屋に泊ることになり、俺は角田武士と磯村喜八と同部屋になった。夕食の時刻になると、中村職員たちが、俺たち一行を大食堂に招待し、森島守人奉天領事が挨拶された。

「皆様。長い汽車での移動、お疲れ様でした。この度の満州国建国によって、我々日本人は今まで以上に、このホテルを経営する満鉄の人たちや、多くの在満日本人を保護してやらねばならぬ状況に追い込まれております。もと満鉄の副総裁だった松岡洋右先生は、満州こそは、日本の生命線であり、宝の山だと、日頃、仰有っておられました。その宝の山が、今、ソ連や欧米の工作員によつて煽動された抗日ゲリラの武装攻撃に脅かされているというのが、出来立てホヤホヤの満州国の実態です。その為、これらの抗日武装組織から日本人を守る為に皆様を朝鮮から、移動していただいたという訳です。奉天領事の私としては、兎に角、満州国が平穏であることを願っております。皆様におかれましては攻めるのではなく、祖国防衛の為に頑張っていただきたいと思います。ささやかではありますが、当ホテルの得意の中華料理を用意しましたので、お召し上がりいただき、奉天の夜をお楽しみ下さい」

 その挨拶を終えると森島奉天領事は姿を消し、中村職員たち主導の大宴会となった。二時間ほどで宴会が終わると俺たちはホテルの部屋に戻り、宿泊した。俺は久しぶりに父への手紙を書いた。

〈祖国を離れ、大陸に来て、早や一年が経ちました。自分は今、奉天におります。明日は新京に向かいます。満州は広大で、夕陽のとても美しい国です。その満州に今、続々と日本人が集まって来ています。彼らは権益の拡大と一攫千金を期待して、はるばる海を越えて渡って来ているのです。しかし不安定なこの満州に、日本人がよってたかって何をしようというのでしょうか。何を得ようというのでしょうか。自分は軍人なので確信ありませんが、何も得られないような気がするのです。自分は至って元気です。来月にはアカシアが美しい白一面の花で、満州を飾ってくれるでしょう。日本はこれから花冷えの体調を崩しやすい季節になります。気を付けて下さい。妹や弟にも、よろしくお伝え下さい。また、お便りします〉

 この手紙が検閲で問題になるかも知れなかったが、移動中の投函なので、追求されることは無かろうと、何時もより、長文を書いた。それから、フカフカのベットで、ぐっすりと眠った。

 

         〇

 4月7日の朝、俺たちは『奉天ヤマトホテル』で朝食を済ませ、奉天駅に行き、奉天領事官の中村慎治職員たちに見送られ汽車に乗った。奉天の町を離れると、車窓から満州中央部の風景が目に跳び込んで来た。畑地や牧草地が続き、新緑が美しい。俺たちは満州の広大な景色を見て、心を躍らせた。何と広いのだろう。汽車に乗ること、4時間ちょっとで、俺たちは新京駅に到着した。まだ一部、長春表示の看板が掛かっている。俺たちは駅に出迎えに来た『大林組』の皆川成司社員に案内され、『長春ヤマトホテル』まで列を作って腕を振り行進した。道路を叩く軍靴の響きが歩いていて心地良かった。『長春ヤマトホテル』は直ぐ近くだった。『奉天ヤマトホテル』に較べ小ぶりだが、堂々とした洋風ホテルだった。ホテルの玄関前広場に到着すると、永井中隊長が号令した。

「全員、歩調止め!」

 俺たちは号令に従い静止した。ホテルの正面玄関から三人程の軍服の胸に沢山の勲章をつけた陸将たちが『大林組』の皆川社員に案内され現れた。一人の若手の将校が言った。

「只今より、作戦参謀長からのお言葉をいただきます。石原参謀長。よろしくお願いします」

 俺たちは参謀長と聞いて、緊張し、背筋をさっと伸ばした。参謀長はホテル玄関の石段の上から、俺たち一同を眺めてから喋った。

「朝鮮から御苦労である。自分は関東軍作戦参謀の石原莞爾である。この度の満州国の誕生に戸惑っているが仕方ない。生まれてしまったものであるから、放っておく訳にはいかない。我々、日本国を親とするなら、台湾が次男、朝鮮が三男、満州が四男となる。長男が四男の面倒を見るのは当然の事である。だが長男だけの力ではどうにもならない時もある。そこで直ぐ側にいる三男に四男のお守りの手助けを願った次第である。この満州国は御存知のように、満州人、朝鮮人、日本人、蒙古人、支那人らが暮らしている。この国の平和を実現する為には、五族協和が必要である。その為には北伐を考える滅満興漢の輩と四男を完全に分離させなければならない。ソ連はこのひよっこ国家の誕生を機会に満蒙の権益を取り戻そうと狙って来るであろう。我々はこの危機を何としても振り払わなくてはならない。またアメリカやイギリスは北伐を諦めぬ蒋介石国民党の後押しをして攻め上がって来るであろう。アジアはそんな欧米軍の思惑によって掻き回されて良いのか。良い筈が無い。従って満州国の国防は、関東軍朝鮮軍の双肩にかかっている。生まれてしまった満州国を、王道楽土にするのは、我々である。それ故、満州に応援に駆けつけてくれた諸君には、命を賭して、頑張って貰いたい。よろしく頼む。以上」

 俺たちは関東軍参謀長、石原莞爾中佐の熱弁に圧倒された。何と迫力に溢れ、情熱的な人であろうか。石原参謀長の言葉を戴いてから、俺たちは『長春ヤマトホテル』の宿泊手続きを終わらせ、部屋に荷物を置き、遅い昼食を済ませた。それから奉天の時と同様、長春領事館の井上職員と『大林組』の皆川社員が、新京市内を案内してくれたが、市内には、それ程、歴史物らしい物は無かった。その代わり、新京という新しい国都の体裁を整えようと目覚ましい勢いで、道路工事、建築工事が始まっていた。そんな中で、ロシア風建物や伊通河近くの南湖公園の造成予定地の風景はエキゾチックで素晴らしかった。それらの市内見学を終えてから、俺たちは部屋で夕方まで休息した。夕方になるとホテルの大食堂に集まった。そこで領事館の井上職員や関東軍下士官及び『大林組』の皆川社員らから、明日の行く先と行動予定の説明を受けた。その後、昨夜同様、歓待の夕食をいただいた。井上職員の司会で、昨夜と同様、長春領事館の田代重徳領事が挨拶された。

「皆様。ようこそ、満州国の首都、新京にお越し下さいました。長春領事、田代重徳、心より皆様を歓迎申し上げます。皆様もご存知の通り、満州人の努力と満鉄を守る関東軍の皆様のお陰で、満州国の建国の夢が叶いました。しかしながら、ソ連支那からの圧力及び匪賊らが猛威をふるい、誕生したばかりの満州国は不安定な情勢の最中にあります。また一方、内地では経済変動による、不況が続き、経済的立て直しが国家的急務となっております。その為には、新生、満州国との交流を深め、満州国の石炭や鉄などの資源を活用し、日本国経済を発展させることが重要であります。我々は、この重要課題に取り組んで参ります。現在、満州国と隣国、朝鮮との物資輸送や人的移動手段は、丹東経由で南朝鮮へ連結する南満州鉄道の1本しかありません。我々は、ここ新京が満州国の首都になった事を機会に、満州の首都から、日本人が多く入植している北朝鮮へ連結する鉄道建設の推進に取り組むことを決定し、実行して参ります。皆様には、その鉄道建設の施行の支援をしていただき、一時も早く、新京と北朝鮮清津港間の鉄道貫通を実現していただきたいと願っております。今回、皆様に会寧から一山越えれば満州の間島に入れるのに、新京まで遠回りしていただいたのは、満州国の首都の今後の発展と我々の意気込みを肌で感じ取っていただきたかったからです。これを機会に皆様が新生、満州国の首都の今後の栄光を念頭に描き、我々に、ご支援ご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます」

 田代領事の挨拶が終わると、石原莞爾参謀長が乾杯の音頭を取った。

「只今、田代領事からお話のあった満州国発展の為に、我々、陸軍一丸となって、その任務にお応え出来るよう総力を挙げて頑張ることを誓い、乾杯!」

 その後、賑やかな宴会が始った。俺たちは豪華な料理に、満州は朝鮮より豊かだと思った。酒好きの仲間が多く、中国の強い酒でも平気だった。俺たちは新京に来てみて、初めて自分たちの使命が何であるか理解出来た。酒が入ったからであろうか、石原参謀長が、俺たちのところにも、廻って来たので驚いた。

「お前らは何処の生まれだ?」

 その言葉にテーブルに座っていた俺たちは立ち上がって答えた。

「はい。自分は長野生まれです」

「自分は群馬生まれです」

「自分は新潟出身です」

「そうか。俺は山形だ。こんな遠い所まで、御苦労だな」

 その目尻の下がった石原参謀長の笑顔を見て、佐藤大助が言った。

「内地から、ここへ来るより、会寧から汽車で、ここまで来る方が大変でした。皆川さんの話だと、俺たちの駐屯する所は、延吉だという話ではありませんか。白頭山を越えた反対側なのに、こんな遠回りするなんて、何か時間の無駄と感じました」

「うん。言われてみれば、その通りだな。だが田代領事が申された通り、お前らに満州奉天や新京の賑やかな様子を、直に見せたかったからさ。また白頭山越えして八甲田山での遭難のようなことを起こされては困るしな」

「申し訳ありません。石原参謀長殿。こいつは酔っています。こいつの無礼をお許し下さい」

 俺は慌てて石原参謀長に、佐藤大助の無礼を詫びた。すると石原参謀長は笑って答えた。

「何、気にすることは無い。この者の言う事は真実を突いている。俺たちは今、満鉄の敦図北回線と北朝鮮鉄道の連結を急ぐよう進めている。そうすれば満州奥地と北朝鮮日本海側が繋がり便利になる。山形にも新潟にも船で一直線だ。面白いと思わないか。ウワッハハハ」

 俺たちは酒席での石原参謀長の言葉を聞いて、石原参謀長の信奉者となった。宴会は2時間ちょっと過ぎると、田中荘太郎副領事の三三七拍子で終了した。こうして、新京『長春ヤマトホテル』での夜はふけた。

 

         〇

 4月8日、俺たち朝鮮75連隊、永井中隊は、『大林組』の皆川社員の部下、原島社員たち道案内人に先導してもらい、旧長春、新京から敦化へ向かった。広い緑の平地の中を汽車は汽笛を鳴らして走る。汽車の中で小麦パンと茹でジャガイモと茹で玉子の昼食をしていると、案内人の原島社員が、あれが松花江だと説明してくれた。停車した駅名を確認すると、吉林駅だった。汽車はそれから吉林を出発すると、山間部へと向かった。麦畑は青々として、畑地で百姓たちが何かを播いていた。高粱だろうか。車窓の景色は次第に淋しくなって来た。そのうち太陽が赤く目立ち始めた。何故か内地のことを思う。家族の者は元気だろうか。中島綾乃は、どうしているだろうか。

「おい、吉田。敦化に着いたぞ」

 俺は磯村喜八に声をかけられ、ハッとした。その驚いた俺の顔を見て、角田や白鳥たちが笑った。敦化駅で下車すると、敦化に駐留している第8師団の人たちや日本人駐在員たちが、出迎えに来ていた。俺たちは駅を出ると関東軍の兵営に案内され、またまた歓迎を受けた。何と、そこに関東軍の西義一中将がおられたのには驚いた。胸にいっぱい勲章を付けた西義一中将が第8師団兵士の前で、朝鮮の連隊から派遣された俺たちのことを紹介した。それから『大林組』の建設した兵舎の部屋に入った。俺のいることになった部屋は鈴木班の部屋で、鈴木五郎伍長が班長になり、俺が上等兵として、部下5人の監督役となった。部下たちは豊橋陸軍教導学校の後輩たちだったので扱いやすかった。夕方6時、俺たちは兵舎内の集会所に集められ、夕食の前に、西義一中将から、俺たちの敦化での任務についてのお言葉をいただいた。西義一中将は、こう話された。

「諸君。遠い所を良く来てくれた。諸君がここへ来る前に、私はここら一帯を視察した。どの程度、匪賊がいるかを確認した。だが匪賊は農民たちの中に潜んでいて、その根城も良く分からぬ。私たちが探索に行っても、何事ですかと、匪賊など、そ知らぬ顔で訊いて来る。全く捕らえ難い。だから諸君には農民だからといって安心しないで欲しい。私は諸君の上官、朝鮮司令官、林鉄十郎中将と相談し、諸君を満州北朝鮮境界の守備の為にお借りする約束をした。その理由は、今、ここ敦化では王子製紙がパルプ工場建設を進めている。その他、敦化と図們とを結ぶ鉄道工事を『鹿島組』が進めている。新京で石原中佐らから聞いたと思うが、この鉄道工事によって、諸君がいた北朝鮮の会寧と敦化を鉄道で連結し、日本海側との輸送を円滑にしようとしているからだ。しかしながら、それを汪清県あたりにいるソ連共産党の影響を受けた抗日パルチザン組織の活動家が邪魔し、夜襲をかけて来たり、強盗など悪逆非道なことを繰り返す為、第8師団の分隊だけでは対応しきれず、難渋して、諸君の応援を林鉄十郎中将にお願いした次第である。それ故、これから諸君には、対ソ防衛の役割を果たすと共に、敦化から局子街に至るまでの鉄道工事の守備安全と抗日反乱分子の討伐に尽力してもらいたい。これは、この地域の近代化を計り、満州を平和に導く為の治安維持工作である。私は明日の午後、長春に戻るが、諸君はこの敦化と会寧を結ぶ地域が、反乱軍によって侵されぬよう頑張ってくれ。よろしく頼む。では飲もう」

 西義一中将が杯をかかげると、永井中隊長も杯を上げ、俺たちに言った。

「では、頂きましょう」

 俺たちは待っていましたとばかり、夕食の酒と料理に向かい、何人かの第8師団の人たちと会話した。第8師団の人たちは、弘前31連隊の徳島大尉を尊敬し、第8師団に入隊したのだと自慢したが、俺たちには自慢するものが何も無かった。だが今から自分たちで作り出せば良いと思った。

 

         〇

 俺たち朝鮮75連隊から派遣された永井中隊は、豆満江中流地帯が抗日パルチザン満州匪賊の襲撃を受け、酷い有様になっているということを知らなかった。敵は日本人、満州人、朝鮮人という人種とは関係なく、アジア人居住者たちを、この地域から除外しようとするソ連軍の手先だった。スローガンは民族独立、農民解放、帝国主義打倒など、組織によってまちまちであり、後ろにいるソ連軍によって、満州に押出されて来ている感じだった。現地に足を踏み入れて、初めて、それを感じた。従って、以前、万宝山事件のようなことが起こったことも分かった。事件を起こしたソ連共産党軍に洗脳された朝鮮人が、敵であることは悲しかったが、俺たちはソ連軍の手先の彼らと戦わざるを得なかった。まず俺たちが始めたのは『鹿島組』の鉄道レール敷設の為の監視所での守備任務だった。鉄路に沿った新駅の設置場所に、『大林組』に監視所を建設してもらい、出来上がった監視所で、俺たち派遣兵が交替で監視任務についた。俺たちが軍用トラックで運ばれ、配属された監視所は、敦化より、局子街に近かった。俺の任地である朝暘川は大きな盆地のような所だった。豆満江の支流にある平地で、朝暘川と布尓哈通河が合流し図們方面へと流れている場所の監視所だった。その監視所を栗原勇吉分隊長以下、鈴木班、小谷班、小高班からなる30名程で管理した。8時間、3交替の監視は、会寧にいる時と変わらぬと思っていたが、抗日パルチザン組織の動きは活発だった。俺たちが敦化を離れた後、敦化の西、松花湖近くの横道河子で、関東軍が敵に襲われ、日本兵が数人戦死したと知らされた。反乱集団の暴行は無差別だった。彼らは日本人や満州人だけでなく、耕作に励む朝鮮人をも襲った。それは満州国のスローガン『五族協和』の政治に対する反逆行為であり、俺たちにとっては、許されざる暴挙であった。俺たちは何時、襲って来るかも知れない抗日パルチザン部隊や匪賊の監視に専念した。そんな或る日、突然、朝鮮75連隊の池田信吉連隊長が、局子街から朝暘川監視所に現れた。栗原勇吉分隊長は、野口純一連隊長の後を引き継いだ池田連隊長の来訪に緊張した。

「やあ、諸君。元気でやっているか」

 俺たちは永井岩吉中尉がペコペコしているので、池田信吉大佐だと直ぐに分かった。栗原分隊長が質問に答えた。

「はい。日夜、朝暘川周辺の監視に務めております」

「そうか。だが油断して、川ばかり眺めていては駄目だぞ。王徳林率いる抗日軍や匪賊や泥棒が局子街や図們で暴れ回っている。その実情を確かめる為、局子街までやって来た。近くに諸君が勤務していると聞いて、様子を見に来た。諸君が元気な顔をしているので安心した。だが呉々も注意してくれ。3月、寧安に移動中、天野六郎閣下は抗日軍に襲われ、まだ回復していないようだ。兎に角、抗日軍には特に注意してくれ」

「ははーっ」

福沢諭吉先生ではないが、朝鮮人の反乱者たちは、民度が低い。どうして今、反日を掲げなければならないのか。日本国のような独立国になりたいと、清国の隷属から逃れる為、日清戦争を日本に起こさせ、そのお陰で独立出来たというのに、今度はロシアの属国になろうとする者が現れた為、ロシアの属国になりたくないと、また日本に泣きつき、日露戦争を起こさせた。日露戦争で日本が勝利し、独立国を保持出来たかと思えば、今度はロシアの脅威が消えないので、日本との併合を望み、日本との併合が決まれば、今度は反日を掲げ、ソ連とくっつく。全く一本筋の通ったところが無く、信じ難い。朝鮮人とは親しくなったと思っても、決して心を許してはならぬ。満州人の方が、信用出来る。今、我等の連隊が急がねばならぬのは、満鉄の吉会線、つまり東満州鉄道の完成である。鉄道工事会社の作業員と共に、頑張ってくれ」

「ははーっ」

 俺たちは池田信吉連隊長に深く頭を下げた。池田連隊長は、それだけ言うと、近くに止めてあった愛馬にまたがり、永井中尉ら部下たちと、局子街の方へ戻って行った。俺たちはその勇ましい姿を呆然と見送った。俺は転属させた部下の勤務状況を視察する為に会寧から国境を越え、やって来た池田連隊長のことを立派だと思った。また、この朝暘川監視所が、危険な場所であると、池田連隊長の言葉によって、改めて認識させられた。

 

         〇

 朝暘川監視所近くの人たちは、皆、俺たちに親切で、のどかな環境だった。日本人はお餅を持って来てくれた。朝鮮人はキムチを持って来てくれた。満州人は餃子を持って来てくれた。どの人たちも親切であったが、人柄が違った。日本人は勤勉だった。朝鮮人は悪賢かった。満州人はいい加減だった。その中で朝鮮人は頻繁に監視所にやって来て、何やかや、俺たちに言い寄って来た。俺たちには池田連隊長の言葉が頭の中に教え込まれていたので、用心した。俺は朝鮮の雄基監視所に勤務していた頃、金在徳の知り合いの朴立柱の妹、英姫と親しくなり、彼らの仲間に入れられそうになったことを思い出した。貧しい彼女たちを不憫だと思う気持ちが心の奥にあって、俺たちは時々、朝暘川監視所に顔を見せるカタコトの日本語を話す朝鮮人の一般女性には甘かった。日本人で、監視所にやって来たのは、大陸に進出に夢を抱いて、この草茫々の未開地で、一旗揚げようとする気骨のある男たちであった。彼らは日本人会を組織し、皆で一体になって町造りから農地拡大を目指して励んでいた。皆、苦労人で、祖国、日本を離れ、新天地を求めてやって来た人たちだけに、しっかりしていた。俺たちは、その日本人移民団の水田造りに感心し、故郷のことを思い出し、鉄道工事の監視の合間に、農作業を手伝うこともあった。満州人で俺たちに優しくしてくれたのは、ロシア嫌いの人たちだった。彼らは清朝時代の、どちらかというと富裕層の連中で、ロシア人の兇悪集団による強盗、乱暴に手を焼いている人たちが多く、俺たちの守備により、治安が良くなることを望んでいる人たちだった。ところが俺たちが駐留しているからといって、安心出来る状態では無かった。俺たちが着任して直ぐに、王子製紙の工場近くで、関東軍日本兵たちが、抗日軍によって殺されたいた。その為、俺たちは5人1組になって巡回した。俺は鈴木五郎班長に監視所に残ってもらい、清水、筒井、山内、渡辺と鉄兜を被り、軍刀と三八銃を装備して、朝暘川周辺を監視して回った。そんな或る日のことだった。俺たちは朝暘川神社の森に向かった。午後2時からの巡回なので、のんびりしたものだった。田園を歩きながら筒井恒夫が『ふるさと』や『丘を越えて』の歌を唄った。所々に見える朝鮮人の土壁の家では、鶏などが駆けまわっていて、内地のことを思い出させた。渡辺松太郎が俺たちを笑わせることを言った。

「兎、美味し、かの山って言うが、ここらの野兎も美味しいんだろうか?」

 俺は渡辺の言葉に笑った。だが清水卓司が渡辺を叱りつけた。

「渡辺。お前は馬鹿だな。兎おいしとは、兎を追いかけたことを言っているのだ。作詞した。高野辰之先生に叱られるぞ」

 清水にそう指摘され、渡辺は真っ赤な顔になった。

「そうなんだ。俺はてっきり、兎の肉が美味しいという歌だと思っていたよ」

「それで良く軍隊に入れたな」

 筒井恒夫が、渡辺の肩を叩いた。山内邦男は、俺同様、ただ笑っていた。しばらく進むと、プゥ~ンと、嫌な臭いがして来た。朝鮮人趙忠山爺さんが婆さんと庭先に出て来て挨拶した。

「ミマワリ、コクロウサンテス。ヨロシク、オネカイシマス」

「異常は無いか?」

「イサンナイヨ」

 俺たちは急いで趙爺さんの家の前を通り過ぎた。通り過ぎてから、渡辺松太郎が言った。

「あの家の息子、運信は雑貨売りをしているらしいです。結構、いろんな情報を持っているとか」

 渡辺の言葉を聞いて、俺は趙運信という男に興味を持った。

「渡辺。お前は何故、そんな奴のことを知っているんだ?」

「地獄耳で御座います」

「是非、その運信とやらに会って見たいが、会えるか?」

「会えると思います。玉子売りの運信の妹、知英に話してみます」

 そういえば、渡辺は監視所に時々、玉子売りにやって来る娘、趙知英と親しくなっていた。

「お前は、あの娘が好きなのか?」

 そう俺が訊くと、渡辺は頭をかいた。俺たちがあちこちを歩き回り、朝暘川神社の森に近づくと、あたりが薄暗くなり始めた。俺たちは朝暘川神社の境内に行って、腰弁当を食べた。握り飯を口にしながら、故里の神社での御祭りの様子などの思い出話をした。天狗、狐、鬼、獅子、龍、オカメ、ヒョットコなど、出身地の神社によって、その踊りの様は種々多様であった。そんな祭話に笑い転げていると、神社の裏手でガサッという音がした。

「シーッ」

 清水卓司が俺たちに静かにするよう合図した。俺たちは耳をそばたてた。神社の裏の森の木陰に、人の気配を感じた。俺は小さな声で、各自、神社の石灯篭の陰に散らばるよう命じた。そして神社の裏の森に目を凝らした。確かに人がいる。相手は、そこにしゃがんだまま、じっと動かない。俺たちはじりじりして来た。堪えきれず、筒井恒夫が暗闇に潜む相手に向かって叫んだ。

「誰だ。そこにいるのは。出て来い!」

 しかし、相手は動かず、返事をして来ない。少し不気味になった。俺は部下に石灯篭の窓に銃口を突っ込み、構えるよう指示した。そして俺だけ地べたに這って、恐る恐る森の方へ近づき、境内の砂を手に掴んで、茂みめがけて投げつけた。すると相手が俺たちに向かって、銃弾を連発して来た。ババーン、パンパン、ババーン、パンンパン!神社の森に銃声が轟いた。俺たちも負けずに撃ち返した。バン、バン、バン、バン!一瞬にして片が付いた。敵がどのくらいいたのか分からなかったが、十分もせずに、敵は暗闇の中を逃げ去って行った。俺たちは足を怪我した男、二人と腕に弾が食い込んでいる男一人を捕らえた。俺たちは銃声の止んだ境内で、俺たちに銃弾を連発したのに、不覚にも負傷してしまった三人を、紐で縛り上げ、監視所に連れて行った。栗原勇吉分隊長や鈴木班長たちは、俺たちが暴徒を捕らえて戻ったので、吃驚仰天した。俺たち五人が無傷で、捕縛者が負傷している。栗原分隊長は長谷川浩軍医に依頼し、捕縛者三人の傷口から、弾丸を取り出してもらった。それから捕縛者三人の取調べをした。彼らは日本国と朝鮮の併合を嫌って、満州に脱出して来たものの、生活に困り、王徳林部隊に加入した朝鮮人三人であると分かった。負傷した彼らには気の毒だったが、石灯篭を盾にした俺たちには、彼らの弾丸は一つも当たらなかった。また灯篭の窓を銃口の支えにした俺たちの命中率は高かった。十人程で神社に放火しようとしていたらしいが、俺たちに遭遇して、犯行に失敗したという。栗原勇吉分隊長は、鈴木班長らと、彼らを徹底的に調べ上げ、いろんなことを白状させた。一人の男は、こう自白した。

「自分の親は安重根によって伊藤博文韓国統監が殺されたことにより、日韓併合となってしまったが為、日本人による朝鮮人弾圧が始まるのではないかと、北朝鮮から満州へ逃げ、亡命者となった。ところが移住開墾を始めた満州の土地をめぐって、満州人との争いになると、日韓併合により、日本軍が関与して来たので、親たちは朝鮮に連れ戻されるのではないかと、自分たち家族を連れて、ソ連に逃亡した。俺たちはソ連マルクス・レーニン主義を学び、労働者政権と共産主義社会の実現を目指すことを教えられた。そして自分は親兄弟をクラスキノに残し、琿春に戻り、汪清の王徳林の反日義勇軍に加入した。反日義勇軍の兵士たちの大部分が農民や労働者なので、自分たちの未来に懸ける情熱は、自分と一致した。そして王徳林軍の金俊悦隊長の下について朝暘川襲撃に来た。だが残念なことに、こんな無様なことになってしまった。悔しいが仕方ない。殺すなら、早く殺してくれ」

 俺たちは辛泰賢の話を聞き、何故、朝鮮人が故国を捨てることになったのか、何となく理解出来た。安重根による伊藤博文韓国統監の暗殺が原因であると何となく理解出来た。辛泰賢の親は、他国に行って生きる事の方が大変なことであると分からなかったのであろうか。このようなことは朝鮮人だけでない。日本人にも、同様な考えをする人がいるのではないか思えた。如何に日本での生活が苦しいからといって、具体的目的も無く、他国に移住して仕合せを掴むことが出来るのであろうか。また、その仕合せを掴む為に、強盗や人殺しのような事をして良いのだろうか。俺には理解出来ぬことばかりであった。俺たちは反日義勇軍朝鮮人三人を捕縛したことにより、池田信吉連隊長から手柄を褒められ有頂天になった。

 

         〇

 ところが、物事は、そう簡単では無かった。4月18日、未明、延吉警備司令部が100人近い賊軍に襲撃され、苦戦しているとの連絡が入った。俺たち朝暘川監視所の者は栗原勇吉分隊長の命令を受け、20人程で延吉の局子街に駆けつけた。そこで永井岩吉中尉率いる第5中隊に加わり、賊軍を退治すべく硝煙うずまく延吉司令部に向かって出動した。そこへ行く途中、俺たちは布尓哈通河付近で、司令部を襲撃した賊軍と遭遇した。彼らはソ連製の武器を手に、河の向こうで、俺たちに対抗姿勢を示した。賊軍の隊長と思われる男が、大声で叫んだ。

「俺は反日義勇軍の『東満紅兵隊』の勇士、孟革強だ。捕えている我々の仲間を返せ。さもないと、街を焼き払うぞ。それでも良いか」

 すると永井岩吉中尉が言い返した。

「何をほざく。その前にお前らこそ、降参し、間島から消え失せろ!」

「間島は満州人や日本人の土地ではない。もともと朝鮮人とロシア人の共有の土地だ。お前たちこそ消え失せろ」

ソ連に騙され、都合の良い嘘をつくな。お前たち無法者に逮捕命令が出ている。武器を捨て大人しく観念しろ」

 永井中隊長の叫び声が終わらぬうちに、敵が一斉に、俺たち目掛けて発砲して来た。永井中隊長は俺たちに叫んだ。

「撃てっ!」

 俺たちは永井中隊長の撃ての命令に、負けじと一斉に発砲した。激しい銃撃戦となった。バンバンバンバン、バンバンバンバン・・・。銃声が朝靄の河原に響き渡った。敵に攻撃され、田中伸次郎、小莱博らが、敵弾をくらって、草むらに転倒した。俺は大きな石の陰に隠れて銃口を向け、銃弾を発射させた。バンバンバンバン。敵兵がよろめきながら叫ぶ声が聞こえた。

「撃つな。撃つな!やめてくれ!」

 襲撃を先に仕掛けて来て何という奴らだ。永井中隊長は、そんな声を聞いても、手を緩めなかった。

「撃てっ、撃てっ!敵が退却するまで撃ちまくれ」

 敵は俺たちの攻撃にバタバタ倒れた。俺たちは、それでも撃ちまくった。勇猛果敢に敵対姿勢を示した。軍事力の差は歴然としていた。そして俺たちの撃った一発が、敵の首領、孟革強の顔に命中した。孟革強は片目を押さえて、部下に命じた。

「退却だ!」

 それを待っていたかのように賊軍は逃亡した。俺たちは共匪を捕らえるべく、賊兵を追った。河を越え、土手を這い上がり、山に向かって逃げる敵を追った。彼らの向かっているのは王徳林のいるソ連方面だった。俺たちは2日程、彼らを百草溝あたりまで追跡し、延吉に戻った。この戦いで敵の8人が死亡し、15人程が捕虜となった。味方では飯野周一、久保田広寛、宮内任の3名が死亡し、足や肩に負傷した者が10人程いた。かくて戦いは終わったが、俺は殺された人たちの死体を目にして、その残酷さに背筋が凍った。敵の死体は山林の土中に埋め、仲間の死体は火葬を行い、陸軍墓地に埋葬した。4月24日、この凱旋勝利を、延吉警備司令部の吉興司令官たちは喜んでくれたが、俺たちは残酷な死闘を経験し、心から喜ぶことが出来なかった。

 

         〇

 そんな時、内地ではとんでもない事件が起きていた。5月15日、犬養首相が暗殺されたというのだ。原因は犬養首相が満州国承認を躊躇しながらも、荒木貞夫陸相に指示し、参謀総長として皇族の閑院宮載仁親王様をお据えになり、陸軍を優遇し過ぎているという事だった。その政府の陸軍びいきに不満を持った海軍将校が、政党政治を廃止し、尊皇攘夷を押出そうと実行したのだという。首謀者は海軍軍人、古賀清志で、海軍の革命組織『王師会』の青年将校を中心に、軍閥内閣を樹立しようと、首相官邸を襲撃したという。それは、日本のようなちっぽけな国は、その発展の為に、植民地を多く占有している英国や米国、フランス、ソ連などをアジアから排除し、日本を中心とした大東亜連合を組織せねばならず、その為には天皇を奉じて、海外に進出する大改革を行わなければならないという、大東亜共栄圏構想による革命であった。俺たち軍人は、この軍部勢力を中心にした国粋主義者たちに感銘を受けた。日本国の陸海軍が中心となってアジアの平和の為に一致協力してアジア各国を牽引して行く。それは何と輝かしいことか。日本国は大東亜の太陽にならねばならぬ。その為には、まず現在直面しているソ満国境にはびこる抗日武装勢力を一掃しないことには、上手くいかない。このような流れを読んで、内大臣、牧野伸顯や、その秘書官長、木戸幸一らは次の首相は政党人からではなく、軍部から選出すべきであると天皇に進言した。それに元老、西園寺公望が反対したが、若き天皇は年老いた西園寺公望を遠ざけ、若き木戸らの意見を採り入れ、軍部から信頼されている予備役の斎藤実海軍大将こそが適任者であると、斎藤実を犬養首相の後継に指名された。このことについて、公卿たちの代表、近衛文麿も西園寺同様、反対したが、受け入れられず、斎藤実内閣が5月26日発足した。海軍軍令部は政党内閣を葬って海軍内閣を成立させ大喜びしているという。荒木貞夫陸軍中将は海軍内閣になり、大臣から外されると思っていたらしいが、そのまま陸軍大臣を任され、軍部政権の誕生に大喜びしているという。そんなこともあって、俺たち満州にいる連隊には、共産党匪賊を一時も早く討伐し、満州国を近代国家にする為に尽力せよという命令が下された。池田信吉連隊長は関東軍の本庄繁司令官からの指示に従い、俺たちが捕らえた朝鮮人三人の情報をもとに、汪清の王徳林率いる反日義勇軍の壊滅作戦を計画した。それに対し、王徳林は吉林護路軍総司令、丁超と談合し、関東軍を挟撃することを計画した。俺たちは内地の現職の内閣総理大臣が暗殺されるという不祥事の後の内地のことを心配しながら、自分たちが置かれている状況に緊張して時を過ごした。5月末日のことだった。俺たちのいる監視所に、渡辺松太郎の好きな玉子売りの娘、趙知英と友達の果物売りの李善珠がやって来た。筒井恒夫が門衛をしていて、彼女たちに声をかけられると、建物内にいる渡辺松太郎たち仲間に声をかけた。

「お~い。松ちゃんたち、コケコッコのお姉ちゃんが来たぞ」

 その声を聞くと、渡辺松太郎が一番先に監視所の部屋から外に駆け出し、監視所の門前に行った。数人の若い兵卒が監視所の門前に集まると、趙知英は顔をしかめて筒井恒夫をからかうように言った。

「ネエ、キョウノムンジキ、オカシイヨ。ワタシノコト、コケコッコ。ワタシノナマエ、チョン・イエヨ」

「ふうん。チョン・イエか。分かった。チョン・イエ、覚えておく」

「ニワトリノナキコエモ、オシエルヨ。コケヨー、コケヨータヨ」

 知英の鶏の鳴き声を聞いて、俺たちは笑った。清水卓司が言った。

「もう一度、鶏の鳴き声、聞かせてくれ」

「コケヨー、コケヨー」

「じゃあ、猫は何て鳴くんだ?」

「ヤオン、ヤオンタヨ」

「じゃあ山羊は?」

「ウンメー、ウンメータヨ。ワカッタラ、タマコトクタモノ、カッテヨ」

 彼女たちは茹で玉子と果物を、俺たちに売り込んだ。俺たちは、これから夕勤に出かけるので、茹で玉子と枇杷の実を買った。彼女たちは茹で玉子と枇杷の実を買ってもらうと、深く頭を下げた。知英が渡辺に、こっそり訊いた。

