幻の花 ~ 第七章   流れ星小町

 小町が宮仕えに慣れ始めた貞観八年(八六六年)閏三月十日の夜、大事件が起こった。内裏朝堂院真南の応天門が突然、炎上したのだ。何者かによって放たれた火は、乾ききった応天門をたちまちにして灰燼と化した。そればかりか、その炎は応天門の東西に立つ両袖、棲鳳楼、翔鸞楼にまで燃え広がると、あれよあれよという間に、その両楼も燃え尽くしてしまった。朱塗り鮮やかに建てられた円柱と碧色した瑠璃瓦葺きの華麗なる正門が、一瞬にして燃え尽きる様は、夜の人目に、応天門が備え得る一切を捻出した最高の美しさの燃焼と感じられた。当時、平安を願い、白川に引き籠っていた太政大臣藤原良房にとって、この宮中で最も重要な儀式や法会を営む朝堂院の正門、応天門炎上は、大衝撃そのものであった。応天門炎上。それはまさに治安の乱れ、世上の不穏を意味し、人々は、この怪火を大凶事の前兆だと騒ぎ立てた。朝廷の要人たちは火難が続出することを恐れ、五畿七道の諸神に加護を請い、京内の東西両寺を始め、各地の寺々で、仁王般若経を転読させた。そればかりか、貞観政府は特に山城、若狭両国の兵乱を警戒し、西辺諸国にも警告を発し、兵事を戒厳すべく下知し、民衆の不安感を柔らげるよう努力した。この応天門の炎上事件は、常寧殿にいる在原文子や后町の小町にとっても、恐ろしい事件であった。しかし女たちの最大の悩みは恋であった。更衣、文子は清和天皇のお召しを願い、下女、小町は伴中庸と会うことを願った。小町は中庸宛てに手紙を書いた。すると中庸は、閏三月十四日の夜、小町との逢引の場所に来るという便りを寄越した。当日の夜、小町は心躍らせ中庸との逢引の場所に行った。ところが深更になっても中庸は小町の待つ場所に現れなかった。小町は歌った。

  色見えで 移ろふものは 世の中の

  人の心の 花にぞありける

 小町は中庸を恨み、后町に戻り、その夜、一睡もしなかった。ただ伴中庸のことばかりを考え続けた。そして翌十五日の明け方、小町は恐ろしいものを見てしまった。中庸のことを思い、部屋の窓を開け、明け方の空を見上げていると、突然、榮頭星が紫の火を放って内裏に入るのを見た。流星は内裏に入る間際、一瞬、赤黄色に激しく輝いた。小町は驚きの余り、そこに転倒してしまった。それから、どの位、経過してだろう。小町は更衣、文子の胸に抱かれていた。目を覚ました小町に文子が訊ねた。

「いかがしたのですか?」

 小町はありのままを文子に話した。その瞬間、文子は勿論のこと、周囲にいた女房たちの顔面が、血の気を失い、すうっと蒼白になった。一人の女房が小町に言った。

「流星が流れたその下では、千里にわたって兵乱が起きるという不吉な語り伝えがあります。この事は一大事です」

 この小町が内裏に入る流星を見たという話は在原行平から、伴善男の耳に入り、それはやがて右大臣、藤原良相太政大臣藤原良房のところにまで知れることとなった。

 

         〇

 更衣、在原文子の付き人、小野小町が内裏に入る流星を見たという話を知り、朝廷は、不吉な前兆と判断し、閏三月二十二日、百官を招集し、会昌門の前で大祓を行った。また災変の消滅を祈って、崇福寺、梵釈寺などで、経典の転読、秘法の勤修を行わせた。そして流星を見たという小野小町に事実確認の上、右馬頭、在原業平と共に伊勢神宮に小町を行かせ、平穏祈願するよう命じた。小町は早速、文子の伯父、業平に伴われ、伊勢に行き、伊勢権守兼神祇伯高階峯緒の屋敷に泊った。その折、業平が二歳の子供、師尚を抱いてあやしているのを見て、ほほえましく思った。翌日、二人は伊勢の斎宮、恬子に会い、伊勢神宮に幣物を捧げ、目撃した流星を、吉凶いずれの前兆として使うべきか、その神助を求めた。これが小野小町が巫女的存在となって頭角を現すきっかけとなった。

 