「コムパム、トコイク?」

「うん今晩は烟集河あたりまでかな」

「アラッソ」

 知英は、そう言うと、妖しい目つきで渡辺を見詰めた。渡辺は少し赤くなり、嬉しそうに笑ってから、彼女たちに背を向けた。門衛の筒井は、そこで小谷班の高橋重雄と門衛を交代した。俺たちは建物に入り、昼食を済ませ、夕勤巡回の準備を開始した。鈴木五郎班長満州国政府が開始した保甲制度による集団部落状況が、どのように進捗しているか、目で確かめて来るよう、俺たちに命令した。午後2時、俺たちは監視所を出た。わりと平坦な土地を東方向へ向かっての巡視を始めた。朝暘川から局子街方面へ続く地域は畑や田んぼが点在し、満州人、朝鮮人、日本人が農作業をしていた。皆、巡回する俺たちに笑顔で挨拶した。俺たちは彼らに共産党ゲリラ対策の為の集団部落の建設計画は順調に進んでいるかを確認した。すると彼らは農作業もあるので、中々、進んでいないでいると答えた。自分の耕作地に近い所に家があるのが、何事をするのにも便利なのだ。俺も内地で百姓仕事をしていたので、彼らの考えは良く理解出来た。彼らは俺たちに守備してもらっていれば、商店街のような集団部落を建設しなくても安心で平和でいられるのだ。だが日本人開拓民は満州国政府による保甲制度の目的を良く理解していて、集団部落の建設に積極的だった。百軒ほどの日本人家族を集め、住宅団地を構成し、団地の周囲を有刺鉄線を幾重にも張り巡らせた柵で囲い、四方の門に守衛を置き、住宅団地内には、集会所や学校を建設して、互いの安全に努めた。局子街方面には、そんな日本人部落が出来始めていた。俺たちが顔を出すと、佐々木市衛門団長が、今年は日本の大学の先生の指導を受けて、田植えをしたので、米が沢山、収穫出来そうだと笑顔を見せ、俺たちを集会所で休ませてくれた。そこで飲んだ日本茶は何ともいえず美味しかった。そこで情報交換しているうちに、何時の間にか夕暮れが迫っていた。俺たちは佐々木長老に頭を下げ、日本人部落を離れ、鉄道工事現場の確認に行った。『鹿島組』の鉄道レール敷設工事の作業員たちが、一日の仕事を終え、引き上げるところだった。工事管理者の田口福太郎監督と警備員の岡田三平が俺たちに声をかけて来た。

「ご苦労様です」

「いや、皆さんこそ、日中、御苦労様です。随分と進みましたね」

「はい。皆、吉会線を完成させ、朝鮮の清津港に、一時も早く結びつけようと頑張ってくれています」

「工事を邪魔しようとする者が現れたりしませんか?」

「大丈夫です。俺たちが腰にピストルをつけて、苦力や鮮工を見守っていますから」

 岡田三平が腰のピストルに手をやって答えた。俺はその姿を見て、笑って言ってやった。

「油断は禁物です。何かあったら、俺たちの監視所に連絡して下さい」

「はい。分かっています。その時は、よろしくお願いします」

 田口福太郎監督と岡田三平警備員は、丁寧に挨拶をして、『鹿島組』の飯場へ引き上げて行った。俺たちは工事現場の連中が帰って行くのを見送ってから、烟集河近くまで出かけた。川面を渡る夕風が涼しく、心地良かった。しばらく進んで行くと、川向うから若い娘たちが、こちらに向かって声をかけて来た。

「アンニョンハセヨ。ノルヨ!」

 相手は昼間、監視所にやって来た茹で玉子売りの趙知英たち三人だった。仲間の一人、李善珠は果物売りだが、もう一人は何をしている娘か分からなかった。渡辺松太郎が俺に言った。

「吉田組長。知英たちが、俺たちに遊びに来いって手を振っていますよ」

 それを見て、清水、筒井、山内もニンマリした。三八銃を担いで笑い合う部下を見て、俺は彼らに巻き込まれてはならないと思った。俺は渡辺を叱り飛ばした。

「何を言っているんだ。俺たちは任務中だぞ。遊んでなんかいられるか。あの大柄の女、見たこと無いが、お前、知ってるか?」

「吉田組長。あの女に興味ありますか。あの女なら俺、知ってます。煙草売りの曺叔貞です。彼女たちのまとめ役で、美人なのにきつい女です」

「良く知っているな」

「知英に教えてもらいました」

「兎に角、今の俺たちには遊んでいる暇は無い。色目を使われても相手にするな」

 そう俺が言うと、渡辺たちは、俺の言葉も聞かず、川向うの三人に手を振った。

「またな」

 知英たち娘三人は、俺たちが相手をしないと知ると、河岸から消えた。俺たちは、そのまま局子街手前まで行って引き返した。蛙が啼き、あたりが薄暗くなり始めた時、俺たちは河の向こうに、はっきりと人影を見た。数人の男たちが、俺たちを眺めている。その視線は何故か鋭い感じだった。俺たちは吃驚して身構えた。すると男たちの一人が言った。

「おい。お前たち。この前、俺たちの仲間、三人を連れて行っただろう。三人は今、何処にいる。教えろ。教えないと痛い目に合わせるぞ」

 その言葉に俺の部下たちは、ギョッとして、俺の顔を見た。俺は組長として、相手に答えなければならなかった。固唾を飲んでから答えた。

「俺たちには分からん。延吉警備司令部に連れて行かれた。お前は金俊悦か?」

「ああ、そうだ。本当なら今、ここでお前たちを撃ち殺したいところだが、朝暘川の軍医に仲間を助けてもらったらしいから、撃ち合いは止めにしておく。また会おう」

 金俊悦は、そう言い捨てると、仲間を引き連れ、向こう岸の土手の陰に消えた。筒井恒夫ガ、カッとなって俺に言った。

「組長。奴らを捕まえましょう」

「止めとけ」

 俺は戦闘を好まなかった。負傷者を出して良い事は無い。金俊悦たちに攻撃を仕掛けようと猛る筒井や清水を制した。三八銃を土手の向こうに発射しようとする二人の構えを止めさせた。俺たちはまたあいつらが、朝暘川神社に放火するのではないかと心配し、それから朝暘川神社まで巡回してから、監視所に戻った。

 

         〇

 ところが、その夜、俺たちが朝暘川監視所に戻ってからのことであった。反日義勇軍の金俊悦をリーダーとする精鋭20人程が延吉警備司令部を襲撃しているという知らせが入った。彼らは気勢を上げ突然、襲って来ると、銃弾を発射しながら司令部の建物に侵入し、司令部の地下の留置場に入れられていた仲間三人を救出して、馬に乗って逃亡したという。更に十数人が残って、司令部の警備兵と撃ち合いをしているという。その知らせを聞いて、栗原勇吉軍曹が、俺たちに、局子街監視所の応援に行けと命じた。鈴木五郎伍長は佐藤大助たちにトラックを出させ、俺たちと一緒に延吉警備司令部へと向かった。現場に駈けつけると、局子街監視所の連中が、司令部の警備兵と一緒になって、敵と撃ち合いをしていた。敵も仲間を増やしたらしく、激しい戦闘状態になっていた。鳴り響く銃声は、まるで花火の音のようであった。足を撃たれて動けない者、腹を押さえて倒れる者などを目にして、俺は恐れ慄いた。普段、大人しい鈴木伍長は勇ましかった。

「敵は銃の使い方もろくに分からぬ愚連隊だ。相手を引き寄せ、狙い定めて撃つのじゃ。撃って撃って撃ちまくれ!」

 その号令に俺たちは暗闇の中から撃って来る敵に向かって、凄まじい闘志をみなぎらせて、三八銃を撃ちまくった。銃弾が飛び交い、敵の叫び声や、味方の倒れる音を耳にしながら、俺たちは死に物狂いで戦い続けた。流石の敵も、これ以上、戦っても不利と思ったのであろうか、首領の命令を受け、一斉に逃げ去った。この戦いで敵、四人が死に、二人が生け捕りになった。味方では警備司令部の満州人三人と局子街監視所の日本人二人が負傷した。結局、金俊悦たちは三人を取り戻しに来て、六人を失い、俺たちは五人の負傷者を出したという相打ちに近い結果となった。この出来事は正直なところ、手足が震え、死ぬのではないかと、心臓が破裂しそうになった恐ろしい体験だった。局子街監視所の青野泰吉軍曹は、生け捕りにした二人を拷問し、反日義勇軍の情報を自白させた。その青野軍曹の取調べの報告書によれば、襲撃したのは反日義勇軍の金俊悦を指導する洪範図と白山義勇軍の李振鉄とが共謀し、延吉警備司令部の吉興司令官の命を狙わせたのだという。李振鉄の本拠地は瓶峰山近くにあり、通化の組織とも通じているという。その報告を聞いて、延吉警備司令部の吉興司令官は激怒した。

「何という不逞朝鮮人たちであろうか。多分、何処へ行っても馴染めない屠殺人か墓守に違いない。ようやく念願の五族協和満州共和国が樹立されたというのに、何故、それに反対するのか。中国から万里の長城を隔てて分離独立した満州共和国に対し、誤った民族的自覚により、反満抗日運動を展開するとは許せない。こういった朝鮮人満州国から消えてもらうしかない。ロシア革命の成功という言葉に洗脳された朝鮮人のゲリラ攻撃は、折角、訪れた満州の春を乱すものである。我等、満州警備隊は、奴ら反満朝鮮人を許してはならない」

 そして吉興司令官は関東軍と俺たち朝鮮75連隊にも吉会鉄道警備の他に、共産党ゲリラの撲滅に協力してもらいたいと要請して来た。それに対し、局子街監視所の青野泰吉軍曹は、今回の戦闘で部下の谷中金次郎上等兵を失った事により、吉興司令官の要請を受け入れ、俺たち朝暘川監視所にも、治安対策の強化を計り、共産系朝鮮人パルチザンの掃討作戦に徹底的に尽力するよう伝えて来た。それにしても今回の戦闘で負傷し、病院に担ぎ込まれた同期の谷中金次郎が、野蛮な連中に乱射され、命を落とした知らせは俺たちにとって衝撃だった。

 

         〇

 昭和7年(1932年)6月になると、昨年、国際連盟が派遣を決めた『リットン調査団』が、満州にやって来た。俺たちはその話を永井中隊長から聞いた。その調査団はイギリスのリットン伯爵が団長をつとめ、フランスのクローデル将軍、イタリアのアルドロヴィアンデイ伯爵、ドイツのシュネー博士、アメリカのマッコイ陸軍少将とアメリカの専門家、ブレイクスリー教授とヤング博士の合計7名で、中国から顧維釣外交官と日本から吉田伊三郎外交官が随行して来たという。彼らは本庄繁関東軍司令官と奉天で会う前に、錦州の東北交通大学に訪問し、満州の鉄道事情と治安状況、国民感情、経済的発展性などについて調べていたという。果たして中国政府が国際連盟に提訴したことの結果がどうなるのか心配だと、永井中隊長が話されたが、俺たちは共産党ゲリラや匪賊からの脅威を満州国から取り除き、国家の治安維持に専念することが、新国家発展の為には最重要であると、自分たちの役割を最優先した。満州の発展の為には、同期の仲間、谷中金次郎を死に追いやったような無法者たちを退治しないことには始まらないと思った。俺たちは満州警備隊の吉興司令官らの情報をもとに、武装反乱組織の討伐を計画し、76連隊とも連絡を取り合いながら、共産匪賊の跳梁を阻止した。その努力もあって、間島省一帯の住民たちは、異民族同士でありながらも、共存共栄の雰囲気を醸成し始めた。それでも反乱は時々、起こった。反乱軍は突然思いついたように襲撃して来た。その戦闘は無知蒙昧な小集団との戦いで、義挙の為に一命を投げ捨てよとか、金を上げるから夜襲に加われとか、共匪、洪範図たちに唆された連中が多かった。ほとんどの者が戦闘訓練をしておらず、いざ血なまぐさい戦闘が始れば慌てふためいて逃走する視野の狭い連中ばかりだった。俺は、そんな烏合の衆を始末せねばならぬ立場であったが、部下に対しては、彼らを禽獣扱いせず、命を奪うことだけは自粛せよと命じた。俺が暴徒に向かって撃てと叫ぶと、部下は賊の足を狙って撃った。従って俺たちが捕らえた共産匪賊の数は、他の中隊より多かった。そのほとんどが朝鮮人農民や労働者で、政治的な事を理解せず、強盗団に近かった。捕えた者の中には、日頃見かけていた農作業をしていた者や豆腐などを売ったりしていた行商人たちがいたので、愕然とした。調べによると、どうも煙草売りの美人、曺叔貞たちも関与しているかも知れないとのことであった。そんなことから、永井中隊長から、女たちには気を付けろとの、お達しが出た。俺は渡辺松太郎に、茹で玉子売りの娘、趙知英たちに用心するよう言い聞かせた。

「渡辺。良く聞け。あの煙草売りの曺叔貞は共匪らしいぞ。彼女たちに騙されたら、山奥に連れて行かれ、一晩で、海蘭河に浮かぶことになるぞ」

 だが渡辺は俺の脅しに耳を向けなかった。反対に俺に言い返して来た。

「だったら俺が彼女が本当に共匪密偵か調べます。オトリになって、彼女らの正体を突き止めます」

 俺は呆れ返った。何という考えをする男か。

「お前は正気で言っているのか。相手は説得して言う事を訊く奴らでは無いぞ。お前は怖くないのか?」

「馬鹿にしないで下さい。怖いものなど、何もありません。共匪を捕まえたら、小隊長だって、良い気分でしょう」

「そりゃあ、そうだろうけど、永井中隊長の言う事を聞かず、行動したら許されないぞ」

「吉田組長。長い時間でなくて良いです。知英の所へ行かせて下さい」

「駄目だ!」

「そこを何とか」

「駄目と言ったら駄目だ!」

 俺は渡辺松太郎を叱り飛ばした。渡辺が彼女に会いたい気持ちは分からぬではないが、永井中隊長の命令に逆らおうとする行為を無視するわけにはいかない。そんな俺と渡辺のやりとりを聞いていた部下たちは、渡辺の恋煩いの様子を察して腹をかかえて笑った。俺に叱られた渡辺は、仲間の笑い声に、ハッと気づき、顔を赤くして、渋々、引き下がった。俺はホッとした。ちょっとした心の緩みで命取りになることだってあるのだ。俺たちが共匪に用心して過ごしている間、『リットン調査団』は満州国の現況を細かく調査した。国際連盟の調査団が満州に来ていることを知ってか、ソ連の手先の共匪たちも鳴りを潜めた。ソ連からの指示に相違なかった。7月に入るや、その『リットン調査団』は満州を離れ東京に戻った。『リットン調査団』は、満州国を承認していなかった犬養首相が殺された後の斎藤実首相が、満州をどのように考えているかの確認を行った。そのリットン団長の問いに対し、斎藤首相は、こう答えたという。

満州問題は満州人やそこで暮らす人たちの問題であって、私たち他国が云々する問題ではありません。満州国でなされていることは満州国内の問題です。満州国を承認してやる以外、解決の道は無いと思います」

 その答えは犬養首相とは異なる満州国承認の言葉であった。『リットン調査団』は、それから中国に移動し、北平にて、国民党の蒋介石と会談した後、『リットン報告書』をまとめた。『リットン調査団』に会った斎藤実首相は『リットン報告書』を予想して、満州国にいる関東軍の本庄繁司令官と作戦参謀長、石原莞爾たちを、日本国内に引き上げさせた。俺たちは、その知らせを聞いて愕然とした。

「どうなるんです、満州国は?あの『長春ヤマトホテル』でお会いした石原参謀長殿たちが、北伐を考える中国と満州を完全に分離させ、五族協和の王道楽土の国家を築くのだと言っていた夢は?」

 俺に続いて、白鳥健吾が野田金太郎小隊長に訴えた。

「そうです。満州人と関東軍によって樹立したヒヨッコ国家は、我が国の兄弟国家として、本庄司令官殿や石原参謀長殿のお陰で、確実に成長の羽根を伸ばし始めています。なのに、その途上で、関東軍の主幹の有能な人たちを交替させるなんて、日本政府の考えが理解出来ません」

 俺たちが信奉している関東軍のトップの交替に関する不満をぶつけると、野田金太郎小隊長は、こう答えた。

「俺も貴様たちと同様、この人事に不満を抱いている。海軍内閣のやりそうなことだ。奴らは鳩山一郎の『統帥権干犯論』に乗じて、今まで内閣が保持して来た統帥権天皇にお返しし、陸軍の上に立とうと、新しい統帥権機関を作り上げ、海軍を拡大しようとしている。そして大陸から本庄司令官殿たちを追い出し、自分たちのやりたい放題に、我が国を操縦しようとしている」

「そんな事で良いのでしょうか?」

「良い筈がない。海洋の軍事に関わって来た海軍大将たちに、大陸での困難に処する資質があるとは思えない。大陸のことは陸軍に任せないと、とんでもないことになる」

 俺たちは野田金太郎小隊長の言わんとすることが、何となく想像することが出来た。日本の政府は政党政権から軍部政権の内閣になり、若き天皇の取り巻きたちが統率する海軍による領土拡大戦略に移行しようとしている。実に危険極まりない気がする。そんな時に俺たちが成すべきことは何か。それは日本の3倍以上もある広い土地と資源豊富な満州国ソ連や中国から完全に分離独立させ、鉄道、道路、電気、水道等を行き渡らせ、石炭や鉱山の開発、製鉄所、製糸工場、セメント工場、肥料工場、食品工場の建設、ダム建設による原野の水田化、都市建設と医療、教育機関の充実などを管理運営して行かねばならない。その手助けをする為に満州国の治安維持に尽力することが、俺たちの使命だ。その為に、まず急がなけれなならいのは、日本の『鹿島組』が進めている満鉄の吉会線工事の完成への全面協力と極東ソ連軍から満州国を防衛する為の共匪の掃討作戦だ。それにしても分からないのは、これから満州国が発展するというのに、何故、鉄道線路の破壊や電線の切断、橋梁の破壊、建造物放火、食糧の略奪、殺人暴行などを繰り返し満州の発展の邪魔をするのか。俺は部下に疑問を投げかけた。すると珍しく清水卓司が、こう言った。

「吉田組長。この前、趙爺さんがぼやいていましたが、趙爺さんは、仲間に日本人の支配下に苦しむ朝鮮にいるより、満州へ行って、荒れ地を開墾すれば、それが自分のものになり、大地主になれると教えられ、朝暘川にやって来たそうです。ところが開拓した土地は満州人の所有地だと満州人が集団で脅迫や弾圧を行い、土地使用料を要求するなど卑劣なことをするので、息子、運信は農業をせず、雑貨売りなどをしているようです。そういった朝鮮人の不満分子が、ソ連共産党軍の失地回復の抗日軍として教育され、朝鮮流民たち家族が暮らす村落が日満の協力によって近代化を進めているという事も理解せずに、その近代化を破壊するという蛮行を働いているのです。愚かなあいつらを教育しないことには、治安を守ることは出来ませんよ」

「成程。教育か」

 俺は部下から暴徒の悪業の心理を教えられた。それは破壊こそが正義だと信じている人間がいるということであった。

 

         〇

 一方、日本国内では満州国が、関東軍や満鉄のお陰で繁栄を始めていると耳にした困窮者たちが、満州に新天地ありと、満州への移民を希望した。だが満州に日本人を移民させるということは、日本人を満州国民にするということでもあった。日本政府にとって、それは望ましいことでは無かった。そこで日本政府は満州開拓団として日本国民を満州に送り込むことを検討した。昭和恐慌下からの立ち直りに苦しんでいる農民を広大な満州の大地に送り込むことは、満州国での日本人の人口比率を高める上でも有益であると考えた。この考えに逸早く跳び付いたのが、満州国吉林省警備軍事務官、東宮鉄男少佐だった。その東宮少佐が夏の青空の澄み渡った日、突然、馬に乗ってやって来たので、永井岩吉中尉以下、俺たち分隊の連中は慌てた。また何事か大事件が起こったのであろうかと緊張した。すると、そうでは無かった。東宮少佐は、図們の独立守備隊の駐屯地から間島の景色を眺めに来たということであった。会議室の中央の席に座ると禿げ頭の東宮少佐は、俺たちを見回した。この人が、あの張作霖事件に関与した勇猛果敢な熱血漢だと思うと、俺の心は躍った。開口一番、東宮少佐は永井中隊長に言った。

「朝暘川は中々、良い所じゃあないか」

「はい」

共産党ゲリラに苦労しているようだな」

「はい。この度の御視察は、そのことでありましょうか」

「いや。朝暘川の分隊の活躍は、独立守備隊から聞いている。今日、俺がやって来たのは、間島一帯の農業が、どのようになっているか、この目で確かめたかったからだ。ここ数年来、内地の農民たちは冷害による大凶作で苦しんでいる。その農民たちを救済する為に、満州への移住を希望する人たちが、満州に移住した後、まともに生活して行けるか、俺たちは検討している。俺はその調査に来た」

「左様でありますか」

 永井中隊長がそう答えると、東宮少佐は、俺たち一人ひとりの顔を見まわしてから、永井中隊長に訊いた。

「そこでだ。試験的に、この間島地方に、疲弊する内地農民を移住させようと思うが、どうだろう。この地に駐留監視している諸君の意見を聞きたい」

 そう訊かれて永井中隊長は困った顔をした。東宮少佐の質問を野田金太郎准尉に振った。

「どう思う、野田准尉?」

「こういうことは石川曹長が詳しいのでは。自分は東京育ちですので」

「石川曹長はどう思う?」

 石川曹長は、うろたえながらも答えた。

「自分は誠に良い考えだと思います。日本人が増えることは有難いです。朝暘川が賑やかになります」

 その答えを聞いて、東宮少佐は眉をしかめた。

「そうか。それは分かるが、俺の求めている答えになっていない」

「と申されますと?」

「俺は農民が満州にやって来て、問題無く農作業をやって行けるか、どうかを質問しているのだ」

 すると石川曹長は、さらっと言った。

「それなら、吉田に訊くと良いです。吉田は山里育ちですから」

 石川曹長は会議室の隅っこにいる俺を指差した。俺はびっくりして、心臓が止まりそうになり何も言えなかった。東宮少佐は何も言わず、俺をじっと見詰めた。沈黙が流れると、野田准尉が怒鳴るように言った。

「どうなんだ。吉田?」

 俺は立ち上がって自分の考えを言った。まずは朝暘川で日頃目にしている農民たちの姿を頭に浮かべて、感じるままを口にした。

「自分は朝暘川をはじめとする間島地区に、日本人農民を招き入れることには反対です。何故なら、この地区には朝鮮人農民が明治時代から入植しており、満州人と土地争いをしている場所です。それに既に朝鮮に移住した日本人も入つて来ております。当然のことでありますが、ここらには個々人の土地の所有権も存在し、日本人農民の立ち入る余地はありません。我々が彼らの所有する土地を奪い、日本人を入植させたら、それこそ国際的大問題になります」

「成程」

「ですが、この地でない、未開の所であるなら、その余地は充分あると思われます。日本国には優秀な農業指導者がおります。まずは、そういった先生方を満州にお連れして、農業可能な場所を探すべきです。間島地区への農民移民は不適切です」

「ほう、そうかね。中々、面白い。仲間にも聞かせてやりたい。永井中隊長。夕刻、この者ら四、五人を連れ、局子街の領事館分館に来てくれ」

「ははーっ」

 永井中隊長が深く頭を下げると、東宮少佐は笑って立ち上がりながら言った。

「じゃあ、夕方、局子街で待っている。今日は良い天気だ。俺は乗馬を楽しみ、先に帰る」

 それから東宮少佐は、会議室を出て、広場に休ませていた馬に乗り、部下5名程と手綱を引いて走り去って行った。その後、俺たちは午後4時半過ぎ、小型トラックに乗って、朝暘川から局子街へ向かった。夕方5時過ぎに局子街の領事館分館に着くと、昼間、東宮少佐と一緒に来た和田直之曹長が待っていた。彼は永井中隊長と石川繁松曹長、白鳥健吾、佐藤大助と俺の5人を領事館分館から局子街の料亭『銀閣』へ案内した。俺たちは永井中隊長に従い、ゲートルをつけたまま東宮少佐のいる部屋に入った。その座敷の部屋では十人程の部下に囲まれ、東宮少佐が酒を飲んでいた。部屋に入るなり、永井中隊長が言った。

「遅くなって申し訳ありません。只今、到着しました」

 すると盃を手にした東宮少佐が、床の間を背に、笑顔で永井中隊長以下、俺たちを見て頷いた。

「おお、来たか。まあ、こちらに座って、一杯やってくれ」

 俺たちは言われるままに東宮少佐の左前側に設けられた席に座り、同年輩の青年兵から酒を受けた。盃に酒が行き渡ったのを見て、東宮少佐が言った。

「今日は、お疲れさん。乾杯しよう。乾杯!」

「乾杯!」

 乾杯が済むと俺たちは少しほっとした。懐かしい日本料理などを口にして喜んでいると、東宮少佐が、俺たちに局子街分館の田中作主任の隣りに並んで座っている背広姿の三人を紹介した。

「朝暘川の諸君。紹介しよう。俺が昼間、話した諸君の話をきかせてやりたいと言った俺の仲間だ。三人とも農業学校の先生で、こちらから、加藤完治先生、小針庄吉先生、山崎芳雄先生だ。早速だが、昼間の続きをやってくれ」

 そう言われて永井中隊長が口火を切るのかと思ったら、永井中隊長は、何も言わなかった。それを見て、加藤完治先生が、きりっとした姿勢で、俺たちにお願いした。

「我々は満州に移住を希望する農民たちが、満州に来て、立派にやって行けるか、その調査に内地からやって参りました。東宮少佐殿にお話しされた話を、もう一度、お願いします」

 加藤先生に鋭い目で見詰められ、永井中隊長は、たじろいで、俺に向かって叫んだ。

「何をしておる、吉田!」

「は、はい」

 俺は指名され、跳び上がった。すると東宮少佐が笑った。

「何も立ち上がらなくても良い。昼間、話した間島地区への日本人農民招致の反対の続きを話してくれ」

「は、はい。間島地区の土地は朝鮮人満州人が所有しており、日本人が一部、買い上げて所有しております。そこに内地の日本人がやって来て土地を買い上げるとなると、高額になります。従って内地の農民が間島地区に入植する余地は無いと、昼間、説明しました。そして日本の優秀な農業指導員をお招きして、農業可能な新天地を求めるべきだと話しました。自分は、群馬の山村育ちです」

「おおっ、貴様も群馬か。俺と同じじゃ。それは頼もしい。続けてくれ」

 東宮少佐が群馬県出身だと聞いて、俺はびっくりした。またそれが俺には後通しになり、心強かった。

「自分の村では荒れ地や山林を開墾して、田んぼや畑にして、農地を広げている人がいました。従って、既に満州人や朝鮮人によって耕作されている、この吉林省の土地ではなく、ここより北方の牡丹江や佳木斯、海倫のあたりに行って開拓するのが良いのではないでしょうか。但し、ここ同様、共匪の襲撃も考えられますので、自衛団と医師をそろえる必要があります」

 俺の話を聞いて、東宮少佐たちは頷いた。それから、また飲めと言った。そして芸者を呼んで、ドンチャン騒ぎとなった。俺たちは帰りが遅くなるとまずいので、9時に料亭『銀閣』を出た。永井中隊長と石川曹長東宮少佐に泊って行くよう言われて、俺たちを先に帰した。多分、永井中隊長たちは、『銀閣』の裏通りにある遊郭『銀水』へ行って、二次会を楽しむのではないだろうか。朝鮮人商売人に加わり、日本人商売人も局子街に増えているので、鉄道の発展は、多くの人を呼び寄せるものだなと俺は思った。

 

         〇

 8月、満州から、関東軍の本庄繁司令官と石原莞爾参謀長が内地に戻って行き、武藤信義大将と小磯国昭参謀長がやって来た。本庄、石原体制の下で始まった満州の動きが、武藤、小磯新体制に代わって、どうなるのか、俺たちには気掛かりだった。内地での第六十三臨時議会では内田康哉外相が〈日本国を焦土にしてでも、満州国承認を通すことにおいて、一歩も譲らない〉と発言されたという。そんなニュースが入って来た真夏の夜、銅仏寺の監視所から救援要請があった。『鹿島組』の鉄道工事宿舎の連中が賭博を楽しんでいる最中に、馬賊軍が襲って来て、賭け金を奪い、鉄パイプやレール付属金具、配線材、工具類などを持ち帰ろうとして、巡回中の銅仏寺監視所の偵察組と遭遇し、戦闘状態になったという。盗賊団は偵察組に気づかれるや、暗闇から狙撃を始め、『鹿島組』の数人が負傷し、まだ戦闘が続いているという。それを受けて、俺たちの組と磯村組の10名がトラックに乗って銅仏寺へ急行した。ガタゴト道を気持ちが悪くなる程、揺られて駈けつけると、まだ銃撃戦の最中だった。相手は何時もに無く、しぶとい連中だった。敵の首領たちは既に盗品を馬に乗せて逃げ去っており、その部下たちが、土手の向こうから銃弾を撃ち込んで来ていた。『鹿島組』の作業員たちは体格が良いのに怯え切っていた。俺は銅仏寺監視所の上田啓次郎小隊長に言った。

「朝暘川より、応援に参りました」

「かたじけない。敵は軍服を着た馬賊のようだ。何時もより執念深い」

「安心して下さい。機関銃を持って参りました」

「それは心強い」

 俺は上田啓次郎小隊長と二言三言話すと、部下に命じた。

「機関銃の準備開始!」

 俺の命令に応じて部下たちは機関銃を草地に設置し、眼鏡照準具に目をやり、俺に答えた。

「準備完了。敵位置確認完了!」

「ようし、撃て!」

 俺の部下と磯村の部下は待ってましたとばかり、一斉に機関銃を発射した。バババババババババババ!その連射に敵は危険を察したらしく、銃撃を止めた。俺や磯村の部下たちは異様な快感に満たされ、機関銃を撃ちまくった。暗闇の中で悲鳴が上がるのが聞こえた。敵が死傷者を残し、負傷しながら逃亡して行くのが分かった。

「山の方へ逃げて行くぞ」

「逃がすな!」

「追えっ!」

 部下たちは大声を上げ、賊を追った。だが相手は必死で、殺されまいと、俺の部下たちでは追いつけそうもない速さで、脱兎の如く逃げ去った。それでも負傷している二人を捕らえた。二人とも武装しており、容易ならぬ敵だと分かった。上田啓次郎小隊長は敵の死体を部下に片付けさせてから、俺と磯村と一緒になって、捕縛者の尋問を行った。俺たちの取調べに対して、一人が、こう喚いた。

「我らは黒龍義勇軍の革命兵士である。日本の軍事力によって作られた満州国は張学良政権が引継ぐべきものであり、日本軍や中国の国民党軍が統治する国ではない。満州国満州人の国であり、満州人の土地だ。もともと満州は明国とは万里の長城によって国境が仕切られており、日本とは海を挟んで隔てられていて、他民族が入って来る土地では無かった筈だ。だから我らは、他民族を満州から追放する為に戦っている。殺せ、殺せ。どんなにお前らが頑張っても、我らの血の沁み込んだ土地の上に立派な国を建てる事は出来無い。お前らが、どんなに我らの仲間を殺そうとも、我ら満州民族は戦い続ける」

 彼は手首を縛られ窮地から逃げ出すことも出来ず、死を覚悟していた。もう一人は俺たちに鞭を打たれ、こう供述した。

「我々、黒龍義勇軍黒龍会』の頭領は丁超将軍であり、張学良殿下を国王にと考えておられます。張学良殿下の後ろにはイギリスがついております。従って、我々を甘く見ると、日本はイギリスと戦争になります。お前たちは我々を解放し、イギリスとの戦争を回避すべきです。『黒龍会』の革命兵士の戯れ事と軽視したら、とんでもないことになります。我々を解放しないと、後悔することになります」

 俺たちは、そう言われても捕縛者たちを逃がす訳にはいかなかった。トラックで二人を延吉司令部に送り、収監してもらうことにした。結果、上田啓次郎小隊長と野田金太郎小隊長は表彰され、俺たちに感謝した。

 

         〇

 本庄、石原体制から武藤、小磯体制になった関東軍満州国国防軍という、新たな資格を獲得することになった。そこで頭角を現したのが、日本に帰されず、満州に残った陸軍少将、板垣征四郎だった。本庄、石原体制下ではやや目立たなかった板垣征四郎満州国執政顧問になり、本庄、石原が考えていた満州共和国でなく、満州帝国の成立を目指した。板垣は特務機関の土肥原賢二甘粕正彦を使い、清朝の最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀を天津から満州に連れて来て、満州国の執政として招いたのは自分であるという自負でいっぱいだった。それ故、自分が国家元首の側近執政顧問となり仕えているからには、何としても、清朝の故地、満州国において、溥儀を宣統帝として、踏襲させて上げたいと願った。勿論、満州国での二番目の地位を望んでのことである。このような動きの中で、9月15日、日本の斎藤実内閣は『日満議定書』に調印した。日本国側の全権は武藤信義陸軍大将、満州国側の全権は鄭孝胥国務総理が務め、協定の前書きには満州国の承認が明記された。

〈日本は満州国が住民の意志で成立した独立の国家である事を確認した。また満州国は、これまで中華民国が諸外国と結んでいた条約、協定を可能な限り、満州国にも適用することを宣言した。その為、日本国政府満州国政府は、日満両国の『良き隣人』としての関係をより強め、お互いに、その領土権を尊重し、東洋の平和を確保しようと、次のように協定する〉

 そして協定内容では、日本の満州国領域内での権益は中国と日本の間で締結されていた内容を認める事とし、日本軍が満州国の治安の為、駐屯する事を認める2項目が記され調印された。ところが、10月1日、『リットン調査団』は日本政府に満州に関する報告書を提出した。その内容は不毛の荒地を開拓し発展させている日本の地域貢献は認めるものの、満州事変は日本による中国主権の侵害である。よって日本政府は満州に於ける中国主権下の自治政府を建設させる妥協案を含む、日中両国の新協定を締結すべきであると日本に勧告するものであった。それに基づき国際連盟は、〈11月16日までに日本は一旦、満州国から撤退すべきだ〉とする決議を採択した。その報告書内容が公表されると、その内容について、野田金太郎小隊長から、俺たちに説明があった。

「本日、司令部から『リットン調査団』の報告が公開されたとの知らせがあった。その知らせによれば、『リットン調査団』の報告は満州国を認めず、中国の一部としての強い自治権を持たせた新政府の建設の必要性を提案したそうだ。また一方で、日本の満鉄の権益や経済上、国防上の満州の治安維持、近代化への努力を尊重し、満州の改革について、日中間の相互協力を促進させ、問題を解決するよう考えを示したそうだ。それに対し、国連は日本軍の満州からの撤退を決議したという」

「ええっ。何故です。誕生したばかりの満州国は、我々、日本軍に支えられているのではありませんか?」

 白鳥健吾が不満の声を上げた。野田小隊長は頷いてから、また言葉を続けた。

「勿論、その通りだ。内田康哉満鉄総裁は、先月、9月15日、満州国の鄭考胥国務総理と、日本国の全権大使、武藤陸軍大将が交わした『日満議定書』を重んじ、国会で、満州国承認を一歩も譲ってはならないと熱弁を振るったという。もともと国際協調的外交官の内田満鉄総裁の怒りは天皇陛下をはじめ、斎藤首相らが跳び上がる程、びっくりさせたらしい。お陰で日本軍が満州から撤退することは無くなった。俺たちはこの満州国を、石原莞爾参謀長が申されていたように、ヒヨッコ鳥から、世界に羽ばたく鳳凰にせねばならない」

 野田小隊長の言う通りであった。俺たちの頭の中には、あの『長春ヤマトホテル』でお会いした石原莞爾参謀長の『ヒヨッコ国家防衛論』がこびりついていた。満州共和国の誕生を喜び、五族協和を願い、欧米列強に支配されているアジアから脱し、アジア人の為の大東亜共栄圏を実現させる夢。この考えは俺たちを奮い立たせた。元来、極東アジアに血縁も所縁も無い欧米の調査団によって、アジア諸国が差配されてはならない。アジアの発展の為、アジアの平和の為に、日本人や中国人が中心になって、アジアを守らなければならないのだ。若き日、日本で教育を受けた国民党の蒋介石も欧米列強に対抗する為、アジアの主役、日本と中国がどのように団結しなければならないか分かっている筈だ。だから北伐を止め、日本に満州の治安保護を任せているのだ。俺たちは監視所内にいる時、武器の手入れ、炊事、洗濯をしながら、日本の政治経済から満州国の未来について語り合った。自分たちでは何も出来ないのを知りながら、偉そうに夜中まで語り合った。そんな話で盛り上がっている時に、突然、共匪の夜襲があった。慌てて部下を集めると、二、三人がおらず、殺られたのではないかと、俺たちは蒼白になって、弾丸を詰め替え、敵に向かって撃ち返した。俺たちの武器の威力に圧倒され、敵はドンパチを止め遁走した。そのドンパチが終わつた頃、監視所に筒井恒夫、渡辺松太郎、山田三郎が戻って来た。俺はカッとなって、部下たちに往復ビンタをくらわせた。

「貴様たち。さっき、ここで何があったか分かっているのか。何処へ行っていた?」

 俺に殴られ、部下たちは唇のあたりに血を滲ませ、何の返答もしなかった。それを見ていた栗原勇吉分隊長が怒鳴った。

「貴様ら、見てみろ。敵の銃弾の痕があるのを。俺たちは監視所を守る為、必死になって戦ったのだぞ。吉田は銃を撃ちながら、お前らの事を心配していたんだ。この馬鹿野郎ども!」

 そう言った途端、栗原分隊長は、俺よりも強く、彼らの頬に張手をくらわし、軍靴で彼らの脚部を蹴った。筒井らはよろけ、足をさすりながら謝った。

「申し訳ありません。悪くありました」

「以後、気を付けます」

「当たり前だ!」

 栗原分隊長は、膨れた顔をして、分隊長室に引き上げた。俺は、その分隊長の後を追って、分隊長室に行き、謝った。栗原分隊長は俺を叱責した。

「お前の甘さが、あいつらの気を緩ませている。遊びたい気持ちは分かるが、ここは戦場だということを、厳しく吹き込め!」

「分かりました」

 俺は栗原分隊長に深く頭を下げて、部屋を出た。それから筒井恒夫たちが、何処へ行っていたのか確かめた。筒井たちは、朝鮮人女に誘われて外出していたと白状した。俺は筒井たちに注意した。

「その女たちは共匪の手先だ。お前たちを呼び出し、監視所が手薄になったのを見計らって、襲撃して来たのだ。何度、言ったら分かるのだ。朝鮮人には気をつけろ」

 俺の忠告に部下たちは身震いして背筋を伸ばした。それにしても、共匪たちは執拗だった。それは俺たち同様、純粋に心から、仲間の為に、抗日運動に命を捧げようと志願している者たちだからかも知れなかった。その狂信的な青年たちを育成しているソ連軍を俺は恐ろしいと思った。だからといって負けてはいらねなかった。関東軍を中心にした日本軍が満州国を支援して上げないことには、満州国を自立させることは不可能であった。とはいえ、広大な満州国の隅々まで日本軍の守備を行き渡らせることは不可能であった。9月27日、満州北西部ホロンバイルで『東北民衆救国軍』と名乗り、部下の給料を着服し、満州国から解任された蘇炳文が満州里で挙兵するという事件が発生していた。満州里の山崎領事は邦人保護の為、ソ連のフィルノフ領事と交渉し、ビザ申請を行いソ連領への邦人の避難を行った。満州里一帯を占拠した蘇炳武文はホロバイン独立宣言を行い、満州里特務機関長、小原重孝大尉、宇野国境警備署長や満州人、日本人、朝鮮人などの民間人ら数百名を人質にし、日本政府に宣戦布告を行った。日本政府は関東軍に対し、張学良の息のかかった蘇炳文を説得せよと関東軍に交渉させたが、交渉はうまく進まなかった。関東軍は交渉を打ち切り、第14師団を現地に差し向けることにした。

 

         〇

 満州里の戦闘も気になったが、俺たち満州東部でも抗日ゲリラの活動は絶え間なかった。10月16日、延吉の細鱗河付近を巡察していた日本軍憲兵と通訳、朱瑞方の三人が、共匪に襲撃され、憲兵二人が射殺され、朱が連れ去られるという事件が起きた。俺たちは、その犯人が、共匪であることは分かっていたが、彼らを捕らえることが出来なかった。反対に共匪の拷問を受けた朱瑞方が、組織内で働く『民生団』の宋養民たちが、吉興司令官に送り込まれた密偵であると自白した為、『民生団』の20名程が、宋老人とともに抗日遊撃隊に処刑された。このような状態にあって、関東軍は、満州国から、撤退する訳には行かなかった。結果、日本政府は11月16日までに関東軍満州から撤退させず、11月21日、国際連盟に『リットン報告書』の内容を受け入れられないとする意見書を提出した。やがて雪と吹雪の厳しい満州の冬になった。その影響でだろうか、馬賊共匪の襲撃も減少した。気温が氷点下になっても、俺たち日本軍の兵隊が、寒さに強い地方の出身者の多い軍隊であると分かったらしい。共匪の中には食料が無くなり、投降して来る者もいた。俺たちは、そういった連中を始末しても良いと言われていたが、延吉警備司令部に連れて行き、吉興司令官らに、彼らの転向を勧めるよう説得して欲しいと依頼した。そんな或る日、局子街の司令部基地から、野田金太郎小隊長がやって来て、俺たちに言った。

「おい、お前たち。何時も吉興司令官らに、逆賊の更生をお願いしてばかりしていてどうする。たまには自分たちで、逆賊を説得してみろ」

 俺たちは命じられれば、逆賊たちの説得に挑戦してみますと答えた。すると吉興司令官も、それは良い考えだと、俺たちに収監している共匪たちの説得を行わせた。俺たちは延吉警備司令部の凍るような拘置所に行って、一方的に説得した。俺は延吉警備司令部の林徳源主任に通訳を依頼し、まるで小学校の校長をしている父になったが如く、拘置所内の連中を集め、こんな説得をした。

「私は関東軍の兵士では無く、朝鮮北方連隊の者である。本来、この地に駐在する筈では無かったが、人々が平和を求めて一生懸命働いているこの地に、お前らのような悪党が跳梁跋扈するので、この地の治安維持の為に、朝鮮からここに派遣された。俺にはお前たちのことが分からない。俺は日本の貧しい農村の生まれであり、百姓の苦しみも分かっていれば、豊作の喜びも分かっているつもりだ。従って、お前らが何故、食料強盗、殺人、鉄道破壊、建物放火などの乱暴を、行うのかが理解出来ない。この地で暮らす人たちが収穫したり、作り上げて来たものは価値のある貴重な物だ。それを暴力で奪い取るとは無慈悲ではないか。誰かにそそのかされてやったのであれば、目を覚ませ。お前たちは働かずして、不満を抱いているのではないのか。金が得られない。生活が苦しい。食べる物がない。嫁をもらえない。そういったことを、自分で努力せずに、誰かのせいにしているのではないだろうか。日本軍が悪い。満州の政治が悪い。大地主、大金持ちら素封家が悪い。総て他人のせいにしていないだろうか。この中には朝鮮に住んでいたのに、朝鮮を捨て満州に逃げて来た者もいると思う。お前たちは満州に新天地を求めてやって来たが生活が以前よりも苦しので、ソ連軍の手先になって活動しているのではないのか。ソ連軍に洗脳され、自分たちの親たちが汗水たらし、作り上げて来た貴重な物を、お前たちは、盗んだり、破壊しているのではないのか。そのような繰り返しが良い事だと思っているのか。そんな人生で良いのか。その人生の道を選んでいるのは誰か。それを選んでいるのは日本軍でも、満州政府でもなければ、俺たちでも無い。お前ら自身が選んで来た道なのだ。総ての事は他人のせいでは無く、自分自身のせいなのだ。だから今、ここにいるお前たちは、これからの自分自身の道を自分で選択出来る。一度しかない人生だ。良く考えろ。日本国は台湾、朝鮮、満州支那の平和を切望している。欧米から搾取されているインドやタイやフィリピンのようにならぬよう、東亜の平和と団結の為に、建設的活動をしている。俺たちが今、急いでいるのは東満州鉄道の完成である。この鉄道が完成すれば、この間島地区はより豊かになる。お前たちは破壊こそ正義だといって、ソ連が言うがままに俺たちが建設を急いでいるものの破壊行為を続けているが、何が正義なのか分かっているのか。ソ連共産党に騙されるな。共産とは上に立つ者を極力少なくし、どん底の者を最大限に増やし、国民を酷使する偽善思想である。いわば独裁である。我々、日本軍が行っているのは満州発展の為の建設だ。お前たちはこれから、ここにおられる吉興司令官殿の教えに従い、満州国の建設の為に尽くせ。破壊は正義ではない。建設こそ正義だ。これからは、こそこそせずに満州国の建設の為に堂々と生きよ。人生は自分次第だ。自分たちの明るい未来は建設によって築かれる。頭を冷やし、吉興司令官の下で働け」

 俺の説得を延吉警備司令部の林徳源主任が通訳してくれたが、それが、どの程度、正確に拘置所にいる収容者たちに伝わったか、俺には分からなかった。結果は吉興司令官も野田金太郎小隊長も、中々、良かったぞと褒めてくれたので、ある程度、良かったのであろう。だが俺は嬉しくは無かった。通訳の林徳源が俺の演説が終わって、事務室に戻ってから、こんなことを言ったからだ。

「寒い冬になって、悪い事を行い、ここにやって来る連中は、厳しい冬を拘置所内で過ごす為にやって来るのです。ここに来れば食事がもらえ、寒さをしのげるからです。彼らは何度、説得しても、ものが理解出来ない愚か者たちです。期待しては駄目です」

 俺は林通訳の言葉を聞いて、愕然とした。どうなっているのか、大陸の教育は?

 

         〇

 昭和8年(1933年)、俺たちは極寒の満州の間島地区で、正月を迎えた。俺は父と妹と弟たち四人の家族が、どのような正月を迎えているのだろうかと、内地の正月を想像した。父は酒を飲み過ぎているのではないか。妹たちは正月の晴れ着を着ることが出来たであろうか。弟か書初めをちゃんと書けただろうか。あの中島綾乃は元気だろうか。嫁に行ってしまったのではないだろうか。雪と寒風の吹きすさぶ景色を眺めながら、故郷のことを思っていると、お屠蘇を飲んで、ちょっと酔っぱらった白鳥健吾が寄って来て、俺の肩を、ポンと叩いて言った。

「おい、吉田。お前、飲まないのか。内地でも恋しくなったか」

「うん。まあな」

「彼女のことでも気になっているのか?」

「いや」

「分かっておる。ここ数年、会ってない彼女が、嫁に行ってしまったのではないかと心配しているのだろう」

 白鳥は俺が何を考えているか、お見通しだった。俺は、ちょっと照れて答えた。

「まあ、そんなところだ」

「俺は『更科』の桃代のことが気になっている。早く会寧に帰りてえな」

「うん」

 元気の無い俺の返事に白鳥は、俺を励まそうとした。

「大丈夫だって。お前は色男だから、彼女は、お前の帰りを待っているよ」

「そうだと良いのだが・・・」

「もし彼女が待っていなかったら、俺の妹をもらってくれ。美雪っていうんだ。妹で無かったら、俺が嫁にもらいたいくらいの美人だぞ」

「本当か。本当に良いのか」

「本当だとも」

 白鳥は迷わずに頭を振った。そして俺を新年を祝って酒を楽しんでいる仲間の所へ連れ戻した。局子街の基地からやって来た石川繁松分隊長を囲んで、栗原軍曹以下、朝暘川監視所の連中は、ご機嫌だった。こんな時に共匪の襲撃があったらどうなるのか。俺は自分だけでも、しっかりしていなければ駄目だと思った。正月気分に酔っているのは日本人だけだった。満州人にも朝鮮人にも、日本人が祝う新暦の正月は、他国人の正月でしかなかった。彼らにとって、春節が新年だった。俺は石川分隊長に酔ったふりをして質問した。

「石川分隊長。去年の春節は第二師団の多門師団長の指示で、敵陣攻撃をしましたが、今年も馬占山軍との戦闘が指示されるのでしょうか」

「今年はあるまい。年末、大興安嶺で第14師団の荒木克業中尉が亡くなられたが、ホロンバイルの反乱軍の蘇炳文らはソ連へ亡命し、今や抗日軍はバラバラにされ、あちこちに孤立しており、こちらから攻撃する必要が無くなっている。馬占山将軍は存在感を示しながらも、満州国の成り行きを見守っている。小競り合いして来るのは、目先のことしか考えない愚連隊だけだ」

「でも愚連隊が優秀な指導者によって連結を広めたなら大きな力になります」

「心配することは無い。奴らの行動は関東軍飛行隊によって、絶えず空から監視されているのだ」

「とは言っても、彼らは決して屈しない馬占山の義侠心に惚れこんで、命懸けでやって来る連中です」

 俺が石川分隊長と、そんなやりとりをしていると、突然、吉興司令官が現れ、笑って俺に言った。

「確かに、そういう奴らもいます。だが心配いりませんよ。馬占山は自分の手で大統領にして上げようと考えていた張学良元帥が、阿片中毒になっているのを知って、がっかりしている頃でしょうから・・・」

 俺たちは吉興司令官からの話を半信半疑で聞いた。それも束の間、武藤信義関東軍司令官と小磯国昭参謀長は、満州国の治安を確保する為には、北平に近い熱河を確実に守備範囲に治める必要があり、正月早々、まずは山海関を攻略した。俺たちには何故、関東軍の第6師団が正月初めなのに戦闘を開始したのか理解出来なかった。理由は元日の夜、山海関の日本憲兵分遣所に手榴弾が投げ込まれ、翌日、中国軍が不法射撃を始め、児玉利雄中尉が戦死したことから始まったという。それに対し、関東軍は陸海空から中国軍を攻撃し、中満国境は正月から戦闘が続いているという。また第10師団も歩兵第8旅団の園部支隊を出動させ、牡丹江の東、綏芬河のソ満国境で、吉林自衛軍と戦い、敵の将軍、李延禄や丁超らをソ連領に撤退させた。王徳林と孔憲栄はソ連に逃げ去った。そんな山海関や磨刀石での争いが治まると、満州国は賑やかな春節を迎えた。去年の春に始まった五族協和満州国は、ここ一年で鉄道が発達し、新京が生まれ、都市の近代化が進み、満州人以外の朝鮮人、日本人、蒙古人をはじめ、支那人までが、満州国に集まって来た。明治維新により文明開化を成功させた日本が指導力を発揮し、新国家発展に協力している満州国は国際的にも注目を浴びている。その満州国は、ある者にとっては、未来に輝く大陸の星、眩い五色の国であった。街には五色旗がはためき、爆竹が鳴り、いろんな衣装を着た大人や子供たちが行き交った。一年目の春節は、関東軍の多門二郎中将の率いる第2師団と馬占山の率いる黒竜江軍が対峙し、どうなるかと思っていたが、馬占が春節に合わせ関東軍に帰順した為、若干、緊張感は緩みはしたものの、ピリピリした春節であった。しかし、今年は違った。俺たちが局子街をはじめとする間島地区で目にする今年の春節の雰囲気は、日本の正月以上の盛り上がり様であった。とはいっても、俺たちは油断してはならない状況だった。何故なら去年の初め、満州国に一旦、従属した馬占山が去年の4月には満州国軍から離脱し、抗日救国軍と称し、『黒龍会』や『大刀会』、『紅槍会』を加えて、未だ反抗を計画しているからであった。正月、延吉警備司令部の吉興司令官が、心配はいらないと言っていたが、俺たちは最前線で駐留している部隊である。故に反乱軍の攻撃が、ゼロということは在り得ない。どんな小さな戦闘でも、誰か負傷者が出る。油断をすれば死ぬのは自分だ。南西方面では山海関から始まった戦闘が続いて、戦死者が増えているという。満州の東北を守備する俺たちとしては、春節だからといって、一般住民たちにように気を緩めてはならなかった。だが俺の部下たちは、相変わらず呑気だった。あのタバコ売りの曺叔貞の下で働いている趙知英や李善珠を追いかけまわし、青春を楽しんでいた。俺もその仲間に加わり、遊びたいところであるが、彼女らは危険であるし、自分の組を纏めなければならなかった。俺は栗原軍曹や鈴木伍長らと一緒になって、春節気分の抜けない部下を叱責した。

「お前たち、まだ春節気分が抜けんようだな。少し、ぶったるんでいるぞ。俺たちは幸運にも命を長らえているが、何時またあの烏吉密河に参戦した時のような恐ろしい危険に襲われるか分からないのだ。ここが未だ戦場であると認識せよ。山海関を占領した第8師団は今、熱河作戦を開始し、裏切り者の湯玉麟を満州から追い出し、万里の長城線を確実に統治しようとしている。この満州国の領土範囲を明確にする為の関東軍の進撃は、満州国民にとっての願いであり、何としても成功させなければならぬ行軍である。そんな命懸けの戦いを仲間がしている時、お前たちは敵を追いかけず、女の尻を追いかけているとは何事だ。前にも注意した筈だ。曺叔貞は共匪の仲間だ。俺たちが守らなければならないのは、彼女たちが付き合っているソ満国境の共産党の抗日組織の連中を討伐することだ。分かっているか」

「分かっております」

 部下たちは一斉に答えた。すると鈴木伍長が栗原軍曹を真似て、軍靴の音を立てて、一回りしてから、言った。

「よし。分かっているなら一般人との交流には気を付けろ。敵は朝鮮人満州人、そればかりか、日本人の中にも潜んでいる。だが本当の敵は、そいつらで無く、その背後にいるソ連軍だ。ソ連の連中は、人道に反する卑怯な方法で攻めて来る。俺たちは馬占山の『黒龍会』や『大刀会』に注目しているが、東寧に逃げた王徳林の反日義勇軍の方に、もっと目を向けなければならぬ。あいつらは執念深い。油断は禁物じゃ」

 鈴木伍長は『黒龍会』より、王徳林軍の残党、呉義成たちの逆襲を心配していた。彼らはソ連軍同様、女兵士を起用し、女にだらしない男たちを篭絡して来るのだった。そんな男たちを狙って、朝鮮妓楼も延吉で商売を始め、俺たちは日々、賑やかさを増して行く酷寒の満州の不思議に目を白黒させた。満州国はどうなるのか。人がどんどん集まって来る。憧れの鉄道が延長されて来ている。俺たちは憧れを抱いて満州に集まって来る人たちの為に、満州の治安維持に、より一層、全力を尽くさねばならなくなった。

 

         〇

 俺たちが白銀の満州の東北部でこごえながら守備している間、スイスのレマン湖のほとり、ジュネーブでは、国際連盟の総会が行われていた。その総会で『リットン報告』を受けつつも、日中間で小競り合いを続けている満州問題に外国の批判が高まり、日本軍の満州からの撤退と満州国承認の可否についての審議が行われた。この時の日本代表首席全権大使は松岡洋右だった。松岡洋右田中義一内閣の時、満鉄副総裁を経験しており、出席している誰よりも、満州の事を理解しているという自信でいっぱいだった。それに日本政府は昨年、すでに満州国の独立を承認していたので、『リットン報告書』が何をいわんやであった。更に松岡洋右満州問題を詰問され、困った時の助っ人として、兵器本廠付きとなっていた石原莞爾を随員として連れて行っていた。二人とも情熱家であった。松岡は論じた。

「あなた方はアジアの歴史を知らない。三国志の話をしても、チンプンカンプンだろう。清国以前の歴史を辿れば、あなた方が言う中国は、三国以上の国々だった。そのような歴史から清国とロシアの板挟みになっていた満州の人々が、もともと独立国家に近い状態で、結束して、満州の大地を守って来たことは、お分かりであろう。その満州の人たちが、近代化を目指し、独立国として、産声を上げたのだ。それを何故、あなた方は認めようとしないのか。何故、我々、日本国のように、素直に認めてやれないのか。何故、我々の満州国への協力が、侵略に値するのか。何故、国として定まっていない無政府状態の中国と、新条約を締結せねばならぬのか。こんな状態で満州の近代化に尽力投資して来た我々に、満州から撤退せよとは道理から外れている。そんな乳飲み子を見捨てるような国際連盟であって良いのか。清国滅亡後、未だに定まっていない中国の治安維持の為に日本を大陸から追い出し、欧米諸国連合で共同管理するのだなどと、訳の分からぬ提案をして、型を付けようなんてことは、あってはならぬ事だ」

 石原も論じた。

満州国は、もともと満州人、蒙古人、朝鮮人ら北方民族が暮らして来た土地である。最近、支那人が入って来ているが、それは清国が滅亡してからのことである。日本がロシア帝国から、満州の土地を満州人たちに取り戻してやらなかったら、黒髪の美しい人たちの故郷は枯草のような髪をした人たちの世界になってしまったに違いない。そうならぬよう、我々、黒髪の美しい日本人は、満州人を応援して来た。朝鮮王朝は自分たちの保身の為、日本の保護国では無く日本国との併合を希望し、日韓併合となったが、それは朝鮮国民の総意で無かったと、併合してから後になって判った。満州人の中には日満併合を願う人たちもいるが、我々は同じ失敗をしてはならぬと、独立国家を希望する満州の人たちの生活向上の手助けをして来た。その黒髪の美しい人たちを愛する我々を、枯草のような髪をした欧米の連中が、自分たちが満州を管理するから、我々に出て行けというのだ。おかしいとは思わないか。我々が資本を投資し、充実させた満州の鉄道、道路、電気、水道、鉱山、工場、公共施設などをどうするのか。我々が後押しして来た五族協和の共和国は、アメリカやロシアが理想とする君主を置かない共和体制の国として出発したのだ。それを国家として認めないのはおかしい」

 かかる考えの二人が会議に臨んだのであるから、会議が上手く進む筈が無かった。だがイギリス、フランス、アメリカ、ソ連をはじめ、多くの国々が寄ってたかって日本に満州国承認を取消すよう迫った。それに対し、日本代表首席全権大使、松岡洋右は欧米の要求に応ずることなく弁舌した。

「皆さんの意見にお応えする。そもそも、議題の極東問題の根本的問題は清国滅亡後の中国大陸の無政府状態に起因している。長年の間、中国は主権国家としての国際的義務を疎かにして来た。隣国である日本は、最大の被害者である。もし、皆さんが、この『リットン報告書』の意見を採択すれば、内乱を起こしている中国に免罪符を与えることになる。中国が日本を侮辱し続けても罰せられないと印象づけるであろう。本来、日中は友人であり、互いの繁栄の為に協力すべき間柄である。それなのに、日本国の満州国からの撤退を要求する報告書を国連が採択すれば、日中両国の民を救うことは出来ない。そうなれば日中両国民は、互いを傷つけ合うことになってしまう。極東平和と世界平和の為に、皆さんに、この報告書の意見を採択しないよう、心からお願いします」

 そして2月24日、国連の議長により『リットン報告書』の意見に対する賛否の投票が行われ、その結果が発表された。44ヶ国のうち42ヶ国が賛成、1ヶ国が棄権、日本1ヶ国が反対という結果になり、日本の満州政策が非難された。その結果を受け、松岡洋右全権大使は激怒し、発言を行った。

「この投票結果に対する日本政府の声明をお伝えする。我々はこの投票結果に愕然としている。とても残念でならない。言うまでも無く日本国の基本理念は国連の純潔なる望みに基づく、極東における平和の保障及び世界平和維持への貢献である。しかしながら日本は断じて、この国際連盟の勧告の受け入れは納得容認し難く、拒否する。日本は、これ以上、国際連盟に協力することは出来ない」

 松岡洋右の弁舌に会議場内は静まり返った。松岡洋右は声明を終えると、石原莞爾たちに言った。

「帰るぞ」

 石原莞爾たちは、その松岡に従い、直ちに総会の席から退場した。その胸を張って退場する姿は、まるで凱旋する将軍たちのようであったという。俺たちは、その話を伝え聞いて、興奮し、喝采を送った。東アジアの未来を欧米諸国に掻き回して欲しくない。大東亜共栄圏の夢は、日中が協力して果たさなければならない未来なのだ。

 

          〇

 ところが3月3日、日本を困らせる事件が起こった。岩手県釜石町の東方沖、約200Kmを震源とする大地震が発生し、沢山の死傷者が出た。そんな内地のことを知らず、国際連盟に同意しなかった日本軍は、満州国から撤退せず、満州国をより確実な国家にする為に、山海関攻略に続いて、内蒙古の熱河制圧に着手した。3月4日には承徳を占領した。この疾風の如き関東軍の戦闘勝利は、騎兵部隊や歩兵部隊の死を覚悟した勇気と牧野飛行部隊の活躍によるものだった。関東軍の武藤司令官と小磯参謀長は、飛行部隊の有効性を高く評価し、その増強を計画した。そこで俺たちが守備する布爾哈通河の南にも飛行場を作ることになった。その為にまた局子街の人口が増え、俺たちは忙しくなった。憲兵隊がいるものの、反乱分子も増加し、春に向かうにつれ、共匪の夜襲も多くなった。馬占山軍や反日義勇軍が、各地で暴れ回った。彼らの反抗が強まれば強まる程、関東軍は兵力を増員し、進撃して、万里の長城線まで侵攻した。この時点において日本を代表して内田康哉外相が、3月28日、国際連盟の脱退を表明した。このことにより満州国は自立し、国際連盟の権威は傷つけられ失墜するに至った。アジアを欧米の勝手にさせないぞ。それがアジアの覇王である日本の矜持であった。それにしても、合衆国制度を自慢するアメリカが何故、アジアの合衆国化に反対するのか、俺たちには理解出来なかった。それは欧米人の自己中心的な難癖に思えた。無政府状態になっている清朝滅亡後の中国大陸を、和をもって統制させようとしている日本を排除しようとする反対勢力は、武力をもって制圧するしか無いように思われた。満州国は日本国の国際連盟脱退により、その存在感が高まった。その為、満州国を充実させようとする日本人や満州で一儲けしようとする韓国人や、内戦の続く中国から平和を求めて逃げ込んで来る支那人が、満州に雪崩れ込み、満州国は活況を呈した。中にはソ連共産主義政権を嫌い、満州に逃れて来る白系ロシア人もいた。このようであるから雪解けが始ると、朝暘川あたりでも人流が増え、監視するのも大変だった。俺たち日本軍人は、一部の人間を除いて、多くの人たちから一目置かれた。また日本国籍を嫌がっていた朝鮮人たちの中にも日本人名を名乗り、優越感を示す者が増えて来た。何処から聞きつけて来たのか、あの朴立柱の妹、英姫が俺の所に尋ねて来た。日頃、部下たちに、女の尻を追いかけるなと言っている俺としては立場が無く、困惑したが監視所長の栗原軍曹は大目に見てくれた。

「折角、金在徳の知り合いがやって来たのだ。局子街の焼肉屋にでも、連れて行ってやれ」

 俺は有難く栗原所長の許可を得て、局子街の繁華街へ行った。そこの焼肉店『松杉食堂』に入ると、食堂内に立ち込める煙と焼肉の匂いが、何ともいえなかった。

「オソオセヨ」

 店主が英姫に向かって満面の笑みを浮かべて言った。俺はテーブルに座っている面々を見渡して、英姫に訊いた。

「皆、知り合いか?」

「ハシメテヨ」

「遅いじゃあないかと言っていたじゃあないか」

「ワスレタノ、ハングル。イラシャイマセヨ」

 そう言われれば、そうだ。俺はそう言われて、少し平静になった。カルビと石焼ビビンバを註文し、それを食べながら近況を話し合った。彼女は図們の親戚の所へ来たので、ついでに延吉まで足を伸ばしたのだという。そして兄と一緒に雄基で待っているからと言った。俺は朝鮮の連隊に戻ったら訪問するからと答えて、彼女と別れた。俺は彼女と別れてから、近くの席で話していた関東軍一等兵たちの話が気になった。

「トラックに武器を積んだまま、行方不明になっているが、匪賊に襲われたのだろうか?」

 俺は局子街から朝暘川の監視所に戻りながら、俺たちの知らない事件が起きているのだと想像した。真剣な顔をして考え込んで監視所に戻った俺を見て、部下たちはニヤニヤと笑った。

 

         〇

 満州の春は冬の零下何十度の気温が、まるで嘘であったかのように温かく、沢山の花が咲いた。この時期になると、小便が氷柱になることも無く、手袋をせず、素手で銃を持っても手の皮が剥がれずに済んだ。俺たちは元気を取り戻し、あの『長春ヤマトホテル』で聞いた石原莞爾参謀長の満州国への大義に向かって、ひたすら励んだ。満鉄が進める吉会線の鉄道レール敷設工事は『鹿島組』によって順調に進められ、局子街の飛行場や官舎も『間組』が手掛け、関東軍の駐屯兵舎も、『松村組』によって、建設が行われて、間島省の全域が近代化に向けて盛り上がった。勿論、同様に新京や吉林にも、『大林組』や『清水組』が入り、建設工事が進行していた。従って満州の街に日本人の数も増え、楽しみが増した。俺たち同期の者は、上司が昇格し、部下が入って来たことから、それぞれ格上げになり、俺は伍長になった。そして4月初め、局子街の分隊に鈴木班、小谷班の仲間と一緒に移動となった。朝暘川監視所には小高班が残り、木下忠治班と迫田照男班が、会寧からやって来た。局子街の分隊には野田金太郎准尉や石川繁松曹長などの他、独立守備隊の連中もいて、独立守備隊は石島竹二郎少尉の指揮のもと、既設鉄道の守備を行っていた。両部隊が互いに連携し、間島一帯の交通の安全と治安維持の為に昼夜、頑張っていた。従って、このあたりでは今までのように匪賊が現れず、敵と戦うことは、ほとんど無いと、石島竹二郎少尉は威張っていた。ところが4月5日、灰幕洞の図們駅監視所と『鹿島組』の宿舎が何者かによって奇襲され、放火されると言う急報が入り、俺たちは目の色を変えた。トラックに乗ったり、馬に乗ったり、走ったりして現場に駈けつけると、駅周辺の建物から炎が燃え上がっているのが見えた。敵は灰幕洞を占領しようとしていたらしく、鉄道守備隊や『鹿島組』の建設守備隊に向かって、滅茶苦茶に発砲して来ていた。俺たちは直ぐに陣を構え、敵に向かって撃ち返した。だが敵は怯むことなく抗戦を続けた。弾丸が頭上をかすめて通過する音に身震いした。撃たれて死ぬかもしれないと思った。

「ああっ!」

 側にいる者が撃たれて声を上げた。俺は叫んだ。

「怯むな。撃て、撃て!」

 俺たちは恐怖に怯えながらも必死になって敵に向かって発砲した。機関銃を含めた俺たちの勇ましい反撃に、敵は逃走し始めた。俺は部下を引き連れ、闇の中を走り、逃げ遅れた数人を取り囲んだ。俺たちの撃った弾丸が当たって、足に傷を受けた仲間を助け出そうと、モタモタしている連中だった。ビッコを引き引き苦しんでいる男は、自分を捨てて逃げるよう、仲間に叫んでいたが、その男の仲間、三人は逃げようとしなかった。俺たちはその四人を捕らえ、麻紐で繋いで局子街の分隊に連れて行った。分隊には我々、朝鮮75連隊と独立守備隊に捕らえられた敵兵20人程が集められていた。彼らの奇襲で、俺たち75連隊には死者は出なかったが、独立守備隊の5人と民間人3人が犠牲になった。かって銅仏寺や頭道溝や安図での戦闘を経験したが、今回の奇襲は、今まで以上に激しく、馬賊の襲撃とは何処か違っていた。捕縛者たちは何時ものように延吉警備司令部に送られ、吉興司令官の部下たちの尋問によって、犯行組織の情報を白状させることとなった。だが相手はしぶとく正義は必ず勝つと言っているという。毎回、襲撃されるたびに思うことであるが、話し合いは出来ないのであろうか。地域発展の為に農作物を栽培したり、交通路や街の施設を建設したりしているものを、盗みに来たり、破壊しに来ることが、本当に正義なのか。この地で暮らす、満州人や朝鮮人たち、自分の縁者たちの生活が向上することを彼らは良いと思っていないのだろうか。五族協和満州国の発展が、満州の地で暮らしながら不都合だというのか。ならば、満州で乱暴狼藉などせず、別の国に行けば良いではないか。なのに何故、満州に居残り、血を流す。俺は殺し合いを好まぬ。満州国五族協和の楽土でなければならぬ。俺が、そんなことを考えている以上に、今回の灰幕洞の戦いで、とんでもない事が判明した。戦死者が出たことだけではない。捕えた者の中の数人が、女性だったからだ。その中の一人、金恵里という共産党朝鮮人が『女子赤色革命軍』に属し、日本人の恋人の仇を討つ為に、灰幕洞を襲撃したと白状した。何と、その日本人の恋人というのが行方不明になっていた独立守備隊の伊田助男だというのだ。それを聞いて、石島竹二郎少尉は卒倒しそうになった。伊田助男が歩兵銃と弾薬を満載したトラックに乗って、彼女の住む馬家大屯に行き、射殺されたというのだ。金恵里は伊田助男が自分宛てに書いた手紙に、こう書かれてあったと手紙を示した。

:親愛なる金恵里様。先日はいろいろのことを教えていただき、有難う御座いました。お陰様で、冬の間、縮こまっていた身体が活力を増し、元気を取り戻しました。貴女が愛国主義者、国際主義者の共産党の遊撃隊に入った理由を聞かされ、感動しました。自分は貴女たちの仲間に加わり、自分たちの未来を切り開く為に、共同の敵を打倒したいと思っております。自分は今、帝国主義の連中に囲まれていますが、この帝国主義の波に呑み込まれること無く、逸早く新たな未来を掴む為に、自らの命を懸け、200挺の三八銃と5万発の弾薬を、貴女たち遊撃隊に贈ることに決めました。多分、武器輸送担当の自分がいなくなれば、自分の所属部隊の連中が、自分を追いかけて来るでしょう。その時は、日本の攻撃隊を狙い撃ちにして下さい。自分は死んでも貴女たちの為に、命を捧げます。貴女の仲間と共に戦いながら、共産主義国を、この地に実現させたいです。万が一、その途上で自分が命を落とすようなことがあっても、自分の革命の精神は生き続ける事でありましょう。神聖なる共産主義社会の一日も早い到来を、共に果たそうと願っております。

 関東軍間島日本輜重隊

      伊田助男

   昭和八年三月三十日  :

 その伊田助男を射殺した者が、独立守備隊の者であり、自分は伊田助男が提供してくれた武器を持って、仲間を引き連れ、復讐にやって来たのだと、金恵里は石島竹二郎少尉を睨みつけて言ったという。俺は、この伊田助男の話を聞いて、局子街の焼肉店『松杉食堂』で関東軍一等兵たちが、行方不明になっていると噂していた男が、伊田助男であると知った。また伊田助男の恋人の女性が、男の形をして、軍服姿で攻めて来たことには驚きであった。そういえば朝鮮の雄基の監視所にいた時、氷結した豆満江を渡り出会ったユリア・ソメノビッチもイリーナ・シェルバコワも女なのに軍服姿だった。ソ連軍に洗脳された『女子赤色革命軍』の女たちには、男も女も無いのだ。この灰幕洞の夜襲事件は大問題になった。独立守備隊の井上忠也中将の命令で、独立守備隊から、中山陽吉大尉がやって来た。朝鮮75連隊からは斎藤春三大佐が乗り出して来て、間島一帯を守備する俺たちは大目玉を食らった。そして敵の隠れ家を徹底的に調べ上げ、共匪を討伐するよう命令が下った。この命令を受けて、石島竹二郎少尉は、延吉警備司令部の吉興司令官と一緒になって、拘置所にいる逮捕者を追求した。時には拷問を行った。結果、敵は東寧にいるロシア人が支援している『赤色遊撃隊』で、李延禄の部下、朴聖吉が隊長だと分かった。また尹哲順や曺叔貞が女子革命軍を率いているとのことであった。その為、渡辺松太郎が親しくしている趙知英や李善珠や姜敬愛が警備司令部に呼び出され、取調べを受けた。だが深い関りは露呈されず、釈放された。俺は少なからず、彼女たちが共匪密偵であると疑っていた。何故なら趙知英の兄、運信はあの崔令叔の妹、崔永叔と恋仲と聞いていたからだ。独立守備隊の中山陽吉大尉は、石島竹二郎少尉に、赤色革命軍の本拠地を突き止め、二度と立ち上がれぬよう、敵の全滅作戦を指示し、自ら俺たちの中隊長、永井岩吉少尉や延吉警備司令部の吉興司令官に声をかけ、共同作戦の計画を進めた。

 

         〇

 我々、日本軍部隊は治安攪乱を繰り返すソ連共産党軍の支援を受ける赤色革命軍の本拠地が、ソ連に逃亡した筈の王徳林がいた汪清村であると突き止めると、直ぐに作戦計画を練った。各部隊間の打合せにより、独立守備隊が東方の十里坪方面から、満州警備隊が龍岩村方面から、俺たちの朝鮮75連隊が百草溝方面から、三方攻撃を仕掛けることにした。また歩兵39連隊の竹本宇太郎少尉とも連絡をとり、北方の警備を依頼した。4月15日、土曜日の早朝、日本軍と満州軍の連合軍は5千名の軍勢にて、ソ連共産党配下の赤色革命軍の本拠地、汪清村めがけて出発した。騎兵隊を先頭に、歩兵隊、野砲隊、トラック輸送隊と続く行軍の姿は間島地区の町民や農民をびっくりさせた。住民に見送られ、歌好きの角田武士が、『朝鮮国境守備隊の歌』を唄い出すと、俺たちもそれに合わせた。すると栗原軍曹が、俺たちに向かって怒鳴った。

「馬鹿者!そんな大声を出して向かったら見つかってしまうではないか」

 俺たちは慌てて唄うのを止めた。それを見て、馬上の永井岩吉中隊長が笑って言った。

「栗原軍曹。まあ良いではないか。こんなに大勢で行くんだ。歌を唄わなくったって気づかれるよ」

「それじゃあ、敵に逃げられてしまうではありませんか」

「逃げられたって良い。残った者を捕らえれば良いのじゃ。我々の仕事は、稲を荒らす雀を追い払うようなものじゃ」

 俺は、その永井中隊長の言葉を聞いて驚いた。独立守備隊の中山陽吉大尉に永井中隊長の発言を知られたら、問題になると思った。兎に角、俺たちは、かねての手筈通り、烟集川方面から百草溝を経て汪清村の西側に進んで、陣を張った。そして正午のラッパと同時に汪清村部落に突入した。先ずは発煙隊が発煙弾を撃ち込み、敵を追い出した。すると民家の中から敵が一団となって跳び出して来て、俺たちに応戦し、銃撃戦となった。中には弾丸の恐ろしさも知らず、竹槍などを持って、突進して来る者もいた。俺たちの奇襲の効果が上ったのは最初のうちだけだった。敵側の人数も次第に増えて来て、攻勢に転じた。赤色革命軍は普段から訓練しているのか、女、子供までもが戦闘に加わった。女たちも銃を持ち、刃向かって来た。子供たちは丘に登り、赤旗を振って、革命兵士激励の声を上げた。俺は前もって女、子供を撃つなと命じていたが、いざ戦闘になると、その約束が守られているかどうか分からなかった。頭の上を弾丸が飛び交い、味方が撃たれ、血を見ると、身体が震えた。死んではならぬ。死んではならぬ。その頃合いを見計らってか、俺たちが前に出て誘い出した敵を機関銃部隊が一斉に射撃した。すると敵の一角が崩れ始めた。およそ小半時余り経ってからだった。俺たちに向かって攻撃していた敵が浮足立って身を翻し、逃げ去った。東方から独立守備隊が、南方から満州警備隊が駆けつけて来て、敵は三方から包囲される形になり、尖山や天橋岭、張家店といった北方へ後退した。その敵兵に向かって野砲隊が三八式野砲を撃ち込んだ。あたりには硝煙が棚引き、まるで夏呀河に、靄がかかっているようだった。その野砲隊の攻撃が終わると、銃声も止んで、あたりは静まり返った。暫くすると、村の農民たちが手を上げて降参して来た。彼らの多くは赤色革命軍に拘束されていた農民たちで、奴隷のように強いられた生活から解放され、喜んだ。独立守備隊の中山陽吉大尉は馬から降り、農民たちに安心するよう伝え、死体の埋葬を手伝うよう依頼した。銃声に驚き、牧場から逃げ出し、乱走していた牛たちも、また元の場所に戻り、何事も無かったかのように、草を食み出した。老爺の山々と夏呀河の流れと青空。何と素晴らしい土地であることか。討伐隊は汪清村の東北と西北に陣を構え、露営を決定し、翌日も天橋岭、張家店へと後退する活動家たちを追った。活動家たちは、深夜に何度も襲って来たが、満州の連合守備隊に勝てる筈が無かった。翌々日、独立守備隊をはじめ俺たちは三日間の行軍を終え、それぞれの隊に戻った。後は満州警備隊と航空部隊に監視を一任した。この戦いでの朝鮮75連隊の死者は2名、負傷者は20名程であった。この汪清村攻撃で捕らえた赤色革命軍の多くは、農民、労働者、学生などで、満州国政府は、その者たちを一般国民に復帰させる為の思想改革収容所を開設していた。俺はその為、その間島特設収容所に行って、満州国の明るい未来について語って欲しいと頼まれた。延吉警備司令部の吉興司令官や俺の上官たちは、俺が延吉の拘置所で、何度か逆賊の更生教育の手伝いをしたことがあるので、時々、俺に講義を要請して来た。俺は上官の命令により、特設収容所に行き、反乱者に自分の思いを語った。

「俺は満州国の治安維持の為に、ここに派遣された一兵卒である。何故、俺が親や兄弟と離れ、海を渡って、わざわざ満州に来ているのか時々、考えたりする。果たして俺がここに来る必要があったのか。だが、この美しい満州の大地を見て、俺は自分が派遣されたことの意義を知った。それは、かってこの地にはロシアと清国の板挟みになり、荒らされ続けて来たという不幸な歴史があり、今なお、それが解消されていないという現実を目にしたからである。日清、日露戦争に勝利した我が国、日本は、そこでこの不幸な満州の地の近代化を進め、この地で暮らす人たちが平和で共に手をたずさえ、共に楽しく過ごせる世界を作ってやろうと、国費を投じ、満州人や周辺の人たちと努力を開始した。満州国の経済が今後、更に発展するよう鉄道を敷設し、道路を整備し、鉱山開発を行い、農地開拓を進め、沢山の人たちが豊かな生活が出来るよう、心血を注いでいる。満州の人たちは今や西は万里の長城、北は呼倫湖から流れ出る黒竜江を境にして、国境を明確にして生活を始めている。それなのに、お前たちは何だ。熱心に働く農家に押し入り、暴力を奮い、ソ連軍の手先の活動家の言うがままになっている。彼らの論ずるソ連共産主義とは、まやかしである。各人が所有する財物や生産物を共同所有し、階級や搾取の無い、万人の平等を目指す社会を築く政治思想だと。それは真っ赤な嘘だ。そんなことが出来る筈が無い。絵空事だ。自分自身を良く見よ。自分自身に置き換えて見よ。お前たちには祖父母や両親や兄弟がいるであろう。その家族の一人一人を平等にしてみよ。一家の者が皆、平等なら誰が一家の差配をするのだ。差配する者がいなければ家族は崩壊する。又は家長だけの差配で物事が決められてしまう。それは話し合いの無い、一方的な支配だ。それを容認するのか。良く考えろ。人間社会というものは、いろんな役割の人がいて成り立っているのだ。お前たちは総ての物が共同所有の物だというが、その所有物を個人に分配するのは誰か。当然の事、分配者が必要であろう。そうなれば総てが平等で共同所有といっても、分配者と受給者という階級が自ずと生まれて来るのだ。その分配者が共同所有物を独り占めして受給者を支配することになるのだ。独裁だ。共同所有によって万人が平等などという考えは全くの絵空事だ。このまやかし思想が独裁的分配者を生み出すことは明白である。このままお前たちが共産主義に傾倒し、その世界に没入したなら、お前たちは、その独裁者の奴隷となってしまうのだ。良く考えろ。お前たちは偽善者たちに騙され、暴力を奮い、他人の物を奪い、大事な物を破壊し、美しい満州を血まみれにして来たのだ。お前たちは、それでも、自分たちが生まれ育った満州の大地を更に血まみれにしようと考えるのか。それはしてはならないことだ。ソ連の活動家に騙されてはならない。この特設収容所で、多くの事を学び、人間性を高め、満州国に貢献することを早く見付け、万民の為の力になるのだ。お前たちにとって、この特設収容所で学び、経験することは、この先にやって来るお前たちの未来に、とても大事なことだ。マルクスレーニンといった個人的崇拝は、独裁者を生み出し、革命の名において、この世を破壊するものである。お前たちが今までやって来た破壊の数々が、それを証明している。これからのお前たちには、愚かな信仰から抜け出し、心を改め、暴力による破壊では無く、満州国の平和を守る仲間になって欲しい。逸早く悪夢から覚め、満州国五族協和の夢に応えて欲しい。出来る事なら、満州国軍に入隊し、無法者を追い払って欲しい。そうしてくれれば、俺は国に帰れる」

 俺の弁舌を林徳源が通訳してくれたが、毎回のことであるが、どの程度、収容所で服役中の連中に理解してもらえたかは分からない。だが石島竹二郎少尉は俺の講義を、涙して聞いてくれた。

「ご苦労さん。良かったぞ。兎に角、何度も何度も、同じことを繰り替えし説教し、彼らの頭に叩き込むしかないのだ」

 石島竹二郎少尉は沢山の部下を殺され、大量の武器を奪われ、収容所の連中を皆殺しにしたい気持ちでいるに相違なかった。その石島少尉の憎悪と慚愧の気持ちは痛い程、分かるが、だからといって収容所の連中を殺す訳には行かない。彼らを説得し、何が正義の生き方か教え込み、彼らを自ら転向させるしか方法は無いと、石島少尉は考えていた。その石島少尉の涙は俺の胸を打った。

 

         〇

 昭和8年(1933年)4月20日、何度も匪賊によって、鉄道建設を邪魔されて来た敦化と図們間の敦図鉄道工事が完了し、龍井村の駅前広場で、その開通式が行われた。独立守備隊と共に、俺たち朝鮮75連隊の鉄道守備兵も、満鉄社員、『鹿島組』社員、その他の工事業者、間島地区住民らと共に、その式典に参加した。林博太郎満鉄総裁は現れなかったが、山崎元幹満鉄総裁代理や『鹿島組』の鹿島新吉社長や松井真吾所長などが、遠くからやって来て、盛大な開通式となった。この日をもって吉敦鉄道の延長工事は完結し、東満州鉄道が日本海まで通貫し、間島に春がやって来た。しかし残念なことに、石島少尉の率いる独立守備隊間島中隊は井上忠也中将によって解散させられた。こうして敦図線が開通すると、新しい延吉駅周辺に、旅館、飲食店、理髪店、食料品店、衣料品店、薬局などの人たちが進出して来て、人口が増加し、多くの変化が見られた。俺はそんな環境の中にあって、時々、内地のことを思い出し、望郷の念にかられたが、めまぐるしく変わる満州の日常は、俺たちをゆっくりさせてくれなかった。5月になると俺たち伍長以上の幹部は、新京の関東軍からの呼び出しを受け、5月10日、延吉駅から新京に向かった。老爺嶺をはじめとする幾つかのトンネルを過ぎると、広い田園に出た。車窓に並走する国道にはトラックや馬車に乗って、上半身裸の男たちが、楽しそうにしていた。敦化からは畑地が目立った。車窓の風は心地良かった。やがて松花江の緩やかな流れが見え、吉林駅に到着した。俺たちは永井岩吉中尉の指示に従い、汽車から降り、一旦、駅から外に出て、駅前のいくつかの食堂に分散して、昼食を取った。俺たちは食事をしながら、今度は黒竜江の畔、黒河に移動になるのではないかと心配した。だが『鹿島組』の社員が、食堂などの手配をしてくれていたので、また『鹿島組』と別の鉄道工事現場には派遣されるのではないかと、予想する者もいて、どうなるのか、良く分からなかった。食事が終わって、駅前の集合時間まで余裕があったので、俺たちは吉林の街を歩いた。松花江沿いにある街は、延吉のような建設工事の活況は見られず、時間が止まっているようだった。午後2時前、俺たちは駅前に集合し、新京行き汽車に乗り込んだ。汽車が走り出し、車窓から眺める広々とした緑の景色は、満州国が如何に大きな可能性を秘めた国であるかを感じさせた。列車が松花江の支流、伊通河を越えると直ぐに満州国の首都の新京駅に到着した。改札口を出ると、第8師団の隊員たちや『鹿島組』や『大林組』の社員が、俺たちを出迎えた。その出迎えを受けた俺たちは、一年前同様、軍靴の音を立てて『長春ヤマトホテル』まで行き、まずは入館手続きを済ませ、夕方6時、大食堂に集合した。俺はあの石原莞爾参謀長に出会った時のことを思い出した。俺たちが直立して待っていると何と、あの西義一第8師団長、独立守備隊の井上忠也中将はじめ、俺たちの連隊長、斎藤春三大佐、林博太郎満鉄総裁、山崎元幹満鉄理事など、錚々たる顔ぶれが入場して来て居並び、まず西義一中将が壇上に立ち、話された。

「去年4月、諸君に進行中の敦図線の鉄道工事の守備と対ソ防衛の為の抗日パルチザンの討伐を依頼してより一年が経過した。工事担当の『鹿島組』や『大林組』の皆さん、及び、守備兵諸君の血の出るような尽力のお陰で、本年4月20日、念願の敦図線を短期間で開通することが出来ました。これはひとえに諸君の忠烈なる奮闘の成果によるものであると思っている。心より感謝申し上げる。言うまでも無く、鉄道は国の経済活動を支える重要な交通手段である。我々は、この満州国の交通手段を、もっともっと発展させようと思っている。満州は狭隘にあえぐ日本と違って広大で、河川も多く、開発を勧めれば利便性の良い場所になり、近代国家の理想実現には最良の場所である。満州国の活発なる発展を見詰めつつある現在、更に経済活動を促進させる為に、我々は満州国から次の鉄道の新設を望まれている。その為に、我々は諸君の更なる協力を切望してやまない。このことを伝えたく、敦図線完成の御礼方々、諸君との祝賀会を開いた次第であります。我々の計画実現の為、今後とも奮励されますようお願いして、私の挨拶と致します」

 俺たちは西義一中将の挨拶で次を読むことが出来た。次に壇上に立った林博太郎満鉄総裁の話は敦図線に続いて、図佳線工事の着工とその守備の実行の依頼だった。それは朝鮮国境の図們と牡丹江より北方の佳木斯とを鉄道で結び付けようという壮大な計画だった。俺たちは林満鉄総裁の話で、今回の関東軍からの新京への呼び出しの目的が何の為であるかを知った。その後、数人の挨拶と乾杯があり、大食堂での立食パーティとなった。俺たちは洋食のパーティとやらに胸を弾ませた。『鹿島組』の松井所長や『大林組』の皆川社員たちが挨拶に来た。俺たちは斎藤連隊長に挨拶したかったが、斎藤連隊長の方が、西義一中将や林満鉄総裁たちの相手をしていて、近づくことが出来なかった。反対に思わぬ人物が白鳥健吾のところにやって来た。

「やあ、白鳥君。お久しぶり。昭代ちゃんは元気ですか?」

 その人物は満州国軍の軍服を着て、腰にサーベルを吊った男女みたいな軍人だった。その人物に声をかけられた白鳥は、真っ赤な顔になり、グラスをテーブルの上に置き、直立不動になって答えた。

「はい。姉は元気です。男の子の母となりました」

「まっ、それはおめでとう。君も頑張っているようだね。困った事があったら、僕の所へ来なさい。昭代ちゃんによろしく。ではまた・・・」

 白鳥は、そう言って去って行く相手を見送り、胸を撫で下ろした。俺たちが、今の風変りな満州の軍人は誰かと訊くと、白鳥は、松本に嫁いでいる姉の旧友、川島芳子だと答えた。俺たちは、あの男女のような軍人が、清朝の王女、愛新覚羅顕子だと知り、仰天した。

 

         〇

 『長春ヤマトホテル』に一泊した俺たちは、翌日の午前中、新京の市内観光を許された。満州国の成立により、新京と名付けられた長春の街は、めざましい勢いで満州国の首都らしく変貌しようと、あちこちで建設工事が進められていた。俺たちは新京駅前から南へ向かう直線道路を散歩した。百貨店、公園、学校、病院などが出来始めていた。満州国の国務院も、この辺りに建設予定しているという話だった。更に歩くと伊通河の支流に出た。柳が美しい。そこの上流に池があるというので行って見た。池のある所は美しい庭園になっていて、中華風の優雅な趣を備えていた。そこで俺たちは計らずしも、昨夜の祝賀会で目にした人たちに出くわした。俺たちがかしこまって挨拶すると、『鹿島組』の松井所長が声をかけて来た。

「市内観光ですか。一年前と随分、変わったでしょう。これから、もっともっと変わりますよ」

「はい。びっくりしています。すごい発展ぶりですね」

 すると一緒にいた三人も近寄って来た。そのうちの一人が昨夜と同じ軍服姿の川島芳子だったので、俺たちは驚いた。

「まあ、白鳥君。また会っちゃったね。君たちと昨夜、お会いした満鉄の理事、山崎元幹さんと林顕蔵さんです」

「朝鮮75連隊の白鳥健吾と同期の仲間たちです。この度は、自分たちを新京にお招きただき心より感謝しております。次のお役目、必ず成功させます」

「うん。よろしく頼むよ」

 山崎元幹理事が満足そうに頷いた。それから、また白鳥が川島芳子に目をやると、彼女は、偉そうに言った。

「実はね、白鳥君。僕たちは満鉄の公共的価値を満州国の大衆に理解してもらう為の映画製作会社を、ここらに建設しようかと、下見に来ていたところさ」

「そうですか。それはそれは素晴らしいですね。出来上がるのを楽しみにしております」

「謝々。では君たちも満州国の為に頑張ってくれたまえ」

「はい」

 俺たちは一斉に敬礼して、その場から離れた。満鉄のお偉いさん方や川島芳子に出会って興奮した俺たちは、それから満鉄の線路伝いに新京駅に向かい、『長春ヤマトホテル』に戻り、早めの昼食を済ませた。そして午後1時、俺たちは新しい役目を仰せつかって、満州国の首都、新京から豆満江方面へと東方に向かう汽車に乗った。車窓に移り変わっていく景色を眺めながら、これから延吉に戻って、どうなるのだろうかと想像し合った。人生は、他人によって思わぬ方向へと変化して行くものだ。局子街の分隊に戻ると、夜遅いのに、部下たちが起きていて、新京からの呼び出しが何であったかを訊かれた。俺は敦図線が開通したので、今度は図佳線の鉄道工事が始まることになり、新しい特別守備隊がやって来ると話した。部下たちは、また新しい特別守備隊がやって来て、共匪との戦闘が拡大するのではないかと心配した。そこで俺は、この前の汪清村での赤色革命軍の討伐で、敵が黒竜江の上流方面に移動しているらしいと部下に説明した。それから数日後の5月20日、俺たちの新しい任務先が決定した。俺たちの分隊は、局子街から琿春の北方特務機関本部と一緒の駐屯所勤務となった。この移駐は、間島、琿春地区を、朝鮮に併呑しようかという計画でいるかのように思われた。兎に角、日本国政府が、ソ連国境の朝鮮の共産化とソ連軍の侵攻を阻止する為に、神経を尖らせていることには間違い無かった。俺たちは5月末までに移動すべく活動した。特に間島の満州国憲兵隊の吉興司令官と林徳源主任には、間島特設収容所に服役中の者たちが更生した時、満州国の為に貢献出来る職場に配属してもらうようお願いした。また敦図線の駅関係者と飛行場工事の関係者に守備担当を外れる旨の挨拶をして回った。俺の部下たちも、知人に挨拶して回った。渡辺松太郎や筒井恒夫は趙知英や李善珠と別れるのが辛そうだった。人により、立場により、移駐に対する思惑はいろいろだった。だが、この任地変更は満州国の発展を進める為の対ソ戦備強化に相違なかった。関東軍が中国軍と対峙している時、背後からソ連軍に襲われたら、折角、誕生した満州国が、壊滅の危機に瀕するからである。

 

         〇

 俺たちはソ連軍の動きに重点を置き、ソ満国境の守備を固めて来たが、中国との関係も気がかりでならなかった。関東軍は熱河作戦で満州国に攻め入ろうとする中国国民政府軍を万里の長城以南に追いやったのであるが、国民政府軍が再び大軍を差し向け、万里の長城から満州に攻撃をしかけて来た。その為、関東軍満州国軍と共に万里の長城を越え、北平近くまで迫った。日本の振武学校で学び関東軍の力を知っている蒋介石は、日満連合軍との戦闘を好まなかった。それより、中国の内乱を鎮圧する方が優先課題だった。その為、満州国には、そのまま静かにしていてもらい、先ずは江西省をはじめとする共匪の反乱を制圧することが重要であると考えた。これらの考えから蒋介石は5月31日、日本と塘沽停戦協定を締結し、華北問題を結着させた。それは日中間において満州事変が事実上、解決した形となった。結果、満州国は日々、その存在を世界に顕示し、中国の隣国としての輝きを増した。だが蒋介石は分離した満州国に負けてはいられなかった。何としても中国の内乱を鎮圧せねばならなかった。その為、アメリカから五千ドルの借款を受けることにし、ソ連軍に後押しされた『反蒋抗日組織』の撃退に力を注いだ。それに対し、ソ連もソ満国境に主力部隊を集中している日本軍を回避し、上海から瑞金に移動した共産党地下組織を拡大させる為に、蒙古方面から支援した。ソ連アメリカにとって、支那人は御しやすかった。金銭や食料を与えれば、直ぐに仲間を裏切った。国民党軍の指揮官でも、共産党軍の指揮官でも、欲しい物を与えれば、言う事を聞いた。孫文の教えに感激し、日本に留学しフランスでも学んだというのに、ソ連の口車に乗って、共産党軍に加わった周恩来のような男もいた。兎に角、中国は松岡洋右全権大使が国際連盟の会議場で発言したように、清国滅亡後の無政府状態から抜け出せず、内乱が続き、平和に暮らしていた支那人までが満州国に逃げ込んで来る有様であった。このような状況が世界に気づかれない筈がなかった。困っている世界の人たちが、五族協和を提唱する満州国を目指した。迫害されず、安心して暮らせる土地を求めて、あのユダヤ人までもが、キリスト教徒の少ない満州を目指してやって来た。その満州国の発展の様は欧米諸国やソ連に羨望を抱かせた。このままではアヘン戦争以来、中国を植民地化しようとして来たイギリス、フランス、アメリカ、ポルトガルソ連は日本の力によって、中国が日本の連合国になってしまうのではないかと危惧した。その為、イギリスとアメリカは国民党軍を懐柔することを企んだ。ソ連共産主義を信奉する毛沢東を前面に押出し、蒙古に支援軍を駐留させた。こうした動きはスイスのジュネーブ軍縮会議に出席したことのある軍事参議官、松井石根たちには簡単に分かることであった。松井石根は、この状況にどのように対処すべきか、学者、中谷武世、中山優や政治家、広田弘毅や軍人、本庄繁、荒木貞夫本間雅晴らを集め、『大東亜協会』なるものを発会し、アジアの平和を招来するには、どうすれば良いかを議論した。そこでの議論内容は、世界はイギリス、フランスを中心にしたヨーロッパ圏、東欧を含むソ連圏、カナダ、ブラジルを含むアメリカ圏、エジプトを中心にしたアフリカ圏、日本、中国、タイ、インドを中心にしたアジア圏の五大ブロックに分別されており、各ブロック内での諸問題は、そのブロック内で解決されるべきであるという世界観で一致した。インドやインドネシア、セイロンを植民地にしているイギリス、フランス、オランダのように、自国の国益しか考えないで、他のブロックに入り込み、武力をもって平和を攪乱することは、如何に列強国といえども許されることでは無いと、蒋介石にも理解させなければならないという意見が出た。それはアジアブロック各国が一つにまとまるという大東亜共栄圏の構築と日中親善論の発想だった。この考えは満州の片隅に駐屯している俺たちのところにも流れて来た。果たして、この考えが塘沽停戦協定によって結ばれた満州と中国の武力衝突の再発を防止出来るかは、はなはだ疑問に思われた。何故なら多くの中国国民が、蒋介石の中満問題の解決策の協定を、弱腰と叫んでいるからであった。この満州国軍と日本国軍連合から蒙った恥辱を、強気の蒋介石が、名誉挽回の為に、何時かひっくり返そうとするのではないかという懸念は、満州を守備する俺たちには心配でならなかった。御年三十一歳の若き天皇が、日本国の国際連盟脱退という世界での孤立を覚悟して決断をし、独立を承認した満州国である。是非とも繁栄して欲しい。俺たちは中国と満州国の相互が、ただ慎重であることを願うばかりであった。

 

 「満州国よ、永遠なれ」前遍終了

 

倉渕残照、其の二


 慶應4年(1868年)3月1日、江戸幕府の元勘定奉行小栗忠順は知行地、上州権田村に入り、逼塞することを決め、当地に到着したが、彼の江戸から下向する行列は人目を引き過ぎた。行列の先頭を村井雪之丞一座が立ち、沢山の従者を引き連れ、江戸から高崎までの中仙道の長い道のりを、本来、使ってはならぬ荷車を使い、馬と駕籠に乗って進んだ小栗忠順の行列は、暫くの間、見かけなくなっていた大名行列のようで、ちょうっとした街道の見物となった。確かに総勢六十人程が、箪笥、長持、行李などの大量の荷物を運んで通過するのであるから、静寛院宮(和宮)が京に戻られるのではないかと勘違いする者もいた。お偉い誰かが通るのだと、街道脇に土下座して、小栗家一行が通過するのを拝む者たちにとっては、駕籠乗った美しい娘、鉞子は、静寛院宮と間違えられても不思議では無かった。そんな時、下野の悪党、荒金鬼定は足利に到着した『開明研』の噂を耳にし、幕府の勘定奉行小栗上野介が、上州の権田村に向かったと知った。荒金鬼定はもと勘定奉行のことだ、多分、在任中に、しこたま溜めた軍用金や宝物や武器を、権田村に運ぶに違いないと推測し、権田村を目指した。途中、『荒金一家』は中仙道の板鼻宿の豪商『十一屋』と『穀屋』を襲い、合計二千八百両程を奪って勢いづいていた。『荒金一家』は3月2日、下室田で、薩摩の手先の『御用党』と出会い、びっくりした。『御用党』の者が鬼定たちに尋問した。

「お前たちは何者だ?」

「俺たちか。俺たちは泣く子も黙る下野の『荒金一家』よ。お前さんたちこそ、そんなに大勢で、何か大事でもあったかね。八洲様とは違う見てえだが」

 鬼定が集団の頭領に訊くと、頭領は答えた。

「わしらは新政府から関八州の見回りを委託された「御用党」だ。元幕府の勘定奉行小栗上野介が、幕府の御用金を持ち出し、権田村に向かったとの連絡を受け、追求に参った。御用金を奪取せねばならぬ」

「それはお役目、御苦労さんで御座んす。でも可笑しいですね。幕府の金を新政府が奪い取るのですかい。それではまるで、泥棒じゃあありませんか」

「何だと!」

 鬼定の言葉に『御用党』の頭領は怒鳴った。だが鬼定は怯まなかった。

「丁度、良いやい。俺たちも御用金を盗みにやって来たのさ。一緒に御用金を奪いましょうや。俺たちが加われば、鬼に金棒ですぜ」

「てえした悪だな。名は何という」

「俺か。おれは荒金定吉。人呼んで鬼定で御座んす」

「そうか。『荒金一家』の鬼定か。わしは『御用党』の金井荘介だ。じゃあ、一緒にやるか」

「うん。そうすんべえ」

 話がまとまると、両一味は諏訪神社にて作戦会議を行った。新政府軍らしく、『小栗討伐』の旗を翻し、権田村の手前の三ノ倉の禅寺『全透院』に本拠を置き、三ノ倉、水沼、岩水、川浦の四ヶ村に一軒につき、一人、小栗討伐隊に参加するよう触れを出した。この動きは翌3月3日の節句の日、中島三左衛門によって知らされた。

「三ノ倉に集まっている新政府の『御用党』と称する者たちが、殿様と御家来衆を捕まえに襲って来る計画を立てているとのことで御座います。その中には足利の博徒、『荒金一家』の鬼定もいるとのことです。どうも新政府を語る悪党たちの集団と思われますが、どう致しましょう」

 忠順は、それを聞いても驚かなかった。

「そうか。左様な連中が現れたか。本物かどうか確認せねばならぬな。おーい。磯十郎はいるか」

 忠順が離れの部屋に声をかけると、塚本真彦と共に大井磯十郎が部屋に現れた。忠順は三左衛門に事の次第を二人に説明させ、こう命じた。

「雨が降っているのに面倒なことだが、三ノ倉に出かけ、何の理由での小栗捕縛なのか質せ。多分、やつらは偽者だ。金が目当てであろう。本当に捕縛が目的なのか、金品が欲しいのか確認せよ。折衝しながら、相手の真意を探って帰って来い」

「承知しました」

 真彦が答えると、磯十郎が、それを制した。

「塚本様は村の者でないので、殿様のお側にいて下さい。他の村の者を連れて行きます」

「じゃあ、あっしが一緒に行きましょう」

 三左衛門が同行を申し出ると、磯十郎は首を横に振った。磯十郎は江戸で幕府兵として鍛えられて来た武人としての自信に溢れていた。だが結局は、村との交渉事があるかも知れないので、兄、兼吉と三ノ倉の『全透院』に行き、『御用党』の隊長に面会を申し出た。すると隊長たちは岩水村宮原の名主、丸山源兵衛の屋敷にいるというので、そこを訪ね、『御用党』の金井荘介らと面会した。会談を始めると案の定、金井荘介らは、三千両出せば見逃してやると言い出した。そこで磯十郎は金井荘介に要求した。

「俺は幕府陸軍に仕える大井磯十郎である。小栗上野介様の警護を司る役人として権田村に派遣されておる。貴方たちが新政府の小栗捕縛役なら、新政府からの捕縛の理由を書いた逮捕状を戴いている筈。それを見せてもらいたい。さあ見せてくれ」

 すると金井荘介は渋い顔をした・

「むむっ・・・」

 金井荘介が言葉に詰まったのを見て鬼定が笑って言った。

「そんな物、あるかい。金を出すか出さねえかを訊いているんだ」

「その返答は全くおかしい。それは暴徒による不法の脅しではないか。捕縛を見逃してやるから、金を出せなどとは筋が通らぬ」

「てめえ、新政府の御意向に逆らうと言うのだな」

「左様。逮捕状を見せて貰えぬのなら、我々は貴男たちを正規の『御用党』とは認めぬ。権田村に来るなら来るが良い。但し、こちらも『偽御用党』を退治すべく、迎え撃つ準備をしておく。そのつもりでやって来い」

「そうかい。いう事が聞けぬというのだな」

「そうだ。雪になりそうだから帰るぞ」

 大井磯十郎は、そう言い伝えると、『御用党』と同席していた岩水村の名主、丸山源兵衛を睨みつけ、兄、兼吉と一緒に権田村に帰った。二人は村に戻ると、佐藤藤七らと小栗屋敷に行き、相手一味の目的と人数を報告した。忠順は驚かなかった。息子、忠道、塚本真彦、荒川祐蔵、塚越富五郎ら家来や佐藤藤七ら村人を集めて言った。

「多分、敵は明日、やって来るであろう。想像するに相手は浪人や博徒を集めた烏合の衆だ。こちらは、お前たち幕府歩兵として訓練を受けた精鋭ぞろいだ。それにフランスの新式銃もアメリカ製のライフル銃もある。相手が多くても、皆で力を合わせれば、簡単に暴徒を撃退出来る。今からぬかり無く準備せよ」

「ははーっ。直ちに準備にかかります」

「おう、そうだ。申し訳ないが、村の男どもにも共に戦うよう槍や刀を与えよ」

「はい、わかっております。猟師には鉄砲を持参させます。また近隣の小倉、荻生、大戸、三輪久保、増田、後閑の村々にも助っ人を、これから頼みに参りやす」

「雪の中、御苦労だが頼むぞ」

 忠順にそう言われると、佐藤藤七や中島三左衛門は雪の散らつく中だというのに、早川仙五郎、鼻曲辰蔵、猿谷千恵蔵たち数人を各村に走らせた。翌3月4日の早朝、忠順は母、邦子他妻子及び家来たち婦女子を藤七らに託し、大沢部落に避難させた。当然のことながら、権田村の老人や婦女子も吾妻寄りに避難させた。小栗家の戦闘部隊は小栗忠道、塚本真彦、荒川祐蔵、沓掛藤五郎、大井磯十郎らを隊長とする五部隊とし、それに従う家臣や百姓たちのそれぞれに槍と刀を持たせ、鉄砲を使える者には新式銃を与えた。昨夜。わずかに積もった雪が朝日に、キラキラ溶け出すと同時に、三ノ倉方面から竹槍や刀や弓を持った連中が、『小栗討伐』の旗を掲げ、権田村入口にやって来た。その報告に忠順はやるしかないと思った。敵はまず、村の入口の数軒に火を点け、気勢を上げた。竹槍を持っているのは、無理やり集められた百姓たちに違いなかった。オドオドしているので直ぐに分かった。だが『御用党』の金井荘介は威勢が良かった。

小栗上野介。権田村に退去するにあたって幕府の御用金は運んで来たであろう。我々は、その御用金の奪回と小栗主従を捕縛に参った。大人しく縛につけ!」

 そう叫ぶと彼らは見張りに立っていた権田村の者に斬りかかった。一味は暴徒に百姓を加えた連中で、二千人程に膨れ上がっているが、ほとんどが百姓だった。威勢の良いのは赤い鉢巻きをしている者なので、各隊長には赤い鉢巻きをした者を狙えと命じた。忠順は権田村の者に屋敷を守らせ、暴れ回る敵を訓練通り、攻撃させた。暴れる赤い鉢巻きをした『御用党』と暴力団『荒金一家』の連中は、フランス顧問団のもとで訓練した小栗戦闘部隊と戦うことを恐れず、攻めて来た。小栗部隊の兵士たちは敵に勇敢に立ち向かい、敵を散々、痛めつけた。それでも彼らは立ち去らなかった。それどころか、川浦村の猟師、八人に背後の山から鉄砲で攻撃させた。相手が鉄砲を使用したので、こちらも鉄砲隊を使用し反撃すると、敵の鉄砲組は最新銃の威力に驚いて遁走した。兎に角、相手は烏合の衆とはいえ、大勢なので、小栗部隊の兵士たちも疲れ始めた。その時、『新井組』の山田城之助が、土塩村や増田村の連中、百人程をかき集めてやって来た。

「遅くなって申し訳ありません。後は任せておくんなせえ」

「おお、来てくれたか。竹槍を持った連中は、敵に無理矢理に集められた百姓たちだから、痛めつけるな。赤い鉢巻きをした連中をやっつけてくれ」

「へい。分かりやんした」

 そう言うと、城之助の連れて来た島田柳吉、武井多吉、湯本平六、上原五エ衛門、中山清兵衛、黛嘉兵衛たちは、小栗主従を攻める荒くれ男どもに挑みかかった。敵の集団の中に足利の金蔵と定吉の兄弟がいるのに気付くと、城之助は、『荒金一家』の者を叱り飛ばした。

「おい。下駄金に鬼定の兄弟。てめえら、何を考えているんだ。小栗の殿様がどんなお方か知っているんか」

「おう、久しぶりじゃあねえか、城之助。知るも知らぬも関係ねえ。俺たちは新政府『御用党』の隊長の命令をいただき、上野介の軍用金を奪いに来たんだ。邪魔立てするな。邪魔をすると、叩き斬るぞ!」

「軍用金なんて、ありゃあしねえよ。詰まらねえ考えは止めて、怪我人が増えねえうちに、とっとと地元に帰んな」

「城之助。てめえ、逆らうって言うんかい」

 金蔵の顔色が烈火の如く真っ赤に燃えた。その四角い下駄のような金蔵の顔を見て、城之助は笑った。

「俺は殿様に大きな借りがあってな。殿様に向かって不正乱暴を働く奴を許す訳には行かねえんだ。ここから先には絶対行かせねえぞ」

「あくまでも逆らうって言うんだな。しゃらくせえ、てめえら、城之助をやっちまえ」

「くたばれ、城之助!」

 下駄金に言われて鬼定が斬り込んで来た。城之助は左に跳んだ。長剣を振り上げ、そのまま拝み打ちに振り下ろした。

「わあっ!」

 鬼定は眉間を斬られ、後ろに卒倒した。大量の鮮血が鬼定の額から噴出した。それを見た下駄金が、激昂して襲い掛かって来た。城之助は今度は右に移動し、下駄金の胴を斬った。下駄金は己れの腹を抱えて、地面に突っ伏した。敵は『新井組』の来襲と鉄砲隊の攻撃による容赦のない殺意に驚愕し、身震いして身動きが出来なくなった。その敵を城之助の子分たちが、据え物斬り同然に、バッタバッタと斬り倒した。

「おのれ!」

 暴徒の先導者『御用党』の金井荘介は、身の危険を感じ、引き上げの笛を吹いた。『荒金一家』の金蔵と定吉がやられてしまってはどうにもならない。残っているのは、一時、集めた百姓や浮浪者たちばかりであり、戦闘体制が充分に整えられている小栗部隊を打ち破ることは不可能だった。金井荘介の笛の音を聞いて、暴徒は百姓たちと一緒に一斉に逃げ出した。その逃げる暴徒に向かって、東善寺の倉庫から運び出した大砲を荒川祐蔵たちが空に向かって撃った。

「ドーン!」

 その爆音は榛名山麓に轟き渡った。逃亡者たちは爆音を聞き、腰を抜かしそうになりながらも蜘蛛の子を散らすように、あっという間に逃げ去った。今まで人間どもの争いを木の上で面白そうに眺めていた鳩や雀たちも、その爆音で一斉に思い思いの場所へと飛び去った。権田村襲撃に加担した四ヶ村の者たちは、この後、どうなるのか、びくびくして処罰を待った。自宅を『御用党』の本部に貸した名主、丸山源兵衛は、戦闘が終わり、様子見に来たところを大井磯十郎と池田伝三郎に斬られ、首を刎ねられた。敵の死者は、およそ二十人。小栗部隊は、そのうちの五人の生首を東善寺前の石段に並べ、生捕七人を東善寺の土蔵に閉じ込めた。戦いは午前中に終了した。午後、四ヶ村の代表が、『御用党』と『荒金一家』の連中に脅かされて余儀なく、襲撃に参加したので、どうかお許し下さいと詫びに来た。忠順は家来や権田村に死者が二人、負傷者が数人出たが、被害が大きくならなかったので、詫状提出をもって許すことにした。忠順は小栗家と家臣たち及び村の老人、婦女子たちが戻って来ると、御苦労さん会を催した。助っ人に駆け付けてくれた山田城之助たちにも参加してもらい、用心の為、一晩、泊ってもらった。翌5日、忠順は死亡者の家に弔慰金を、城之助たち助っ人に謝礼金を、家を焼かれた十四軒に見舞金を渡した。こうして終わった事件は、直ちに近在に伝わった。このことは江戸にも直ぐに伝わるであろうと、忠順は一段落すると上様付の幕府の寄合、平岡道弘宛てに、事件の詳細を報告する書状を送った。それから、周囲や村が落ち着きを取り戻すと、忠順は自分の隠居所を近くの観音山に建てることにした。村人たちは、忙しくなった。忠順の隠居所の他、東善寺に仮住まいの塚本真彦ら家来の家も準備しなければならなかった。幸いにも手間賃が貰えるとあって、数日前、襲撃に加担した隣村の連中も地ならしなどの手伝いに来てくれることになった。こうして小栗忠順の権田村での平和な土着生活が始まりを見せた。ちょつと離れた大戸の向こうの中之条では暴徒が現れたとのことで、小栗部隊の救援を求めて来たので、忠順は、歩兵隊の連中を派遣して、暴徒を追い払ってやった。結果、権田村の小栗忠順は周辺地域から信頼される人物となった。

 

         〇

 権田村の事件が終わった3月6日、岩倉具貞を東山道先鋒総督とする官軍は碓氷峠を越え、関東へ入って来た。岩貞具定総督や伊地知正治たちは権田村の事件の噂を聞いて横川から本庄まで逃げるように中仙道を急いだ。そして13日、板橋宿に到着すると、下諏訪で別れた板垣退助率いる別動隊が江戸に入るのを待った。その頃、江戸市中では小栗忠順の権田村での事件の噂が広まり、幕府でも平岡道弘から上野寛永寺でひたすら恭順を続ける徳川慶喜に事件の真相を伝えた。また江戸城にいる幕臣たちに事件の報告が伝わると、城中は大騒ぎになった。勝海舟は慌てた。慶喜に罷免され、幕府に見切りをつけた忠順が、何をしでかすか、気が気で無かった。海舟は上野寛永寺大慈院にいる慶喜のもとへ走った。

「上様。大変です。あの小栗上野介が、上州権田村で大砲や鉄砲を使い、戦闘演習を開始したとのことです。その為、近隣の百姓は逃亡し、今、上州では主戦論に賛成する輩が、四方八方から集まり、官軍を撃滅すると騒ぎ回っているとのことです」

「平岡の報告とは、ちと違っているが、それは本当か?」

「真実に御座います。まずいことになりました。これでは我々の苦心も水の泡です。上様の恭順のことを、朝廷側に説明して参りましたが、この有様ではどうなるか分かりません。官軍は、より一層、厳しい要求をして来るでありましょう」

「左様か。上野介が始めおったか」

 海舟からの報告を聞き、慶喜はほくそ笑んだ。うまくすれば小栗軍団なるものが、薩長軍を打ち破り、幕府軍を再興してくれるかも知れぬ。相手が誰であろうが、正しいと思ったら、喰ってかかって来る忠順の気性は好まぬが、彼の英知と行動力は、幕臣の中にあって、右に出る者はいないと分かっている。その忠順を罷免したことは誤りであったかも知れない。彼を幕府に残しておいたなら、諸外国の意見を採り入れ、全国の大名からなる議会政治を行い、自分はその議長として先頭に立ち、日本国の行政府代表たる国家元首、大統領に就任することが出来たかも知れない。ところが、彼と入れ替えた目の前の勝海舟はどうか。こ奴は幕府のことは考えていない。陸軍総裁に任命してやったというのに、官軍との対決を恐れ、江戸の幕臣及び諸侯たちの国許への帰国を奨励し、幕府の軍事力を弱体化させている。そのことによって新政府から自分たちに有利な譲歩を引き出そうとしている。大滋院の中に幽閉状態にされてしまっている慶喜が、後悔したところで、時、既に遅しである。慶喜の胸中を知らぬ海舟は、慶喜に訴えた。

「官軍は有栖川宮様を中心に駿府にて参謀会議を開き、3月15日、江戸の総攻撃を決定したとのことです。江戸の町を焦土にする訳には参りません。何としてでも、平和裡にことを治めるねばなりません」

「江戸総攻撃だと。それはあってはならぬ事だ。断じてさせてはならぬ。何とか喰い止めよ。至急、上野介を江戸に呼び戻せ!」

「それはなりません。そんなことをしたら、折角、恭順なされておられます上様の御首が飛ぶことになります」

「め、滅相もない」

 慶喜は怯え、首をすくめた。海舟は慶喜の性格を見抜いていた。この時とばかり、自分の考えを述べた。

「そこで私、勝海舟は我が家にいる薩摩藩士、益満休之助を山岡鉄太郎につけ、駿府総督府へ送ろうかと思います。上様の恭順の様子を説明させ、上様の御助命と江戸市民百万の救済を嘆願させるつもりです」

「上野介を江戸に呼び寄せないのか」

小栗上野介には使者を送り、上様同様、恭順されるよう命じます。そう致しませんと総督府は江戸総攻撃を開始し、この上野寛永寺にまでやって来て上様の抹殺を強行するでありましょう。御首を飛ばされるのですぞ」

 海舟の脅しに慶喜は震え上がった。忠順の決起に期待しているものの、今となっては、海舟の指示に従うしか、方法が無かった。慶喜は海舟に言われるままに不承不承、海舟の言に従うことにした。海舟は慶喜の承諾を得ると、山岡鉄太郎を駿府に走らせた。山岡鉄舟は、益満休之助に案内され、3月9日、駿府で西郷吉之助に会った。鉄舟は勝海舟からの手紙を西郷に渡し、徳川慶喜の意向を述べ、朝廷政府の善処をお願いした。すると、西郷は次の五ヶ条の条件を鉄舟に伝えた。

 一、江戸城を明け渡す事

 二、城中の兵を向島に移す事

 三、兵器を総て差し出す事

 四、軍艦を総て引き渡す事

 五、徳川慶喜備前藩に預ける事

 それを受けた山岡鉄舟は、このうちの最期の条件を拒んだ。西郷は顔を歪めた。

「これは朝命でごわす」

 西郷は朝命であると凄んだ。だが鉄舟は引き下がらなかった。もし条件を受け入れられないなら江戸百万の民と主君の命を守る為に、目下、慶喜に従い恭順している小栗上野介らが、主君への忠義を貫かんが為に、自分等と一緒に官軍と決死の戦いに挑むことになろうと言い返した。西郷は、この鉄舟の忠誠心に心動かされ、その主張を認め、3月13日、江戸にて勝海舟と最終会談を行うと伝え、鉄舟を江戸に帰した。かくして13日の当日、西郷は江戸高輪の薩摩屋敷で勝海舟と久しぶりに会談した。密書でのやりとりは何度かあったが、四年ぶりの再会であった。幕府の旧態を嫌悪し、公武合体では無く、朝廷を中心とする新政府を樹立すべきではないかと、坂本龍馬と語った、あの日の海舟が、幕府の代表として今、目の前にいる。西郷は不思議な気分であった。あの日から自分は倒幕論に傾き、熱烈な勤王思想を持つ大久保一蔵と共に、薩摩藩主、島津久光に対し、王政復古による公議興論政治を目指すべきだと訴え、藩論の統一を計って来た。そして今や王政復古に成功し、自分は東征軍の参謀として、この席に臨んでいる。夢のようだ。あの日の海舟が恭順する徳川の君臣として目の前にいる。何という巡り合わせか。西郷吉之助は海舟に再会すると、懐かし気に笑った。

「勝先生。しばらくぶりでごわす」

「あいやっこりゃ、西郷先生。びっくりさせてくれるじゃあ、ありませんか。その軍服姿、イギリス人が現れたのかと思いましたよ」

「からかわないでくれ申せ。早速、話に入りとうごわす。今日の会談は国家を左右する重大な会談でござる。おいは見ての通り、金もいらぬ。名もいらぬ。命もいらぬという人間なれば、その相手が同様でなければ、共に国事を談ずることは出来ぬ。お前さんはどうかな?」

「勿論、同様でござる」

「では話に入ろう。この間、山岡さんから、勝先生からのお手紙を受け取り、種々、山岡さんと口論し、その後、良く考えてみました。勝先生の日本国を思う心、よう分かりました。ご最もでごわす。まあ、今日のところは、江戸総攻撃は一時延期するとして、酒でも飲みながら、じっくり話しましょうや」

「江戸総攻撃を延期していただけるのですか?」

「当然でごわす。山岡さんからあのように、小栗上野介の率いる旗本八万騎とフランス顧問団の恐ろしさを語られ、嚇されてしまっては、西郷としても、静寛院宮様の残っておられる江戸を攻めることは、得策とは思えんでごわす。山岡さんと約束した四項目については、必ず守ってくれやいな。そうすれば勝先生の顔も立ちごわしょう」

「有難う御座います」

 西郷の言葉を聞いて、勝海舟は畳に頭をつけて平伏した。あの海舟が自分に頭を垂れている。そんなことをさせてはならぬ。西郷は慌てて海舟の手を取った。

「勝先生。おいに頭を垂れるなど止めてくれやい。討幕を論じ、日本のあるべき姿をおいに教えてくださったのは勝先生でごわす。まあ遠慮せず、酒でも飲んでくれやいな」

「いや。今日は、酒は遠慮させていただきます」

「何故でごわすか?」

「今日の西郷先生との会談のこと、上様や静寛院宮様がとても心配しておられます。この吉報を一時も早く、お二人にお伝えしなければなりませんので、申し訳ありません。また明日、お伺い致します」

 西郷は、そう答える海舟の目に涙が光るのを見逃さなかった。ああ、海舟が泣いている。何としたことか。

「静寛院宮様はお元気でごわすか?」

公武合体の理想の為に江戸の降嫁された御身ではありますが、このような事態になろうとは思っていなかったと、悲しみの日々をお過ごしになられておられます。静寛院宮様はもし官軍が江戸に攻め入ったなら、江戸城に火を放ち、その火炎の中で死ぬ御積もりです」

「そげんなまでに、悩まれておわしますのか。分かりもした。この西郷との会談の報告、早くお伝えしてくれやい」

「有難う御座います。明日、またお伺いします」

 海舟は深く頭を下げると、急いで帰って行った。その立ち去って行く海舟の後ろ姿に西郷は故知れぬ親近感を抱いた。西郷は、勝海舟との会談が終わるや、村田新八桐野利秋を呼んで、江戸総攻撃を延期するよう指示した。そして翌14日、西郷は再び海舟と会談した。海舟は静寛院宮と徳川慶喜に朝廷側からの処分案を検討いただいた上で、西郷と対面した。

「昨日は有難う御座いました。上様や静寛院宮様は百万の江戸市民の命が救われたことを、涙を流して喜んで下さいました。西郷先生。江戸城は明け渡しますが、御殿を焼くのだけはお止めになって下さい。江戸城は徳川の城であり、それを焼くことは、恭順一途の上様を焼くのと同じであり、外国も黙っておりません。御殿を焼くのだけはお止めになって下さい」

 昨日と、うって変わって、海舟はべらべら喋った。何故か会談に自信があるようだった。西郷には、それが何であるか、分かっていた。多分、坂本龍馬が何時も気にしていた目に見えない敵、小栗上野介の動向が、徳川慶喜の背後に存在するからに相違なかった。西郷は確認した。

「外国も黙っておりませんとは、フランスが動いているのでごわすか?」

「はい。フランスの他、イギリスの軍艦が江戸湾に入り込んで来て、江戸城を焼くようなことがあれば、上様を救出するということです。万国公法という国際秩序を守る為の他国への介入だそうです。しかし、そうなってしまったら、外国からの干渉が始り、日本国は印度や清国のと同じように、欧米列強の植民地になりかねません。彼らは江戸での戦闘が起こり次第、公使館及び居留地等の安全確保を理由に、江戸を皮切りに日本全土で軍事行動を開始します。それも消滅した徳川幕府では無く、貴方たち官軍に向かってです。そして日本は、5ヶ国に分割されるでありましょう」

 西郷はイギリス公使、パークスに会って来た総督府参謀、木梨精一郎の報告と同じ話を海舟の口から聞いて、列強国の魂胆に憤りを感じた。西郷は日本国を分割されてはならぬと思った。

「勝先生。日本を分割されるようなことなど、あってはならぬことでごわす。日本国の変革は我々、日本人がやるべきことであり、外国人に頼むようなことでありもさん。何とか反対者を押さえてくれやい」

「そう申されましても、外国人が味方する連中は手強いです。眼の上のたん瘤は何といっても、小栗上野介です。貴奴は上州権田村に退き、謹慎しているとのことですが、先般、二千人からなる『御用党』の襲撃を撃破しており、その後、更に軍備を充実させているとの噂です。官軍の力で貴奴を抹殺して下さい」

「そげんことをしたら、フランスをはじめとする列強国が黙ってないでごわす。関東八州の幕府の者の処罰は幕府でしてくれやい。おいは小栗の人物を知っちょっとに、殺すのは惜しいごわす」

 西郷は海舟が小栗嫌いなのを知っていた。海舟と小栗忠順はそれぞれの世界を見て来た経験から、国家観や世界観が違っていた。いわば幕府内にあって水と油のような混合不可能な敵対関係にあった。だが幕府を罷免され、恭順を貫いている小栗は果たして海舟がいうように、新政府にとって有害な人物なのか。それは疑問だった。しかし、海舟は続けた。

「私は小栗に消えてもらいたいのです。貴奴がこの世にいる限り、安心して夜も眠れません」

「分かりもした。小栗上野介の処置については三条実美卿と相談しておきもす。江戸城を焼くことも中止することにしもそう。但し、先般、山岡さんに申し上げた事項については、この場にて、ご返事いただきとうごわす」

 その慶喜の要請について海舟はあらかじめ慶喜と相談してまとめておいた嘆願書を懐中より取り出し、西郷に渡した。そこには約束に合わせた願い事、七項目が記されてあった。

 一、徳川慶喜は水戸に隠居し、謹慎するので、許可願いたい。

 二、江戸城は明け渡しますが、確認手続きが済み次第、田安家へ返却願いたい。

 三、軍艦、兵器は纏めおき、御寛典の上、官軍と分け合い、相当の員数を残しておきたい。

 四、城内居住の家臣どもには城外に移って謹慎するよう取り計らって頂きたい。

 五、徳川慶喜の妄動を助けた者どもについては格別の御憐慰をもって寛典なし下され、一命にかかるような処分の無きよう願いたい。

 六、万石以上の者どもについても、寛典を本則として、朝裁をもつて仰せつけられ度し。

 七、暴発の士民鎮圧の件は可能な限り努力致しますが、力及ばぬ時は、官軍のお力をもって、御鎮圧願いたい。

 西郷は一読し、渋い顔をした後、しばらく考え頷いた。はなはだ虫の良い内容であるが、総督府と相談してみると答えざるを得なかった。すったもんだして、列強諸国の介入を許せば、とんでもない屈辱的結果を見るかも知れなかった。理由は昨日、海舟が帰った後、アーネスト・サトウがやって来て、もし官軍が江戸を攻撃するなら、イギリスは江戸との貿易を不可能にしたくないし、フランスとも戦いたくないので、徳川幕府側に味方すると、パークス公使が言っていると伝えて来ていたからであった。そんな状況も知らず、江戸市中では、官軍なる朝廷軍がやって来て、江戸城を総攻撃するという噂で、右往左往の大騒ぎだった。幕臣たちは死を覚悟した。江戸開城の十五日、幕府重臣の一人、小栗忠順の先輩、川路聖謨は自らの手で割腹した後、ピストルで自殺し、幕府と共に自らを葬った。

 

         〇

 そんな江戸での状況を知らず、忠順は権田村での生活を楽しんでいた。朝は東善寺の塾舎に行き、道円和尚による子供たちの手習いの後、若者たちに、如何にしたら皆が幸福になれるかなどの講義を行った。午後には忠道と観音山の隠居所や家臣の住宅建設現場を視察したり、近隣の村々の様子を馬で見て回ったりした。母、邦子は天気の良い日に娘、鉞子と山菜採りに出かけたりして田舎生活を楽しんだ。身重の妻、道子は塚本真彦の母、美津と万希に手伝ってもらい着帯の儀を済ませ、村の鎮守にお参りに行ったりして、赤子の誕生に夢を膨らませた。3月13日、下斉田村の名主、田口平八と小林村名主、小林仙右衛門が挨拶がてらやって来て、倉賀野に大きな荷物が着いたと報告した。忠順は、『冬木屋』経由で吉田重吉が大物を運んで来た荷物であると分かっていたので、吉田重吉と共に山田城之助が陸路の段取りをしてくれると安心していたが、念の為、荒川祐蔵を倉賀野に送った。荷物は山田城之助や吉田重吉の関与する『新井組』の人足によって、3月16日に無事、到着した。その荷物四十個の中には『三井組』が準備してくれた千両箱や新式銃なども隠されていた。荷物が入荷すると、その仕分けに一苦労した。千両箱については、藤七と城之助に任せ、武器については東善寺の倉庫に格納した。これらの荷物整理を終え、ほっとした25日、江戸から用人、武笠祐衛門がやって、江戸の近況報告をした。

「今、幕府は、勝海舟と西郷吉之助が会談し、上様の嘆願書内容につき、朝議の返事待ちになっております。ところが江戸市中では、官軍に下るのを嫌う過激な連中が、薩長の専横に憤激し、『浅草本願寺』に駐屯し、『彰義隊』と称する部隊を組織し、官軍に対抗しようとしております。一方、品川方面では官軍先鋒隊が駐留するようになり、江戸市中は混乱状態です。勝海舟が、江戸奉行を罷免し、江戸の警備治安にあたる者が不在で、暴力、窃盗、放火、強姦がまかり通り、江戸から逃亡する者が増えております。旧幕臣たちも江戸城から性能の良い武器を持ち出し、大量脱走しております。江戸中、てんでんばらばらで、やりたい放題の有様です」

 小栗忠順たちは武笠祐衛門の報告に、江戸の事を案じた。徳川慶喜が、この状況を、どう考えているか忠順は知りたかった。

「上様は如何なされておる?」

「上様におかれましては忠誠を尽くす渋沢喜作率いる『彰義隊』に守られ、今も変わらず、恭順謹慎を続けておられます。上野の山は三千人にも及ぶ『彰義隊』の連中に警備され、盛り上がっております」

「左様か」

「その上野の『彰義隊』の隊士の中には、上州に隠棲された小栗様が官軍の手先の『御用党』の暴徒二千人を撃退したという情報を得て、『彰義隊』の総督になっていただこう申し出ている者もいる由に御座います」

「うむ、そうか」

 忠順は、権田村出発の前日、2月27日、滝川具挙の紹介と言って、駿河台の屋敷にやって来た渋沢成一郎のことを思い浮かべた。彼はあの渋沢篤太夫の従兄で『彰義隊』を結成したと言っていたが、彼の徳川への情熱は増々、激しく燃えて盛んなようだ。それに山田城之助の紹介で、成一郎と同じ、上様の守備隊に入れた上州生まれの天野八郎は、どうなっているのであろうか。

「ところで天野八郎はどうしている?」

「あいつには困ってしまいます。先日の12日、大平備中守様のお屋敷に『彰義隊』と名乗る者が押し掛け、乱暴狼藉を働き、大平様を殺害したので、問い質したところ、『彰義隊』の仕業ではないと言うのです。江戸は全く物騒です。でもあいつも良いところもあるんです。拙者が権田村に下向する話をすると、神田駿河台の御屋敷から浦和まで護衛の隊士5人をつけてくれました。お陰で大奥様の希望しておられましたお屋敷にあった椿の木を無事、ここまで運んで来ることが出来ました」

「おお、天野が手伝ってくれたのか」

「はい。そうで御座います」

 忠順は中々の剣客である天野八郎の心配りが嬉しかった。祐衛門が運んで来てくれた『明神の椿』は母、邦子が駿河台の屋敷で大切にしていた椿であり、何時の日にか権田村の屋敷にも移し植えなければと希望していたものであり、母、邦子は、その植木を見て、大喜びした。それにしても、大平鋓吉郎が殺害された知らせは衝撃的だった。

「あの大平殿が狼藉者に殺されたとは実に悔しい。残念でならない。駒井や日下の家はどうなっている」

「両家ともいざという時は、それぞれの知行地へ向かうと申しておられます。知行地が思わしく無い時は、こちらを頼りにすると仰有っておられました」

「そうか。こちらでも万一を考えて、準備しておこう」

「いずれにせよ、江戸は官軍が江戸城を総攻撃するという噂で、蜂の巣をつついたようです。15日、川路聖謨様は戦さの足手まといになることを、怖れ、ピストルで喉を撃ち抜き、自殺されました」

「何だと。川路様が・・・」

 忠順は、自分を可愛がってくれた先輩の自殺を知り、一瞬、次の言葉が出なかった。祐衛門の報告は尚も続いた。

「官軍先鋒隊の連中は、幕府重臣たちが、今、何処にいて、何をしているか捜査しているとのことで御座います。江戸の周囲に数ヶ所の陣屋を設け、幕府関係者の動きを監視しております。池上本門寺を本営とし、板橋、市ヶ谷、内藤新宿に兵を置き、官軍に従わぬ者を次々に処罰しており、江戸は最早、人の住む所ではなくなりそうです」

「それ程までに官軍が江戸を掌握し、傍若無人の振舞ををしておるというのか」

「江戸だけではありません。先日も、会津藩士、外島機兵衛、神尾鉄之丞、秋月悌次郎らが、殿に面会に来て、奥羽の状況を語つて行きました。仙台にも奥羽鎮撫兵が、九条道孝を総督として差し向けられたとのことで御座います。多分、官軍は仙台藩をまるめこみ、会津松平容保公の御命を狙うに違いないと申しております」

薩長はそこまでするであろうか」

 忠順には信じられぬ行動であった。江戸にいた祐衛門は江戸の状況からして、それも有り得ると肌を通して実感していた。

「油断はなりません。殿におかれましても用心が肝要です。何時、刺客が襲って来るか分かりません。御屋敷の守備を一層、固められますよう忠告申し上げます」

 武笠祐衛門の話を聞き、小栗忠順は勿論のこと、塚本真彦、荒川祐蔵、大井兼吉、大井磯十郎らは、この権田村も決して安住の地ではないと思った。翌日、忠順は、午前中、祐衛門を東善寺に連れて行き、塾舎での教育現場を見せた。何とその塾舎は『小栗塾』と名付けられ、祐衛門の知る材木商、吉田重吉が儒学を教えていた。算術は岩井重遠という男が、時々、来て教えており、壁には世界地図が張られてあった。祐衛門は、江戸の学習所に比肩する塾舎が、上州の山間の村に出来上がっている様を目にしてびっくりした。午後、忠順は息子、忠道に命じ、祐衛門を観音山の建築現場などへ案内させた。その間、忠順は各方面への手紙を書いた。夕方から、祐衛門と酒食を共にしながら、種々、依頼した。仕事に忠実な武笠祐衛門は忘れまいと、時々、用件を紙に筆で記した。武笠祐衛門の来訪は二泊三日の短い滞在だった。江戸へ戻る祐衛門に忠順は路用金などを渡して、江戸が危なくなったら直ぐに権田村に来いと命じた。

 

          〇

 権田村の『小栗塾』の噂は人から人へ伝わり、人気となった。近隣の村をはじめ、安中、高崎、中之条あたりからも、講義を聞きに来る連中がいた。そのうち足利や水戸の者までが顔を見せるようになった。この他藩からの塾生について、荒川祐蔵は注意を怠らなかった。水戸藩の三浦桃之助、足利藩の石川清左衛門などに用心したが、彼らは向学の士であった。そんな連中に混ざって、或る日、海軍副総裁、榎本武揚の使者を名乗る伊庭八郎という若者が尋ねて来た。忠順の知る榎本武揚からの使者という事であるが、本当に武揚からの使者かどうか分からなかった。伊庭は、忠順や塚本真彦たちを前にし嘆願した。

「小栗様。残念ながら江戸城が官軍に明け渡されることになりました。敵将、西郷吉之助と、勝安房守が話し合い江戸城明け渡しを決められたということです。榎本総裁は、それを知り、激怒しておられます。自分が幕府から預かっている軍艦をいずれ引き渡すようにと命令が下るものと想定し、小栗様の協力を求めるべく、拙者を権田村に差し向けた次第です。榎本総裁は大鳥圭介様率いる『伝習隊』、古谷作左衛門様率いる『羽生部隊』、渋沢成一郎様率いる『彰義隊』に連絡をとり、新幕府創設の計画を始めております。榎本総裁はこれを機に、小栗様に、もう一度、表舞台に御登場願い、新幕府創設の為の主軸になっていただきたいと考えております。本件について、御賛同いただけるか否か、その意中を、お聞かせ下さい」

 忠順は自分の家臣たちのいる前で、秘密の用件をベラベラ喋りまくる伊庭八郎の顔を見て、呆れ返った。相手の態度から、その考えを読み取ろうともせず、一方的に喋りまくる若者を信頼する訳にはいかなかった。忠順は微笑して答えた。

「榎本君の私への気持ちは有難いが、私は今や恭順隠棲の身。そんな希望は何処かへ失せてしまった。小栗には、その気持ちが無いと榎本君に伝えてくれ」

「しかし、この権田村の警備の有様。その気が無いなどとは申せません。村の入口の検問、観音山の建築、『小栗塾』の若者数、御屋敷内に並べられている鉄砲の数々等、まるで戦争中の砦のようで御座います」

 忠順の断りの返事に対し、伊庭八郎は鋭く追求した。何としても協力して欲しいという気迫であった。忠順は笑った。

「伊庭君。それは誤解だよ。実は、3月初め、この村は二千人にも及ぶ暴徒の襲撃に遭い、散々な目に遭った。君が見たものは、村人を暴徒から守る為の防備であり、戦さを始めようとする軍備では無い。誤解しないで欲しい。この村のことは口外しないで欲しい」

「分かりました。いずれ、我等の行動に賛同いただけるものと期待して、本日は、これにて失礼させていただきます」

「遠い所まで御苦労であった。榎本君に無茶するなと伝えてくれ」

「はい」

 伊庭八郎は元気よく答え、権田村から立ち去って行った。その伊庭八郎は江戸に戻り、権田村の小栗忠順の現況を海軍副総裁、榎本武揚に伝えた。武揚は伊庭から権田村の様子の報告を受け、小栗忠順には官軍に抵抗する姿勢ありと判断した。どうすれば主戦論者であった忠順が、再び、その気になってくれるか思案した。そして浮かび上がったのは忠順に横須賀製鉄所の件で諸々、助言して来た中島三郎助の権田村への派遣であった。武揚が三郎助に、小栗口説きを依頼すると、三郎助は快く引き受けた。3月30日、忠順が観音山から帰ると、中島三郎助が塚本真彦と話していた。忠順は三郎助の訪問を受け、大いに喜んだ。

「こんな山奥に良く来てくれました。実に嬉しく、懐かしいです。三郎助殿と私が一緒にいる時は、何時も目の前は青い海がありましたな」

「そうで御座るな。海には白い帆の船が沢山、浮かんでいましたな」

「カモメが波の上を飛び回り、時にはフランス技師、ヴェルニーたちも一緒だった。なのに今日は、隠居を決めた私の暮らす緑濃い森林の村で、三郎助殿との対面だなんて、まるで夢のようだ」

 再会の喜びを感じ合ってから、三郎助が言った。

「先日、榎本副総裁と一緒に伊庭八郎から小栗殿の話を聞きました。今、幕府海軍は、海軍総裁である矢田堀景蔵が陸軍総裁、勝安房守にペコペコしており、小栗殿が外国から導入してくれた幕府所有の軍艦を、官軍に引き渡そうとしております。それを怒った榎本副総裁はこの三郎助に、権田村を訪ね、新幕府創設、新政府樹立に、もう一度、小栗殿に協力願うよう、説得してくれと依頼して来ました。伊庭八郎を派遣したが小栗殿が伊庭を信用なさらず、小栗殿の本心を引き出すことが出来なかったとの判断のようです。それ故、昵懇の三郎助が行って、何としても協力してもらうようお願いして来いということで、それがしが参りました」

 忠順は腕組みして考えた。上様が恭順する情勢を考えるなら、朝廷の考えに一旦、服するしかあるまいに。無茶をするなと伝えた筈だ。なのに榎本は何故?

「海軍副総裁の榎本君が、新政府を樹立するなどと本当に考えているのですか。海軍は上様の恭順に従っており、勝安房守の下、彼の率いる艦隊は官軍に編入されると聞いていますが・・・」

 忠順には勝海舟が何を考えているか分かっていた。幕府の後始末を会計総裁、大久保一翁と共に任され、総てが海舟たちの思うがままであった。海舟は西郷吉之助と共謀し、徳川慶喜を引退させ、幕府の所有するもの総てを、そっくりそのままいただき、それを土産に、薩長土肥の仲間になり、無傷で平和裡に朝廷政権に加わろうという魂胆でいるに相違なかった。それ故、その配下である榎本武揚が、どのように考えているのか忠順には計りかねた。

「榎本副総裁は勝安房守が江戸城明け渡しを決めたことに立腹しておられます。上様は江戸城明け渡しについては了承されておられません。他の藩主たちが居城を所有すると同じく、田安家が他藩並みに江戸城を継承することを考えておられた筈です。それを勝安房守は自分の一存で決めてしまわれたのです。ひどいと思いませんか」

「勝安房守は相変わらずの曲者だな」

「勝安房守は信用なりません。江戸城の大奥や御用部屋、諸役所などにいた者は、既に城外に退去させられ、最早、幕府機能は存続しておりません。それ故、軍艦引き渡しの事も勝安房守が簡単に約束してしまうのではないかと榎本副総裁は勝安房守を疑っております。従って、榎本副総裁は勝安房守と決別し、官軍と対抗すると申しておられます。フランス軍事顧問団も榎本副総裁を支援すると賛成してくれています。陸軍歩兵奉行、大鳥圭介との密約も出来ております。こんな状況ですから、老体のそれがしも、若者の夢に身命を捧げようと思っております。これを機会に小栗殿にも是非、立ち上がっていただきたいと思います。三郎助からもよろしくお願い申し上げます」

 中島三郎助は熱心であった。忠順は自分や会津藩主、松平容保と共に主戦論を吐いた榎本武揚のことを思い浮かべた。更に三郎助は言った。

「榎本副総裁は会津公にも、このことを伝えたいと申しております。しかし、会津公の説得については、三郎助には手立てが御座いません。そこで小栗殿から会津公に決起を呼びかけて頂きたいのです。榎本公は、会津公と連合し、会津を本拠とした新政府の樹立を考えております」

 三郎助の語る新政府樹立の話は忠順の心を揺さぶった。欧米に似た新政府樹立は、忠順の夢でもあった。同じ夢を抱く者たちが続々と集まっているという。自分が努力して来た富国強兵に関わる外国貿易、陸海軍養成、造船、鉄道、銀行、郵便、教育などの事業は中途半端なままであり、何としても次の時代を引き継ぐ者たちに継承してもらわねばならぬ。それを思うと忠順は、居ても立ってもいられなくなった。

「三郎助殿。榎本君の気概、充分に分かった。真実、彼が新政府樹立の考えがあるなら、その仲間に加わることも良かろう。しかし、その前に会津公にその意欲があるか確かめる必要がある。会津公の決意の程を確認してから、御返事致す。それまで早まらず、呉々も慎重であるよう榎本君に伝えて欲しい」

 忠順は己れの本心を三郎助に吐露した。それが熱気盛んな榎本武揚に、どのように伝わるか否か分からぬが、本心を吐露したことによって、胸の奥底にわだかまっていたものが外部に放出され、胸の内がすっきりした。三郎助は権田村に一泊すると、翌朝、朗報を持って江戸に帰って行った。この中島三郎助の来訪は忠順に発破をかけた。忠順は『小栗塾』の若者に説いた。

「諸君、良く聞け。今や江戸では将軍のおられた江戸城を官軍に引き渡すことになり、徳川幕府は潰れたと言っても過言ではないであろう。国家の政治を担って来た正統派が正統派と理解されない不思議な時代だ。日本国政府の使者として諸外国に出かけ、先進国の知識を吸収し、各国大使との交流を通じ、今、日本国に何が一等大事なのかが分かっている人間が正統と見做されず、異国人から得た耳学問薩長の意見が大事にされる時代は、どう考えても間違っている。私は自らアメリカ国を訪問し、海軍所を見学した。自らロシアの艦長と面談した。フランス公使、ロッシュとも親しい付き合いをして来た。かの私の目にし、手に触れた現実こそが、正しいと自分は信じている。信じているからこそ、私は陸海軍の伝習所を開設し、横須賀に軍港を設け、軍艦製造の為の造船所の建設、弾薬製造と大砲製造の為の鉄工所の創設を行った。また貿易商を設立し、横浜だけでなく兵庫港を世界に向けて開港した。フランス学校を設立し、船便をはじめとする伝便局の創設も行った。また欧米各国が求める生糸の増産の為に繰り糸機械の導入などの検討も進めた。この上州から生糸を運ぶた為の高崎から横浜間の鉄道敷線計画もまとめた。海外への留学生も沢山、送った。外国人賓館も建設した。兎に角、あらゆることを計画し、あらゆることを実行に移すべく活動して来た。この実行力こそは、徳川幕府の力があったればこそのものである。このことは徳川政府が正真正銘、日本国の政府であるという証である」

 ここで忠順は一息ついた。『小栗塾』の若者、清水永三郎、武井荒次郎、吉田政造、岩井喜四郎、三浦桃之助、上原杢弥、石川清左衛門、斎藤壬生雄、大井憲太郎、上原八五郎らは小栗忠順が発する言葉に引き込まれた。話は尚も続いた。

「ところが薩長をはじめとする外様藩の者が、世の中を知らぬ幼帝をだまし、錦の御旗を掲げ、江戸に乗り込んで来て、あたかも薩長政府が日本国政府の如き振舞いを始めた。その新政府を語る薩長政府は暴力軍団の結合であり、偽政府集団である。私は江戸城の大広間にて、この悪しき薩長軍団を武力をもって潰してしまえと提唱した。その主戦論が受け入れられれば、偽政府を撃破出来たものを、不幸にも私の請願は受け入れられず、徳川政府は薩長軍団に屈することになってしまった。私の富国強兵の夢は幕府崩壊により、中断されてしまった。誠に残念至極である。私は二百六十五年の泰平を続けて来た幕府の現在の統率者数人の精神的弱体化が幕府を自ら滅亡させることになるであろうと諦め、この上州に引き上げて来た。この私の慚愧と正しい世界に向けた知識を理解し、受け継ぎ、これからの日本国を、世界の一等国に導いてくれるのは、ここ東善寺に集まっている諸君ら上州人をおいて他にない。彷徨える日本国を救えるのは、この上州の若者たちをおいて他にない。諸外国の侵略から日本国を守るのは諸君らをおいて他にない。諸君らの若い力を、小栗上州は信じている。どうか諸君、これからは、この私に代わって日本国の先鋒となって頑張って欲しい。私のやり残した多くの事業を完成させて欲しい。日本国を大統領制にし、この上州から、何人もの大統領を出して欲しい。私が企画したものが完成すれば、日本国は必ず列強諸国の仲間入りが出来る。外国から攻められても、日本国海軍の戦艦部隊と陸軍砲撃部隊で敵に勝利することが出来る。今はじっと我慢し、私の描いた世界を追ってくれ」

 中島三郎助との面談は、眠っていた小栗忠順の夢を呼び起こした。忠順は家臣たちの住宅建設の他に余分なことまで考えるようになり始めた。このまま,山間の地で埋没してしまって良いのか。まだ若者たちと一緒になって夢を追うべきではないのか。人生は長い。引っ込むのは、まだ早い。これから子供が生まれて来るのだ。

 

         〇

 4月8日、倉賀野から、江戸に残っていた荷物が、また運ばれた来た。『開明研』にあった大砲や機械工具などの厄介物だったが、江戸に於いて置くのも問題なので、星野広三郎が吉田重吉と江戸から船で倉賀野迄運び、そこから山田城之助たちと馬車で運んで来た。忠順は大砲の保管場所に困り、東善寺の倉庫のアームストロング砲を木ノ下の岩屋に移動し、入れ替わりに飾り物の大砲を東善寺の倉庫に入れた。11日には足利の高橋村から人見惣兵衛が御機嫌伺いにやって来た。挨拶の後、惣兵衛は『開明研』の連中の事を報告した。

「吉田好三郎様たち七人は、一ヶ月ちょっと高橋村にいただけで、古谷作左衛門の誘いを受け、『羽生部隊』に加わり、数日前、会津に向かわれました。殿様にこのことをお伝えするよう申されて、村を出て行きましたので、お伝え致します」

 それを聞いて、忠順はぽつりと呟いた。

「そうか。あいつらも会津に向かったか」

「吉田好三郎様は権田村で殿様が、どうなされておられるのか案じながら、村を出て行きました。皆、何か思い詰めたご様子でした」

「そうか。人それぞれだな」

 忠順はそう言って笑った。それから惣兵衛は連れて来た人足と佐藤藤七に会い、数日、権田村の建築現場の手助けをした。小栗家の者たちが権田村にやって来てから、権田村は町場のように賑やかになった。小栗家でも、人が増え、食料品など入手せねばならず大変だったので、惣兵衛に米の都合などを依頼した。そんな所へ、今度は多田徳次郎が江戸からやって来たので、星野広三郎を人見惣兵衛たちと一緒に帰した。徳次郎は忠順に江戸の様子を語った。

「去る11日、上様は上野寛永寺を出て水戸へ向かわれました。同日、官軍参謀、海江田信義、木梨精一郎が薩摩、長州、尾張、熊本などの七藩の兵を率いて江戸城に入城し、江戸城は完全に官軍に接収されました。城郭は尾張藩、武器は熊本藩が管理することになり、21日、熾仁親王が入城するとのことです。残念です」

「そうか。でも良かったではないか。無血開城が出来たのだから・・・」

 忠順の言葉に多田徳次郎は首を傾げた。思っているのと違う主人の言葉に納得が行かなかった。徳次郎は問い質した。

「殿は、それで本当に良かったのですか。今まで積み重ねて来た努力を、総てお捨てになってしまうのですか。それがしたちに抱かせた夢を忘却せよというのですか」

「うんそうだ。混迷している世の流れを静観するしかあるまい」

「それでは、幕府に仕えて来た幕臣はもとより、会津藩桑名藩庄内藩の方々は、どちらの道へ進めば良いのでしょう。進む道を示してやらねば可哀想過ぎます。先日、駿河台の屋敷に伊庭八郎がやって来ました。会津は今、奥羽鎮撫総督、九条道隆らの威嚇に対し、降伏嘆願を願い出ていますが、何故か、官軍は京都守護役を務めた会津藩と江戸市中警護役を務めた庄内藩を徹底的に討伐しようと考えているとのことです。噂では官軍の陰に隠れて大久保忠寛勝海舟らが会津公を亡き者にしようとしているとのことです」

 忠順には徳次郎の報告を信じたくなかった。徳川幕府内で優遇されなかったとはいえ、大久保一翁勝海舟の家族郎党は徳川幕府の給金で飯をいただいて来たのではないのか。その恩義をも顧みず、徳川幕府の象徴である江戸城が、彼らによって、ついに官軍と称する過激派集団側に引き渡されてしまった上に、会津公を亡き者にしているだと。忠順の本心は煮えくり返った。徳川慶喜はどう思っているのだろうか。その慶喜は既に江戸を去っていた。慶喜の水戸への下向に剣客、中条金之助の率いる『精鋭隊』と新門辰五郎の率いる一団が一緒したが、渋沢成一郎率いる『彰義隊』は勝海舟によって、寛永寺に止め置かれた。渋沢成一郎たちが、慶喜を再び担ぎ上げ、海舟たちの邪魔をするかも知れなかったから、『彰義隊』は寛永寺留め置きとなった。結果、慶喜下向と聞いて上野に参集した旗本の若者たちや、諸藩からの脱走兵が上野の『彰義隊』に加わり、上野の山は武装兵で膨れ上がった。それに呼応するかのように、翌12日、幕府伝習隊の大鳥圭介が部下千五百名を引き連れ、江戸を脱走、神田小川町から下総の鴻之台に移った。そこで既に鴻之台に集結していた土方歳三ら『新選組』の残党及び桑名藩兵と合流し、官軍に対抗しようという態勢に入った。また江戸湾海上では海軍副総裁、榎本武揚の率いる『開陽丸』以下、8隻の幕府艦隊が、品川沖から房州館山に逃亡し、官軍の動静を窺がっていた。江戸城無血開城の条件として、幕府の軍艦総てを引き渡すと、海舟が決めたが、武揚には、それが納得出来なかった。その武揚の行動を知った勝海舟は慌てた。長崎海軍伝習所の後輩である榎本武揚が何故、自分の命令に従わず、何故、逃亡したりするのか。海舟は単身、馬を跳ばし、館山に馳せ、榎本武揚に会った。海舟は武揚に会うなり言った。

「榎本。俺があれ程、堪えてくれと言ったのに、なんで堪えてくれなかったんだ。軍艦の引き渡しを強硬に拒むお前の気持ちも分かる。俺だって辛い。俺が太平洋を横断した『咸臨丸』は俺にとっても宝だ。手放したく無い。だが日本国民がひとつにまとまる為には、そんな感傷を捨てて朝廷に差し出さなければならないのだ。そうでねえと江戸は火の海になるところだったんだ。分かってくれ、榎本!」

「分かりません。我々9人のオランダ留学生がオランダから乗って来た最新鋭艦『開陽丸』は小栗様が幕府費用で幕府の為に購入された軍艦です。これらの軍艦は徳川幕府の財産であって、朝廷の所有物ではありません。貴男は政治の混乱のどさくさに紛れて、幕府の物を着服しようというのですか」

「何だと!」

「我々は貴男のようなちゃらんぽらんで腰抜けな人を信じることが出来ません。官軍と一緒になって江戸を火の海にすると嚇されるなら、火の海にして下さい。その代わり、我々も、帝のおられる京師は勿論のこと、薩摩も長州も火の海にして見せます。帰って下さい」

「榎本よ、俺の話を聞いてくれ。もう徳川の時代は終わったのだ。今、俺たちがやれねばならんのは、日本という国を立て直すことだ。その為には辛いだろうが、薩長に従うことだ。お前の率いる軍艦8隻のうちのボロ船を4隻だけを官軍に渡してやろうじゃあないか。明日、品川沖に戻ってくれ。総督府参謀には俺から良く説明しておくから」

「そうは申されても、我々は官軍に従うことは出来ません」

「これは慶喜公の御意向でもある。本来なら海軍総裁の矢田堀殿がお前と話し合うのが筋であるが、矢田堀殿は今、何処にいるのか所在も分からぬ。榎本よ。戻ってくれ。頼む」

 勝海舟は、あの手、この手で榎本武揚を説得した。しかし、武揚は江戸に戻るとは答えなかった。海舟が望むなら、『咸臨丸』を渡しても構わぬとだけ答えた。海舟は愕然として江戸に戻った。

 

         〇

 4月16日、幕府陸軍騎兵隊の桜井大三郎ら20名程が権田村にやって来た。桜井はもと『京都見廻組』の隊員であったが、鳥羽伏見の戦い後、江戸に戻り、江戸城内の警備をしていたこともあるので、忠順とは顔見知りだった。あの馬で登城されるお方が、小栗様かと忠順を尊敬していた大三郎にとって、幕府随一の知恵者である忠順が、上州の山奥の村に隠棲し、埋没してしまっていることが、不満でならなかった。

「小栗様。お久しぶりで御座います。桜井大三郎です。覚えておいでですか」

「ああ、覚えているとも。吹上御庭での乗馬、楽しかったな」

「はい。その吹上御庭のある江戸城も先日11日、官軍に渡されてしまいました。その為、我々は職を失い、思案した挙句、小栗様のおられる権田村を訪ねようということになりました」

「私を殺す為にか?」

「とんでも御座いません。何故、我々が小栗様を・・・」

「冗談だよ。桜井君が剣の達人であることは有名だからな」

「小栗様。あれは我々が、薩摩の後藤に騙されたのです。坂本龍馬は小栗様を尊敬しておられました。その坂本龍馬を殺害したことを私は今でも後悔しております」

 桜井は、後藤象二郎坂本龍馬の手柄を自分のものにしようと、坂本龍馬を自分たち『見廻組』くずれに殺害させた経緯を告白した。あの頃から、総ての回転が狂い出したといえよう。それから桜井は中島三郎助たち同様、江戸の状況を語り、忠順に官軍と戦うことの協力を要請した。

「残念なことに、上様は水戸に隠退なされました。実態は官軍による幽閉です。それを機に、幕府歩兵奉行、大鳥圭介様、海軍副総裁、榎本武揚様他、伊庭八郎、福田八郎右衛門、渋沢成一郎天野八郎らが、各地で決起しました。彼ら幕臣たちは命を懸け、官軍と戦おうとしています。小栗様もこんな山の中に引き込んでいないで、私たちに手を貸して下さい。その頼みにやって参りました」

「桜井君たちの気持ちは分かるが、私は、最早、手を貸すような力を持ち合わせていない。ここで余生を過ごすだけだ」

徳川幕府に御世話になった方々が、官軍をやっけようと集まっているのに、小栗様は何もなさらず、この権田村に埋もれてしまおうというのですか」

「私は御役御免になり、私がお仕えして来た幕府も消滅した。私にはこの権田村での生活が一等、似合っている。このままここに埋もれさせてくれ」

「そう申されましても、江戸では小栗様が官軍に反旗を翻されたという噂が広がっております。このままここにいることは、反って危険です。我々は、これから会津に向かいます。御家来衆を説得し、我々と一緒に会津へ行っていただけないでしょうか」

 忠順は二千人の暴徒を追い払ったことの噂が増幅していることを恐れた。人の噂というものは思わぬ方向へと発展するものだ。

「江戸では、そんな噂が広がっているのか。だが私は官軍に反旗を掲げようなどとは思っていない。また権田村から離れようなどという気持ちも全くない。私の事は放っておいてくれ」

 忠順は桜井大三郎たちの誘いを断ったが、彼らは数日間、高崎藩や安中藩に出かけ、人集めを行い、19日、別れの挨拶にやって来た。忠順は会津へ向かう桜井たちに言った。

「縁があらば、また会おう」

「その日が早く来ることをお待ちしてます」

 忠順は、そう挨拶して会津へ向かう桜井らに金子五十両と草鞋五十足を与え、北へ去り行く若者たちを東善寺の前まで出かけて見送った。

会津でお待ちしております」

 その言葉に、忠順は会津に集まっているという元幕府重臣たちの顔を思い浮かべた。松平容保小笠原長行板倉勝静、安倍正耆ら懐かしい顔ぶれであった。また親交のあった原田種龍、外島機兵衛、神尾鉄之丞、秋月悌次郎、広沢富次郎ら会津藩の優秀な藩士たちのことも思い浮かべた。会津藩主、松平容保は死を覚悟し、武士道を貫徹するつもりでいるのかも知れない。その松平容保は、忠順の応援を期待し、片品村の向こう、尾瀬の近くにいるという。そう思うと忠順は急に会津に行ってみたくなった。その松平容保は鶴岡の庄内藩と密約同盟を結び、仙台藩米沢藩等、奥羽諸藩を、この同盟に加え、薩長をはじめとする西南諸藩を叩き潰そうと動き始めていた。鳥羽伏見の借りは返さなければならぬ。松平容保は燃えていた。小栗忠順は、その松平容保のことが気になり、4月21日、大井兼吉、塚越富五郎、山田城之助の三人を会津に向かわせた。それとなく軍事支援を要請して来ている、もと京都守護職松平容保に接近し、奥羽列藩同盟の進捗状況を把握することと、小栗忠順の深謀を、秘かに容保に伝えることが三人の会津訪問の目的であった。また万一、権田村が官軍に襲撃された場合に備え、権田村からの移動先を、あらかじめ会津に確保しておく計算もあった。これらの密命を受け、大井兼吉、塚越富五郎、山田城之助の三人は中之条から沼田、片品に出て三平峠を越え、尾瀬から檜枝岐、田島を経て、下郷にて、会津藩士、日向内記の出迎えを受けた。そこで会津の状況を確認し、その後、大内宿を通り、会津若松に入つた。桃や山吹の花が咲き、会津の春は美しかった。このような桃源郷にも似た長閑な地方にまで薩長の連中が率いる官軍は攻め入って来るであろうか。二百七十年前の恩讐を胸に、容赦なく、この城下町に砲撃を加えて来るであろうか。大井磯十郎たちは、この美しい会津を、戦乱に巻き込んではならぬと思いながらも、今こうして自分たちが会津に訪れた事が、不幸の種になるのではないかと、気になった。日向内記の案内に従い、会津藩若年寄、原田対馬の屋敷に到着したのは4月25日夕刻だった。そこで三人は原田対馬、横山主税ら会津藩士の歓迎を受けた。まずは原田対馬が三人に言った。

「皆さん、ようこそ会津若松に、お越し下されました。我等、奥羽列藩は、小栗忠順公の深謀あるを知り、歓喜しております。いよいよ薩長に一泡ふかせる時が到来したと、血気盛んに燃えております。上州諸藩の動きは如何で御座るか?」

 原田対馬の問いに大井兼吉が答えた。

「各藩によって、官軍に対する考え方が異なっております。安中藩のように、藩主、板倉勝殷様みずから相手と対等の立場で官軍と折衝する藩もあれば、岩鼻陣屋の崩壊により、ただひたすら官軍の指示に従う、高崎藩や吉井藩のような、藩主のあって無きが如しの藩もあります」

「そうですか。我等、奥州列藩も一応、団結の体勢を整えておりますが、江戸の大久保一翁らから、官軍に従うようにとの指示が来ているので、諸範に若干の乱れがあります」

「確かに上州にも江戸からの沙汰がありますが、それを信じて良いのやら分かりません。何時、小栗の殿に対する官軍の追討令が発せられるか気がかりでなりません。我々は会津をはじめとする奥羽列藩と足並みをそろえるべく計画を進めております。こちらではどのような計画でおられるのか、その機会を教えていただきたく、やって参った次第であります」

 大井兼吉の発言に原田対馬歓喜した。外島機兵衛、神尾鉄之丞、秋月悌次郎らを何回となく、江戸の小栗屋敷に派遣したが、主人不在と何度も断られて来た会津藩にとっては朗報だった。小栗忠順慶喜公に従い、恭順を貫き、主人、松平容保の要請に応じてくれないのだと、その一徹さに誰もが諦めかけていた時だっただけに、権田村からの小栗家の使者の来訪は嬉しかった。原田対馬は、現況を三人に語った。

「現在、我が会津藩は奥州諸藩と列藩同盟を結び、越後柏崎の松平定敬様、長岡藩主、牧野忠訓様とも連絡を取り、その団結は一段と強固になりつつあります。また江戸を脱出した大鳥圭介殿の率いる『伝習隊』、土方歳三殿の率いる『新選組』、古谷左衛門殿の率いる『衝鋒隊』の面々が、半月ほど前から、この会津に入つて来ており、会津武装兵の花盛りです。それに皆さんの所属する『小栗軍団』が加わったなら、官軍など恐るる相手ではありません。まさに天下無敵です」

 原田対馬は熱弁を振るった。その対馬に山田城之助が質問した。城之助は会津の軍備を知りたかった。

「とはいえ薩長はイギリスから高性能の武器を調達しており、大村蔵六とかいう近代兵器に精通した男がいるそうです。会津藩は、それに対してどのような対策をなされておられるのでしょうか?」

 城之助の質問に横山主税が答えた。

「私はここにおられる海老名季昌様とパリ万国博覧会使節団、徳川昭武公の随員として欧州諸国の視察に行っていたのであるが、大政奉還の情報を聞き、去年11月に急遽、帰国した。従って我々は小栗様の足元に及びませんが、海外との交流が深く、海外の最新兵器の調達を始めております」

「それは心強い」

 横山主税に続いて、海老名季昌が更に説明した。

「我々は元プロシア公使館の書記官、ヘンリー・シャネルを軍事顧問に迎え、彼の弟、エドワードの協力を得て、多数の武器を調達しております。イギリスのグラバーは粗悪な武器を持ち込み、高く売っていますが、ヘンリーの持ち込んで来る武器は良く吟味された物ばかりです。これらの物が増えれば、鬼に金棒です」

 欧州帰りの重役たちの話を聞けば、会津藩は洋式兵器の採用を積極的に進めており、その軍備は強力なものになりつつあった。その夜、三人は、原田対馬の屋敷に泊めてもらい、更にいろんなことを確認し合った。海老名季昌、横山主税たちは亥の刻前、打合せを終えて帰って行った。そして、さあ寝ようという前に、原田対馬が言った。

「この屋敷は、我が殿の命により、小栗様をお迎えする為に、先日、増築を終えたばかしです。今や、何時、お越し下されても大丈夫です。一時も早く、会津にお越し下されますよう、小栗様を説得して下さい」

 大井兼吉たち三人は主人、小栗忠順を歓迎する会津藩の面々に深謝し、翌日、会津藩主、松平容保、家老、田中玄清佐川官兵衛神保内蔵助らに挨拶して、権田村への帰路についた。その頃、権田村では観音山の隠居所と小栗家臣の屋敷の建築作業が順調に進んでいた。4月28日、いよいよ棟上げ式の日を迎える運びとなった。棟上げ式の当日の午前中は晴れていたが、午後になると曇って来た。しかし、観音山の天気が悪くなり始めたが、棟上げ式はまるで祭のように盛り上がった。村内は勿論のこと、近在の村からも大人子供たちがやって来て、雨が降って来そうな中、高い屋根から、忠順や大工たちが投げる餅や小金を夢中になって皆が拾った。この建前式が終わると、忠順はほっとした。家臣たちも、これでのんびりと権田村で暮らせるかと思うと、とても喜んだ。ところが翌日29日、中島三左衛門が血相を変えてやって来た。

「殿様。大変です。高崎、吉井、安中の三藩のお侍たち八百人程が集まり、殿様に談判があるという事で、こちらに来る準備をしているとの知らせがありました。どういう事でしょう」

 その報告を聞いて、小栗忠順はじめ塚本真彦ら家臣たちは驚いた。

「何、それは真実か?」

「はい。何でも、数日前から、そのような動きがあったようです」

「うむ。三藩は観音山の建築物を軍備の為の築城と勘違いしているのであろう。どういうことなのか動きの理由を、行って確かめて参れ」

 忠順は側にいた家臣、沓掛藤五郎と大井磯十郎に命じた。命じられた二人は急いで高崎、吉井、安中の三藩が集合している里見に出かけて行った。大井磯十郎は安中藩の顔見知りの星野竹三郎がいたので、代表者は誰かと聞くと、高崎藩の宮部八三郎だと教えてくれた。そこで藤五郎と磯十郎は宮部八三郎の所へ行って、質問した。

「これから権田村に来られると伺いましたが、何の用向きかで参られるのか、それをお教え下さい。権田村としても、お迎えするにあたって、何か準備しておくことが御座いましょうか」

「権田村におられる小栗上野介殿に直接、談判せねばならぬ用件が御座いまして、明日、伺う予定です。準備しておいてもらう事など御座らん。談判の内容については、明日、上野介殿に直に申し上げる。よって、汝らに話す事は何も無い。帰って、そう伝えよ」

 八三郎の態度には取り付く島が無かった。その様子を確認すると、藤五郎と磯十郎は急いで、権田村に駈け戻った。二人が里見の集まりの状況を報告すると忠順は考えた。何故、今まで親しくして来た譜代大名、高崎藩主、松平輝照、安中藩主、板倉勝殷、吉井藩主、吉井信謹が、同じ譜代の上野介に大勢の兵を差し向けるというのか。3月初め、官軍、東山道鎮撫軍は何の咎めもせずに中仙道を通過して行ったではないか。なのに、どういうことか。見ず知らずの官軍の命令で、三藩の主たちが動くというのはおかしい。薩摩の西郷吉之助の要求により、勝海舟が、上様の命令だと偽って、三藩に追討令に従えと指示したのか。それとも、海舟の個人的な恨みで、宿敵、上野介をこの世から葬り去ろうと、巧妙な陰謀を企てることにしたのか。いずれ明日、分かる事だ。忠順は覚悟した。

 

         〇

 翌月は太陰暦の閏月であった。その為、4月と5月の中間に閏月が加わった。その閏4月1日、高崎、安中、吉井の三藩の使者が、東山道鎮撫軍の命令を受けたといって大勢の兵を引連れて権田村にやって来た。小栗忠順はその集団を東善寺の本堂の前で待った。王政復古の大号令以後、天皇が親政を行うことを発表し、朝廷に従属する大名が増えたことは確かだった。幕府の敗北が明白になった以上、諸藩の大名は困惑しながらも、官軍に従うしか方法が無かったのかも知れない。やってきた三藩の使者はそれぞれに名を名乗った。その使者の名は以下の通りである。

「高崎藩」宮部八三郎、菅谷次兵衛、大野八百之助

安中藩」星野武三郎、福長十兵衛、星野閏四郎

「吉井藩」山田角右衛門、黒沢省吾

 その代表、宮部八三郎は東善寺本堂の前に立つ元幕府重臣小栗忠順に向かって丁重に挨拶した後、申し述べた。

東山道総督府より、江戸からの回文にて、我等、三藩に本書による申し入れがありました。御一読の上、御回答をいただきたく参上しました」

 宮部八三郎は回文の本書なるものを差し出した。

「拝見致す」

 忠順は、その書面を読んだ。何とそれは先月22日付の『追討書』だった。その内容は次の通りであった。

小栗上野介、近日、その領地、上州権田村に、厳重なる陣屋を相構えたる上に、砲台を築き、容易ならざる企てあるやの注進が諸方よりあり、聞き捨て難し。よって深く探索を加えしところ、その逆謀、判然たり。上には天朝に対する不埒至極、下にも主人、慶喜恭順の意に背くものであり、その追捕の儀、各藩に申付ける。よって各藩は国家の為に同心協力し、忠勤に抽すべし。万一、手に余るようなことあらば、直ちに本陣に申し出られよ。さすれば先鋒隊をもって一挙、誅滅致すなり。

 右の趣旨をもって御達しを申し入れ候。急々、これに尽力あるべく行動せよ。

  四月二十二日

   東山道総督府執事

    松平右京亮殿

    板倉主計殿

    松平鉄丸殿

 右回覧の上、各藩申し合わせ、追捕致すべくものなり。:

 忠順は、一読して激怒した。『追討書』で自分は完全に朝敵にされてしまっていた。即刻、捕縛せよとの東山道総督、岩倉具定の指示であるが、裏で西郷吉之助と勝海舟が命令しているに相違なかった。江戸を離れ、慶喜の恭順にならい隠遁し、権田村に腰を落ち着け、一農民として生きようと考えていた忠順にとって、余りにも厳しい『追討書』であった。この『追討書』を受け取り、三藩の藩主たちは悩んだことであろう。その悩んだ末に行動がこれなのか。忠順は使者8人に言った。

「各々方は近傍に住んでいるなら分かっておろう。観音山のこの普請は、恭順の為、江戸の屋敷を引き払い、権田村に移住する我々の屋敷と権田村発展の為の学校、役場、病院などの建築工事である。陣屋や砦の普請では無い。砲台の構築など、全くもって身に覚えのないことである。私が上様から罷免され、隠居の身として過ごしていることは、各々方の主人もお分かりであろう。私が朝廷に対して敵対しようとする陰謀があると見受けられるか?」

「いいえ、そうとは思えませんが・・」

「そうだろう。私は天朝に逆らうような事はしていない。自分の持ち山を開墾し、移住者たちが幸せに暮らせるようにと、その住居を建造しているのに、要塞や砲台を構えているなどと誤解も甚だしい。今から村内を案内するから、とくと御覧あれ」

 忠順が怒りをこめて言うと、宮部八三郎は悪びれずに掛け合った。

「我々は総督府からの回文を受け取ってから、権田村内を秘かに調べさせていただいておりましたので、案内していただかなくても、結構です。天朝に背くなどと疑ってはおりません。でも何分にも東山道総督府からの御達しですので・・・」

「ならば上野介に天朝に背く意思なしと申し出るのが、お主らの役目で御座ろう。私を捕縛するというなら、藩主自らここに出向くよう伝えよ。そうでないと、今までの親しき関係が、今後どのように変化するのか、分かっておるであろうな」

 忠順の自信に溢れた言動に三藩の使者たちは動揺した。二千人近い暴徒を打破ったという『小栗軍団』が権田村以外に潜んでいる可能性がある。三藩の使者たちとしては、迂闊に忠順を捕縛することは不可能だと読んだ。だが役目を果たさねばならぬ。宮部八三郎は震えながら言った。

「しかし、二千人の暴徒を退散させた武器については確認が終わっておりません。何んでも、暴徒を退散させるのに、大砲を使用したとのことですが、その大砲だけでも証拠の品として差し出していただけないでしょうか。我々も何らかの形で、役目に出向いたことを証明致しませんと、面目が立ちません。ことを穏便に済ますには、それが良い方法と思われますが・・・」

「申される通り、暴徒を退散させた大砲がある。だがその大砲は外国から輸入したものでなく、駿河台の屋敷に飾っておいた日本製の骨董品の古い大砲じゃ。それで良いなら持つて行くが良い。『追討書』にある砲台に使えるような外国製の大砲では無い。今から東善寺の脇の倉庫から引き出すから、しばし待て。それを持ち帰り、上野介が恭順謹慎していることを藩主と総督府に伝えよ」

 忠順は、そう言ってから大井磯十郎、荒川祐蔵、多田金之助らに東善寺の倉庫内にある武器を庭に運び出させ、三藩の使者に差し出した。大砲1門、鉄砲20挺、槍18本、刀剣14振りであった。これらを確認すると、安中藩の使者、星野武三郎が言った。

「これだけあれば、証明になるでしょう」

「うん、そうだな」

 宮部八三郎は、星野に頷いてから、忠順に向かって更に要求した。

「小栗様。我々、これらの品をお預かりして帰ります。但し、我々の説明だけでは納得していただけない場合も考えられますので、ご子息、又一様に御同道願いたいのですが、良いでしょうか」

「異存は御座らぬ。ついでに『追討書』にあるような砲台が観音山にあるか、又一と一緒に普請現場を確かめて帰ってくれ」

「ははーっ。では失礼させていただきます」

 そう言って頭を下げた宮部八郎らを忠順は見送った。小栗忠道は父の指示に従い荒川祐蔵と共に観音山の普請場所を案内し、その後、高崎城へと向かった。三藩の兵隊が引き上げてから、忠道の許嫁、鉞子が、何故、忠道を同道させたのだと泣き喚いた。忠順はこの時になって、証人として差し向けた息子、忠道が罪人にされてしまうのではないかという不安に掻き立てられた。そんな不安を抱いている夕刻、会津に派遣した大井兼吉、塚越富五郎、山田城之助が権田村に戻って来た。彼ら三人は、不義の薩長を撃退すべく行動を始めている会津の盛り上がり様を語った。会津は、幼帝の側近の奸物、薩長を排除すべく、奥州諸藩と『奥州列藩同盟』を結び、官軍との戦闘体勢に入つているという。奥羽鎮撫総督府との抗戦を全く恐れていないというのだ。忠順は、それを聞いて、塚本真彦以下、小栗家の用人、二十数名を集め、権田村が決して安心出来る場所では無いことを説明し、今の内から縁者を頼り、避難場所を決めておくよう指示した。そして夜中に、母、邦子や妻、道子たちに、直ぐにでも会津に向かえるよう準備しておけと命じた。翌2日、小栗忠順は塚本真彦、沓掛藤五郎、多田金之助、佐藤銀十郎を里見まで様子見に向かわせた。だが誰も直ぐには戻らなかった。忠順の母、邦子が心配した。

「又一らは上手に申し開きが出来たでしょうか。三藩の使者たちは、お前に厚意的であったようですが、東山道総督府の連中は、そう甘くはないかも知れませんね」

「母上。心配はいりませんよ。又一はしっかりしています。必ずや総督府の責任者を説得し、真彦たちと笑顔で戻って参ります」

「そうであってくれると良いのですが・・・」

 妻、道子が母を励ましてくれたが、忠順は不安であった。あの勝海舟薩長に抱き込まれたとあっては、彼らの敵が自分であることに間違い無かった。上様同様、如何に恭順謹慎していようと、薩長としては血祭の相手が必要なのだ。その標的に自分が選ばれたなら、正々堂々と対峙し、薩長の悪逆非道がどんなものであるか、後世に語り継ぐのも、また男の生き様であるかも知れぬ。昼過ぎになって銀十郎が帰って来た。

「大変です。又一様は高崎城下の官軍出張所に連れて行かれ、高崎藩の者が又一様に同道して、総督府の部隊長のいる行田まで連れて行かれるかもしれないとのことです」

「何だと。高崎城で『追討書』の内容は冤罪であると弁明し、直ぐに許され、戻って来るのでは無かったのか」

 銀十郎の言葉を聞いて忠順の顔色が蒼ざめた。

「真彦はどうした?」

「塚本様たちは高崎藩の官軍出張所に又一様をお戻し願いに行きましたが、行ったままで御座います」

「何と、そういうことか」

 忠順は『追討書』に追補の儀、各藩に申しつけるとあった文面を思い浮かべた。自分自身の『追討書』の文面に対する理解と三藩への思いが甘かったと反省した。忠順は忠道たちのことが心配でならなかった。待っても待っても、忠道たちは戻って来ない。忠順は居ても立ってもいられなくなり、夕刻前、三之倉の全透院まで、忠道たちの安否を調べさせる為、藤七たちを走らせた。すると直ぐに藤七たちが真っ青な顔をして戻って来た。

「殿様。大変です。又一様はじめ塚本様たちまで、官軍に捕らえられ戻って来ないとのことです」

「むむっ。何てことに」

 忠順は自分の代理として、息子、忠道を高崎に出頭させたことを後悔した。迂闊であった。このようになることは予想出来ないことでは無かった。三藩の使者たちの丁重さに、つい、うっかり油断してしまった。こんなことになるなら、忠道を高崎にやるのでは無かった。会津や信州、越後の諸大名に呼びかけ、官軍と徹底抗戦すべきであった。苦悩する忠順を見て、荒川祐蔵が言った。

「殿。又一様たちは我々の手で、必ず救出致します。三藩の知人の力を借り、何とか救出致します。殿がここに、これ以上いることは危険です。今夜のうちに奥様たちを連れて、会津へ逃げて下さい」

 荒川祐蔵は忠順に権田村からの脱出を勧めた。しかし、忠道たちが戻らぬ以上、権田村を去るわけにはいかない。忠道の許嫁、鉞子に会わせる顔がない。それに夢を果たすまで何時までも一緒にいようと契り合った塚本真彦とも何処までも一緒にいたい。忠順は急いで脱出の準備を進言する祐蔵に答えた。

「忠順は、ここに残る。母上や道子たちが無事、会津に辿り着いた事を確認してから、会津へ向かう。それまで何としても、又一たちを救出してやらねばならぬ」

「敵が欲しているのは、殿の御命です。これ以上、権田村にいるのは危険です。殿がいなくなったら日本国はどうなるのです。日本国が分割されるようなことがあっても、殿は生き残るべきです」

「日本国には優秀な若者たちが沢山いる。日本国の未来はその優秀な若者たちが引き継いでくれる。その基礎は既に築いて来た。今、私が欲しいのは高崎の官軍に捕らえられている又一たちだ」

 忠順の言葉に、荒川祐蔵、大井兼吉、塚越富五郎たち家臣は死ぬ覚悟が出来た。主人は死ぬ覚悟でいる。死ぬ覚悟で、又一様たちを救出するつもりだ。忠順は思った。多分、総督府は忠道の弁明や三藩の意見など無視して、捕縛に来るであろう。こうなったら、忠道たちを救出して逃げるしかない。忠順は再び小栗家の用人たちを集め、本日の状況を説明し、それぞれ縁者を頼るなどして、明日から権田村より離散するよう指示した。忠順の説明を聞いて、権田村にて、官軍と一戦を交えようと申し出る者もあったが、何処に行っても謹慎一途に努める事だと家臣に命じた。結果、その夜のうちに別離の挨拶に来る者も現われた。また権田村に残ると言い張る者もいた。塚本真彦の妻、万希も、こう言って残ることを主張した。

「夫は何処までも、殿様とご一緒するのだと日頃から申しておりました。自分の夢は殿様とご一緒だと。ですから私たち家族も夫同様、夫が戻るのを待ちます。私たち家族を、何処までもお連れ下さい」

「ならぬ。お前は母子と共に縁者を頼り、権田村から離れよ」

「では夫の顔を一目、見てから、甘楽の七日市藩の保坂の家に逃げることに致します」

「そうか。では真彦が戻ったら、直ぐに七日市に向かえ」

 忠順は真彦が何を思い、何を考えているのか分かっていた。真彦は自分と共に同じ夢に魅かれて、何処までも一緒に同じ夢を見ようとしているに違いなかった。真彦の妻との話が終わると、山田城之助と猿谷千恵蔵が現れた。

「明日はいよいよ高崎の官軍出張所を襲撃し、又一様たちの奪還ということになるので御座んすね」

「早まるな。今は引き下がるしかない。無念であるが、会津へ向かおうと思うので、お前たちには、その案内をして欲しい。また塚本の家族を甘楽の七日市まで案内して欲しい」

 てっきり明日、高崎の官軍出張所を襲うものと思っていた城之助と千恵蔵の二人はびっくりした。城之助たちは慌てた。早川仙五郎にこの内容を伝え、武井多吉と塚本の家族を甘楽まで護衛をするよう多吉のいる信州小野山に走らせた。そして、誰と誰が忠順に同道するかなどの詳細を、深夜に及ぶまで、忠順と一緒になって相談した。

 

         〇

 閏4月3日の朝、小栗忠順は名主、佐藤藤七を呼び、昨夜遅くまで家臣と相談した結果を説明した。

「兎に角、幕府が崩壊し、世の流れが、官軍歓迎に向かっている。この流れがどの方向へ進んで行くか、今のところ分からない。だが官軍が江戸城を占領したとなると、幕臣関八州にいることは危険だ。かくなる上は会津に避難し様子を見ることにする。ついては、これからこの村を離れるので、後のことを頼む。会津に入るまで中島三左衛門たちを借りるぞ」

「あっしも着いて参ります」

「何を言っている。お前は権田村に残り、村人を守れ。私に仕えていたと分かっても、知行地の名主として上野介に従っていただけであると答えれば、咎めは受けまい。お前は家業の酒造りに専念し、私が再びここへ戻った時、『瑞龍』を飲ませてくれ」

「殿様!」

 忠順が言い聞かすように命じると、藤七は涙を流した。忠順はそれから、会津行きの準備を始めた。荒川祐蔵、佐藤銀十郎、池田伝三郎、大井磯十郎、渡辺太三郎ら家臣と母、邦子、妻、道子、養女、鉞子をを連れて、中島三左衛門と山田城之助に道案内させ、先ずは知り合いの中之条近くの横尾村の高橋景作の所へ向かうことにした。しかし、出発の準備に時間がかかった為、翌4日の出発となった。万一のことを考え、朝、一番で上ノ久保の『紙屋』に行き、人に気づかれぬよう、女たちを百姓姿に変装させた。それからの身重の道子を連れての移動、4日中に大戸まで行きたかったのであるが、亀沢までしか進めなかった。仕方なく大井兼吉の親戚、大井彦八の屋敷に一泊した。その翌5日の朝、皆で朝食を済ませ、さあ出かけようとしているところへ、名主、佐藤藤七が馬を走らせて追いかけて来た。大井彦八の家の庭先で馬を降りた藤七に忠順が訊ねた。

「どうした。又一が戻ったか?」

「いいえ、昨日の申の刻過ぎ、高崎藩の者と官軍の御役人様が権田村にやって来て、殿様に明日、高崎の官軍出張所へ出頭せよとの御命令です。殿様が何処にいるのかと御役人様に追求され、我々村人は難儀致しました。狩りに出かけて夜には帰ると説明し、何とか難を逃れました。今日、迎えが来ることになっております。殿様が、このまま姿を消されると、又一様は行田まで連れて行かれ、又一様のお命に係わることになるかも知れません。どうか村にお戻りになり、高崎に出頭し、逆心の無い事を総督府にお伝え下さい。皆の命がかかっております。お願い申し上げます」

 忠順は藤七の言葉に苦悩した。会津に落ち延び、松平容保榎本武揚らと一緒になって、官軍に立ち向かえば勝算はある。息子、忠道や真彦らを見捨てるか。それとも取り戻しに行くか。どうする。忠順は思案した。ふと鳥羽伏見の戦いで、江戸に逃げ帰った元将軍、徳川慶喜の面影が頭に浮かんだ。自分は、あの時、上様を罵倒したが、ここで逃げたら上様と同じだ。自分には上様と同じような卑怯な真似は出来ない。愛国一直線、単独、総督府に対抗するしかない。忠順は覚悟した。

「分かった。私は戻り、高崎へ出頭する」

「それはなりません。それでは殺されることになります」

「その通りです。行かないで下さい。むざむざ殺されに行くようなものです」

「ここは心を鬼にして、会津に向かうべきです」

 荒川祐蔵や大井磯十郎、池田伝次郎らが、口々に反対した。だが忠順は家臣たちの言葉に耳を貸さなかった。

「又一たちを見殺しに出来ない。殺されらそれが私の運命だ。止むを得ない。母上らを頼む」

 忠順は処刑されるかも知れないのを覚悟で権田村に引き返し、高崎に出頭することを決めた。ならばと忠順と一緒に会津に行く予定であった荒川祐蔵、大井磯十郎、渡辺太三郎の三人も残ることに決めた。忠順は妻、道子に言った。

「後から又一と共に会津へ行く。大事な身体だ。呉々も自愛せよ。母上や鉞子をよろしく頼む」

 その言葉に道子は大粒の涙を流した。母、邦子も泣きっ面をした。忠順は、母に一礼し、藤七が乗って来た馬にまたがると、母、邦子、妻、道子、娘、鉞子及び、佐藤銀十郎、池田伝三郎、堀越富五郎ら家臣と中島三左衛門、山田城之助たちの顔を一人一人じっと眺めてから、振り返ることなく、亀沢から坂道を下って行った。その後ろ姿を見送り、忠順の母、邦子たちは悲嘆の涙を流した。そんな小栗家の女たちを、叱るように城之助が言った。

「こんなところで、まごまごしていては敵に捕まります。道子様。早く駕籠にお乗り下さい」

 城之助は傳馬継ぎ手の親分のようなもので、四人の駕籠担ぎと二つの駕籠を用意していて、忠順の母、邦子と身重の道子を駕籠に乗せると、若い鉞子を歩かせ、吾妻方面に向かった。道子は駕籠の窓から、遠ざかって行く権田村を振り返り、歌を詠んだ。

 母子連れ 急ぎて遠くへ逃れ行く

 緑あふるる 吾妻の道

 途中、鼻曲辰蔵が現れ、中之条方面は既に官軍の兵が動き始めているという。そこで、一行は進行方向を変更し、大戸を通らず、萩生から左に逸れ、草津方面へ向かうことにした。忠順が一旦、権田村に戻り、高崎に出頭する仕度をしていると、塚本真彦の妻、万希が部屋に顔を出したので、忠順はあっけにとられた。

「何をしているのだ。早く逃げんか。何時、お前らを捕まえに官軍の兵が来るかも知れぬのだぞ」

「でも、夫が戻るまでは」

「馬鹿者。危険を察知せよ。真彦のことは、私に任せて、早く逃げろ。この私とて、何時、帰れるかどうか分からぬ。真彦と共に帰らぬ人になってしまうかも知れぬ。早く逃げろ」

 残酷とは知りながらも、帰らぬ人などと口に出してしまった。忠順が真彦の妻、万希を叱り飛ばしている時、早川仙五郎が武井多吉を連れて現れた。

「遅くなりました。城之助兄貴に頼まれて駈けつけました。何なりと用事を仰せつけ下さい」

「おう、多吉。良い所に来てくれた。真彦の家族を七日市藩まで、送り届けてくれ」

「甘楽の七日市で御座んすね。承知しました。任せておくんなせえ」

「よろしく頼む」

 忠順は多吉に三十両を渡し、塚本真彦の母、妻子らを七日市に送り届けるよう依頼した。依頼を受けた多吉は、真彦の妻、万希と真彦の借家に行き、母親や子供に旅仕度をさせると、権田村から地蔵峠を越えて、松井田、一之宮を経て、七日市に向かう計画を立てた。権田を出発し、岩水の道を通過する時であった。烏川の流れの向こうの道を三ノ倉から東善寺へ向かう千人程の大軍の行列が進んでいるのが見えた。見つかってはならぬ。多吉は背を低くして歩くよう、真彦の家族に指示した。しかし、中尾の手前で対岸の石津近くを進軍していた兵士数人が移動中の万希たちに気づいた。その兵士たち数人が川を渡って来るのが見えた。多吉と仙五郎は慌てた。真彦の家族7人を相聞川の畔の篠藪に押込み、身を隠させた。10人程の笹竜胆の肩印を付けた官軍の兵士が、ドドッと走って来た。彼らは相聞川の橋を渡って、ちょっと行った所で行き、引返して来た。

「逃げられたか」

「逃げ足の速い奴らじゃ」

「急いで、隊に戻ろう」

 兵士たちは急いで権田へ向かう行列に再び戻って行った。多吉と仙五郎はほっとした。全員無事かと確認すると、真彦の娘、二人の姿が無かった。よく見ると、幼女二人は祖母と母親によって川底に沈められ死んでいた。

「何ていうことを」

「泣くので首を絞めて、川に沈めてしまいました」

「騒ぐので、そうするしか仕方無かったのよ」

 真彦の母、美津と妻、万希は狂人のような険しい顔をして涙をこぼし、多吉たちに訴えた。多吉は身を守る為に、そう決断したのだと思わざるを得なかった。このまま中尾に進むのは危険だと考えた多吉は相聞川の上流を目指した。天平へ向かう途中で、藤蔓取りをしていた下田喜十郎に会った。喜十郎は多吉だと気付くと深く頭を下げた。すると真彦の母、美津が多吉に言った。

「多吉さん。私は、足が悪いので、万希たちと先に行っておくれ。二組に分かれれば、追っ手にも気づかれず、何とかなりましょう。私はこのお方に案内してもらい、後から行くから・・」

「お母様。それはなりません。一緒に行きましょう」

「私が足手まといになって、追っ手に捕まったら大変な事になります。真彦の為にも、後取りである高彦を何としても、保坂の家へ届けなければなりません。私は大丈夫です。先に行きなさい」

「お母様!では千香と一緒に後から来て下さい」

「いいえ、私がお婆様と一緒します」

 万希の姪の志佐が、千香に代わって、後から行くと申し出た。

「志佐ちゃん。駄目よ」

「大丈夫。千香ちゃん、先に行って」

 志佐の真剣な顔を見て万希と千香は志佐の意見に同意した。

「では志佐ちゃん、お婆様を頼みましたよ」

「はい。任せておいて」 

 万希は母と別れるのは不安だったが、姪の志佐に任せた。多吉は下田喜十郎に金子を渡し、土塩村蟹沢の武井家に美津と志佐を後から連れて来るよう依頼し、先を急いだ。城之助に万希と志佐の案内を頼まれた喜十郎は、思わぬ仕事が跳び込んで来て喜んだ。お武家様の案内となると、ちゃんとした身形をしないといけないと思った。

「奥様。安心しておくなせえ。あっしが、これから土塩村まで案内させていただきまさあ。でも、こんなみすぼらしい身なりではまずいので、家に帰って着替えて来んべえ。直ぐに戻って参りやす。それまで、ここで待っていておくんなせえ」

 喜十郎は、そう言い残して、坂道を下って行った。ところが、何時になっても喜十郎が戻って来ないので、美津は不安になった。あの山師は、きっと自分たちがいることを追っ手に密告する為に、権田村まで知らせに行っているに違いない。だから時間がかかっているのだなどと、余計なことを考えた。考えれば考える程、不安が増した。ならば、皆の足手まといにならぬよう、ここで、潔く死ぬのが一番だと思った。思い詰めた美津は咄嗟に、眠つている孫娘、志佐を懐剣で刺し殺した。そして、自分も首を斬って自決した。村に帰り、身なりを整え、一刻ほどして戻って来た喜十郎は、美津と志佐の死体を見て、ひっくり返った。

「何故、もう少し辛抱して待っていてくれなかったのか」

 下田喜十郎は悔やんだ。山賤姿でも良いから、直ぐに案内すべきであったと反省した。喜十郎は仕方なく二人の死体を地蔵峠近くの山中に葬った。そんな事になったとは知らず、塚本万希親子は武井多吉たちに案内され、地蔵峠を三輪久保、木馬瀬まで下り、そこから細野ヶ原に登り、四百年の老木、庚申桜を目指した。そこの庚申坂を下れば、多吉の実家だった。多吉が実家に着くと、何事かと父、新兵衛に追求されたが、城之助の知り合いで城之助に頼まれたと言って誤魔化した。だが弟の荒次郎には本当の事を話した。その間、主人公、小栗忠順はどうなっていたか。その忠順は、大事件に遭遇し、官軍兵士に捕縛されていた。ここ数日の三藩の取り調べに対し、岩倉具定と勝海舟に、小栗上野介の追討を命じられていた大音竜太郎は三藩の〈小栗に私心無し〉の前日の報告を認めなかった。大音竜太郎は部下の豊永貫一郎に三藩の代表を呼びつけ、小栗忠順を捕縛するよう命じた。豊永貫一郎は三藩に伝えた。

「三藩は陽に府名を奉ずるも、陰に小栗父子を庇護するに似たり。さあらば総督府本部は併せて三藩を追討せざるを得ないと言っておる。如何に致すや」

 この言葉に三藩は驚き、5日の朝から、各藩二百名の兵を引き連れ、三ノ倉の『全透院』に集合することを決めた。そして5日の朝、官軍兵二百名と共に三ノ倉に集合すると、総人数八百名程になった。この八百名程の兵を従えた総督府の豊永貫一郎、原保太郎らは軍議の後、午の刻、東善寺脇の小栗屋敷に向かい屋敷を取り囲んだ。官軍の部隊が正面に並び、吉井藩の部隊が妙義山側に、高崎藩の部隊が榛名山側に、安中藩の部隊が笹塒山側に並び、四方を完全に包囲した。それから東山道鎮撫軍の豊永貫一郎が藤井九蔵、宇田栗園をを従え、屋敷の正面に立って叫んだ。

小栗上野介忠順。天朝に対し逆謀を企てし事、明白なり。よって三ノ倉の屯所に出頭させるべく引き立てに参つた。大人しく縛につけ」

 その声を聞いて、荒川祐蔵が表廊下に出て、対応した。

「我らがお殿様に逆謀などとは言いがかりで御座る。我々には全く身に覚えのない事で御座る。何かの間違いでは御座らんか?」

「この村の観音山あたりの陣屋の構えといい、お主ら用人の数といい、先般の大砲、鉄砲等の数といい、『衛鋒隊』の古谷作左衛門との密約といい、最早、弁解の余地は無い。小栗上野介をここに出せ」

「お殿様は只今、読書に耽っておられます。お殿様は徳川様から罷免されて以来、この権田村に隠居されて、晴耕雨読の毎日を過ごされておられます。逆謀などと、根も葉もないことです」

 荒川祐蔵の反論に豊永貫一郎は立腹した。何が何でも小栗上野介を捕らえよと、大音竜太郎に命じられている豊永隊長は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「つべこべ言わず、小栗上野介をここに出せ。逆謀の総てを小栗又一、塚本真彦らが自白したのだ」

 すると大井磯十郎が廊下に現れて、荒川祐蔵と共に反論した。

「又一様が、そのような真実でないことを申される筈がありません。それは貴男方の作り話です」

 小栗家の家臣たちと豊永貫一郎の口論が続いた。安中藩の星野武三郎らは、小栗側が正しいと思っていたが、その口論を黙って聞いていた。状況は小栗側が正しくとも、官軍に従う武力を前に対峙する小栗側が完全に不利であった。荒川祐蔵、大井磯十郎、渡辺太三郎たちは、捕縛の使者を一歩たりとも屋敷内に入れてはならぬと、今にも抜刀しそうな形相であった。その口論のやりとりを障子の向こうの部屋で聞いていた小栗忠順は立ち上がり、障子を開けて言った。

「早まるでない。ここはお寺だ。斬り合いをするのには墓地があり、都合が良かろうが、尊い人の命を奪っても何の得にもならない。幕府が大政を奉還し、王政復古が決まった以上、天朝の御命令であるか定かではないが、ここは官軍の指示に従おう」

 そう言って屋敷の奥から現れて小栗忠順を見て、豊永貫一郎、藤井九蔵らは一瞬、身構えた。刃向かえば、八百名の兵で殺すつもりだった。忠順は大軍を前にして堂々として落ち着いて、怒りに燃える家臣を制止させた。だが荒川祐蔵は納得しなかった。

「とは言いましても、殿が何故、捕縛されなければならないのですか。その理由が分かりません」

「祐蔵。大勢の前で見苦しいぞ。この上野介とて、鎮撫が目的の鎮撫軍が、何故、恭順の日々を送る自分に『追討令』を発し、諸藩を嚇し、殺しを目的に攻めて来るような事をうるこの有様は納得出来ない。またその理不尽に加担する諸藩の気持ちも・・・」

「ならば、縛につけなどという命令は取り消させるべきです」

「祐蔵。そんなことを言っても無駄だ。理由など無くて良いのじゃ。徳川幕府勘定奉行、陸軍奉行、海軍奉行、外国奉行を歴任したというだけで、その理由は充分、成立するのだ。事、ここに至っては大人しくお縄を頂戴して朝廷による寛典を待つことにしよう」

 この忠順の態度に豊永貫一郎、原保太郎らは安堵した。豊永貫一郎は藤井九蔵、宇田栗園らに小栗忠順らの捕縛を命じた。

「この四名を捕らえよ」

 忠順らは全く抵抗すること無く捕縛された。その様子を見ていた安中藩の剣道指南役、根岸宣教は日本の開国と近代化に努めて来た忠順が捕縛されるのが辛くてならなかった。もし、この場に山田城之助がいたなら、部下を引き連れ、官軍に対抗し、小栗忠順を連れて逃亡したであろうに。何処で何をしているのか、城之助の姿はあたりに見当たらなかった。かくて小栗忠順、荒川祐蔵、大井磯十郎、渡辺太三郎の四名が捕らえられた。小栗忠順は寸毫の抵抗もすることなく平然と縛についた。捕縛された四名は、それから三ノ倉の『全透院』の屯所に連れて行かれた。かくて官軍の他、三藩の兵を招集した八百名にも及ぶ大掛かりな捕り物は終了した。

 

         〇

 閏4月6日、小栗忠順は三ノ倉の『全透院』で朝を迎えた。母上たち小栗の家族や塚本真彦の家族は、無事、避難出来たであろうか。忠順は荒川祐蔵、大井磯十郎、渡辺太三郎とお頭無しの干物と香の物がおかずの朝食をいただきながら死を覚悟した。他の三人も、頭の無い鯵の姿を見て、首を刎ねられる事の示唆であると感じ取ったであろうか。朝食が済み、屯所での詮議があるのではないかと待っていると、部屋の障子が開き、ドドッと官軍兵入って来て、四人を縛った。その後、小栗忠順主従は三ノ倉西境の烏川水沼河原に設けられた刑場に引き出された。空が晴れて周囲の緑の山々が美しかった。昨日の夕刻前から今朝方までに組立てられた竹矢来に囲まれた刑場の周囲には、小栗上野介の処刑を一目見ようと、沢山の人たちが集まっていた。その人たちが注目する中、小栗忠順、荒川祐蔵、大井磯十郎、渡辺太三郎の四人は後ろ手に縛られ、河原に敷かれた莚の上に座らされた。四人の座る前には四ッの穴が掘られていた。刑場の周りには小栗忠順を信奉する者たちが、忠順を取り戻しに来るのではないかと、槍や鉄砲を持った守備兵ががっちり、その警備に当たっていた。巳の刻になると総督府巡察使、原保太郎が処刑の発声を行った。

「只今より、朝廷に対する大逆の企て明白につき、総督府の命によって、ここに捕らえた四人の公開処刑を始める」

 続いて豊永貫一郎が渡辺太一郎の罪状を読み上げ、そして訊ねた。

「渡辺太一郎。この者、主人、小栗上野介の悪事に迎合し、奸逆を働きたること明白につき、天誅を加え、梟首致す。渡辺太一郎。何か言い残すことは無いか」

 太三郎は何も答えなかった。次の瞬間、吉井藩の藤井正次郎が、その太三郎の首を刎ねた。太三郎の首は目の前の穴の中に転げ落ちた。群衆は呆然とした。それを確かめてから、豊永貫一郎が大井磯十郎の罪状を読み上げ、太一郎と同様に訊ねた。

「何か言い残すことは無いか?」

「殿様をはじめ、我々には何の罪も無い。弁解も出来ぬまま処刑されるのは実に無念である」

 磯十郎は豊永貫一郎や原保太郎を睨みつけた。その睨んだ顔を高崎藩の小田喜一郎の太刀が容赦なくとらえた。鮮血が刑場に飛び散つた。磯十郎の首も目の前の穴の中に転げ落ちた。続いて豊永貫一郎が荒川祐蔵の罪状を読み上げて、訊ねた。

「何か言い残すことは無いか?」

「我が国の発展の為に尽力して来られた我が主人に賊名をきせて追討するお前らの非道は、ここで見ている人たちによって永遠に語り継がれるであろう」

 そう言い終わった瞬間、安中藩の浅田五郎作が荒川祐蔵の首を斬り落とした。祐蔵の首は穴に落ちず、五郎作の前に転がった。

「うあわっ!」

 五郎作は後ろに、すっ転んでガタガタ震えた。それを見て、群衆がどよめいた。続いて、忠順の番が来た。豊永貫一郎が小栗上野介の罪状を読み上げて、訊ねた。

「何か言い残すことは無いか?」

 豊永貫一郎に問われると、忠順は静かに答えた。

「母と妻子及び村人たちに罪は無い。天朝の寛典を望むと伝えてくれ」

 そう言い残して忠順は瞑目した。その忠順を斬首役の原保太郎が、待ってましたとばかり、おもむろに刀を抜き、忠順の首を斬り飛ばした。ところが一刀目は、緊張しすぎて斬り損じた。二刀目でやっと忠順の首を斬り落とすことが出来た。穴に入らず河原に転がった忠順の首は両眼をカッと見開いて、権田村の方を見詰めて動かなかった。時に忠順四十二歳。余りもの残酷さに誰もが目をおおった。その小栗忠順の首は油紙を被せられ、鄭重に白い布で包まれると、舘林に送られることになった。首の無い胴体は家臣の胴体と共に権田村の者に運ばれ、東善寺に葬られた。翌7日、高崎官軍出張所に捕らえられていた小栗忠道、塚本真彦、沓掛藤五郎、多田金之助の主従四名は何の取り調べも無く、高崎市中を引き回しされた後、これまた高崎城内の牢屋の前で斬首された。無残悲壮であった。かくして梟首された小栗忠順親子の首級は舘林に送られ、9日、舘林城二の丸にて岩倉具貞、具綱兄弟の首実験後、近くの泰安寺に移され、その後、法輪寺の奥田明山によって手厚く埋葬された。

 

         〇

 それから数日後の閏14日、山田城之助は小栗忠順のことが心配になり、野反池から引き返して来たが、時既に遅く、権田村に忠順父子の姿は無かった。城之助は溜息をついた。『小栗塾』の塾生、三浦桃之助が、城之助が権田村を離れてからの経緯を説明した。

「4月5日、高崎の官軍と三藩の兵が来て、小栗先生たちを捕縛し、三ノ倉の屯所に連れて行き、翌6日、水沼の河原で、小栗先生たちを斬首しました。7日には高崎で又一様たちが斬首されました。官軍は殺人鬼集団です。彼らは日本国を統治して来た徳川幕府の権威を、天皇という観念的優位感をもつて覆し、国民を騙し、討幕を完全に成功させようとしているのです。それ故、真実を知る幕府の重要人物の抹殺に奔走しているのです」

「何と遅すぎたか。常に日本国のことを考え、未来の為に努力されて来られた殿様を何故、官軍は斬首抹殺したのか。何故、邪魔者扱いしたのか。余りにも残酷すぎるでは無いか。無抵抗の人を殺害する。それが新政府なのか。何故、国家有為の英傑才人を薩長は、危険人物として、この世から消し去ったのか。尊王を語る官軍を俺は憎む」

 城之助は唇を噛み締めた。そこへ武井多吉が現れ、塚本真彦の妻子を送り届けた報告をした。逃げる途中で、真彦の母親と娘、姪などを失ったと説明した。

「下田の喜十郎の奴が、身形格好を考えなければ良かったんだが・・」

「皆、苦労したんだな」

「うん。塚本様の奥様と娘さんと赤ン坊は荒次郎と中山の兼吉さんと一緒に、無事、七日市の保坂家へ送り届けたから、安心してくれ」

「そうか。それは良かった。じゃあ、残るのは会津行きだな。まだ道子様たちは逃避の途中だ。何としても、道子様たちを会津まで送り届けないとな。三左衛門さんたちが首を長くして待っているに違いねえ。野反池へ向かうぞ」

「合点承知之助!仙五郎、お前も一緒に行くんだ!」

「はい」

 風の多吉と風魔の仙五郎、煙の城之助の三人は吾妻の道を岩菅山と苗場山の間の空を目標に、かって安中藩の駈けくらべで遠距離を走つた時と同様の競争をした。身重の 小栗道子夫人は山田弥平次の所に厄介になり、中島三左衛門たちに案内され、夫、忠順たちの身を案じながら、野反池を通り、中津川沿いを、秋山郷に向かっているに違いなかった。城之助は、お殿様の死を知らぬ人たちのことを想像し、走りながら、大粒の涙を流した。自分の命を助けてくれたあの人情味のある恩人、小栗忠順の無念を思うと、涙が流れて止まらず、風に飛散した。

               《 完 》

 

 

       ⁂ あとがき

 私の故郷で語られて来た小栗忠順の生涯を小説にしてみた。私としては勝海舟明治新政府によって、その存在と功績を消されてしまった小栗上野介を、何時の日にか、この世にあぶり出し、陽の目をあてて上げたいと思っていたからである。徳川幕府に対する至誠を貫き通したが故に悲惨な打ち首という運命を辿った忠順の最期は、まさに悲劇である。小栗公が亡くなってから5ヶ月後の慶応4年(1868年)9月8日、元号は明治に改められた。元号を着せ替える事によって、365年の平和を守って来た徳川幕府は完全に過激派の革命政権に移行され、明治新政府が誕生した。結果、新政府は皇室を至上のものとし、日本国を神国とする思想をもって突き進むことが是とされるようになった。その為、過激派政府は世界列強との領土的侵略の戦争に巻き込まれ、愚かな失敗を繰り返し、今日に至っている。もし徳川慶喜大政奉還をせず、小栗上野介の意見を素直に聞き入れていたならば、日本はきっとアメリカに似た民主主義国家になっていたであろう。この小説を書き終えてからも私の思いは、その後、関係した人々が、どうなったかなど、書きたく仕方がない。だがそれは他人に任せて、自分が伝えておきたいことだけを、ここに列記する。

1、小栗夫人のその後について

 会津へ向かった道子夫人らは、秋山郷を経て、新潟経由で会津に辿り着き、道子夫人は無事、6月14日、南原の野戦病院で女の子を出産し、名前を国子とつけた。その後、東京に出て、『三井組』の三野村利左エ門の世話になり、平穏に暮らした。明治19年(1886年)小栗夫人、道子が亡くなると、遺児、国子は大隈重信夫婦の保護を受け成長し、矢野貞夫と結婚し仕合せに暮らした。

2,大隈重信の小栗への人物観

 佐賀藩士だった大隈は江戸幕府の役人が去った後、長崎に赴任し、イギリス公使、パークスらとの各国との交渉に活躍した。大隈はパークスから小栗の優秀さを聞いていたが、江戸に来て、何事も小栗の手がけていた仕事を追いかけているようで、小栗の偉大さを再確認した。明治の近代化は小栗上野介の構想の追従に他ならない。そう言って小栗の遺児、国子を娘同様に面倒を見た。重信夫人は小栗の従妹、綾子であり、幼い時、小栗家で育ったのだと言われている。

3,前島密の小栗への人物観

 前島密神戸港開港に伴い、兵庫奉行支配役となり、頑張っていたが、新政府により江戸に戻され、官軍接待役などを務め、大久保利通に、江戸遷都を建言した。その内容は江戸が蝦夷地を含めると日本国のほぼ中央であり、江戸湾は、最新船舶工場のある横須賀に近く、外交上とても便利である。江戸には外国公使館が沢山あり、西洋風迎賓館がある。江戸には役所の建物や大名の藩邸などがあり、政府要人の生活がしやすい。外国語学校なども多く、近代化が進んでいる。江戸城天皇をお迎えし皇居にすれば、そのまま首都になるという建言だった。総てが小栗が勧めていた都市構想であった。小栗の家臣の研究所『開明研』には軍港計画や鉄道計画、郵便船舶などの資料が沢山、残されていて、前島はそれを利用させてもらったという。

4,渋沢栄一の小栗への人物観

 渋沢栄一徳川慶喜小栗忠順によって、慶喜の弟、昭武とフランスに留学させてもらい、小栗を日本の大蔵大臣と呼ぶフランスの連中に世話になり、小栗の外交力を外国にいて実感した。また留学前に小栗と語り合ったことを外国で一つ一つ修学した。明治元年(1868年)11月3日に帰国した渋沢は、小栗に帰国報告が出来なかったことを、残念がったが、その後は、小栗の計画していたことなどを実行に移した。渋沢は小栗公がこれから見るべき日本国の景色を教えてくれたと、常々、言っていたという。

5,福沢諭吉の小栗への人物観

 諭吉は小栗と遣米使節団員として、渡米し、その後、小栗と何度か会い、互いに信頼し合い、思想的にも共通点が多かった。人の上に人を作らず。小栗同様、将軍の上に、別人を据えた連中が好きになれなかった。彼は大隈重信にこう言った。

「小栗公が存命なら『慶應義塾』に匹敵する『権田義塾』が上州に出来ていたであろうよ」

 大隈は、それを聞いて、負けじと『東京専門学校』を早稲田に開設した。

6,東郷平八郎の小栗への人物観

 東郷はイギリスに留学し、イギリス人が小栗の名を知っていたのでびっくりした。明治26年(1893年)のハワイ王国のクーデターの時、東郷は日本人保護を理由に巡洋艦『浪速』でハワイに駈けつけたり、その後、日清戦争日露戦争で活躍した。明治45年(1912年)夏、東郷元帥は小栗の遺族を自宅に招き、小栗忠順への感謝の御礼をし、こう述べた。

「ロシアとの日本海海戦で日本が完全な勝利を得ることが出来たのは、小栗さんが横須賀造船所を作っておいてくれたお陰です。もし横須賀の日本国の軍艦及び海軍設備の充実が無かったなら、日本はロシアの属国とされていたことでしょう」

 東郷の気持ちが分かるような気がする。

7,小栗忠順の首級について

 1年後の明治2年(1869年)春、会津から権田村に帰った中島三左衛門と塚越房吉は4月6日、高橋村の人見宗兵衛、渡辺忠七らの協力を得て、舘林の『法輪寺』から、小栗忠順公と小栗忠道の首を盗み出し、忠順の首級を権田村東善寺に、忠道の首級を下斉田に埋葬した。

8,小栗の愛馬について

 小栗忠順が江戸から乗って来た愛馬、『疾風』は小栗がフランスのナポレオン3世から贈られたアラビア馬で、日本古来の馬とは全く違っていた。その愛馬を小栗家の財産没収の折に、総督府役人の原保太郎が見付けて、良い馬だと騎乗したところ、『疾風』が突然、暴れ出し原保太郎は落馬し、地面に叩きつけられ、足を骨折した。原はこの時の落馬の怪我により、一生、右足が不自由になってしまったという。

9,徳川埋蔵金について

 小栗が隠した埋蔵金の在処については、佐藤藤七、山田城之助ら数人しか知っていない。妙義山と角落山の何処に金貨込めの場所があるのか、未だ不明である。妙義山の洞窟に隠した武器や埋蔵金は群馬事件の折、武井多吉によって運び出されたと言われているが、定かではない。また山田城之助が鎌倉井戸に埋めていたという噂もある。その他、権田村から少し離れた木間瀬の墳丘と栗屋の墳丘に小分けにして移し替えられたという話もある。

 いずれにしても小栗忠順にまつわる話は尽きない。もう一つだけ読者に伝えておきたいことがある。それは敵は外にいるだけでなく、内にもいるということである。人の世は妙である。親しい間柄のようでありながら、相手の優秀さや美しさに嫉妬憎悪し、相手を抹消しようとする悪者がいる。坂本龍馬は江戸に遊学し、脱藩し、自由人となり、日本を洗濯したいと活動し、薩長同盟を成功させ、『船中八策』を創作し、大政奉還を実現しようと考えた。その案を後藤象二郎に横取りされ、暗殺者に消された。本作品の主人公、小栗忠順も、遣米使節団の一員としてワシントンまで行っていないのに行ったかの如く振る舞う勝海舟に嫉妬され、殺されたといえよう。勝海舟が高輪の薩摩藩邸で西郷隆盛に会った時、官軍に徳川慶喜でなく小栗忠順を抹殺するよう依頼したが、『敬天愛人』の言葉を好む西郷は、それを良しとはしなかった。むしろ小栗上野介を残すべき幕府の逸材であると判断していた。その西郷隆盛も四候会議の下準備をし、大政奉還と王政復古の発布に尽力し、東海道先鋒軍参謀として、勝海舟と会談し、江戸城無血開城を実現させた。だが明治4年(1871年)参議になり、会議に出たが、やっていることの総てが、小栗上野介の論じていた廃藩置県から始まる政治改革なので、若者の自由に任せることにした。明治6年(1873年)海外視察旅行を終えて帰国した大久保利通は、その留守中政府に不満を持った。特に対朝鮮問題をめぐる意見で、西郷と大久保は対立した。西郷は朝鮮派兵に反対し、江戸城無血開城と同様、自分が大使として朝鮮に赴き説得すると主張した。だが岩倉具視大久保利通に反対され、西郷は参議を辞任、鹿児島へ帰った。大久保は鹿児島に密偵を送り、農民一揆と士族の反乱を引き起こさせることにした。そして反乱軍に持ち上げられた西郷は政府軍によって殺される結果となった。小栗上野介と同様、内なる仲間に殺害されたのである。その西郷は勝海舟との会談でこう言った。

「おいは見ての通り、金もいらぬ。名もいらぬ。命もいらぬという人間なれば、その相手が同様でなければ、共に国事を談ずることは出来ぬ。お前さんはどうかな?」

 海舟は勿論、同じだと答えたが、振り返れば、真逆の人間だった。真逆だからこそ交渉がまとまったのかも知れない。海舟は新政府に尻尾を振り、外務大丞、元老院議官などいろんな役職を与えられたが、結局は能力が無く、望むような地位を得ることは出来なかった。もと幕臣たちに、腰抜け、薩長の手先、犬とまで罵倒されながらも、徳川慶喜同様、長生きをした海舟の人生も、西軍からすれば、東軍の代表として、海舟を祭り上げることが必要であったのであろう。東軍の代表を立てることによって、策謀の歴史を美化し、自分たちの野心、嫉妬による逆謀を正当化し、前政権支持者たちからの怨恨を薄めようとしたに違いない。薩長の過激派からすれば、小心の貴公子、徳川慶喜を京に引きずり出し、たった二年で将軍の座から引き下ろすことは、いとも簡単であったであろう。徳川幕府は日本国が島国であるが故に、隣国と海で隔てられており、自国の言語と文化を持ち、政権掌握から265年、異国からの侵略を受けず、紛争にも巻き込まれずに平和を維持し続けて来た。ところが航海技術が発達し、黒船に乗ったペリーの来航により、日本人はショックを受けた。オランダ人以外の異国人に恐怖を覚え、追い払おうとする者もいれば、大型船に感激し、異国の文化文明に興味を抱く者もいた。そんな時代の中にあって、小栗忠順は日本が世界の潮流から取り残されていることに気づき、日本国の富国強兵に誠実に取り組み、若者を海外に派遣し、彼らの活躍と日本の明るい将来を夢に描きながら時代の渦に巻き込まれて消されてしまった。明治維新後、薩長の愚昧な武士たちが維新回転の功績は自分たちにありと、お手盛りの官位をつけ、大きな顔をしてのさばっていたが、多分、小栗上野介は地中で笑っていたであろう。

「あいつらは自分たちのして来たことを正当化し、自分たちや自分たちに協力した幕臣を拡大評価して語るであろう。だが新政府を軌道に乗せる為には、私が進めて来たことの仕上げを、幕府の費用で海外に派遣した連中たちの力に頼らざるを得ないであろう。そして出来上がったものが、私の願いを形にして語ってくれるであろう」

 小栗忠順。彼は日本国の為に数多くのものを築いてくれた。小栗忠順の名と業績は明治維新の官僚たちによって消さたが、彼の情熱は今も熱っぽく、私たちの心の中に生き、明日への道を照らし続けてくれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

倉渕残照、其の一


 安政5年(1858年)4月23日、彦根藩主、井伊直弼は将軍、徳川家定の推挙により老中から大老役を拝命し、大老に就任した。時代は清国と戦争している欧米諸国が、日本の開国を要求して来ている最中で、徳川幕府内は攘夷派と開国派に分裂し、混乱していた。時の天皇孝明天皇は、この神の国を野蛮な外国人に汚されてはならぬと、条約の勅許を許さなかった。京から出たことの無い孝明天皇や公家たちは、天狗のような顔をした異国の連中との接触を嫌った。ところが6月中旬、米国のハリスがやって来て、清国との戦争に勝利した英仏連合艦隊が日本に来航し、前年に結んだ下田条約より厳しい内容を要求して来るであろうから、速やかに米国と条約を結び、英仏連合に備えるべきだと条約の調印を迫った。条約の内容は目付の岩瀬忠震下田奉行井上清直が交渉し、ハリスに草案を作成させていたので、直弼は御使番、小栗忠順等を引き連れ、岩瀬忠震、永井尚志、水野忠徳、森山多吉郎らに命じ、6月19日、アメリカ軍艦、ポーハタン号上で調印のサインをさせた。ハリスは大喜びし、礼砲を鳴らさせた。この勅許無しの条約に幕府内で反対する者もいたが、直弼は7月10日、オランダと、7月18日、イギリスと、8月19日、ロシアと、9月3日、フランスと修好通商条約を結んだ。その途中の7月4日、第13代将軍、家定は、直弼に後事を託し、在位5年で病死した。続いて和歌山藩主、徳川慶福が、名を家茂と改め、第14代将軍となり、将軍職を狙った攘夷派の水戸一橋派は直弼により、政治から遠ざけられた。紛糾していた外国との条約問題は、その内容に問題はありはしたが、こうして決着した。だが直弼の勅許無しの外国との条約調印に反発し、京都に行き、孝明天皇に訴え、幕府を攻撃する水戸の者や学者に直弼は痛烈な弾圧を断行した。水戸の徳川斉昭は謹慎、徳川慶篤一橋慶喜は登城禁止、公家たちの謹慎、幕臣の反論者の謹慎又は隠居、民間志士、橋本左内吉田松陰頼三樹三郎らを捕縛。その他、検挙者を切腹、死罪、遠島など、安政の大獄を行った。井伊直弼は御使番の小栗忠順にぼやいた。

「日本国と徳川幕府維持の為には尊王攘夷論者を排除しないことには、やっていけない。どのように批評されようが、徳川幕府は世界に目を広げ、国民が豊かに平和に暮らせるよう努力せねばならない。水戸の京都びいきには困ったものだ。そなた等、若者には世界を闊歩し、日本国の発展の為に頑張って欲しい。朝廷は権威を口にするだけで、武力も無ければ、知識も資金も無い。我々は、開国し、海外の文化文明を導入し、修好通商条約を結んだ国々と比肩する国家に日本国を作り上げなければならない。それが徳川幕府の使命だ。その為に、私は、有能な若者を海外に派遣するつもりじゃ。どうであろうか?」

「恐れ入り奉ります。世界に目を広げ、幕府主導で国家を牽引するお考えに、私も同感です」

 忠順は直弼の顔色を窺いながら、恐る恐る答えた。すると直弼は嬉しそうに頷いた。

 

         〇

 井伊直弼は自分の考えを実行した。人事も直弼の思いのままだった。第14代将軍、家茂は直弼に頼りっきりだった。安政6年(1859年)に入ると井伊直弼の弾圧は厳しさを増した。その為、水戸、尾張、越前をはじめ、全国からの不平不満が高まった。江戸や横浜はまだ安政2年(1855年)10月2日の大地震から完全に復興しておらず、町人や農民たち住民が困窮していた。そんな中、外国の使節などが、江戸や横浜にやって来て、重要な寺院や邸宅に逗留し、我がもの顔で動き回っているので、国民たちは、幕府は何をやっているのだと陰口をたたいた。特に長逗留している外国商人が、景色の良い所に華やかな邸宅を構え、日本人女性を囲い、日本人男性をこき使っている様子は、若者たちには我慢ならなかった。外夷撃つべし。幕府倒すべし。その不満の動きは直弼にも届いていた。だが直弼は、外国との交渉に力を入れた。進歩的な若者に言われるまでも無く、日本国の文化文明は欧米諸国に遅れていた。国の指導者は何も分からぬ天皇や公家の意見や世論に惑わされること無く、国家の理想を求め、未来を築かなければならなかった。直弼は小栗忠順に、こう言った。

「欧米諸国は、アジアの征服、植民地化を画策している。今は、大人しく近寄って来ているが、いずれ本性を現す。よって我々は、その前に彼らから多くの技術を学び、我が国の経済力と工業力と武力を構築せねばならぬ。我が国の自立自衛の為に、まずは彼らの模倣をすることだ」

「仰せの通りで御座います。海外に有能な若者を送り込み、海外の技術知識を一時も早く習得させるべきです」

「そなたが、亡き家定公に、海外との貿易なるものは座して待つべきものにあらず。我から進んで海外に渡航し、通商貿易を成すべきものなりと提言した事、家定公より、さんざ聞かされた。またその為には北前船のような船でなく、欧米のような三帆柱船が必要であり、大型船の製造の禁を解き、大いに航海を奨励すべしであると具申したとか」

「はい。我が国は四方が海ですので、造船に力を入れないことには始まりません」

「そうだよな。オランダ海軍の伝習を受ける為に、幕府は勝驎太郎を長崎に遣わしたが、何を気に入ったか、奴は九州をうろつき回っていて、戻って来ない。船乗りとしての経験も出来ただろうから、そろそろ江戸に呼び寄せ、軍艦操練所で海軍技術の指導と造船計画をさせようと思っている」

「それは良い考えに御座います」

 小栗忠順は、大老井伊直弼の決断の速さと、その行動力に感心した。このような直弼との関係もあって、9月12日、忠順は本丸御目付、外国係役を仰せつかった。そして同日、井伊大老の他,老中列席の『芙蓉の間』に於いて、日米修好通商条約批准の為、渡米することを命じられた。当然ながら、その為に用意すべき仕度をするよう言い渡された。忠順の心は躍った。このことを妻の道子に話すと信じられ無いと言って笑われた。道子は夫の渡米を直ぐに弟、日下数馬に話し、六歳の数馬の娘、鉞子を見立養子に決めた。海外へ行く忠順との間に子供がいなかったので、万一の事を考え、家名断絶の無きよう養子の届出をする為であった。12月1日、西の丸の『白書院』にて将軍、家茂より、直接、アメリカ派遣を命ぜられ、金十枚と時服羽織をいただいた。12月24日、アメリカ派遣の正使、新見正興、副使、村垣範正及び木村喜毅と共に横浜に赴き、ポーパタン号に乗船し、ジョサイア・タットノール提督と渡米についての詳細打合せを行った。

 

         〇

 万延元年(1860年)小栗忠順ら、アメリカ出張使節の一行は、慌ただしい正月を迎えた。日米修好通商条約の批准書の交換をする為、使節団メンバーの全員が、アメリカ軍艦、ポーパタン号に乗船することになっていたが、同艦の随伴艦として、咸臨丸を練習航海も兼ねて,派米することになった。この咸臨丸には副使兼司令官の軍艦奉行、木村喜毅の他、艦長の勝海舟、通訳の中浜万次郎、航海アドバイザー、ブルック大尉、オランダ語通訳、福沢諭吉などが乗り込み、1月19日、浦賀を出航した。正使、新見正興、副使、村垣範正、監察、小栗忠順ら六十余人は1月18日、築地講武所より、品川沖に停泊中のポーパタン号に乗船し、横浜に4日停泊した後、2月13日、サンフランシスコに向けて出港した。小栗忠順の従者は吉田好三郎他、八名だった。小栗忠順は船が横浜を出ると、前方に大海原が広がり、白雪を被った美しい富士山が自分たち一行を見送っているのを振り返って眺めた。そして一人呟いた。

「行って来るぞ」

 そうは呟いたものの、もうこのまま日本に戻ることが無くなるのではなどと、不安に襲われた。ポーパタン号が陸地から遠ざかるに従って、早くも望郷の念を覚えた。船旅は簡単なものでは無かった。途中、海が荒れ、船が大きく揺れる日が続いた。忠順は船酔いして吉田好三郎たちに面倒を見て貰った。それでも異国の地を踏めるかと思うと、忠順の胸は期待で膨らんだ。小さい船はもっと揺れるらしいが、咸臨丸は大丈夫だろうかと、忠順は心配した。

「咸臨丸の木村たちは大丈夫だろうか?」

「大丈夫ですよ。勝艦長が指揮しておられるのですから」

 ポーパタン号は2月14日、ハワイのホノルルに到着。途中、激しい嵐に遭遇し、石炭を使い過ぎたので、石炭補給の為、ホノルルに寄港。18日、ハワイ国王カメハメハ4世に謁見。2月20日、ホノルルを出航、3月9日にサンフランシスコに無事入港した。先にハワイに寄らず、サンフランシスコに直行した咸臨丸の連中に会うと、彼らは2月26日にサンフランシスコに入港したとのことであった。久しぶりに会った軍艦奉行、木村喜毅は忠順の顔を見るなり言った。

「小栗さん。心配しておりましたよ。良かった。良かったです。10日も経つのに、やって来ないから、嵐で船が沈没したのではないかと心配しておりました」

「うん。凄い嵐に遭遇して、船から放り出されそうになったよ。死ぬのを覚悟したよ。それに石炭を使い過ぎてな。ハワイ島に一時、避難した。その為、遅くなってしまった」

「そうでしたか。我々も大変でしたよ。嵐になり、船が大揺れして、肝心な艦長の勝さんが船酔いにかかり、操縦が出来なくなり、ブルック大尉に助けてもらったよ。ブルック大尉は勝さんのことを、役に立たない人だと言っていた」

「そうですか」

「ブルック大尉は、我々が乗船して来て良かったと、日本海軍の航海の未熟さを笑っていたと、万次郎が言ってました」

「勝さんが船酔いとは、困りましたな」

 忠順が、そう答えると、木村喜毅はため息をついた。サンフランシスコで合流した日本人使節団一行は、サンフランシスコ市民の熱烈な歓迎を受けた。それから咸臨丸はサンフランシスコの工場で破損個所を修理して、帰国することになった。忠順は親しくしている木村喜毅に言った。

「ハワイは良い所だぞ。帰りはハワイに立ち寄り、慌てず、ゆっくり、楽しんで帰った方が良い」

「はい。そうします。では、小栗さんも、気をつけてワシントンへ行って下さい」

「ありがとう。ではまたな」

 日本使節団は咸臨丸一行と別れると、3月18日、再びポーパタン号に乗ってパナマまで行き、下船し、ポーパタン号の人たちと別れ、汽車に乗って大西洋岸、アスピンウォールに出た。そこで米艦ロアノークに乗船。25日、ワシントンに到着した。ワシントンでの市民の歓迎ぶりはこれまた凄かった。小栗忠順使節団の重役なので、四頭馬車に乗り、徒歩の従者と共に、ウイラードホテルに入った。それから数日、休養し、3月28日、ホワイトハウスで米国のジェームズ、ブキャナン大統領に謁見。国書奉呈の儀があり、忠順は正副使同様、狩衣、鞘巻太刀姿にて式に参列した。そして4月3日、条約文書交換の為、国事館に行き、アメリカの国務長官、キャスとの間で、日米修好通商条約批准書の交換を行った。忠順も署名をした。批准書の交換を無事終え、重役三人はほっとした。4月5日、ワシントンの海軍造船所を訪問。フランクリン・ブキャナン提督と会談後、工場見学。忠順はこの海軍造船所の様子を頭に刻み込み、ホテルに戻ってから吉田好三郎と絵にまとめた。またワシントン市内に滞在した数日間、街の風景をスケッチした。4月20日、ワシントンを出発。ボルチモアに行き、歓迎を受け一泊。21日にボルチモアを出発し、フィラデルフィアに着き、コンチネンタルホテルに宿泊。翌日、金貨製造所へ赴き、米国の金貨と日本の金貨を比較し、割合相場の確認を行った。4月28日にはニューヨークに入り、市民の大歓迎を受けた。またニューヨーク州陸軍師団八千の閲兵を行った。5月8日、九階建てのメトロポリタンホテルにて歓迎舞踏晩餐会が催され、一万人以上、出席の祝賀会となった。妙な料理とアメリカ人男女の踊るダンスに、日本使節団の男たちは目を回した。また製鉄工場なども見学し、ボルト、ナット、ネジ、ワッシャー類を見せてもらい、忠順は感心した。ニューヨークでいろんな事を学んだ後、5月13日、使節団一行はウィリアム・マッキーン大佐の指揮する米艦、ナイアガラ号に乗って大西洋を越え、アフリカに向かった。地球は円いというが、本当にこのまま東方へ向かって大丈夫だろうか。ニューヨークを出港してから、目の前にあるのは来る日も来る日も果てしない海。真っ赤な太陽が海面から浮かび上がり、一日中、照りつけ、夕方、海に沈んで行く。その後は漆黒の海。船室内での睡眠。眠りから覚め、起床すると、まだ大海原の上。海面から太陽が浮かび上がって来る繰り返し。そんな船旅は時々、大荒れしたりしたが、何時しか皆、慣れっこになっていた。そして6月7日、ようやく着いたのが、アフリカ西端、サン・ビンセント島のポルト・グランデで、ポルトガル人が真っ黒い身体をしたアフリカ人をこき使っているのを目にした。数日休んでから、また乗船し、アフリカ南方に向かい、6月22日、ルアンダに到着した。ここでもポルトガル人が活躍していた。鉄砲好きでポルトガル語を学んでいた忠順の家臣、木村浅蔵は物品を手に入れるのに役立った。ルアンダで物資を積み込むと、ナイアガラ号は7月11日、喜望峰を回り、アフリカの東岸、モザンビークに立ち寄り、7月20日、インド洋を東に一直線、ジャワ島に向かった。海上での余りの暑さに、頭がボーッとなった。空も海も、風も、雲も、小舟も、海鳥たちも、物珍しく無くなった。早く陸地に辿り着きたいと思った。8月16日、ようやくジャワ島に到着。翌17日、日本使節団一行はバタビヤに入り、オランダ総督の所に挨拶に伺った。オランダのヨハネス総督は美しい庭園の池の向こうの白亜の殿堂『ボゴール宮殿』で正使、新見正興、副使、村垣範正、監察、小栗忠順、勘定方、森田清行、外国奉行、成瀬正典と塚原昌義の日本人使節六人と面会し、意見交換を行った。ヨハネス総督は日本人一行を心から歓迎饗応してくれた。またオランダの東方貿易の拠点としてバタビアがどのように重要であるかを説明し、管理している農地を案内してくれた。そこでは、コーヒー、サトウキビ、タバコ、茶、藍などが栽培され、ジャワ人が安い労賃で、上半身裸になって働いていた。オランダ人役人、アルデルトがオランダ語の得意な三好権三に、こっそり話したところによると、ジャワ人たちは、従来、自分たちが稲作をして来た農地が、商業作物栽培の為に奪われ、食糧に困っており、餓死者も出ているという。小栗忠順は、それを聞いて、植民地にされることが、如何に恐ろしいことであるかを知った。ジャワで十日ほど過ごした一行は、8月27日バタビアを出航。9月10日、香港着。香港の町を見物し、3日後に出発。東シナ海を北上し、9月28日、左厳に出迎える藍色の富士山を眺めながら横浜着。翌29日、品川海軍所より、江戸に上陸。8ヶ月ちょっとの世界一周だった。忠順が帰宅すると、妻の道子を初め一家の者が大喜びしてた。懐かしかった。

 

         〇

 10月2日、小栗忠順は正使、新見正興、副使、村垣範正らと共に将軍御座間に召され、帰国報告をした後、若き将軍、家茂より、金十枚、時服三の恩賞をいただいた。また上州多野郡森村、小林村の二百石を加増された。忠順は皆と共に帰国の成果を喜んだが、一番、喜んでくれる筈の大老井伊直弼が自分たち一行が不在中の3月3日、桜田門外で殺され、この世にはおらず、残念でならなかった。井伊大老の不幸は、帰国途中の香港で耳にし、愕然としたが、本日、若き将軍に、これからも日本国の為に尽力するよう仰せつかり忠順は直弼の分まで、自分が精励しなければならないと思った。そんな忠順の所へ多くの若い幕臣たちが、世界の動向を知りたくて、集まって来た。アメリカに行く時、咸臨丸の司令官を務めた軍艦奉行、木村喜毅もやって来た。

「小栗さん。日米修好通商条約批准のお役目、御苦労様でした。小栗さんに言われた通り、我々はハワイに立寄って帰国しました」

「それは良かった」

「ところが、帰国したら、井伊掃部頭様が雪の桜田門外で暗殺されて、国内は大騒ぎの最中。国民の多くは朝廷と一緒になって、攘夷一点張りの雰囲気で、私も勝さんも、どうしたら良いのか、迷いました。アメリカから帰国した我々に攘夷派の者たちが攻めかかって来ようとする勢いでした」

「なんという愚かな連中だ。それで、どうされた?」

「勝さんが、そいつらを怒鳴りつけました。俺たちは咸臨丸に乗ってアメリカに行ったが、その目的は、アメリカと通商条約を批准する為に出かけた連中と違う。俺たちは幕府海軍を強化する為の太平洋横断訓練に出かけたのじゃ。我が国の海軍を強化しようと励んでいるその俺たちに刃向かおうとは、何を考えているんじゃ。てめえらはめくらかってね」

「勝さんが、そんなことを」

「そしたら攘夷に燃えている連中は、御見それしましたと言って、深く頭を下げて退散したよ」

「それは見物だったな」

 忠順は、木村喜毅の話を聞いて、勝先輩らしいなと笑った。すると急に木村の声が変わった。真剣な目つきをして、囁くように言った。

「そんな訳で攘夷論者からの咸臨丸組に対する襲撃は阻止されたが、小栗さんたちに対する尊王攘夷派の怒りは激しく燃え上がっている。身辺警護の護衛を増やし、用心することを、お勧めします。それを伝える為に、本日、お伺いした」

「ありがとう。木村さんの言われる通り、注意しよう」

 そう言われると忠順は大きくうなずいた。それから妻、道子に酒を用意させ、木村喜毅と二人でアメリ渡航の思いで話に花を咲かせた。そこへ元小栗家の中元だった関口松三郎が名を三野村利八と変え、忠順の外遊話を聞こうとやって来た。忠順は利八を仲間に加え、酒を楽しんだ。利八が金貸業をやっているので、アメリカでは金の価値が日本の三倍すると利八に話してやった。すると利八は天保小判を買い集めると儲かるかななどと冗談を言った。道子は、そんな仲間たちと話す忠順の笑顔が好きだった。

 

         〇

 小栗忠順尊王攘夷の過激派を恐れた。若い時から怖いもの知らずの忠順であったが、木村喜毅の忠告を聞き、身辺を警戒するべきだと思った。それは小栗家の家族及び従者の為を考えてのことであった。そこで忠順は、「海保塾」の根岸忠蔵に言って、かって父、忠高の用心棒をしてくれていた山田城之助に、数人の強者を小栗家の警備人として選び、江戸に連れて来るよう依頼した。その依頼を受けた城之助は悩んだ。誰を出そうか。いろいろ志望者を募ったが、異国人の出入りする江戸行を希望する者はいなかった。城之助は命の恩人の依頼とあって、傳馬継ぎ手『新井組』の仕事を子分、清水平七に任せ、自ら江戸へ行くことを決めた。まだ若い横川村の島田柳吉がお伴をしますと言ってくれたのは有難かった。攘夷に燃える憂国の志士を語る過激派の連中から、小栗家への襲撃を阻止することは、自分が今まで経験して来た博徒集団との出入りとは規模が違うに違いなかった。危険だった。城之助は江戸へ向かう道々、考えた。途中、強そうな奴がいたら、仲間に加えようと目を光らせた。高崎を越え、新町宿で一泊し、翌朝、しばらく行った所ですれ違った百姓が木刀を持っていたので、何処へ行くのかと訊いたら、今から『尾高道場』へ剣術修業に行くところだと答えた。城之助と柳吉は、その百姓と『尾高道場』へ行った。安中の『根岸道場』とは全く違う、小さな村の道場だった。師範代、尾高新五郎が剣術だけでなく、思想的な講義を行っていた。その師範代が、拳を上げ、弟子たちに向かって、午前中から幕府の政治批判をしているので驚いた。

「暗殺された、井伊大老の開国路線を積極的に推し進めているいる安藤対馬守は尊王攘夷の敵である。我が国を夷敵から守る為には、安藤対馬守、暗殺を急がねばならぬ」

 城之助と柳吉は、尾高新五の弁舌を聞いて、これは自分たちが、これからお仕えする外国帰りの小栗の殿様とは正反対の考えをしている連中だと気付いた。強そうな奴もいたが、仲間に加えるのは危険だと思った。残念がって晩秋の空を眺めると、秩父の山の上に丸い雲が浮かんでいた。その雲の形が、あの根岸友山の屋敷で出会った秩父の田代栄助の顔に似ていた。城之助はかって桶川まで行く途中、栄助を褒めたことを思い出した。

「おめえの腕は大したもんだ。俺たちが人探しを終えて、上州に戻ったら、秩父のおめえと、何かでっけえ仕事をやりてえな」

「そういつは面白れえな。何時でも声をかけておくんなせえ」

 そう言って答えた田代栄助は秩父にいるだろうか。城之助は笑みを浮かべた。

秩父へ行ってみべえ」

「江戸へ行くのに遠回りになりますぜ」

「良いことを思いついたんだ。秩父へ行くぞ」

 城之助は中仙道から右に折れ、秩父山の麓にある熊木村に向かった。裸の桑の木畑の中の道を寄居まで行き、そこから荒川沿いに武甲山を目指して進んだ。途中、村人に訊くと、村人は田代栄助の家を詳しく教えてくれた。田代家は忍藩の名主を務める家柄で立派な門構えの家であった。城之助が尋ねると、栄助は抱き合うようにして、城之助を迎えた。八年ぶりの再会を喜び合った。栄助は根岸友山のもとで修業をした後、家に戻り、妻を娶り、父、勇太郎から村の役目の指導をしてもらい、のんびり暮らしていた。城之助は、八年前、武井多吉と江戸に向かってから、小栗忠順に助けてもらった話など、自分の過去と、今度の江戸行きの話をした。そして、小栗家の用心棒に相応しい気骨のある奴が秩父にいないか、尋ねた。すると、栄助は目を輝かせた。

「面白れえ話だ。だが田舎者の俺たちに江戸のお侍のお相手が務まるだろうか」

「大丈夫だ。俺が出来たんだから心配はいらねえ」

「じゃあ、井上類作に話してみよう」

 栄助は、そう言うと下働きの弥助に、井上類作を呼びに行かせた。その間、田代家の女衆が、城之助たちの為に夕餉の仕度をして、酒と肴を載せた盆を客間に運んで来た。そこへ栄助の父、勇太郎も加わり、世間話をした。勇太郎は息子の遠方からの客を喜んで迎え、酒を勧めた。城之助は、芋と蒟蒻の煮付けをいただきながら、あたりさわりのない話をした。そして井上類作が現れたところで、江戸行の話をした。井上類作は商家「丸井」の息子で、精悍な栄助の顔と異なり、顔は笑っているが慎重だった。

「江戸のお武家様の用心棒とは、どのようなお役目になりますか?」

「小栗家江戸屋敷の警備や小栗様が外出される時の警護のお役目が主な仕事になります。後は、剣術、弓術、砲術の稽古と儒学の講義を受けるくらいかな・・・」

 この城之助の説明に栄助と類作は目を輝かせた。若い二人は江戸に興味があった。特に類作は、家業が商家とあって、江戸や横浜で、どんな外国との物品の売り買いがされているのか、直接、確かめたかった。

「勤務の無え時は、自由に外に出られるんかな?」

「ああ、大丈夫さ。許可を申し出れば良いんだ」

「横浜にも行けるんか?」

「横浜に書類を届ける仕事もあるんじゃあねえのかな。小栗様は世界一周して来た偉いお方だ。異人とのやりとりも成されるに違いねえ」

「それは面白えな。そんじゃあ、親父を説得し、お武家様の手伝いをしてみるか」

「本当か。本当に行ってくれるか」

「滅多にねえ話じゃあねえか。剣術を身に着け、学問を習えて、異人と交流出来るなんて、良い話だ。小栗様を狙う無法者など、俺は怖かあねえ」

 井上類作は乗る気になった。城之助は仲間が増え、秩父に来て良かったと思った。だが栄作は思案中だった。酒を飲み、類作と城之助の話を羨ましそうに聞いていた。勇太郎は、黙りこくっている息子、栄助の気持ちを読んだのだろう、じれったくなって、栄助に訊いた。

「栄助。お前も行きてんじゃあねえのか?」

 栄助は父親の顔を見て、酒をぐっと呑み込み、父親に質問した。

「そうは言っても、俺がいなくなったら、田代家のお役目は、どうなるんだい。それじやあ、大変だんべ」

「なあに。心配することはねえ。俺はまだ若い。それに弟たちもいるじゃあねえか。心配無用じゃ。お前を見込んで、はるばる、友がやって来たんだ。行きたければ行くが良い」

「本当に良いのかい」

「ああ、良いとも。但し二年じゃ。二年なら『丸井』の旦那も許してくれるだろう」

 勇太郎は、そう言って、含み笑いをした。村の若い二人が、旗本の屋敷に奉公出来るということは、村の将来に役立つに違いない。城之助は、栄助の父、勇太郎の懐の大きさに感激し、床に手をついて礼を言った。

「有難う御座います。二年間、栄助さんたちを、お借りします。その間、よろしくお願い致しやす」

「良いですとも。お武家様に奉公して、いろんなことを伝授していただければ、めっけもんさ」

 勇太郎は城之助と柳吉に、笑顔で酒を注だ。城之助は、城之助は、その酒を有難く盃で受けた。柳吉もまたぺこりと頭を下げ、勇太郎の酒を受けた。秩父への訪問は、こうして成功した。

 

         〇

 10月末、小栗忠順は懐かしい山田城之助を小栗家に迎え、城之助が連れて来た三名を城之助と共に、二年間、召し抱えることにした。このことにより、過激派への備えが整って、気分的に少し楽になった。この頃、隣国、清では英仏軍に北京を占領され、乾隆帝時代の繁栄を象徴する離宮、『円明園』を焼き払いわれ酷いことになっていた。英仏公使は、清朝の咸豊帝の弟、恭親王と天津条約の批准書の交換と北京条約の調印を行った。このことにより、清国は天津の開港、香港島の対岸、九龍の割譲、苦力の海外労働の公認、賠償金支払いなど、無茶な要求を約束させられた。またロシアは黒竜江以北の領土及びウスリー河東岸を手に入れた。この隣国の出来事を知るや忠順は日本国が危機的状況にあることを痛感した。国内を固め、一刻も早く世界列強に伍する体勢を整えないと、日本国は欧米人たちの植民地にされてしまうと危惧した。そのことは日米修好通商条約批准の為に、世界を見て来た使節団の報告により、徳川幕府も充分に理解していた。無知な朝廷など、あてにしている時では無かった。それ故か11月8日、小栗忠順外国奉行に任じられた。早速、諸外国との交渉を開始した。そんな矢先、12月4日、外国人殺傷事件が起きた。芝赤羽のプロイセン王国使節宿舎からアメリカの公使館の置かれた善福寺への帰途、初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスの秘書兼通訳官、ヒュースケンが、攘夷派の薩摩藩士に斬られ、翌日、死亡した。この為、小栗忠順は直ぐに吉田好三郎、塚本真彦、山田城之助らを引き連れ、善福寺に駈けつけ、総領事、ハリスに詫びた。ハリスは条約を結んだというのに、何でこんなことにと嘆き悲しんだ。忠順はハリス総領事と話し合い、ヒュースケンの慰労金、4千ドル、ヒュースケンの母、ジョアンナへの扶助料、6千ドル、合計1万ドルを弔慰金として幕府から支払うことで事件を落着させることにした。ヒュースケンの葬儀は12月8日、、各国外交官列席のもと行われた。忠順は新見備前守、村垣淡路守、高井丹波守、滝川播磨守ら外国奉行と共に葬儀に列席した。善福寺は土葬が禁じられていた為、忠順の指示により、ヒュースケンの亡骸を善福寺から白金よりの土葬が可能な光林寺へ移すことになった。小栗家の家臣たちが、その移動を行った。田代栄助がプロイセンが用意した棺箱を担ぎながら城之助にぼやいた。

「初めっから、こんな仕事かよ」

「大変なのは、これからだ。襲撃した奴らを捕まえないとな」

 城之助は、栄助たちに笑って答え、棺箱を覆うアメリカ国旗を抑えながら、プロイセンの軍楽隊の音楽に合わせ、プロイセンの水兵やオランダの水兵たちの隊列と共に白金に近い光林寺へ向かった。忠順は、家臣を増やしておいて良かったと思った。そして、12月14日、忠順はヒュースケンに通訳してもらっていた、プロイセンとの修好通商条約をプロイセンの全権大使、オイレンブルグ伯爵と老中、安藤信正外国奉行、村垣範正らと共に調印した。目まぐるしい忠順の一年はこうして暮れた。

 

         〇

 万延2年(1861年)、新年になると、ヒュースケンが殺害されたことにより、アメリカ軍が攻めて来るのではないかと噂され、朝廷は不吉を恐れ、万延の元号改元しようかと検討を始めた。だが朝廷が恐れていたアメリカは南北戦争の為、国内が乱れ、それどころでは無かった。その代わりにロシア軍艦、ポサードニック号が2月3日に対馬の尾崎湾に来航。対馬を占領した。それは太平洋側にロシアの不凍港を確保する為のものであった。朝廷は不吉を消そうと、2月19日、急遽、検討していた元号文久と改めた。そんなことで、国難を防ぐことは出来ない。対馬藩主、宗義和はロシア軍艦に速やかに退去するよう抗議したが、難破して寄港したので、修理工場と食料及び遊女を要求した。3月4日には芋崎に上陸し、無断で兵舎の建設を開始した。さらに船体修理工場、練兵場なども建設した。4月3日には、海岸にロシア国旗を掲揚した。朝岡譲之助、大浦教之助、平田茂左衛門らがポサードニク号退去を通告したが、退去の気配無く、紛争に発展しそうになった。藩主、宗義和はロシアとの紛争を避ける為、藩内住民には軽挙を戒め、一方で、長崎奉行、岡部長常に救援を求めた。事件を知った松平春嶽は、この危機を救うには朝廷が中心になり、軍備を充実し、強力な兵器の開発を進め、徳川将軍などをあてにせず、天皇が諸藩を率いて外敵に立ち向かう、尊王攘夷の行動をせねばならぬと、公卿たちに吹きかけた。だが如何にしてこの救国行動をとるべきか、京都の朝廷で、分かるものはいなかった。結局、徳川将軍に外国軍討伐を頼るしか方法が無かった。幕府はこのロシア軍の暴挙を阻止させる為、函館奉行、村垣範正に命じ、函館駐在のロシア総領事、ヨシフ・ゴシケービッチにポサードニック号の対馬からの退去を要求した。また外国奉行小栗忠順対馬に派遣し、事態の収拾にあたらせることにした。忠順は、この命を受け、アメリカに派遣された時、特に親しくなった軍艦奉行、木村喜毅に依頼し、咸臨丸を対馬に出してもらうことにした。木村は忠順の依頼とあって、部下の小野友五郎を艦長として咸臨丸を対馬に向かわせる手配をした。5月7日、忠順は、日本国にも軍艦があることを、ロシア軍に示す為、目付、溝口八十五郎と共に、家来六十人程を連れて、対馬に向かった。5月10日、咸臨丸で対馬に到着した忠順は、早速、ポーサドニック号の艦長、ビリリヨフと会見した。この第一回の会見で、ビリリヨフ艦長は、対馬藩主,宗義和にロシアからの贈物があるので、宗義和藩主への謁見を強く求めた。オランダ語の出来る三好権三の通訳で何とか、交渉が進み、忠順は、対馬藩主との謁見を許可することにし、対馬藩主と日程を調整すると答え、時間稼ぎをした。そして対馬藩主、宗義和と相談したが、ロシアが対馬北端の芋崎地区の租借を求め、強引に建物を建てたり、食糧を強奪したり、狼藉を働き、ロシア軍の無法ぶりは許せぬ行為であると知った。5月14日の第二回目の会見で忠順は、対馬藩主と面談した結果、ロシア兵の無断上陸と不法行為は条約違反であり、ロシア兵をポサードニック号に直ちに戻すよう抗議した。だが、話がこじれると三好権三の通訳では不十分だった。その為、忠順は安政5年(1858年)ロシアのアコリド号が下田に来航し、船員10人程が病気になり、稲田寺で看病させた折、ロシア人監督を担当させた志賀浦太郎を急遽、呼び寄せ、5月18日、第三回、会見を行った。忠順は対馬藩主の謁見を認めることは、ロシア軍の対馬居留を認めることになるとの理由を言わず、対馬藩主との謁見は不可能になったとビリリヨフに回答した。ビリリヨフは、感情を露わにした。

「小栗。お前は対馬藩主との謁見を許可したではないか。何故、謁見出来ないのか。その理由を言ってくれ」

「それは申すまでも無く、前回の会見で、艦長に伝えたことが、実行されていないからである。艦長の部下たちの島民への乱暴は使節である艦長への信頼を失い、あなたを使節として、お迎え出来なくなったと、御理解下さい」

「小栗。お前は一旦、約束した事を、反故にするのか。我々は日露修好通商条約をもとに対馬藩と交流する為にやって来たのだ。それこそ、条約違反ではないか」

「何を申されても、信用を失った艦長と対馬藩主との謁見は出来ません。一旦、ロシアにお帰り下さい」

「ならば、こちらは居続けるだけだ」

「ビリリヨフ。私はあなたを使節と認めない。私はあなたの相手をせず、江戸に戻る。私が気に喰わなければ、私を射殺しても構わないぞ」

 外国奉行小栗忠順は、そう言って、交渉を打ち切り、対馬藩家老、仁位孫一郎、長崎奉行、岡部長常や副奉行、永持亨次郎、肥前の代官、平田平八に対馬藩主の守備を頼み、5月20日、対馬を離れた。

 

         〇

 江戸の戻った忠順は、老中、安藤信正久世広周らに、相手は、対馬の芋崎の租借を狙っており、交渉を打ち切って帰って来たと説明した。そして、対馬を幕府直轄領にすること、今回の件は、ロシア総領事を通し、正式な外交形式で行う事、また彼らの暴挙を国際世論に訴える事、更に。いざという時の事を考え、軍艦をはじめとする軍備の増強を幕府が行うよう提言した。しかし、老中らは、この意見を受け入れなかった。一方、小栗忠順に帰られてしまった対馬藩では長崎奉行もあてにならず、ビリリヨフとの謁見をせざるを得なくなった。5月26日、ビリリヨフはポーサドニク号を対馬の南部にある厳原の府中港に回航させ、部下の兵を従え、藩主、宗義和と謁見した。そして短銃、望遠鏡、火薬及びウズラなどの家禽類を献じ、対馬に長逗留させてもらった恩を謝した。その上で、ビリリヨフは芋崎地区の永久租借を要求し、見返りとして大砲50門の進呈及び島の警備協力などを提案した。それに対し、宗義和は通訳、志賀浦太郎に、激怒して江戸に帰った外国奉行小栗忠順を通じ、幕府と直接交渉しないと、何事も進展しないと、何度も答えさせた。ところが海軍士官ビリリヨフ艦長はロシア皇帝アレクサンドル二世の了解を得て行動しているロシア海軍大佐、リハチョフに、イギリスに対馬を奪われてはならないと、命令されているので、対馬から離れようとしなかった。外国奉行小栗忠順は、これらの状況を一時も早く、解決させなければならなかった。そんな文久元年(1861年)5月27日、イギリスの駐日総領事、ラザフォード・オールコックが、香港から江戸に戻って来た。忠順は、それを知り、高輪の東禅寺にあるイギリス公使館に斎藤大之進、吉田好三郎、塚本真彦、大井磯十郎、福地源一郎、佐藤銀十郎、山田城之助、田代栄助ら引き連れ、挨拶に伺った。そして、その席で、ロシアの軍艦、ポーサドニク号の暴挙について、如何にすれば解決するか相談した。忠順の困った顔を見て、オールコックが笑って答えた。

「ミスター・小栗。その話は香港で耳にした。そこで私はインド艦隊司令官、ジェームス・ホープに言って、2隻の軍艦で対馬に偵察に行かせた。対馬の様子は十分に理解している。その解決方法は、我々イギリスの艦隊が行けば済むことだ」

「どうすればイギリス艦隊を対馬に派遣していただけますか」

「条件がある。イギリス軍艦の横浜常駐だ。ミスター・小栗、どうだろう?」

「私は了承したいですが、老中が、了解しないと思います」

「あなたが同席すれば、