         〇

 都に戻った小町は急に多忙になった。理由は斎宮、恬子が義弟、清和天皇に、業平が連れてきた女官、小町が才色兼備で、祈祷や神託にも通じた神秘的な女性であると、手紙を送った為である。これを知った清和天皇は小町なる女性に興味を持った。そこで若い文章得業生、菅原道真に、こっそり小町のことを調べて欲しいと依頼した。道真は幼い清和天皇の詩文の指導にあたっていたので、、秘かに小町のことを調査した。誠実な道真は小町の実体を知り悩んだ。どう報告すべきか、戸惑った。そんな道真に清和天皇が仰せられた。

「道真。何をためらっている。小町とはどのような女子であったか?」

「はい、それが。どのように説明して良いやら」

「なら、朕が女子たちと比較して、どのようであるか説明せよ」

「ははーっ」

 すると道真は、世間で噂されている『貞観の三大美人』と小町について、こんな風に説明した。

 藤原多美子

  右大臣、藤原良相の娘。姉は文徳天皇女御、多賀幾子。姉に比較し、性質安祥にして、容色妍美。天皇元服の折、添臥役をされた程で、その素晴らしさは語るまでもありません。温和な天皇の皇后に最も相応しいと思われます。

 藤原高子

  権中納言、藤原良長の娘。早く父を失い、在原業平との噂あり。藤原氏の生まれなので、気位が高く、性格強烈。天皇より年上なので、男を遇すること巧み。心の強い人なので、牽引されぬよう要注意のお方です。

 在原文子

  大蔵大輔、在原行平の娘。才色兼備なれど、性格冷静柔和。まだ男を知らぬ清純な女で、天皇が抱きしめたなら、泣き出すかも知れません。先導が必要です。

 小野小町

  出羽郡司、小野良実の娘。参議、小野篁の孫。文屋家及び在原家にて行儀見習いし、更衣、在原文子の付き人となる。才媛美麗。他の三名に較べ、身分、幾分劣るも、神霊力を秘める。肥後国生まれ故か。野性的なところあり。文子の付き人なので、出来得れば、近寄らない方が無難でしょう。

 菅原道真は世間の噂と自分の想像を加え、勝手な説明をした。気の弱い清和天皇は、今後、彼女らと、どのように接すれば良いのか悩んだ。そこで道真は、もし小野小町を見たいのなら、在原文子を召すことだと進言した。かくして小野小町は文子の付き人として、清和天皇を拝顔することになった。小町はかくも早く恐れ多い清和天皇にお目にかかれるとは、想像もしていなかった。清和天皇は二人の美女を目の当たりに見て、心が躍った。いずれがアヤメ、燕子花。全く優劣つけ難かった。女というものを深く知らない清和天皇は二人に同じような慕情を抱くこととなった。

 

          〇

 五月十二日、伴中庸の父、大納言、伴善男が応天門放火は、左大臣源信の犯行によるものであると告発した。伴善男は参内の折に右大臣、藤原良相に告げたのである。

「良相様。実は先日、嫌な投書がありました。左大臣源信殿が、弟、源融殿らと共謀し、天皇の位を狙おうとして、応天門に放火したとのことです。世上の乱れに乗じ、朝廷に反逆をしようと考えているようです。この投書がもし本当なら、一大事で御座います。去年、源信殿の腹心なる人物を遠ざけ、その両翼を我らで、掌握したものの、まだまだ源信殿の家人には、弓馬に巧みな者も多く集まっております。もし彼らが秘かに反逆の時を狙っているならば、応天門の放火を理由に、即刻、左大臣、藤原信殿一味を逮捕するべきだと思います」

 この知らせは藤原良相にとって、競合する源信左大臣職から、退ける絶好の材料であった。藤原良相は、兄、藤原良房の後を継ぐには、是が否でも、今、源信を失脚させなければならなかった。良相は即刻、参議、藤原基経を招き、基経に命じた。

「応天門の出火は、左大臣源信の仕業である。直ちに貴奴を捕え、官職を辞めさせねばならぬ。速やかに源信の屋敷に左大臣逮捕の兵を差し向けよ」

 しかし、太政大臣藤原良房の養嗣子である基経は軽々しい行動に出なかった。基経は伯父、良相に確認した。

「このことは、父、太政大臣も御承知の上での御命令で御座いましょうか?」

「お前も知っての通り、兄、太政大臣は病気療養中で、ひたすら仏法を信じ、政務から離れている。太政大臣の預かり知らぬことである」

「とは言え、事は重大です。太政大臣の指示無くして、た易く行動出来ません。早急に太政大臣の指示を仰ぎましょう」

 基経は急いで良相のもとを辞去し、養父、良房の指示を受けた後、兵を差し向けることにし、直ちに事の次第を、染殿第の良房に報告した。太政大臣、良房は、事態を聞いて驚き、平服のまま早馬にうち乗って、内裏に駈けつけるや、清和天皇に、このことを如何にすべきか問い合わせした。清和天皇は既に誰かから、事の次第を聞いており、良房を見るなり、叫んだ。

「おお、良房太政大臣。待っていたぞ。聞いたか、左大臣源信の野望を」

「はい。それを耳に致し、馳せ参じました」

「ならば太政大臣源信を直ちに捕えよ」

 しかし、太政大臣藤原良房は落ち着き払った態度で、天皇に応えた。

左大臣源信殿は帝の大功の臣であり、その罪の真偽が明確で無いのに、その源信殿を早急に捕えよとは、帝のお言葉とは思えません。源信殿が応天門に放火したというのは、これを訴え出た者の讒言であり、多分、真犯人は別にいるに違いありません。ただならぬ事件でありますので、よくよく調査した上で、処断すべきと考えます。もし左大臣源信殿が、どうしても罰せられるなら、その前に老臣が先ず罪に伏したいと思います」

 良房は、以上の考えを清和天皇に進言し、ことが如何に注意を要する事件であるかを語るとともに、左大臣源信が無実無罪であることを主張した。何故なら、良房にとって、妻の兄、源信に、そのようなことが出来る筈が無いと思われたからであった。父、嵯峨天皇の血を引いて、書画や琵琶、琴、笛などに優れ、鷹狩、馬術と至って趣味の広い多芸多才な源信。政治的手腕が全く無く、御しやすい友人、源信。去年、中納言源融ら弟たちと共謀し、反乱を起こそうとしているという、宮中への匿名の投書の為に、今年の正月、武術に優れた家臣たちを、遠国の国司として赴任させられてしまった源信。その源信が何故、そのような無謀なことを策謀出来よう。良房は、清和天皇に即刻、源信の逮捕を止めさせる命令を出させた。何事も良房に依存していた年少の清和天皇は、良房の言葉に従い、左大臣逮捕を止めさせ、反対に左大臣の屋敷に慰問の使いを送った。良房は巧妙であった。良房にとって、もし源信が逮捕され、罪を受けることになったら、縁座の法により、良房自身も何らかの処罰を受けるからであった。

 

          〇

 放火の罪を着せられて屋敷に引き籠っていた左大臣源信は、そんな良房の行為を知らず、庭に荒菰を敷いて、天道に向かい、無実の罪を訴え続けていた。その時、赦免使の馬の蹄の音が聞こえて来た。その蹄の音を聞いて、左大臣源信家中の者は顔色を変えた。勅命を受けた使者が、罪の処断を告げにやって来たのだと、皆、泣き騒いだ。ところが使者は赦免無罪の由を伝えて帰って行った。悲しみの涙は一転して、喜びの涙となって溢れた。蹄の音を逮捕の兵と間違える程、怯えていた源信は、左中弁、藤原家宗らの慰問を受け、救われたことを知ると、家中の俊馬十二頭と家来四十余人を朝廷に献じ、朝廷に対する真心の程を現した。そして、その後、全く門を閉ざしてしまった。太政大臣藤原良房は、このことをして、嵯峨源氏に恩を売りつけ、藤原全盛を一層、不動のものとした。

 

          〇

 こうした藤原全盛という時代の中で、激しく繰り広げられるさまざまな人間模様は、宮仕えしたばかりの、更衣、在原文子やその付き人、小町にも、それがどのような理由に基づくもなか、秘かに知ることが出来た。清和天皇に仕える女御や更衣や侍女など、一族の為に、宮中に近侍する者にとっては、それなりに奢侈の生活を楽しんではいても、一時も油断は許されない、緊張の毎日であった。特に今回の事件では、源氏出身の女御たちは一睡も出来ない程、悩まされた。文子と小町は、そのすざまじい宮中の中で、そういった女たちの顔色を窺いながら、肩を寄せ合って生きた。

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色見えで 移ろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける